三十話 進撃のペン爺②
昼時になり、木偶竜ケツァルコアトル製造作業の休憩時間が訪れた。
昼食休みなどなくてもいいじゃないかとは思うのだが、以前に一度ボイコットされ、メアとラルクの説得もあり『必ず昼食休み一時間を確保すること』と書かれた念書に判を押す羽目に陥ったのだ。
錬金術師団の団員達は最近、すぐラルクやメア、アルタミアに泣きつくことを覚え始めたので困る。
懲りずに俺が昼休みにオーテムを担いで団員達の団欒に乗り込んで魔術講義を始めたところ、『休憩間、アベル団長は団員に対して、相手の許可なく声を掛けてはならない』という悪魔の様な念書が一枚足されることとなった。
そのためいつもはメアに泣きつくか愚痴を零すか、一人黙々と作業を続けるか、若干面倒臭そうにしているアルタミアに構ってもらうかなのだが、今日からはペン爺ことペンラートがいる。
ペンラートならば魔術談議にも応じてくれるだろうと思うと胸が躍る。
現在ペンラートは広間にはいないが、すぐに戻って来ることだろう。
昼前にペテロが視察にやってきたため、別の場所に隠れてもらっていたのだ。
ラルクは頼み込めば折れるが、ペテロはなかなか面倒な相手だ。
もっともペテロは、俺を利用して殺そうとしたという、大きな借りがある。
加えてペテロの頼みの綱である、恐らくはこの世界最強の精霊であろう、大神クゥドルにコンタクトを取るにも、俺を経由する必要がある。
狡い話にはなるが、ペテロは俺の機嫌を損ねるわけには絶対にいかないので、バレたところで押し切る自信はあるのだが……ペテロは、老獪な奴だ。
ペンラートを見逃す代わりに重要犯罪者の監視という名目で俺に何か制限を課すか、もっと直接的に俺に別の難題を持ってくるかもしれない。
ペンラートの存在は、なるべくペテロには伏せておきたい。
俺はペンラートの身柄をちらつかされたら、ペテロの言いなりになるか、クゥドルに仲介してもらって互いの妥協点を探るかくらいしか取れる手段がない。
リーヴァラス国に亡命してリーヴァイと手を組み、ペテロと徹底的に敵対するという選択肢はなるべく選びたくない。
いないといえば、メアも今は不在だ。
いつもは作業している間もいつも俺の近くにいるのだが、今日は料理自慢の主婦、ミルシーが開いている料理教室に参加することになっていたらしく、途中で抜けてそちらへと向かっていったのだ。
以前、ネログリフの病魔騒動のあったパルガス村にて、メアは成り行きでハイル村長の娘であるフルールとの料理対決に発展したことがあり、そこでこっぴどく負けたのが堪えていたのかもしれない。
しかしメアも、飽き性というわけではないのだが、この気の多さはどうにかならないのだろうか。
俺が苦手だと言ったことや、関心があると口にしたことを、いつの間にやら猛勉強していたりするのだが、如何せん手当たり次第な節があるため、どんどんと器用貧乏化しているような気がしてならない。
いつもメアが傍にいるので、たまにそうでないときは違和感というか、どうにももやもやする。
ともかく、メアかペンラートか、早く戻ってこないだろうか。
メアの話からすれば、それなりに長くなりそうな雰囲気だったので、夕刻頃までは会えないかもしれない
俺はそんなことを考えながら、木偶部材の散らばる広場の端でオーテムに座り、ハムサンドを齧る。
食べ終わってから背を伸ばしていると、メアが駆けて来るのが見えた。
「アベル、お疲れ様です!」
「あっ、メア! 料理を習うって言ってたけど、あれはもう終わったのか?」
「えへへへ……本当はお昼は向こうで、ミルシーさんの料理を食べながら、他の人とゆっくりお話するってことになってたんですけど……アベルが今休憩してるのかなと思ってそわそわしてたら、ミルシーさんが気を利かせてくれて……」
「大袈裟な、半日もしたらすぐ会うのに」
俺が苦笑しながら応じて立ち上がったとき、メアの横を抜け、一人の小柄な老人が俺目掛けて疾走してきた。
言わずもがな、ペンラートである。
メアも思わず、目を点にして立ち止まっていた。
ペンラートは俺のすぐ前まで来ると、足を止めた。
あまりに顔が近かったので俺は半歩下がった。
ペンラートが一歩前に出た。俺は動かないことにした。
「アベル様! ようやく戻ってこられました! このペン爺、アベル様の偉業に同席できずに遺憾で仕方がありませぬ……! まったく、あの忌々しい、死にぞこないのオカマめが!」
「そ、そうか、大変だったな」
「今、このペン爺のために、アベル様の貴重な時間をいただいてもよろしいでしょうか! この愚拙、アベル様に指南いただきたく存じておりまして! アベル様に何を教えていただくべきなのか吟味しておりました! そこで海よりも広く、ドワーフの地下帝国よりも深い、世界記録とでも呼ぶべきアベル様の知識に尋ねるのならばこれしかないと、このペン爺、愚かで拙い脳髄を必死に絞って考えだしましたのは、やはり……!」
「ま、待ってくれ! その……悪いんだけど、後にしてもらっていいか?」
ここまで知識を求められたのは、前世含めて産まれて初めてかもしれない。
俺はぐっと話したい欲求が込み上げてくるのを抑え込む。
せっかくメアが、予定を捻じ曲げて様子を見に来てくれたのだ。
俺がペンラートと話し込むと、間違いなくメアが横から口出しできない状況になってしまうだろう。
それではあまりにメアが可哀想だ。
「むう……」
ペンラートの目玉が、メアを睨む。
メアはペンラートの禍々しい双眸にたじろいだが、俺の服を握り締めて、睨み返す。
「メ、メア、ペン爺には負けませんから!」
メアが言うと、ペンラートが歯軋りを鳴らす。
この二人は何を競っているんだ。
「アベル、木偶竜製造の調子はどうで……」
「アベル様ァ! 愚拙がまずお聞きしたいのは、ジレメイムの仮想悪魔のパラドクスの解釈にございます!」
話を遮られたメアが、ムッとした表情を浮かべる。
「諦めが悪いですよ! アベルは、メアとお話するって決めてくれたんです!」
メアは俺の背に腕を回してやや背の方に引き、俺をペンラートから庇う様に前に出る。
「ジレメイムの、仮想悪魔のパラドクス……か。まさか、人の口からその言葉を聞くことがあるとはな」
「あっ……」
俺がペンラートの言葉に答えると、メアが空気に消え入りそうな声で息を漏らす。
ジレメイムは、五百年ほど前の、近代魔術の考え方の基本概念をほぼほぼ一人で考えたとされる天才だ。
優れた魔術師であると同時に、宗教・民族研究の学者でもあり、哲学者でもあった。
ジレメイムが死後の世界について斬新な提唱を行い、それに関して数式上での証明を行ったとされるが、残念ながら高度過ぎて誰にも理解できなかったために同意を得られなかった上に、その理論の提唱を神への侮蔑と受け取られ、撲殺されたという。
その生涯は謎に包まれており、肖像の一つも残っておらず、本当は複数人からなる魔術組織のことだったのではないかと邪推する声まで上がっている。
ジレメイムは高位悪魔との対話を行って精霊語の開拓を行い、多くの魔術理論を生み出した。
しかしその大半は誰にも理解されず、世に広まっているものは、一般にも受け入れられたごくごく一部でしかない。
仮想悪魔のパラドクスは、そんなジレメイムの提唱した、魔術に関する考え方・捉え方のことではあるのだが、これも多くのジレメイムの考え出した多くの理論と等しく、誰にも理解されずに時代が経つにつれて忘れられつつあるものの一つである。