二十五話 不死の怪僧ラスブート⑥(side:ラスブート)
アルタミアは、プチアベル球を制御しながら宙へと浮かび、床に空いた大穴の下、ラスブートを押し潰している幻の銅の立方体と三角錐を睨む。
不意を突いてラスブートの身体を一時的に破壊することには成功したが、半ば不死身のラスブートを前に、アルタミアの策も底を尽きていた。
残った魔力も、このプチアベル球に費やしてしまっている。
ここで決めなければ後がない。
立方体が微かに震え、一気に持ち上がる。上に乗っていた三角錐が床へ落下した。
立方体は、『呪体』により全身を黒く染めたラスブートが、片腕で持ち上げていた。
「何をしようとも、無駄なこと……! 私を殺すことなど、誰にもできないのです!」
「হন!」
アルタミアは転移の魔術を詠唱。
アルタミアの身体が魔力の光を残して消え、ラスブートのすぐ傍へと現れる。
アルタミアは両腕に抱えた巨大な炎の球を、ラスブートへ向ける。
立方体を持ち上げているラスブートは、唐突に魔術を用いて接近してきたアルタミアへの反応が遅れた。
『呪体』による超体術と魔術を組み合わせた連撃は、アルタミアも警戒していると考えていた。
「な、なんだ、その魔術は……!」
加えて、アルタミアの抱える炎球は、死を幾度となく乗り越えて来たラスブートにとっても、恐怖を抱かせるに十分なものだった。
巨大な球状結界の中には、未だに灼熱が蠢いている。
どれだけの魔力をねじ込んだのか、想像もできない。
「この方角なら、多少何があっても大丈夫……ラルク男爵、ごめんなさいね!」
アルタミアが腕を振るう。
だが、プチアベル球は、動かない。
「あ、あれ、嘘!? なんで!? ああもうっ! だったら、イチかバチか……!」
アルタミアは、重ねて魔法陣を展開する。
球状結界に粗を作り、指向性を持った暴発を引き起こす。
球状結界表面に窪みが生じ、それが亀裂に変わる。
「い、今の間にっ!」
同時にその隙を突いて、ラスブートが真横へと跳んだ。
一瞬遅れ、プチアベル球の球状結界が崩れ、内部の膨大な熱量が、爆発によって一気に放射される。
「おっ、ぐぉおおおおっ!」
ラスブートはプチアベル球の放つ衝撃波に弾き飛ばされ、火だるまになって床を転がる。
手が焼け焦げてへし折れ、握りしめていた呪猿杖の持ち柄が焼け崩れていく。
子猿の頭蓋が顎を震わせて雄叫びを上げる。甲高い猿の悲鳴が響いた。
放たれた極太の熱線は、館の北の北側を吹っ飛ばした。
それだけに留まらず、地面を抉るプチアベル球の軌跡が、館から離れるごとに拡散して広がっていき、その先数十メートルを更地に変えていた。
「げほっ、げほっ……やっぱり、結界崩すのはダメだったかしら……?」
アルタミアは、消し炭になった見晴らしのよくなった館北側を眺め、小声で呟いた。
人的被害はなかったと信じたい。
「掠っただけで炎上したなんて……やっぱり、充分過剰威力だったわね。アベルの奴は、何を考えてこんな魔術を……? 普通、もうちょっと刻むでしょ……まぁ、そのお陰で、ラスブートはどうにかなったけど‥…」
アルタミアは溜め息を吐き、ラルクにどう説明したものかと頭を悩ませる。
「アルタミアさん!」
メアの叫び声を聞き、アルタミアは我に返る。
横を向けば、半身が焼け爛れたままのラスブートが、怒りの形相で立っていた。
片眼は焼き潰れ、残った側も瞼が焼け切れていた。
これまで感情の色の乏しかったラスブートが、顔の一面に憎悪と憤怒を浮かべている。
「な、なんで!? どうしてまだ動けるの!?」
「よくもやってくれたな、精霊崩れの亡霊風情が!」
『呪体』で強化されたラスブートの裏拳が、アルタミアの胸部に刺さる。
「うぶっ!」
「こんなものではないぞ!」
続けて、アルタミアが体勢を直す間も与えず、顔に、腹部に、腰に、ラスブートの超高速の体術が叩き込まれる。
「পানি দংশন!」
絶え間ない暴力に打って出ながらも、魔術での追加攻撃も欠かさない。
ついでとばかりに、アルタミアの身体を水の刃が通過して破壊する。
とどめに放った回し蹴りが、アルタミアを軽々と吹っ飛ばした。
アルタミアは受け身も取れず、肩から地面に落ち、数回転してから無防備に顔を天に向けた状態で倒れる。
「クソ、どれだけ頑丈なのだ、この半精霊は……! 人間ならば、二十は死んでいるはずだというのに!」
アルタミアは霞む意識の中、どうにか上体を起こす。
ラスブートの足許には、一部が焼け焦げた、子猿の頭蓋が転がっていた。
(しくじった……! 直撃が取れず、衝撃波で吹き飛ばしたせいで、破壊しきれてない!)
策を尽し、魔力も消耗しきったアルタミアに、これ以上ラスブートと戦う手立ては残っていない。
加えて先程の連撃のせいで、ほとんど身体を動かせない状態にまで追い込まれていた。
どうにか起き上がろうと身体を捻り、地に手をつけるが、腕を伸ばす力が入らない。
「ぶっ殺してやりたいが、いつ死ぬかわからぬ貴様を嬲っている余力はないらしい。身体と、猿呪杖も治さねばならぬ。橙の魔女、今日のところは見逃してやる。次は絶対に殺してやる。楽に死ねるとは思わぬことだ。リーヴァラスには、数え切れぬ邪教と儀式が眠る。その苦痛の全てを、貴様の身に味合わせてやるぞ……!」
そう言うと、ラスブートは呪猿杖の頭蓋を拾って抱え、身を翻す。
向かう先は、半壊したラルク邸の二階。メアが残っている部屋である。
「ま、待ちなさいラスブート!」
「ここまで追い込まれるとは予想だにしていなかった、が、目的は果たした、私の勝ちだ橙の魔女……! フフ、次会ったときは、私は水神様の四大神官……いや、あのお飾りの小娘と代わり、教皇になっているやもしれぬな。再会の日を、楽しみにしているがいい」
ラスブートの隻眼がアルタミアを振り返る。
その後、すぐにメアの方へと向き直り、地を蹴って跳び上がり、ラルク邸二階へと侵入する。
メアが応戦に放った矢を、ラスブートは素手で受け止めて握りつぶし、床へと落とす。
「フフ……怖くはありませんぞ、ドゥーム族のお嬢様。少し私と来てもらうと言うだけです、さぁ!」
ラスブートが笑いながらメアへと駆ける。
「ひっ!」
メアが脅え、目を瞑る。
――その瞬間、部屋に置かれていたオーテムが魔法陣を展開した。
底部で床を蹴って、ラスブート目掛けて一直線に跳び、頭突きを放つ。
「むっ! なんだ、これは!」
ラスブートは片腕で止めようとしたが、抑えきれず、オーテムの頭突きをまともに身体で受けることとなった。
攻撃を受けた衝撃で、手から呪猿杖の頭蓋が飛び、地面を転がっていく。
ラスブートは空いた両腕でオーテムを掴み、強引に引き放す。
アルタミアはその様を呆然と見ていたが、遅れて状況を理解する。
「見張りのオーテムがついていたのね……」
アベルはナルガルンを止めるべく動く前に、メアの身の危険を起動条件にしたオーテムを残していたのだ。
メアが屋敷に残ったのも、そうするようにアベルから言い含められていたためであった。
(でも、ないよりマシだけど、状況は悪いままね……)
アルタミアは目を細め、オーテムとラスブートの押し合いを睨む。
普通の相手ならば、オーテム一つで対処できたかもしれない。
だが、相手が悪かった。
リーヴァラス国の殺戮司祭、怪物ラスブートの『呪体』による身体強化、そして極められた体術の技術は、瀕死の状態であっても、オーテムの力を僅かに上回った。
「はああああああああっ!」
ラスブートはオーテムの力の向きを誘導する様に身体を回転させ、床へと方向を捻じ曲げて叩きつけた。
床に綺麗にオーテム型の穴が開き、下へと落下していく。
相手が小さな人形であるからこそ対処可能であった。
ラスブートは息を荒げながら、無事に捌けたことに安堵する。
「なるほど……これが、アベルのオーテムか。本人がいれば、少々まずかったかもしれぬ」
ラスブートは息を荒げながら、再びメアを見る。
「さぁ、私と来るのだ、赤石の娘……」
メアの周囲から、十の魔法陣が浮かぶ。
「む?」
部屋に放置されていた十体のオーテムが、一斉に魔法陣を展開した。
瞬間、ラスブートの頭が思考を停止した。
驚愕と絶望がないまぜになり、口から「ぶふふっ」と息が漏れる。
なまじ先程のオーテムと押し合った分、これが見た通りの事態ならば、どれほどの窮地かは、容易に想像がついた。
即座に片足を軸に身体を反転させ、そしてその回転により押し出されるように一歩目を歩む。
大きく歩幅を取ったが、しかしそれで体勢が乱れることもない。
極められた体術の生み出した、無駄のない離脱の体捌きであった。
しかし、逃れるどころか第二歩を踏み出す間もなく、ラスブートの背にオーテムの頭突きが当たる。
その場に倒れ込んだラスブートへと、十体のオーテムが囲んでリンチを始める。
立ち上がる余裕など与えるはずもなく、容赦ない打撃が繰り返される。
ラスブートの悲鳴が響く。
アルタミアは地面に伏したまま、死んだ目でその光景を眺めていた。
メアは二階から降り、恐る恐るとアルタミアへ近づく。
「だ、大丈夫ですか、アルタミアさ……えっと、アルタさん」
メアが思い出したように言い直す。
「……ねぇ、あれ、何」
確かにメアは、アルタミアに自分を置いて逃げる様に、途中で促していた。
あのときは何を言っているのかと思ったが、恐らくこのためだったのだろう。
しかしそれでも納得しきれない気持ちがあった。
「……そ、その、アベルが保険に置いて行ってくれた、オーテムです……。えっと、即席で用意したから、あんまり期待はするなとも言われてたんですけど」
メアが申し訳なさそうに答える。
本当はアベルから『万が一、オーテムで対処できない様な奴が来たらアルタミアを頼れ』とも言われていたのだが、今そのことを伝えても何の意味もないばかりか、嫌味と取られかねないことはわかっていたので、黙っていた。
アルタミアは顔を押さえ、深く溜め息を吐く。
(何にせよ、何事もなくてよかったけど……)
アルタミアも、もしかしたらラスブートならばアベルを殺しかねないかもしれないと考えていたが、どうやら気のせいだったらしいと悟る。
「あっ!」
ふとそこで、ラスブートの特性を思い出す。
ラスブートの不死性は、呪猿杖にある。
オーテムがどれだけラスブートを叩きのめしたとして、あの子猿の頭蓋を壊さない限り、ラスブートを完全に倒すことはできない。
アベルがオーテムの停止条件をどう組んだかわからないが、半不死のラスブートを叩きのめしたと誤認して早々に解放し、逃がしてしまう恐れがある。
ラスブートの不死性の根源である子猿の頭蓋を回収しなくてはならない。
「今、あの頭蓋骨はどこに……!」
アルタミアが顔を上げれば、子猿の頭蓋は、二階の部屋に、平然と転がされていた。
やはりオーテムは呪猿杖を感知できていなかった。
あれを壊すまでは、まだ安心できない。
(幸い、多少は回復できた……あれを拾って回収してくるくらいなら、今の私にもできる……)
アルタミアは立ち上がって浮遊し、半壊したラルク邸の二階へと移動する。
オーテムに叩きのめされ続けているラスブートを警戒しつつ、子猿の頭蓋を拾う。
「ま、魔女……魔女お! アルタミア、アルタミア殿ォ!」
ラスブートから懇願するような声が響く。
「降伏するからっ! これ、止めて、止めてください!」
ラスブートがアルタミアへと縋る様に上げた腕が、オーテムに踏み潰される。
「……知らないわよ、私のじゃないし。えっと……それは敵を無力化するためのだから、多分、アンタが気絶したら勝手に止まるんじゃないの?」
「それっ、潰して! それある限り、私、意識途切れないんで……! ぐぼぉ! さっきの魔術もう一回使えば、完全に潰せるはず……おぼごぉ!」
アルタミアは、ふと拾い上げた呪猿杖の頭蓋へと目を向ける。
確かにもう一度プチアベル球を使えば潰せるかもしれないが、今、そんな余力はもう残っていない。
それに元より、アルタミアには、ラスブートを解放する義理もない。
散々殴りつけられた挙句、甚振って殺してやるとまで宣告されたのだ。
「……だったらアンタは、しばらくそのままでいなさい。これは預かっておくわ」
「橙の魔女ぉおおおおおおおっ! おごがっ!」
ラスブートの咆哮が、顎をオーテムに殴りつけられたことで止まる。
(……私、今まで何をしていたのかしら)
アルタミアは言いようのない虚無感に包まれながら、最後にもう一度溜息を吐いた。