二十話 不死の怪僧ラスブート①(side:ラスブート)
アベルがペンラートとの交戦を繰り広げている間、ファージ領の村へと近づく影があった。
凹凸のある不気味な面の様な怪奇な相貌に、顎を覆う茶色の髭。
大男はその巨体には似つかわしくない迅速で草原を駆ける。
リーヴァラス国の誇る最悪最強の大男、かつて殺戮司祭と恐れられた怪僧ラスブートである。
繰り返して身に受けたリーヴァイ教の邪派の儀式により、ほとんど不死に近い頑強な肉体を得ており、世界でも有数の魔力を用いた身体強化術の使い手でもある。
更には秘密裏に本来四大神官にのみ授けられるリーヴァイの召喚紋も胸部に刻まれており、そこからリーヴァイの魔力を受け取り、通常ならば人の身では操ることのできない領域の魔術の発動をも可能とする。
リーヴァイ教団の中では、素の力量ならば教皇サーテリアをも凌ぐ実力者であったが、邪派の司祭として悪逆を尽した過去があり、国民の信頼を得るためにもリーヴァイが表に出せなかった人間である。
五人目の四大神官ともいえる、リーヴァラス国の秘密兵器である。
(目標は、空神の遺産、ドゥーム族の赤石! ただし、赤石は、生きておればいい! 最重要危険人物アベルは、ペンラート殿が国境沿いに引き付けている。簡単すぎますねぇ……もっとも、リーヴァイ様の勅命、気を抜く気はございませんが)
ラスブートが、歯茎を露出させて笑い、禍々しい外見の杖を掲げる。
杖の先端に猿の赤ん坊の髑髏が付いており、持ち柄は人被に覆われている。
祭杖・呪猿杖。
リーヴァイ教の中でも異端とされていた邪派の教徒として活動していたときの名残である。
今ではラスブートも邪派の教えを捨て、古くから続く中で腐敗し本来の意味を失った教義を一新し、復活したリーヴァイの声のみを真の教えとする新リーヴァイ派の教徒である。
ただ、この杖は魔術の媒介としても優れている他、ラスブートの不死性の一端を担っているため、リーヴァイより所持を許されていた。
この杖には、悪魔の邪法によってラスブートの魂の一部が封じられている。
ラスブートがどれだけの大怪我を負っても、杖が周囲にある状態ならば、杖の魔力によってラスブートの命と意識を繋ぎ留め、身体を再生させる力がある。
もっともこの杖がなくともラスブートは他の儀式によって悪魔や大型魔獣にも匹敵する生命力を得ているため、今回の任務には本来過剰戦力である。
しかし、ラスブート程にもなれば、下手に杖を手放した状態で国外へ出れば、そこを狙って他国の暗殺組織が動かないとも限らない。
今回は極秘任務であり、また長くても一日と掛からないはずではある。
しかし、クゥドル教過激派魔術結社『アモール』や、マハラウン王国の王の助言機関『五大老』、世界の平定者であることを自称する『刻の天秤』辺りは、嗅ぎつけて動き出しかねない。
「আমিলুকান」
村が見えてきたところで、ラスブートが呪文を唱える。
魔法陣が展開され、ラスブートの姿が揺らいで消えた。
「さて、狩りの始まりですよ」
ラスブートはクックと笑い、駆ける速度を速めて村へと侵入した。
ラスブートは透明化の魔術を保ったまま、音と気配を消して歩き、男女二人が談笑しながら歩いているところを後ろから接近。
持ち前の巨大な腕で男の首を掴んで持ち上げる。
突如として男が宙へと浮いて苦し気に呻くのを見て、女が悲鳴を上げて腰を抜かす。
「質問に答えていただきます。嘘を吐いたときは、お二人ともに死んでいただきますので、回答はどうかご慎重に。この村に、ドゥーム族……角ありの娘がいますね? 今どちらにいるのか、教えていただけませんかねぇ?」
脅迫により、メアの居場所が領主の館の一室であるとの情報を得たラスブートは、もう用がないと言わんばかりに地面に男を投げ捨て、即座に村で一番大きい館、ラルク邸へと向かった。
館の門には見張りの者が立っていたが、姿の見えないラスブートには気づかない。
ラスブートは悠々と館内に侵入し、メアの姿を探す。
(領主の館に賓客として招かれているというのは、理に適っている。あの状況で咄嗟にそんな嘘が吐けたとは思えないし、表情からも嘘の様子はなかった。ここも、ここも違う……となれば、残りは……ここ、ですかねぇ‥‥…)
扉を開け、部屋の中へと目を通す。
部屋の中では、橙髪の巻き毛の女が、木箱へと座って足を組んでいた。
「何かお探しのところ悪いけれど、違うわよ」
女は頭に被る尖がり帽子のズレを整えながら、逆の手をラスブートへと向ける。
「……お前、私の姿が見えているなっ!」
ラスブートが呪猿杖を構え、橙髪の女の魔術発動へと備える。
女が腕を振り下ろす。
それだけで、詠唱も魔法陣もなしに、十の炎の魔弾が生成され、ラスブートへと飛来する。
「む、無詠唱だと!? お前、人間ではな……!」
ラスブートが背後へ跳ぶ。
が、避け切れない。
炎の魔弾がラスブートの身体へ当たる。一つ当たれば体勢が崩れ、後の炎弾が立て続けに巨体へと命中していく。
炎弾は当たった瞬間に弾けて小さな爆発を起こし、ラスブートを弾き飛ばし、床に転がした。
外れた炎の魔弾が天井や床、壁を破壊し、大穴を開ける。
他の部屋から、何の騒ぎかと悲鳴が飛び交う。
「ご名答。不吉な魔力の波長を感じたから、様子を見に来させてもらったけど、当たりだったわね。魔力洩れの誤魔化しもあったみたいね。悪くない腕だけど、そんな精度じゃ私には通らないわよ。アベルの不在を狙ったのなら、狙いはラルク男爵かしら? 私には、ジリ貧のリーヴァイ教が、アンタ程の魔術師をわざわざ使いに出すほどの大物とは思えないけれど」
橙髪の魔女、伝説の錬金術師アルタミア。
彼女は自らの魂を人工精霊化させている。
そのため、悪魔同様に、魔法現象を魔法陣や詠唱なしでそのまま発動することができる。
アルタミアの魔弾の連続攻撃を受けて倒れたラスブートだったが、すぐに床を蹴って跳び上がりながら側転し、着地することで素早く態勢を立て直す。
「ならば、もうこれは不要ですね」
ラスブートの透明化が崩れる。
何もない空間が歪み、ラスブートの巨体が現れる。
纏う神官のローブには僅かに焦げた跡があるが、身体には一切の焼け傷が残っていない。
「その橙髪に、今の不可解な無詠唱魔術……そうか、貴女が、魔女アルタミアですか。ならば、今の無詠唱魔術は、精霊体の成せる技か。噂には聞いていましたが、魂の精霊化など、些か正気を疑う行動ですねぇ。通常、錬金術の研究は、詰めれば詰める程に魔術の神秘に魅入られ、宗教と切り離せなくなっていくものですが……橙の魔女、貴女は、神をも畏れていないのですね」
「まともな反応が聞けてむしろほっとしたわ」
アルタミアが、ラスブートの奇怪な容貌を、嫌悪の目で睨みながら呟く。
「いやはや……とんでもない魔術師がでてきたものですねぇ。その異端さ故に、人里より追い出された橙の魔女が、今更何のおつもりなのか? どういった事情かは存じませぬが、ファージ領の守護神にでもなったつもりですかな、滑稽な」
怪僧は無表情のまま、肩を竦める。
目付きを強めるアルタミアを尻目に、そのままあっさりと身を翻す。
「止めにしましょう。橙の魔女が相手では、若男爵の首は割に合わない……」
ラスブートは溜め息でも吐く様な気軽さで、穏やかな口調で、呪文を詠唱する。
「পানিদংশন」
五つの魔法陣が、アルタミアを囲む様に同時に展開される。
そこを起点として、細い水の針が、アルタミア目掛けて射出される。
複数魔法陣の展開と、魔法陣の離れた位置への出現は、どちらも高等技術である。
ラスブートの全力の魔術攻撃である。
水の針は規模こそ小さいが、最小限、最速の攻撃で相手を死に至らしめることに特化した魔術であった。
無論、ラスブートに諦めるつもりなど毛頭ない。
息をする様に嘘を吐き、欠伸と共に殺傷魔術を展開する。
それがラスブートの強みでもある。
アルタミアはラスブートの言葉を信じたわけではなかったが、まさか即座に全力の魔術を、何の予兆も見せずに放ってくるとは予期できず、反応に遅れた。
宙を舞うが、放たれた水の針が回避しきれずに、足を一つが貫通し、もう一つが頬を掠める。
水の針は、そのまま天井や床を貫通して飛んでいく。
崩れた部分から煙が昇り、他の精霊体が補い、足の穴と頬の傷を修復していく。
「貴女が人間ならこれで終わっていたのですが……少々、精霊相手には相性が悪かったですね」
「大振りが当たると思っているのならそうしなさい。ここでは本気で戦いたくなかったけど、これ以上は全力でやらせてもらうわ」