十二話 進撃のペンラート③(side:ペンラート)
ファージ領の二頭のナルガルン襲撃事件から遡ること、数日前。
水の神リーヴァイとの交信の場、神座の間に、一人の小柄な老人が足を踏み入れていた。
皺だらけの顔に、探究欲に溢れた翡翠色のギョロ目が光る
水神四大神官の一人、ペンラート・ボンジュは、遠目から一見すれば、リーヴァイ教新リーヴァイ派の大仰な高位神官服の似合わない、小柄で貧相な老人にしか映らない。
しかし、そこから近づいてその知識欲に歪む凶悪な相貌を見れば、彼をただの老人と侮るものはいない。
ペンラートは、神座に載せられたリーヴァイと交信するための水晶を前に、禿げ上がった頭に、皺塗れの小さな両手で爪を喰い込ませ、狂喜する。
「おお、偉大で聡明なる我らの導き手であられるリーヴァイ様が、この愚拙をこの間に招いてくださるとは、なんたる僥倖! 人の身勝手な解釈と伝達の中で歪み、淀んだ魔術理論を妄信することしかできぬ愚かで矮小なる愚拙めのために、またリーヴァイ様の広大なる叡智の一端を啓蒙してくださるのですかな!?」
ペンラートが水晶へと詰め寄り、神座に手を掛け、唾を飛ばしながら捲し立てる。
水晶に輝きが灯り、リーヴァイの言葉が漏れる。
『よくぞ来た、ペンラートよ。汝にこれより大命を賜う』
ペンラートは、一字一句の抑揚を漏らさぬ様、耳を澄ましてリーヴァイの言葉へと聞き入る。
「リーヴァイ様の教示をいただけるわけではないのですな……。しかしその大命を超えた暁には、ぜひともまたこの愚拙へ、魔術の神髄を……!」
ペンラートは、自身の言葉に応じた部分がないことに気付いていないわけではなかったが、それでも諄く、リーヴァイへと魔術の指導を要求していた。
リーヴァイはペンラートより遥か古代より生き続けており、自身もまた精霊体で形成された生命体である性質上、魔術に関しては人間よりも深い知識を持っている。
実際、魔術知識を餌に魔術師を寄せるのは悪魔が信仰を得る常套手段でもあり、ペンラートがリーヴァイを崇めているのも、リーヴァイが魔術の知識を餌に釣り上げたためであった。
ただ最近ではほとんどの知識を既にペンラートに吸収されており、これ以上教えれば自身の底を測られかねないと危機を覚えたリーヴァイは、ペンラートの相手が面倒なことも手伝ってめっきり相手をしなくなってた。
それほどまでにペンラートは魔術に貪欲であった。
各国に数えるほどしかいない、魔術式の調整を可能とする賢者と讃えられる魔術師の中でも、ペンラートは充分に最上位クラスに入る。
『ペンラート、汝の全力を以て、ディンラート王国……ファージ領を襲撃せよ』
言葉を遮られたペンラートはやや落胆したように肩を竦ませていたが、そのリーヴァイの言葉に、笑みを浮かべる。
「ついに、全面戦争ですかな……? ネログリフ氏と、マリアス女史の失態の挽回……もとい、仇討ちというわけで」
『尖兵を送り、忌々しきマーレン族のアベルを山の付近まで引き摺り出し、汝の全戦力を以て時間を稼げ。混乱に乗じて、他の者に空神の遺産を回収させる。今回はそこまででよい。それを用いてアベルを罠に掛け、我が槍を奪還する』
「はぁ……なるほど? しかしリーヴァイ様ともあろうお方が、小僧一人にあまりにその、慎重過ぎるのでは? 確かにネログリフ氏とマリアス女史を捕らえ、リーヴァイ様から槍を騙し取った魔術師ですから、腕は恐ろしく立つのでしょうが……」
『とにかく今汝を失えば、リーヴァラス国の四大神官はサーテリアしか残らぬのだ。慎重に動け』
「は! リーヴァイ様が仰られるのならば、全てはその通りに……」
言いながらも、ペンラートはやや不満を抱えていた。
(リーヴァイ様は、わかっておらぬ……この愚拙の全力を投下すれば、それだけでディンラート中を災禍に落とすことができるというのに。まぁ、よい、リーヴァイ様が愚拙を低く見積もっているのならば、結果によって覆すまでのこと! 誰を動かす気かは知らぬが、空神の遺産は愚拙が回収する! アベルを叩き伏せて槍を取り返し、そのままディンラート王国を潰すまでのこと!)
ぎょろりと出た二つの目玉に邪念を込めて、ペンラートが微かに笑う。
(そうして愚拙はリーヴァイ様の叡智をまた教示していただく。真理を見通す眼を育て、愚拙の求める魔術師の完成形、黄金の錬金術師へと近づくのだ……。そのとき愚拙は、史上のどの魔術師をも超越する大賢者となり、リーヴァイ様にも並び、超える存在……! そう、この愚拙こそが、新たなる神となる!)
――リーヴァイとの交信より数日後、ペンラートは合成魔獣である、体表に継ぎ接ぎがあり、色彩の豊かな自作のドラゴン、キメラドラゴンに跨り、大空を飛んでディンラート王国へと向かう。
空を舞うキメラドラゴンの背後には、キメラドラゴンより全長は大きく劣るが翼の大きいキメラワイバーンが十二体続く。
下には、四メートル近い全長を持つ、緑の体表を持つ醜悪な巨大鬼、トロルの五十近い軍勢が並び、その先には二体のナルガルンが駆けていた。
「ははは! 絶景、絶景! とと!」
手に抱えた、鎖の付いた巨大な書物を落としそうになり、ペンラートは必死に支える。
本は、鎖を引き千切ろうとするように、ドン、ドンと、衝撃を鳴らしていた。
この書物は、悪魔や精霊獣を無理矢理書物内の亜次元に閉じ込める、魔法具であった。
結界・封印魔術に優れていた土神ガルージャの遺したものだとされており、ガルージャの書と呼ばれていた。
何の因果かペンラートの手へと渡っていた。
一度、禁忌とされている精霊の研究に手を染めた際に、よくわからないままに手に負えないとんでもない化け物ができあがってしまい、それを封じていた。
ディンラート王国側に接近してくると、ペンラートはキメラドラゴンの高度を下げる。
そして国境にある山脈の、リーヴァラス国側へと着地する。
「さて、まずは姿を隠し、ナルガルンでアベルとやらを誘き出すのであったか。勢い余って逃げねばいいのだがな?」
「悪く思うなよアベルとやら。これは、戦争なのでな」
ペンラートは仄暗い笑みを浮かべながら、二体のナルガルンの背を眺めていた。