五話
「嫌な風だな。僅かではあるが、深い邪気を孕んでおる。いったい、いずこへ潜んでおるのか……」
メアとファージ領を歩いていると、聞き覚えのある声が天から聞こえてきた。
俺は、周辺の建物の屋根へと目を向ける。
屋根の上に座り、空を睨む女の姿があった。
女は魔術式の刻まれた、荘厳な衣を身に纏っている。
その横顔には、芸術家が人生を注いで完成させたかの如く美があった。
憂い気にやや空を仰ぐ様は、そのまま宗教画の一枚になってもおかしくないほどだ。
もっとも、塗料の禿げかけた屋根と、腕に抱える幻獣ニャルンを除けばであるが。
幻獣とは稀少な魔獣のことである。
ニャルンは愛らしい姿をしていることに加えて、元々狂暴性が薄い。
そのため愛玩用魔獣としての人気が高い。
ただしニャルンは発見例が極端に少なく、また風を操る高速移動を得意とするため、捕まえるには大きな手間がかかる。
どこかの冒険者が捕まえても、金持ちの貴族が大枚をはたいて手に入れようと動くため、一般人の手に入る機会はほとんど皆無に等しい。
「どこから金捻り出したんだ、あの法神様は。ペテロにたかったのかな」
俺はクゥドルを眺めながら呟く。
恐らくペテロは、制御しようとして思いっきり失敗して、結果的に複数回命を見逃される形になったクゥドルに対しては、頭が上がらないだろう。
俺がクゥドルならばこの状況、間違いなくペテロへと金銭の無心に向かう。
「う、う~ん……さすがに違うんじゃないですかね……?」
メアが苦笑いしながら答える。
因みにだが、ペテロは俺に対しても、罪の意識があるためか気前がいい。
今も、あの時の騒動の後で俺がペテロへと頼んだ、魔術の行使や錬金実験に関する特別許可書が、使者を通じて返ってくる約束になっている。
……ただ、ペテロが最短で動いていれば、そろそろこちらに使者が来ていてもおかしくないのだが、まだペテロの使者は姿を見せない。
あれだけ大口叩いておいて、まさか王族や教会相手に許可を取るのに手間取っている、なんてことはないはずだが。
このまま放置が続くのならば、クゥドルを連れてこちらからペテロへと訪問に向かう所存である。
古代聖堂での一戦以来、クゥドルと再会するのは、今回が初めてというわけではない。
クゥドルは、ファージ領を拠点として、ディンラート王国中を飛び回っている。
ファージ領でも、旅の美人冒険者として受け入れらていた。
あれでなかなか観光を楽しんでいるのか、どこぞの領地の土産品らしきものを抱えている姿を度々目にする。
余談だが、人のオーラが見えると普段から豪語している収集家は、クゥドルを見て完全に脅えていた。
普段俺を毛嫌いしている収集家が『なんだあの化け物は? 貴様が連れて来たのか?』と、おどおどした様子で何度も尋ねて来たほどである。
アルタミア曰く、収集家が見ているオーラは『言動から経験に当てはめて相手の格を類推する能力の延長線上にあるもの』がそうだが、神話時代の覇者である大神クゥドルに、収集家は一体何を見たのだろうか。
クゥドルには聞きたいことが多い。
なぜメアに反応したのか、いずれ来たる災厄とは何を示しているのか、俺にいったい何をさせようというのか。
そして俺に試練突破祝いとして『セフィロトの審判杖』や『暴食竜の魔臓器』をくれるという話はどこへ行ってしまったのか、まさか神様が嘘を吐いたのか。
だが、こちらから何かを問うても、ほとんどまともには取り合ってもらえない。
ひたすら『時がくればわかる』、『その時に話す』と、誤魔化されている。
顔を合わせる度に『消耗させられた我が魔力の分は働いてもらう』とは言ってくるが、具体的な指示や命令は一切受けていない。
屋根に座るクゥドルが、俺を見下ろす。
「誰かと思えば、我がいずれ来たる災厄に備えて溜めておった魔力を浪費させたアベルと、例の娘か」
この神、結構根に持つタイプかもしれない。
俺はメアの前に出た。
以前、クゥドルはメアを殺そうとした前科がある。
メアからしても、あまり対峙したい相手ではないだろう。
「アベルよ。そう遠くない内に、貴様の力を借りるときが訪れそうだ。それまでに、魔術の腕を存分に研ぎ澄ませておけ」
クゥドルが俺へと告げる。
今まで、いずれ来たる災厄について話さなかったクゥドルが、ついに切り出してきた。
今ならば、こちらからの質問にも答えてくれるかもしれない。
「……相手は、四大創造神の、四柱なのか?」
クゥドルに少しでも危機感を抱かせる相手といえば、それくらいしか思い至らない。
事実、リーヴァラス国を筆頭に、四大国が不穏な動きを見せていることは確かだ。
少しの沈黙の後、クゥドルが口を開く。
「我は、四大創造神を滅ぼした。だが、奴らも化け物揃い。我を欺き、潜んでいてもおかしくない。だからこそ我は、奴らが消えた保証がないために、力を保ち続ける必要があった」
強大過ぎる高位精霊であり、加えて人工精霊であるクゥドルは、存在するだけで魔力を消耗する上に、魔力の自然回復量が極端に少ない。
対抗するには、自身を封印して、敵が尾を出すのを待つしかなかったのだろう。
「ただ、此度の敵が何者なのかは、我にもわからぬ。しかし、我を相手取って戦おうと、準備を進めている者がおるという、そのことだけは間違いない」
そう言って、クゥドルは俺の背後に立つメアへと目を向ける。
……古代聖堂でのクゥドルも、明らかにメアを見て方針を変えていた。
「気になるのは、どこに敵対者が存在するかだ。どれだけ巧妙に隠そうとも、火の神マハルボや空の神シルフェイムに匹敵する魔力出力を持つ者が、我の感知から逃れられるはずがないのだが……まったく居場所も正体も突き止められん。単純に、次元の果てか、物理的に距離のあるところに隠れていたとすれば、さすがの我も見失うが……そこまで遠い場所ならば、そもそも、この地へ戻ってくることも困難であるはずだ」
さらっと水の神リーヴァイと、土の神ガルージャの名前が省かれていた。
下位四大創造神の二体には興味もないらしい。俺は何となく居た堪れない気持ちになった。
俺は息を呑み、重ねてクゥドルに問う。
「何故、メアを狙ったんですか?」
「貴様が我ではなく、その小娘についている以上、それはまだ話せぬ」
これに関しては、答える気はないらしい。
メアが俺の手を強く握る。クゥドルと対峙していることが不安なのだろう。
だが、まだ、クゥドルには言わなければないことがある。
俺は口許を引き締め、深呼吸してから心を落ち着ける。
俺の顔を見るメアの目には不安。
俺は力強く頷き、強がって笑って見せる。
俺だって、本当は怖い。
だが、例え相手が正義の大神様でも、退けないことがある。
今は、前々まで誤魔化してばかりだったクゥドルが、珍しく雄弁だ。
チャンスは今しかない。
「あの、色々考えましたが、やっぱり俺、ヨハナン神官の最大の武器と称された、自動魔術発動具、黄金髑髏が欲し……」
「……少し、話し過ぎたな。我は、またこの地を離れる」
一陣の風が吹き荒れる。
その寸瞬の内に、屋根に座るクゥドルと、その膝の上にいたニャルンの姿が消えていた。
に、逃げられた……。