一話 とある水の国の教皇①(sideサーテリア)
――水の国、リーヴァラス国の聖都リヴアリンに位置する大宮殿最上階にて。
『時が来る。永き因縁が、終わりを迎えようとしているのだ。決戦の時は近い。大邪神クゥドルは、この余の復活を疎み、必ずや戦いを挑んでくるであろう』
大宮殿に飾られた神座の上には、蒼い大きな水晶玉が飾られている。
荘厳なる神の言葉は、その水晶玉より放たれていた。
この水晶玉は、リーヴァイが、部下である四大神官へと言葉を伝えるために用いているものであった。
リーヴァイは大宮殿の地下深くにいるが、滅多なことでは外へと出てこない。
故に、大神官たちがリーヴァイへとコンタクトを取るには、普段はこの蒼い水晶玉を介することとなるのだ。
『クゥドルと正面からぶつかるわけにはいかぬ。クゥドルの目的は、ディンラート王国の守護……そのため、クゥドルが眠りから覚めるより先に、ディンラート王国へと攻撃を放つ準備を整え、クゥドルとの戦いの駆け引きに用いる必要があった。だが、汝らはしくじった。……余が目を掛けて魔力を分け与えたのにも拘らず、当時は無警戒だった国境のファージ領一つ落とせぬとはな』
水晶玉の前で膝を突き、頭を下げているのは、透き通るような青く、美しい髪を持つ女、水神四大神官筆頭、教皇サーテリアであった。
『マリアスとネログリフには失望しかない。サーテリアよ、汝まで無様を演じるではないぞ』
「リーヴァイ様……そのことは、深く存じております。しかし、しかし……今一度、外ではなく、内へと目を向けてはいただけないでしょうか?」
『なに?』
「元々……リーヴァイ教は、リーヴァイ様不在の間に腐敗し、枝分かれし、悪魔に騙され歪められ……を繰り返してきました。主要な派閥だけで、リーヴァラス国内で二十を超え、その内部での対立もあります。細かいものを数えていけば切りがありません。我々四大神官は、リーヴァイ様の導きの元、そうした誤った流派を正してきましたが……未だに、我々へと反感を持つ者は少なくありません」
復活したリーヴァイを教神とするサーテリア達の一派は、リーヴァラス国では新リーヴァイ派と呼ばれている。
復活した神に見込まれたといい、既存の宗派を否定して駆逐し、強引にまとめて来た四大神官達への反感や恨みは、リーヴァラス国の中でも根強い。
実際のところ、ディンラート王国へとちょっかいを掛けている場合ではない程度には国内が荒れていた。
パルガス村に訪れた宣教師リングスは、争いが絶えなかったリーヴァラス国を取りまとめ、平和にしたのが四大神官だと教えていたが、それは新リーヴァイ派に好印象を持たせるための方便であり、実態は異なる。
国内の一部では争いが過激化し、それ以外にもいつ爆発するとも知れぬ不発弾をいくつも抱え込んでいるのが現状であった。
「国内でも人格者と名高かったネログリフ殿がディンラート王国へと捕らえられたことが痛い……。今後、我々への反勢力は増大するのではないかという危惧があります。仇敵クゥドルを討てたとして、この国がなくなってしまえば意味がありません。クゥドルのことは今一度、お忘れになってはもらえませぬか……? ディンラート王国に攻勢を仕掛ける余裕は、この国にはありません。このままでは、内乱で何万という無辜の民の命が、無意味に散ることとなります」
サーテリアは、翡翠の瞳に涙を湛え、リーヴァイへと懇願する。
『ならぬ。余がありながらも、悪魔に誑かされる愚か者共は、既に心が淀み、腐っておるのだ。穢れ共はその存在が既に罪深く、救済するに値する価値はない。汝ら四大神官に余が求めることは、そういった愚か者共を徹底的に排し、悪魔崇拝に魂を売る穢れが広がることを防ぐことだ』
「…………」
『そしてクゥドルを滅ぼすことは、余だけではなく、世界の総意である。あの大邪神は、かつて余を含める四大創造神を殺した。そのせいで世界は秩序を失った。人間が人間を支配する異常な時代が到来し、精霊は輝きを失った。以来、世界は荒み続けている。クゥドルを滅ぼすことは、最優先事項である。当然であろう? しかし、随分と偉くなったなサーテリア。神である余へと、口出しをするなど……!』
「わ、私は、その、ただ……」
『フン、まぁ、よい。それから……サーテリアよ、四大神官の一人、ペンラートを呼べ』
「ペペ、ペ、ペンラート殿をですか!?」
サーテリアが顔を青褪めさせる。
同じ大神官でも、性格にやや難があるものの人格者としての振る舞いができていたネログリフと比べ、ペンラートは本当どうしようもないクズだった。
人を悪しく言うことを良しとせず、どんな者にでも美点を見出そうとするサーテリアも、ペンラートの人格について語れと言われれば、閉口し続けるしかない。
四大神官の中で最も魔術師としての素質、魔力が高かったのはペンラートなのだが、残念ながら象徴として人前に出すには人間性があまりに不足していたため、リーヴァイもペンラートを教皇にするという考えは一切湧かなかった。
『ああ、奴は最終手段だったが、仕方あるまい。馬鹿には、馬鹿をぶつける。小細工は止めだ、時間が惜しい。ペンラートにファージ領を攻撃させ、空神の遺産を回収させる。槍を取り返す足掛かりになる上に、伯爵とクゥドルに対しても大きなカードとなる』
「は……はい……リーヴァイ様が仰るのであれば、こちらにペンラート殿をお呼びいたします」
『うむ。あれとは余もあまり顔を合わせたくなかったが、仕方あるまい。歪だが、あれはあれで余を信仰しておる』
「では、一度退席させていただきます……」
サーテリアが顔を上げて立ち上がり、大きく頭を下げて一礼をしたのちに、大宮殿の水神の間を後にした。
人がいなくなったところで、青い水晶から呟きが漏れる。
『フフフフ……ペンラートが動けば、リーヴァラス国とディンラート王国の戦争は避けられぬな。だが、これであのアベルにも、ついに借りを返せる。戦争が起き、どれだけリーヴァラスの豚共が死のうが、この余を相手に舐めた態度を取った愚者を殺し、槍を奪還できるのであれば、関係あるまい。どの道、サーテリアがこの聖地にいる限り、ここだけは何が起ころうとも守護される。その後は……余の槍を以て、クゥドルと……あの、この余を相手に上手く立ち回っているつもりの伯爵を殺す。そして、ついに、世界は余のものとなるのだ』