四十五話 大神クゥドル⑲
頭が痛い。ここは、どこだ?
意識がぼんやりする。瞼が重い。このまま、また眠りについていたい。
「ベル……アベル……」
誰だ? 声が聞こえる。
メアか? メアが、俺を呼んでいるのか?
そうだ、俺は、クゥドルとの戦いに敗れて……それで、メアは、どうなったんだ?
それに、俺は……。
「アベル……アベル……ち……」
「メアっ……」
俺は目を覚ます。
見覚えのある、豪勢な法衣の裾が見える。
割れた仮面を辛うじて顔に載せて目許を隠しているのは、ペルテール卿こと腹黒オカマ仮面ペテロだった。
「目が覚めたようね、アベルちゃん」
「なんだ、ペテロさんか……」
俺ががっかりした様に言うと、ペテロが顔を顰める。
「ワタシを見て、そんなハズレみたいに扱ったのはアナタが初めてよ。ワタシこう見えても、今の王族より立場は上なのよ? ワタシがちょっと圧力掛けたら、王権が代替わりするくらいにはね」
そんな罅だらけになった仮面を目許に載せて、ボロボロに敗れた法衣を纏って、辛うじて威厳を保とうとするように固く腕を組みながら言われても、ちょっと説得力がない。
確かペテロは、クゥドルに押し潰されて死んだはずだ。
ああ、そうか。俺も死んだから、ペテロが見えるのか……?
「死人に会ったような顔してるけど……その、ワタシ、生きてたのよ」
ペテロが目上に皺を寄せる。
「うん?」
俺が訊き返すと、言いづらそうにペテロが口を開く。
「あの時……押し潰されたんじゃなくて、触手の中に取り込まれていたのよ。どうにか、一命見逃してもらえていたのよ。いやぁ、クゥドル神様様ね」
「…………」
て、手のひら返し……。
魔術で縛って言いなりにしようとして、抵抗されたから俺に手を貸してクゥドル潰す気満々だったくせに……!
「……ということは、アレ、まだ生きてるんですね。え、俺も、見逃されたんですか……?」
俺は上体を起こす。
辺りを見回せば、崖沿いの草原であった。
クゥドル完全復活と共に、赤黒く変色していた空は、既に元の青さを取り戻していた。
雲一つない。随分と澄んでいるものである。
「あの化け物は……もう、何か……例えるなら、地獄的なところへ帰ったんですか……?」
「誰が地獄の主だ、戯け者」
声に振り返れば、どこか見覚えのある女が立っていた。
青白い髪は長く、腰下まで垂れ下がっている。
身体には術式の刻まれた布を何重にも羽織っており、どこか神々しさを感じさせる。
「まさか、この人……」
俺はペテロに小声で話しかける。
「……クゥドル様よ。魔力が逃げるのを押さえ込むために、今の姿を取ってるみたい」
俺としては、五分五分で消滅手前まで持っていける自信があったのだが……急ごしらえのイカロス投げでは、さしてクゥドルには通じなかったらしい。
不覚。俺がもう少し優れた魔術師だったならば、結果は違っていたはずだ。
「……さて、小者のペテロとやらは放っておいてやってもよいのだが……あの不快なタコを引き剥がすのに、我が災厄の復活に備えて幾千年間蓄えておった魔力の、三割を失った。貴様にこの落とし前は付けてもらおうぞ」
クゥドルの目が俺を睨む。
俺は圧迫感に唾を呑み込む。
「さ、三割……」
「貴様今、『まぁまぁ削ってたから今回はこれで良しとするか』と思ったであろう?」
「い、いえ! 滅相もありません!」
ペテロがどうでもいい存在だから見逃されたのはわかった。
だが、俺は何故生き残ったのか。
俺の顔から疑問を読み取ったらしいクゥドルが、腕を組んだ。
「今すぐ貴様を捻り潰してディンイーターの餌にしてやりたいが……貴様のせいで、我が使命を果たすことができなくなった。不本意だが、貴様に失った魔力分の穴を埋めてもらうしかない。我が使徒となれ。貴様が我が下についている限りは、あの女も今のところは見逃してやる」
「使徒……」
考えはわかってきた。
要するにクゥドルは、自分よりも早くに魔力が回復する、露払いの道具が欲しいのだ。
悪魔は精霊体が集まって高位になればなるほど、蓄えられる魔力の量……つまりは魔力容量が増えていく。
しかし、最大魔力容量の増幅と比べて、魔力回復量の増幅は劣る。
これはつまり、高位になればなるほど、最大魔力容量に対する回復の割合が下がっていくことを意味する。
クゥドルの様な規模の精霊体の塊ともなれば、それこそ数千年単位の休息が必要とされるのだろう。
そんな貴重な魔力をこれ以上無駄に使いたくないから、雑魚相手を、魔力の回復量だけならば、下手したら悪魔より優れている人間に丸投げしたいということだ。
四大創造神も、それぞれに人間の国を築いて、その中から上位の魔術師を側近に付けていたという。
火神マハルボには五大老が、水神リーヴァイには四大神官がついていた。
そんな強いなら一人で暴れてろと神話を耳にして度々疑問に感じていたのだが、他の神も似たような経緯で人間を扱うに至っていたのかもしれない。
だとすれば、クゥドルの言っていた『脅しをかけて適当に切り上げようとしていた』という意味もわかる。
クゥドルからしてみれば、とっとと上下を示し、使徒をスカウトしたかったのだろう。
よくぞもがくクゥドルの一撃を受けて無事だったと我ながら感心していたが、クゥドルが理性をフル回転させて、俺に任せるしかどうにもならないんだと自分に言い聞かせ、俺に攻撃した触手の威力を抑えていたのかもしれない。
「や、やらせてください! お願い致します! 俺は、いったい何をすれば……!」
俺は地面に頭を着けて、平謝りしながら懇願した。
機嫌を損ねたら今度こそ皆殺しにされかねない。
クゥドルは俺の様を見て「フン」と笑う。
「時期が来れば知らせる。貴様から漏れて奴に先手を取られては、目も当てられぬ。それまでは、せいぜいあの女と、穏やかな日常にうつつを抜かしているがいい。何かあれば、その胸の召喚紋で我を呼べ」
「ん……?」
俺は服をまくり上げて、胸部に魔力を込める。
首の下辺りから、触手の渦巻くクゥドル教のシンボルが現れる。
ペテロが、あんぐりと口を開けて、俺の胸元を食い入る様に見る。
「こ、ここ、これ、まさか、クゥドル神の、召喚紋……!?」
「えっ、ちょっと、それはまずいんじゃ……」
魔力を込めなければ浮かび上がらないとはいえ、こんなもん胸元にあると世間に知られれば、クゥドル教の聖者として持ち上げられるか、悪魔として打ち殺されるかのどちらかである。
どちらも面倒な上に後者の確率が高い。
というより今日一日で、俺の召喚紋に知恵と破滅の大悪魔ゾロモニアと、法神クゥドルが加わったことになる。
「つまらぬことで呼んでくれるなよ、マーレン族のアベル。……我はしばらく、この姿で現代の情報を集めねばならぬ。動きがあれば、貴様に命を出すために再び貴様の前に姿を現す」
そう言い残し、クゥドルの姿は消えた。
俺はようやく緊張から解放され、大きな溜め息を吐いて姿勢を崩した。
そのまま、また草原へと背を預ける。
余計にとんでもないことに巻き込まれた気はするが……これでひとまずは、俺もメアも無事だ。
ペテロも疲れ切っているのか、ぐにゃりと身体を倒して横になった。
俺も魔力消耗と肉体、精神疲労のためか、身体が重くて仕方ない。
「思ったより、優しい神さんみたいでよかったですね……俺はどうなるかわかりませんが」
「そうね……それよりアベルちゃん。勢いであげちゃった指輪、返してくれないかしら? ワタシの手許にないのはちょっとまずいし、今冷静に考えるとアナタに渡して何かがよくなるようなものでもなかったわ。特に、ワタシが存命の今となってはね。アナタにワタシの組織や王族を荒らされたら、この国がどうなるかわかったものじゃないわ」
「…………」
ペテロの組織『アモール』は、クゥドル教の狂信者や、表舞台を追われた魔術師の集まりだったはずだ。
全員魔術の知識はそれなりに深いだろう。それこそ、田舎領主の錬金術師団とは比べ物にならない程に。
研究錬金術師にはもってこいの人材だ。
それに、王族からいくらでも出資を強請れる指輪も、できることなら手放したくない。
俺は目を堅く閉じて、寝息を口にしてみた。
「すー……すー……」
「ちょ、ちょっと!? やめなさいよ、それ、バレバレだからね!? 冗談よね? 本気でこのままあわよくば抱え込んでやろうなんて考えてないわよね? ちょっと、ごめん! 本気で困るから! 必要だから! 他のものならなんでもあげるから!」




