四十四話 大神クゥドル⑱
魔力を纏わず、加速度も乗っていないリーヴァイの槍は、クゥドルの身体を貫けない。
だがその代わり、上に乗っている俺を振り落とすだけの衝撃もない。
垂直に上を向いた尾の先に立つ俺の高さは、クゥドルの人間体とほぼ同じであった。
ちょうど、法神の背中がよく見える。
リーヴァイの槍の尾先を蹴り出した。
事態が把握しきれておらず、呆然とするクゥドルの背へと、俺は飛びついた。
肩を左の手で鷲掴みにし、死に物狂いで自重を支える。
勢い余って足をクゥドルの身体に打ち付けた。超痛い。
膝の皿が割れたかと思った。多分、出血している。
「だが、捕まえた! সমন!」
俺の服の下から、召喚紋の輝きが漏れる。
クゥドルの背に魔法陣を転写。
俺とクゥドルの間に割り込む形で、精霊獣が召喚される。
淡い青色の、ぼんやりした気の抜ける顔をした、蛸の様な外見をしている。
知性のほとんどないそれは、クゥドルの背に触手を絡ませ、しがみつく。
ここまで上手くいったのが既に奇跡に近い。
交渉成立の瞬間に攻撃に出たのが幸いした。
卑怯だが、俺の背には、自分にメアの命、それにペテロの最期の意志が乗っている。
膨れ上がった悪魔相手に妄信し、それらを蔑ろにする理由は一切ない。
『な、何故……貴様ァ! 何故、この我に刃向かう! そもそも、この人を模した部分は、本体でも弱点でもないのだぞ! 人を導く神として、今の姿が採用されたにすぎぬわ!』
わかっている。
だが、機動性のある触手に張り付かせれば、一瞬の間も持たずに破壊される。
本体である単眼は警戒が強い上に、破壊しようが即時再生されることは変わらないので、無駄とは言わないがリスクとメリットが合っていない。
結果として、大規模になって自然警戒心が揺らぐ、遥か高み、頂上の人型を狙うことになっただけだ。
『この姿まで見ておきながら……我と戦って、本気で勝てると思っておるのか! 何故だ、貴様には、理由がない! 我を信じた方が、遥かに芽があるであろうに!』
それもわかっている。
だが、交渉を切り出した側であるクゥドルが、俺がクゥドルを妄信するしかないと理解していること自体が問題なのだ。
クゥドルに危うくなったらいつでも騙し討ちで相手を潰せる手段があり、俺がそれをどれほど疑っても最終的に乗るしかないのであれば、最初から勝ちは0だ。
それは一見論理的な答えを選ぶ限り、格下が絶対に勝てないことを意味する。
そんな提案に俺は乗りたくはない。
妄信してクゥドルの言葉に、俺が戦いに懸けているものすべてを丸投げするのは、確かに楽だし魅力的だ。
だが、楽な方を選んで失敗すれば、俺はメアやペテロに申し訳が立ちそうにない。ならば、全力で頑張れる方を、後悔しない方を俺は取りたい。
『今更、こんなチンケな精霊獣……む? ま、まさか、これは!?』
「喜べ、お前の弟だよ!」
そう、この蛸の精霊獣は、俺がここに来るより前に、興味本位で大神宝典に載っていた人工精霊の製法を真似て作ったものである。
規模は全く違えど、クゥドルと似た構造術式を持つ精霊体の集合である。
錬金術の禁忌、三大罪術の一つ。
一つが不老不死の探究、二つ目が繁殖能力のあるB級以上のキメラの製造、そして最後にして最大の禁忌、人工精霊の創造。
「আত্মাসৃষ্টি!」
魔法陣を一気に展開。
クゥドルをベースに、俺の造ったタコオバケ・イカロス(命名俺)を合成して、新たな人工精霊を創り出す。
大神宝典で一度人工精霊を造った実績が活きた。
ゾロモニアの知恵・解析結果を交えて、ある程度までならば古代の絶対支配者・クゥドルの構造が俺にはわかる。
似た構造術式を持つイカロスならばクゥドルとの親和性もある。
合成して、イカロスを起点にクゥドルの身体に魔力波を発信し、身体の制御権の一部を引き抜くことも、理論としては不可能ではないはずだ。
クゥドルの人間体に纏わりついたイカロスが、そのままクゥドルに溶け込み、混ざり合う。
クゥドルの肩から指が外れた。俺の身体が、背の方から宙へと投げ出される。
『き、貴様ぁっ! こ、この我に、なんという屈辱を……うごっ!』
クゥドルの背に張り付いた、ペしゃんと潰れていたイカロスの顔面が、急速に膨れ上がっていく。
『ま、魔力……我の魔力が!? やめ、やめろ! この魔力は、我が使命を果たすためのァ……ぁああ! 我は、我はっ! かつて高位悪魔の手より世界を守った救世の神、法神クゥドルであるぞ! これを、これを剥が……うぐ、ぐぐう、おごぉ、気持ち悪……ああ、あぁぁぁぁあぁぁぁっ! 馬鹿っ! 貴様、これ、すぐに剥がっ、あぁぁ、アァয়ァরয়!』
思考回路に狂いが生じている。だが、どこまで持つかは賭けでしかない。
クゥドルの一部に取りついて思考を乱し、魔力を吸い上げることには成功したが……この状態が、いつまで持つかはわからない。
復帰の余地を潰さねばならない。そのためには、少しでも混乱を誘う必要がある。
「悪いですけど、今から言いなりになる理由がないので! 言うこと聞くならさっきそうしてます! 俺より弱い神に世界を守ってもらう意味もないですし、そもそもそれ、俺剥がせませんし!」
『こォっ、殺す! 殺す!』
「あー殺すなんて! せっかく今までうだうだ無駄なこと喋って聖人ぶってたのに、ついに化けの皮が剝がれましたね! 所詮人工精霊なんて、そんなもんだと思ってましたけど!」
『こんな馬鹿と関わるべきではなかった! アァァয়アァァরয়アァァয়ァরয়য়アরয়য়রয়!』
膨れ上がる腫瘍の様なイカロスに埋もれ、呑み込まれ、クゥドルの人間体が見えなくなっていく。
イカロスのニヘラとしか不気味な顔だけが、クゥドルの魔力を吸い上げ続けていく。
ワールドツリーの頂上に、きったないパンパンの、にくそい笑みの貼り付く蛸が咲いた。
「は、ははははは! や、やってやった、これで……!」
俺の魔力も体力も、ほぼ底を尽きかけていた。
自由落下していく内に突如頭痛に襲われ、視界が瞬間眩む。
気が付けば、杖が手元から消えていた。
「あっ……」
『あぁぁあア、アァア、アপ্য়ァ、あああぁあああ! ゴロ、ぶっ殺してরる、アァ、あぁぁあ、হত্যাকারী অভিপ্রায়থেকে বেরবেরবেরবেরবেরবেরবের!!?』
苦し気に動き回る触手の一つが、俺に向かって落ちて来た。
鈍い衝撃が全身に走り、俺の意識がそこで途切れた。




