三十九話 大神クゥドル⑬
浮遊するゾロモニアが細い両腕を掲げる。
俺と彼女を囲む様に、足元に魔法陣が展開される。
宙へと、俺とゾロモニアを覆う様に大量の術式が走る。
脳内で暗号化を解き、俺は術式を読み解く。
「転移の組み込まれた結界……」
俺にもパッと見ただけではざっくりとしかわからないが、どうやら宙に浮いた術式に外部からの衝撃が加わったとき、結界内部の空間を纏めて別の場所へと転移する効果があるらしかった。
『ご名答である。ゾロモニア式転移結界とでも言ったところかの。クゥドルの攻撃と同時に、魔術師の間合いで相手の死角を取れる位置へと転移する。精度と速度を高めるために少々大掛かりになってしまったため、妾でも少々維持が困難ではあるが……まぁ、どうにかやりきって見せる』
クゥドルの攻撃をまともに受ければ、アシュラ5000でもへし折られてしまう。
オート発動の転移で逃げるという発想は確かに悪くない。
『回避は妾に任せよ。魔力の続く限りは避け切ってやる。その間、とにかく攻撃し続け、奴を探れ。妾も、クゥドルなんぞを目にするのは初めてであるからな』
これくらいの結界なら俺でも再現できそうだが、この型の結界の維持は、それだけで意識のリソースを割く。
仮に俺が転移結界を展開すれば、その間はアベル球クラスの規模の魔術の発動が一切できなくなるだろう。
それをゾロモニアが維持を務めてくれるというのはありがたい。
クゥドルが翼を広げ、触手を広げながら宙を舞う。
ほとんど崩壊してすっかりと見渡しのよくなった旧古代聖堂こと現残骸の上に立つ俺へと目掛け、急降下を始める。
……本当に避けれるのか?
クゥドルを見ていると、どうにも不安になってきた。
如何にオート発動といえど、直接結界を弄られたり、感知を誤魔化されたり、発動のラグを突かれれば意味がない。
ゾロモニアへと疑惑の目を向けるが、彼女は結界の維持に必死でそれどころではないようだった。
俺はとにかくゾロモニアを信じ、攻撃用魔法陣の展開を進めることにした。
ただでさえこちらには余裕がない。
ゾロモニアはゾロモニアで上手くやってくれると仮定して動くしかない。
脳に五つの魔法陣を描き、杖を振るって展開する。
まだ発動はしない。
ゾロモニアのオート転移の発動に合わせてクゥドルを攻撃する。
クゥドルが、人間体のか細い腕を振り上げる。
降ろすときには、肩から先が膨れ上がっていた。
邪悪な爪の伸びる巨大な腕は、指の一つ一つが大剣のようであった。
振りかざされた腕が唐突に伸びる。
リーチが引き延ばされ、俺に一直線で迫る。
結界の術式が輝きを増し、俺の周囲を巡る速度が跳ね上がる。
強烈な光に周囲が見えなくなった瞬間、俺はクゥドルの後方より遥か高くにいた。
早い話、宙に投げ出されていた。
「ちょ、ちょっと、さすがにどこか、聖堂の瓦礫の足場……」
目下で、俺の立っていた古代聖堂跡地が崩壊を始めていた。
浮古代聖堂はクゥドルの一撃によって瓦礫へと変わり、浮遊の力を失って海へと落ち、呑み込まれていった。
後には何も残らない。
『その様な子供騙しが、この我相手にそう通用すると思うなよ』
クゥドルの人間体が、身体を捻って俺を振り返る。
俺は展開していた魔法陣を発動するべく、呪文を詠唱する。
「মাটি ড্রা হাত」
五連の魔法陣が反応し、消えていく。
海の底から、五体の竜を象った土塊が飛び出した。
クゥドルに襲い掛かるも、身体中から生える触手に死角はない。
ある竜は首を千切られ、ある竜は頭部を貫かれ、ある竜は胴体を横薙ぎの触手に一閃された。
一瞬の間に、すべての竜は元の土の塊へと変わり果てる。
やはり、この程度の魔術では時間稼ぎにしかならないか……。
ついでとばかりに、一本の触手が急速に伸びて、俺へと襲い掛かる。
再びゾロモニアの転移結界が反応。
俺は海上に浮かぶ、竜の千切られた頭部の上へと移動させられていた。
顔を上げれば、俺が先程までいた位置を、恐ろしく長い一本の触手が貫いているのが見えた。
『恐ろしい間合いであるの。あそこまで変幻自在だとは。あれでは、ただの触手による攻撃が、実質的に遠距離攻撃ではないか』
ゾロモニアが慣れ慣れしく俺の肩を掴み、触手の間合いを見上げて恐怖していた。
俺も恐怖していた。
クゥドルの間合いというよりも、ゾロモニアの転移結界の脆弱性に対して、であるが。
二度も間近から発動を目にしたのでだいたい仕組みは見えてきたのだが、ちょっとそれだけはまずいと言いたくなる部分を複数発見してしまった。
「……転移結界に十か所くらい破綻と隙、魔力効率上昇の余地を見つけたんだけど、今修正してもらって大丈夫か?」
さすがは知恵と破滅の大悪魔ゾロモニア。
綺麗な魔法陣と術式だ。悪くない造りだ。
……と、言いたいところだが、ちょっと抜けが多すぎる。
今後とも仲良くやっていきたいところだし、余計な口出しは本当はあまりしたくなかった。
しかし、クゥドルを前にしている今は別だ。
言わなければいけないことは、しっかりと言っていかねばならない。
『……凄く興味はあるのだが、妾も、今は今で手一杯での。悪いが、色々と片付いてからまた教示してもらっていいかの?』
「え……いや、ほら、結界に命預けているわけだし、ちょっと、今のままだと気が気じゃないっていうか」
『い、いや……そっちに気を取られている間に無防備になるというか、付け焼刃はむしろ破綻を増やすぞ?』
そんなことはわかっている。
だが、分かった上で言っているのだ。
問題点とそれに対する答えは俺の中では既にできているし、軽くではあるが脳内シミュレートも終えている。
絶対今のままの結界で戦うよりも安全性が高いはずだ。間違いないのだ。
いや、駄目だ。落ち着け、落ち着いて説得しよう。
感情のままにあれこれと言っても、何も伝わらない。
ただでさえ、時間も余裕もないのだ。
「あのですね、ゾロモニアさん、今のままだと、いつ結界の脆弱性を突かれて、反応が遅れて転移が間に合わなくなってもおかしくないわけなんですよ? そこはわかっていますか? わかった上で、後にしろと言っているんですよね? だったらいいんですけど、そういうことなんですね?」
『な、なぜ、唐突に敬語!? ちょ、ちょっと怒っておるであろう? そうであろう!?』
ゾロモニアが顔を顰め、恐々といったふうに俺へと尋ねる。。
ゾロモニアの戦闘を仕切っていた先程までの威厳が既に消え失せかけていた。
俺はこめかみが痙攣しそうになるのを必死に堪える。
「いや、別に怒っても苛立ってもいない。ただ、俺は、合理的に考えて、術式の見直しを要求したい。俺だけじゃなくて、メアの安全や、ペテロさんの遺言も懸かっているんだ。半端な真似はできないし、したくない」
『あ! 次、次が来る! 結界の精度を少しでも上げたい。ちょっとだけ話掛けんでくれ! 終わってからいくらでも聞くから……!』
「いや、後じゃ意味がなくて……ちょっと、聞いてますか!?」
ゾロモニアは言い訳をするかのように、魔法陣を足して発動し、結界の精度を高めていく。
ちらりとこちらを尻目に見るが、俺がガン見していることに気が付くと、視線から逃げる様に慌てて前へと意識を戻していた。
おい、今目が合っただろ。誤魔化されないぞ。
……まぁ、仕方ない。
今もめている余裕はない。
不本意だが、こっちはこっちで、少しでもクゥドルへダメージを与えられるよう、準備を進めておこう。




