三十八話 大神クゥドル⑫
何にせよ、これが本当に最後の機会だ。
法神縛りが、後何秒持つのかわかったものじゃない。
今の間にリーヴァイの槍で、今度こそクゥドルを貫く。
俺が手を掲げる。
手の甲の槍の紋章が輝き、リーヴァイの槍が、俺の操るヒディム・マギメタル製の巨大な腕の中へと戻る。
紋章へ魔力を込める。
槍が再び蒼き輝きに包まれた。
『こんな魔術で、我を押さえつけて居られると思うなよ!』
クゥドルを封じる格子の光が掠れていく。
ペテロが、必死に手を固く組んで祈っている。
元クゥドル教の教皇である彼が、クゥドルの破壊を一体何に祈っているのか気になるところだが、今はどうでもいい。
「今度こそ貫け、リーヴァイの槍っ!」
俺が腕を降ろす。
ヒディム・マギメタルの腕が動き、青い輝きを投擲する。
クゥドルを封じる光の格子が崩壊して消え失せうるのと、ほとんど同時だった。
蒼の輝きの中に浮かぶクゥドルの影に、深々と巨大な槍が突き刺さった。
蒼の輝きが薄れる。
肉塊に埋まる単眼を、閉ざされた瞼ごとリーヴァイの槍が見事に貫いていた。
クゥドルの強靭すぎる身体も、槍の前には無意味であったらしい。
そうでなければ、大量の触手を削ぎ落としてでも強引に逃れようとなどはしなかっただろう。
『ば、馬鹿な……な、なぜ……? この、クゥドルが、最も強き存在として造られた、法神クゥドルだぞ……!? 我が、クゥドルが……』
クゥドルの目には、怒りと驚愕。
クゥドルの女の口からは、青黒い液体が垂れ流されていた。
「や、やった! やったわ! アベルちゃんが勝ったわ!」
ペテロが燥いでいる。
言うことを聞いてくれない絶対神より、与しやすそうな俺が残った方がありがたいらしい。
俺はやや苦笑いを浮かべる。
『このクゥドルが、人間相手に、かような外傷を負うなど……! あっては、ならぬことだ! 我は、絶対的な存在であらねばならぬのだ!』
咆哮。
顔には、苦悶より憤怒。
クゥドルの触手が、単眼に突き刺さった槍を上側へと引き摺り出す。
人間体の手の届く範囲まで出たところで、か細い腕が掴み、容易く槍を引き抜いた。
目玉に空いた穴から煙が昇る。
「えっ……」
槍が引き抜かれた傍から精霊体が穴の周囲で蠢き、あっという間に巨大な単眼が復活した。
単眼がギョロギョロと周囲を見回した後、安堵した様に瞼が降りて目が細められ、それからまた俺を睨む。
あれだけ苦労してようやく突き立てた槍による負傷が、一瞬で消滅した。
「は、はぁ!?」
いくらなんでも、反則過ぎる。
こんな相手と戦いようがない。
「そ、そんなはずがないわ! し、神話でも、リーヴァイの槍がクゥドルに穴を開けて、クゥドルも空いた穴を埋めるためにはリーヴァイを飲み干す必要があったと……!」
ペテロが慌てふためく。
だがペテロの口にする神話が本当だとしても、クゥドルは身体に大穴を空けられた状態でリーヴァイを圧倒したことになる。
神話がどこまで正確だったのかはわからないが、今の様子を見ていると、不意打ちで槍を撃たれたクゥドルが、腹癒せにリーヴァイを呑み込んだ後と、落ち着いたところで再生を始めたんじゃなかろうかと思ってしまう。
話は誇張されるものだというが、クゥドルに限っては逆なのかもしれない。
クゥドルが高位精霊として桁外れ過ぎて、当時の人々も、ありのままを聞いてもイメージが持てなかったのだろう。
「すいません……ペテロさん、もう、これ以上は……」
俺の魔力が持たないわけではない。
ただ、どれだけクゥドルを低く見積もっても、突破することが不可能だと、はっきりと思い知らされてしまった。
クゥドルは魔力消耗を抑えて戦っている。
その枷を取り払えば、今まで以上に苛烈な攻撃が飛んでくる。
回避し続けるのはほぼ不可能だ。
だから、クゥドルを少しでも追い詰めるより先に、仕留める必要があった。
そう、今の一撃で倒す必要があった。
法神縛りも、クゥドルがペテロを完全に意識外にし、悠々と背を向けていたからこそ発動できたものだ。
あんな大掛かりで鈍い魔術、警戒されれば当てられるはずがない。
そもそもよしんば止めたところで、クゥドルを破壊する手段がない。完全に詰んだ。
ペテロも、選択を間違えた。
ミュンヒ同様にさっさと逃げるか、傍観者の立場を決め込むべきだったのだ。
案の条、クゥドルの目がペテロを捉えた。
『さて、ペテロとやらよ。覚えておるか? 無理矢理にでも横槍を入れるつもりならば、貴様から消し飛ばしてくれようと、我が口にしたことを』
ペテロは肩を震わせていたが、血の気の引いた唇で無理矢理笑う。
てっきり恐怖で気が触れたのかと思ったが、その笑みには、確かに強い意志があった。
「フフ、フフフフ……後悔はしていないわよ。アナタ、どっちにしろ、ワタシの話には耳を傾けてくれそうにないものね」
そう言って、ペテロは俺へと目を向ける。
「アベルちゃん、今のを見て諦める気持ちもわかるけど、絶対に、最後まで投げ出すんじゃないわよ」
ペテロがクゥドルの触手の一部を宙へと放り投げ、ゾロモニアの杖を掲げる。
「ペテロさん、何やって……」
「সীল মুক্তি」
触手の欠片が、煙を出しながら消滅する。
虹色の光がゾロモニアの杖を包み込んだ。
『ペテロ?』
ゾロモニアも首を傾げる。
虹色の光に包まれたゾロモニアの杖に亀裂が入り、中から黒い塊が飛び出す。
そしてその黒い塊は、ゾロモニアの身体へと入り込んで行った。
『うむ? 妾の封印を、完全に解いたのか?』
ゾロモニアが戸惑い気味に自身の腕を見つめ、身体を捻って背を確認する。
「……ワタシも、落ちたものね。これまでも色々とやってきたけど、封印された高位悪魔の放流にまで手を出してしまうなんて」
ペテロはゾロモニアへと、二つの指輪を投げた。
ゾロモニアは、それを両手でしっかりとキャッチする。
「アベルちゃん、後でゾロモニアちゃんから受け取りなさい。クゥドルの紋章が象られた金の指輪は、それを付けていれば王家もアナタの言葉を無視できなくなるわ。クゥドルの紋章が象られた魔銀の指輪は、世界中に散らばるクゥドル教過激派魔術結社『アモール』の幹部へと好きな時に指示を出すことができるわ」
クゥドルの触手が、ペテロへと向けて放たれた。
ペテロはそれを受け入れる様に、静かに目を閉じる。
傍らのゾロモニアが慌てて宙返りし、その姿を消した。
「ペ、ペテロさっ……」
「無責任だけど、後の事は任せたわよ。まったく……情けない話だけど、アナタを殺すのを、後回しにしておいてよかったわ」
ペテロの立っていた位置を、巨大触手が押し潰した。
俺は、言葉を失った。
俺の傍へと姿を現したゾロモニアも、ペテロを押し潰した触手を無表情に見守っていた。
『小蠅を一匹落としたが、また増えたか』
『ふむ……妾は陰から引っ掻き回したいだけで、あまりこういったことは柄ではないのだ。しかし、ここまでされては仕方あるまい。千年振りの身体を、あっさりと消滅させられるわけにもいかんのでな。……まぁ、妾はどっちかというとMであるし、杖として所有される感覚も嫌いではなかったが』
ゾロモニアは世迷言を吐きながら自在に宙を泳ぎ、俺の右手を手に取り、手首の内側へとキスをした。
俺の右手の平に、デフォルメ化された開いた書物やら芽を伸ばす種が円を描くように配置され、中央には脳が置かれた紋章が浮かび上がる。
これが何なのかは、すぐにわかった。知恵と破滅の大悪魔、ゾロモニアの召喚紋である。
『全力で補佐してやろう。前はこっ酷く振られたが、今回は嫌とは言わさせぬぞ』




