三十六話 大神クゥドル⑩
俺の周囲から伸びる、ヒディム・マギメタル製の巨大な触手が大きく天へと先端を向けて持ち上がっていく。
アベルウィップの八本並行展開。
俺が杖を降ろすと、金属塊がその全長を撓らせる。
打った傍から引き、追撃を加える。
人間の認識限界を遠く超えた巨塊の連打が、大神クゥドルを滅多打ちにする。
動きの術式を刻んだ俺も、まったく金属鞭の軌道を追えていなかった。
ある程度の条件付けはしているが、後は乱数で散らしつつ目標を破壊するように術式を組んである。
青く鈍い輝きを放つ、クゥドルの表皮らしきものが舞う。
古代聖堂の床が砕け、跳び上がった巨大な破片が高速で乱舞。
しかし、クゥドルの本体部分は微動だにしていない。
同じく超常の速度で蠢く触手が、アベルウィップを受け止め、弾いていた。
クゥドルには明らかに余力があった。
アベルウィップの維持だけで手一杯なのだが、このままではジリ貧だ。
世界樹オーテムを戻し、魔法陣を浮かべて二重詠唱、オーテムコールの準備を整える。
クゥドルに触手での攻防を強いている今ならば、アベルノコギリが当たるはずだ。
この機に、改良を加えたアベルノコギリを世界樹オーテムの二重詠唱で、二発同時にぶち当てる。
それでも恐らく、クゥドルは倒せない。
クゥドルは頑丈すぎる。よくて、無尽蔵に生えている触手を数本切断できる程度だろう。
だが、隙を作るきっかけにはなるはずだ。
その間に、リーヴァイの槍をぶち当てる。
それで仕留められなければ、俺の手にクゥドルを倒し切れる手段はない。
槍への警戒態勢に入られれば、完全に打つ手がなくなる。
俺の横に、世界樹オーテムが並ぶ。
八本のアベルウィップの精度を落とし、代わりに攻撃の手を緩め、牽制と防御に徹するよう魔法陣で再設定。
そしてそちらへの集中を落とした分で、アベルノコギリの二重詠唱の準備に掛かる。
脳内に魔法陣を描き、先程クゥドルに放った一撃で気づいた点、問題点を簡単に改良できる分だけ挿げ替えていく。
術式の短縮化による発動時間の縮小、過程における魔力減衰率を削減。
アベルノコギリの回転数を引き上げるため、風を操る過程の術式を、初動となる初期段階、加速が必要な中盤、安定化を目的とした後半においてそれぞれに適した別のものに置き換え。
完成してから脳内で簡単にシミュレーションし、二点ほど問題があったため再び修正し、満を持して宙へと魔法陣を転写。
ちらりと、クゥドルへと目を向ける。
戦況は互角。相変わらず不可視の速度で飛び回る触手と鞭が、互いを弾き、床を破壊する。
俺に向かって来る瓦礫を、通常オーテムの一体が前転をしながら跳び上がり、横へ弾き飛ばす。
順調だ。
やはり、防御特化に切替えたのは成功だった。
『甘いな』
クゥドルの声。
それと共に、クゥドルの触手の一本と、アベルウィップの一本が止まる。
八本の内の一本が、完全に捕らえられていた。
『その特別製の人形を呼び戻した時点で、貴様の狙いは読めていた。二十一の魔術を並行発動させた時と同様に、その人形に魔術発動のプロセスを肩代わりさせ、発動数を増させるつもりであったのだろう? それと同時に、貴様の金属の触手が守りに転じた。だが、精度は甘くなっていた』
よ、読まれている……。
『あまりに直線的すぎる思考だな。悪くはない手だったが、こんなふうに、強引に押せばそれだけであっさりと突き崩せる。貴様、格下としか戦ったことがないだろう?』
捕まったアベルウィップが、へし折られて砕け散る、ところまでは見えた。
どうやらクゥドルは残った根元に近い部分を他のアベルウィップへと投げ付け、その動きを起点に一気に攻め入ったようだった。
連続的な金属音の後、俺のすぐ目前に、直径一メートルを超えるクゥドルの巨大な触手の一本が出現していた。
『勝敗を急いたな。これで詰みだ』
アベルウィップでは間に合わない。
今から新しい魔術発動など、間に合うわけがない。
横槍を入れたのは、黒い六つ腕のオーテム、アシュラ5000だった。
高速で飛来したアシュラ5000が、正面からクゥドルの触手を受け止めていた。
触手の力に押され、聖堂の高い硬度を誇るはずの床が容易に捲れ上がれ、後退を余儀なくされる。
アシュラ5000は腕の二本を床に深く突き入れて自身を固定し、目の光を強めて前進。
『ムッ……!?』
クゥドルの触手が、アシュラ5000に押されて僅かに退いた。
「と、止められた……?」
よかった、止まってくれた……。
さすがアシュラ5000。
危うかった。
最大のボディガードである世界樹オーテムの手が塞がり、アベルウィップの精度が甘くなっている隙を突いて、一気に攻撃に出てきやがった。
アシュラ5000の腕の二本の関節部分に亀裂が入り、砕けた。
腕の先が地に落ちる。
俺は自分の目が、自然と見開かれるのを感じていた。
アシュラ5000の耐久力が、クゥドルとの押し合いに持たなかったのだ。
その刹那、押し合っていた触手が唐突に力を緩めた。
アシュラ5000の身体が、空ぶった様にやや前のめりになる。
アシュラ5000の体勢が崩れた瞬間に、触手が横薙ぎに振るわれた。
アシュラ5000の大きな幹が、へし折れる。
木くずを撒き散らしながら宙を舞い、古代聖堂の砕けた壁へと突き刺さって宙吊りになった。
唇を噛んだ。
クゥドルは、あれだけの力を持っていながら、慢心していない。
力で押しで勝てる相手にも、戦略的駆け引きを確実に通し、最小のコストで仕留めきる。
神話から勝手に暴力の化身の様な存在だと捉えていたが、実態はまるで違う。
アシュラ5000の損壊は酷い。
元通りに戻せるかどうかはわからない。
ロマーヌの街で彫って以来、アシュラ5000は俺の戦友だった。
俺は叫びたい衝動を押し殺し、アシュラ5000の奮闘によって得られた時間で脳内に描ききったアベルノコギリの魔法陣の転写を完了させる。
そして続けて、淡々と詠唱を行う。
「বায়ু」
詠唱と共に、杖を掲げる。
同時に世界樹オーテムが、俺の声を模した声を発し、同等の魔法陣を展開させる。
「বায়ু」
二重の声と共に、膨大で緻密な術式の刻まれた二つの魔法陣が浮かび上がる。
術式に制御された双子の風の渦が、各々の真空の円を象る。
高速回転する風の円は、向こう側の空間が歪んで見える。
研ぎ澄まされた風は、実態なき巨大な刃へと進化を遂げていた。
触れるものすべてを切断することのみに特化した二つの円盤は、俺が杖を降ろすと、それぞれの独特な軌道でクゥドルへと飛来して行った。
『さっきのアレが、今度は二発……! 貴様は、その人の身にどれだけ無尽蔵の魔力を……』
クゥドルが攻勢に出ていた触手の幾つかをガードに戻す。
また、受け止めて後方へ流そうとしているのだろう。
攻撃の手を緩めたクゥドルの触手へと、今度はヒディム・マギメタルの鞭が襲い掛かる。
『な、なっ……! このっ!』
クゥドルの触手は、俺が二重のアベルノコギリを発動しようとする隙を突くため、守りを捨てて一転攻勢に出ていたのだ。
そこから一気に防御へと移ろうとする動きは、戦闘において大きな破綻であり、付け入る隙となった。
結果、クゥドルは自身へ迫る凶刃の円盤を前に、アベルウィップの猛攻に堪えかねて、ついに姿勢が僅かに崩れた。
クゥドルの触手が、崩れた態勢のまま、伸ばした触手で二つのアベルノコギリを受け止める。
受け流そうとする触手へ、アベルウィップの連撃が迫った。
アベルノコギリの片割れは受け流され、古代聖堂の壁を切り崩し、新たな倒壊を招く。
だが、二つ目のアベルノコギリを受け止めていた触手の根元を、アベルウィップが叩きつけた。
触手が大きく撓み、野放しになったアベルノコギリが、クゥドルの巨大な単眼の横に刺さり、肉塊を抉り飛ばす。
一瞬だったが、クゥドルの全身が痙攣した。
『ぐ、ぐぅ……なぜ、なぜ、人の身でそこまで……!』
クゥドルが身を捩りつつ触手で受け止め、二発目のアベルノコギリもどうにか受け流そうとする。
マークの薄くなったアベルウィップが、クゥドルの触手を巻き込んで絡まり、容赦なく拘束する。
クゥドルがもがき、金属塊の鞭が大きく引きのばされ、一つが弾けて切れた。
残りの鞭も含め、拘束は持って三秒だろう。
充分だ。
俺が杖を掲げると、俺の周囲に広がっているヒディム・マギメタルから、一本の巨人の腕が生じる。
続けて杖を片手に持ち替え、空いた手を宙へと広げ、魔力を込める。
手の甲に、リーヴァイの槍の召喚紋、槍の紋章が輝いた。
ヒディム・マギメタルの巨人の手中に、蒼の輝きを放つ、巨大な聖槍が現れる。
手の甲に魔力を込めると、連動して聖槍の輝きが増していき、すぐに眩さのあまりにその輪郭を視認できなくなった。
クゥドルの肉塊から生える人間体が、目を見開く。
グロテスクな下部とは違い、幻想的な美しさを持つ人間の目に、驚愕が浮かぶ。
『それを、どこで、手に入れた? 馬鹿な、奴を倒してから、この我でさえ見失っていた、奴の槍を、どうして貴様が持っておる?』
クゥドルからの詰問。声には、疑問と憤りがあった。
悪いが俺には、それに応える義理も余裕もない。
『どこで手に入れたと、訊いておるのだ!』
クゥドルから怒声。
「これで、終わってくれ!」
アベルウィップの拘束にまだ囚われているクゥドルへと、光の束と化したリーヴァイの槍がその身を貫こうと襲い掛かる。




