三十三話 大神クゥドル⑦
俺は迫り来るクゥドルの動きを追いながら、目尻でペテロの方を見やる。
「উঠ」
ペテロが、ミュンヒへとゾロモニアの杖を向けている。
覚醒の魔術を受けて、ミュンヒが目を開く。
「ペ、ペテロ、様……? 何が、どうなったのです……?」
ペテロの背後に浮かぶゾロモニアが、感心した様にペテロを見ている。
『さすがペテロ。あれだけのことがあっても、妾の魔力の触媒としての力を重く見ておるのだな。素直な奴よ。予備の杖も持っておるくせに、その実利主義なところが嫌いではないぞ』
「アナタは黙ってなさい!」
ペテロがゾロモニアに一喝してから、ミュンヒへと顔を戻す。
「ミュンヒ、メアちゃんを連れてここを逃げなさい。抵抗したから、眠らせてあるわ。しくじったらワタシが呪い殺されるから、頼んだわよ」
ペテロが、仮面の奥の目線で、やや離れたところで弓を掴んだままメアを示す。
「え、ええ……ペテロ様は、その……」
「……ワタシは、ここに残るわ。まだワタシは、ここに来た目的を果たせていないのよ。逃げるわけにはいかないわ」
「で、でしたら、私もお供いたします!」
ミュンヒの言葉に、ペテロは数秒ほど無言を保ち、それから鼻で笑った。
「馬鹿言わないで頂戴。アナタが残ってどうこうなる状況じゃないのよ。命令の聞けない愚図を、ワタシは部下にしたつもりはないわ。早く行きなさい!」
ペテロの叱責を受けてなおミュンヒは迷っていたが、やがて小さく頷いてかすれ声で「はい……」と漏らし、メアを背負って駆け出して行った。
ペ、ペテロさん……。
今更大物振ってるところ悪いが、ペテロがここに残ったところで、何の役にも立ちそうにない。
俺は意識を、接近してくるクゥドルへと戻す。
無数の触手の纏わりつく異形の肉塊、クゥドルが、地面を蹴って跳び上がった。
巨体が、俺目掛けて落下してくる。
触手が大きく広がりながら、俺の身体へと回り込む様に伸ばされてくる。
「বায়ু তীর হাত」
俺の詠唱と共に、七の魔法陣が浮かび上がる。
これで仕留めきることができるとは思えないため、集中力のリソースをすべて風の矢に注ぐわけにはいかないため、数を絞った。
だが、魔術の発動本数はオーテムコールで補う。
同時に、転移で呼び寄せておいた通常オーテム三体の内の二体の口に魔力の輝きが灯り、俺に似せたぎこちない声を発して詠唱を行う。
「「বায়ু তীর হাত」」
二体のオーテムの周囲に、十四の魔法陣が浮かぶ。
俺の分と合わせ、二十一発となる。
実に三重詠唱である。
まずはこの二十一本の魔力の矢で、宙のクゥドルの反応を対応を見る。
『魔法陣の並行展開の、二十一だと? ヨハナンの全盛期である二十を超えるというのか!? 制御可能な魔法陣の数だけが魔術師としての価値を決めるとは思わぬが、これは……!』
俺はクゥドルへと杖先を向ける。
二十一の風の矢が、轟音と共にクゥドル目掛けて飛んでいく。
魔力が尾を引き、白い幾つもの直線が床から伸びているようであった。
クゥドルの肉塊を、あらゆる方向から風の矢が攻める。
クゥドルは広げた触手を折り畳んで自身を覆い、ガードする。
二十一の矢が次々にクゥドルの触手へと突き立てられ、四散していく。
クゥドルの触手を掠めて天井に当たった風の矢が、当たった部位を削り取る様に綺麗に貫通した。
矢の衝突したクゥドルの触手に小さな窪みが生じるが、それだけだ。
さすがに頑丈だ。
「あの程度じゃ、こんなものか……」
やはり、単純な魔術ではクゥドルを撫でるに等しい。
一応防いではいるが、本当にクゥドルにガードが必要だったのかは、俺からではわからない。
だが、目的は果たした。
クゥドルの身体が、風の矢で押し上げられて滞空時間を延ばしている。
まだ追撃できる。
そのために世界樹のオーテムをオーテムコールで使わず、俺も魔法陣の数を増やすことにリソースを裂かず、余力を残したのだ。
『これは、痛みか……? 馬鹿な、我が精霊化もしていない、ただの人間の魔力出力で、我が痛みを覚えるなど、そんなはずが……。我の身体が、弱化しているのか?』
クゥドルが、困惑している。
何を考えているのかはわからないが、好機には違いない。
「শিখা এই হাত」
俺の詠唱に続き、世界樹のオーテムが同様の詠唱を繰り返す。
宙に浮かぶ、二つの炎の球。球状の結界に押さえ込まれた炎の球へと魔力を限界まで注ぎ、球結界が崩壊する手前で頭上のクゥドル目掛けて垂直に打ち上げる。
オーテムコールを用いた、ダブルアベル球だ。
眩い二つの光球が、向こう側に見える次元を歪めながら直進する。
アベル球の放つ圧倒的な光に視界が薄れる中、クゥドルが触手で二つのアベル球を払い除けようとしているのが見えた。
破裂音が響き、光の中のクゥドルの影から、数本の触手が引き千切れる。
アベル球の強光による視界の妨害が終わり、アベル球を防いだクゥドルの触手が黒焦げになっているのが見えた。
クゥドルがアベル球を払い除けようとした二本の周辺の触手も同様に黒焦げになり、崩れ落ち始めている。
『わ、我の触手が、人間の魔力出力なぞに、焼き切られるだと!? なぜ、なぜ、こんなことが……!』
「あれ、思ったより、普通にダメージ通ってる……?」
神の中の神、大神クゥドルだ。
俺のアベル球には絶対の自信があったが、クゥドル相手にここまで外傷を与えられるとは思っていなかった。
ひ、ひょっとして、このまま押し切れるか……?




