三十二話 大神クゥドル⑥
持ち上がったクゥドルの触手が狙いを付けた先は、メアだった。
正確には、メアが手に持つゾロモニアの杖なのか……いや、どちらかはわからないが、クゥドルが殺気立っていることに間違いはない。
杖狙いだったにせよ、メアごと貫きかねない圧を感じた。
咄嗟にラピデス・ソードの柄を取り出し、魔力を込めて魔法陣を展開して刀身を生成。
すかさずメアの前方へと投げ付ける。
「যাওয়া!」
同時に、持ち上げられたクゥドルの触手が、メア目掛けて放たれる。
「えっ? きゃ、きゃあっ!」
メアが後方へ下がる。
メアのすぐ目前でクゥドルの触手がラピデス・ソードと衝突。
ラピデス・ソードの刃と、クゥドルの触手の先端が競り合う。
『む……? なんだ、この魔法具は。我が一撃を殺すなど……』
ラピデス・ソードの刃に、亀裂が入る。
柄が輝き、すばやく損傷を修復。太く、強靭な刃へと造り直していく。
いける……このまま修復を繰り返していけば、この場は防げる……。
『少し力を込めるか』
クゥドルの言葉と共に、触手が筋肉の様に膨れ上がり、奇妙な痙攣を見せる。
刀身の全体に細かく罅が入り、砕け散る。
再び勢いを得た触手が、メアの真横へと打ち下ろされる。
古代聖堂の青色の床が容易く砕け散り、衝撃波が生じる。
メアの身体が、その余波に大きく跳ばされる。
「বায়ু বহন」
俺は杖を振る。
メアの身体を風が優しく包み、俺の傍へと下ろした。
足から着地したが、恐怖で足に力が入らないらしく足を崩し、その場で尻もちを突いた。
手から放されていたゾロモニアの杖が、がらんと床に落ちる。
『力が、まだ完全ではないか。まさか、人間の魔法具如きを軽く弾けぬとは……』
「な、何のつもりですか! ゾロモニアの杖なら渡しますけど、何もメアを巻き込まなくても!」
俺が非難すると、クゥドルの眼球が憐れむ様に俺を見る。
『……封印された状態の悪魔ならば、ここまで来た者の頼みとあれば見逃してやってもよいが……そこの小娘は、滅ぼさせてもらおう』
「は、はぁ?」
大神クゥドルが、ゾロモニアを放置して、メアを狙っている……?
全く優先順位の意図が分からない。
「え……? え……? ア、アベル、どうなってるんですか?」
メアはクゥドルの古代精霊語を聞き取れないが、雰囲気から友好関係が崩れ、その中心に自分がいることは察してるようだった。
しかし、俺に訊かれてもわからない。
メアの魔力がほとんど空なことを、俺はとっくの昔に確かめている。
オーテム彫りを教えたこともあるが、驚くほどに魔力が伸びなかった。
だからこそ、メアに魔術師としての道は勧めなかったのだ。
「何のために……」
『貴様らの知る必要はない』
クゥドルは俺の問いには答えず、冷淡にそう返す。
『ない、が……黙って差し出せというわけにも、いかんらしい。仮に貴様が小娘を引き渡すというのなら、我へ刃を向けた不敬を見逃してやってもよいが……』
クゥドルは巨大な眼球で俺をしばし観察した後に、身体中に蠢くすべての触手を持ち上げる。
俺は状況こそまだ上手く呑み込めてはいなかったものの、クゥドルとの交戦が避けられないことを理解した。
息を整え、恐怖を押し殺して杖を持ち上げる。
クゥドルは大神とはいわれていたが……その正体が人工精霊兵器ならば、要するに突き詰めていえばアルタミアの様なもので、大悪魔の亜種でしかない。
噂は誇張されるもので、伝承の正体がくだらない詐術というのもままあることだ。
クゥドルの神話もまたその延長にあるとすれば、付け入る隙は必ずある。
十万人を戒律で縛って指向性を整え、クゥドルの素材にしたという話も、到底実現できるとは思えない。
必死で理詰めで考え、勇気を奮い立たせる。
『あくまでも、我にその杖を向けようというのだな。本気で我をどうにかできると思っておるのならば、失笑ものであるが……なるほど、何もせずには下がれないということか。ニンゲンの意地というものだな。ここまで到達した魔術師だ。相応の自信もあるのだろう』
「হন」
転移の魔術を行使する。
五つの魔法陣を浮かべ、その上にそれぞれのオーテムを出現させた。
世界樹のオーテム、アシュラ5000、そして通常体のオーテムが三つ。
続けて杖を振るう。
「পুতুল দখল」
オーテムに魔術の光が灯る。
俺が手を伸ばすと、刃を失ったラピデス・ソードの柄が手元に戻る。
『我が前に立ち塞がるとは、それは四大創造神でも避けた愚行よ。よかろう、マーレン。貴様の蛮勇を、我は敢えて讃えよう。貴様が立ち上がる限りは、例の小娘には手出しをせぬ。納得するまで抗ってみせよ。それを己を納得させる、せめてもの慰めとするがいい』
クゥドルの背後に並んでいた、六体のディンイーターが前に出る。
正直……アレもかなり厄介だ。
ディンイーターは小さいが、六体の巨大なドラゴンが並んでいるに等しい戦力だ。
五十体相手にどうにかなったが、それはすべてのこちらの手数をディンイーターに向けられたから、ということが大きい。
恐らく、戦っている間に、ディンイーターの数も増える。
長い舌で隙を突くように立ち回られたら、対応が追いつくかどうか怪しい。
『不要である。それに無粋だ、下がっておれ』
意外にも、クゥドルはそう命じた。
神と呼ばれたほどの人工精霊だ。
高い自尊心がそうさせたのだろうが、自分ひとりでどうとでもなるという、絶対の自信があってこその発言だろう。
六体のディンイーターの内、四体が下がった。
二体はその場に残り、俺を嘲笑うように不気味な口を開閉させる。
クゥドルの触手が、残った二体を叩き潰す。六体のディンイーターは四体になった。
「ア、アア、アベルちゃん、や、やめておいた方がいいわ、あまりに無謀よ。アベルちゃんの魔術が桁外れなのは知ってるけど……あれだけは、どうにもならないわ。クゥドルは、控えめに考えても史上最強の高位精霊よ。おまけに、今まで一万年近く眠っていたというのなら、魔力も完全な状態よ」
背後からペテロが俺の袖を指先で摘み、背を屈めて声を掛けて来る。
ペテロはある程度古代精霊語がわかるので、やり取りの細部は聞き漏らしたところもあるのだろうが、大まかには状況がわかっているようだった。
ペテロはさっき俺がクゥドルから庇って以来、完全に子犬モードになっている。
俺はペテロの肩に手を置き、顔を近づけて目を睨む。
「幸い、俺との決着がつかない間はメアに手を出さないそうです。自分が時間を稼ぐので、メアを連れて逃げてください」
「でで、でも、そんなことしたら、ワタシを追って来るんじゃ……」
「失敗したときは、自分が生き延びていたら地の果てまで追い掛けますし、死んでたら精霊になって化けて出ますので覚悟しておいてください。メアを頼みましたよ」
「ひぃいいいっ!」
ペテロが甲高い悲鳴を上げる。
ペテロには騙し討ちで殺されかけた恨みもある。
遠慮するつもりはない。
「ア、アベル? な、何がどうなってるんですか!?」
『では、行くぞマーレン。永き眠りから目覚めたばかりなのでな。軽く、準備運動をさせてもらおう。死ぬ気で防げ』
クゥドルが触手を這わせ、俺へと向かって来る。
ペテロが悲鳴を上げながら俺から離れる。




