二十六話 第三の試練①
俺は魔術で瓦礫を操り、『太陽と月の遊戯』の円盤をすべて保護した。
アベル球の余波、壁の倒壊を受けたために、ほぼ全ての円盤に欠けが生じており、中には真っ二つに割れているものもあった。
俺は屈んで円盤に顔を近づけて表面に刻まれている記号やら文字を指でなぞり、深く溜め息を吐いた。
「勿体ない……歴史的な損失だ」
ついさっきまで、神話に登場する、神々の小競り合いを招いたとまでされる『太陽と月の遊戯』が、完全な状態で保全されていたのだ。
それがこんな、変わり果てた姿になってしまった。
「せめて一回くらいは、満足がいくまで挑戦してみたかった」
「……それ壊したの、アベルちゃんじゃなかったかしら」
ペテロが俺の元へと歩いて来る。
ペテロとミュンヒは、吸魔の性質を持つアグロア石の手枷と、魔術の発動を妨げる術式の刻まれた縄で、ルーペルとダーラスを拘束していたのだが、その作業が終わったらしい。
壁側へと目を向ければ、気絶したままのダーラスと、天井の一転を曇った眼で見つめているルーペルの姿があった。
「……ペテロさん、この円盤……どこまで担いで持っていけます? とりあえず、持ち帰って修繕したいんですけど……えっと……」
ペテロは俺の言葉を受け、真顔で円盤へと目線を落とす。
ペテロが屈み、五重の巨大な円盤の一番下へと手を入れる。
「んぎぎぎぎぎ……!」
かなり力が入っているらしく、足と腕が痙攣している。しかし、円盤は微動だにしない。
ここの四人の中で辛うじて一番力が強そうなペテロでもこの有様だと、やはりオーテムを使って持ち帰るしかない。
少々バランスを取るのが難しそうなところではあるが、仕方ない。
帰りはそう急ぐ理由もない。
ゆっくり運ばせてもらおう。
この『太陽と月の遊戯』が本物ならば、最低でも欠片の石一つで家が一軒買えるくらいの価値は間違いなくある。
多少形が崩れたからといって、捨て置く理由にはならない。
もっとも俺は手放すつもりなど毛頭ない。
王国から寄贈を求められても、ペテロに泣きついて駄々を捏ねるだけの覚悟が俺にはある。
修繕して俺の家に飾ることができればなおベストだ。
ペテロの様子を呆然と見ていたミュンヒが、ペテロの肩を掴んで揺らす。
「ペ、ペテロ様、お止めになってください! ペテロ様がこんな、指図を受けて使われるようなことがあって、いいはずがありません……!」
「黙りなさいミュンヒ……あと一歩、あと一歩なのよ……。禁忌に身を窶してまで、人の身に余る歳月を得たワタシの労力も、これで報われるというもの……! 今更、汚辱でもなんでも受け入れてみせるわよ。あ、ミュンヒ、ちょっと円盤の反対側持ってみてちょうだい」
「お止めくださいペテロ様!」
ミュンヒが悲鳴に近い声で懇願しながら、ペテロの肩を揺らす。
「……あの……とりあえず、帰りに考えることにしますので、今はもう大丈夫ですよ?」
「わかったわ! 帰りこそ、あの円盤を運んでみせるわ!」
ペテロはなぜかやる気満々であった。
今の様子を見るに、ペテロでは荷物の重量にまったくといっていいほど手が出ていないようであったが、この自信はいったいどこから湧いてきたものなのだろう。
俺が首を傾げていると、ミュンヒがペテロへと、声を潜めて何か言っているようだった。
「ペテロ様……本当に、できるんですか? 無理ですよね?」
「大丈夫よ。帰りは何がどう転んでいようと、それどころじゃなくなっているわ。それまでは、せいぜい適当に機嫌を取っておきなさい」
ペテロが手で筒を作り、ミュンヒへとこそこそと話す。
俺の提案で、ひとまず『太陽と月の遊戯』は部屋の隅に置いておき、とりあえずは先へと進むことにした。
俺とメア、ペテロとミュンヒの四人で、俺がアベル球で『太陽と月の遊戯』ごと扉を砕いた時に出来た道を通り、先へ先へと進む。
ヨハナン神官の話に寄れば、試練は三つある。
一つ目がディンイーターの群れ、二つ目が『太陽と月の遊戯』、と来ている。
そろそろ本格的な難題が出てきてもおかしくない。
長い通路を抜けたところで、地面や壁に大きな魔法陣が刻まれた、奇妙な大広間へと出た。
大広間自体の形状が、なんと円形になっていた。
入ってきた通路以外に、他所へとつながる道はなく、ここで行き止まりとなっている。
円形の部屋の中央には、大きな一本の杖が直立していた。
大神宝典やら、ここでの壁画やらで何度か目にしたデザインに思える。
あの杖が、ペテロの探し求めていた、破壊の杖なのだろう。
「……まさか、破壊の杖が、本当にここにあるなんてね」
ペテロが呟く。
破壊の杖の横に燐光が飛び交い、一つの人型を形成した。
光の中から現れるのは。ヨハナン神官の幻影である。
ヨハナン神官の唇が開き、古代精霊語で俺達へと話しかけて来る。
「よくぞ、第一、第二の試験を乗り越えて、ここまでやってきた。我らの遠い子らよ」
ヨハナン神官が深々と頭を下げ、素早く頭を上げる。
「では、第三の、最後の試験を始める。汝が神の力を得るに足る器であると、証明せよ」
ヨハナン神官の声が、厳かに続ける。
ここを乗り切れば……この古代聖堂巡りも、ようやく終わる。
だが、第三の試練は、一筋ならではいかないであろうという、確固たる確信があった。
俺は杖を強く握りしめる。
「……アベルちゃん、気を抜かないでちょうだいね」
ペテロが言う。
ペテロの目線は俺ではなく、ヨハナン神官の方へと固定されていた。
「汝の後を追う、荒ぶる神の像を、我が宝杖を以て破壊せよ」
そう言うと、ヨハナン神官は光に包まれる様に消えて行った。
ヨハナン神官の宝杖とは、話の流れから言って、破壊の杖のことであろう。
この円形の部屋の中央に直立させられている、あの禍々しい杖がそのはずである。
しかし、『荒ぶる神の像を、我が宝杖を以て破壊せよ』とは、いったい何のことなのか。
俺ヨハナン神官の言葉を脳内で反芻しながら、あれこれと考えていき……俺が道中で、アベル球を放ってぶっ壊した、二体の荒ぶる神の像の事を思い出した。
「……あれ?」
あの荒ぶる神の像は、第一の試練の時から俺達の後を付け回していた。
アベル球で破壊しなければ、まだ後ろから追いかけてきていたかもしれない。
それを、ここで破壊の杖によって破壊する、というのがこの試練の趣旨であったのかもしれない。
「いや……でも、まさか、そんな……」
俺が悩んでいると、再び破壊の杖の横に燐光が集まっていき、ヨハナン神官の幻影が現れる。
「よくぞ、荒ぶる神の像を打ち倒し、最後の試練をも乗り越えた。汝を、神の力を得るに足る者であると認めよう。我は祈る。願わくは、汝が心清く、正しきものであることを……」
ヨハナン神官の幻影が、満足げに消えていく。
どうやら本当の本当に、クゥドル像を破壊するだけの試練であったようだった。
俺は、冷めた目で破壊の杖の方を睨んでいた。
古代精霊語を聞き取れないメアは、困惑げに俺と破壊の杖を交互に見ていた。




