十八話 天秤を背負う者③(side:ルーペル)
『刻の天秤』の魔術師、ルーペルとダーラスは、ディンイーターの群れから逃れるべく、通路の先にあった部屋へと逃げ込んだ。
ルーペルが術式を刻んで硬度を高めた石柱を転移させて入り口を塞ぎ、ダーラスと『魔法具の残骸』に、ディンイーターが部屋へ入り込んで来ないよう押さえさせる。
しばらくはディンイーター達が出鱈目に壁を叩く音が聞こえてきていた。
しかしすぐに無駄だと悟って飽きたのか、ルーペルが壁越しに感知していたディンイーターの魔力が消えていく。
最後の一体が消えてから、ルーペルは壁に凭れ掛かり、肩を上下させた。
「第一の試練は、終わったか……。どうやら例の神官は、加減や程度という言葉を知らないらしい。どう考えても、確実に命を奪いに来ているとしか思えない」
ルーペルは頭を抱えながら呟いた。
ディンイーターの群れは、片腕となったダーラスの奮戦、そして『魔法具の残骸』による囮作戦を用いて、どうにか振り切って駒を進めることに成功していた。
『魔法具の残骸』は多種多様な性質を持たせることができる。
その一つに、他者の姿を真似る、というものがある。
ルーペルはこれを用いて、自身とダーラスの囮を作ったのである。
ルーペルは自身を模した囮の末路を思い返し、身震いする。
自分と同じ姿をしたゴーレムが、腕を捥がれ、身体を絞られている様は、当然ではあるがあまり愉快なものではなかった。
余裕がなかったため、『魔法具の残骸』の元となった魔導書のページを回収することもできなかった。
いつもなら魔導書のページを素材に『魔法具の残骸』を作り、用が終わればまた魔導書へと戻していたのであるが、逃げ出して来てしまったせいで、ゴーレム二体分のページを無駄にしてしまったのだ。
「……試練は、あと二つもあるのか。一度撤退するか……? いや、その間に他の組織にクゥドル神を回収されてしまう。時間はない。私達の命に代えても、アレは回収せねば」
クゥドル神の力が手に入れば、世界など意のままである。
しかしこのクゥドル神騒動は、ルーペル達にとっても、好機であると同時に窮地でもあった。
自分達が逃して他の組織がクゥドル神の力を手にすれば何が起こるか。想像するだけでも恐ろしい。
部屋の奥には、術式が大量に施された扉があった。
扉の周囲には、五重に重ねられた巨大な円盤が五つ、並べて掛け時計の様に壁に固定されていた。
ルーペルは奥の扉から、強力な結界の魔力を感じ取った。
どうやら何らかの手順を踏まなければ開かないらしい……とまで考えて、ここが第二の試練ではないかと脳裏を過ぎった。
ルーペルの予想を肯定する様に、扉の前に燐光が行き交って形を成し、一人の男が現れた。
見覚えのある褐色肌の美男は、クゥドルを召喚したとされる神官の幻影である。
神官は座り込んでいたが、すっと立ち上がり、自身のローブについた埃を手で払う仕草を取る。
神官の出現に、ルーペルとダーラスは揃って表情を歪ませた。
神官が現れたということは、先程のディンイーターの様な第二の試練が始まるということである。
またディンイーターの様な化け物を持ってこられるのかと思うと、ルーペルほどの実力者であってもぞっとした。
世界から最上級の魔術師を掻き集めている『刻の天秤』においても、ルーペルは組織内で五本指に入る実力者である。
『刻の天秤』のトップであるボスの無理難題にも応じ続けて来た彼には、突破を前提とされて組まれた試練如きで苦戦するとは、思いもしていなかった。
それが第一の試練でいきなり幾つも死地を潜ることになったのだ。
何か一つ判断が遅れていれば、今頃は部下のダーラス共々、ディンイータの歪な玩具と成り果てていたはずである。
「第二の試験を始める。荒ぶる神の像が到達するよりも先に、太陽と月を同時に天へ捧げよ」
神官は古代精霊語でそう口にした。
古代精霊語を言語として理解できないダーラスは、ルーペルへと顔を向けて説明を求めた。
ルーペルは、顔を青褪めさせていた。
「ま、まさか、あの盤が、『太陽と月の遊戯』なのか……」
『太陽と月の遊戯』とは、地の神ガルージャが悠久の時間を持て余し、己を崇拝する魔術師に造らせたパズルである。
五組の五重の円盤は、全体の組み合わせによって円盤の回せる角度の範囲が変わったり、一番外側の円盤が外れたりする仕組みになっている。
そうして円盤を外したり、回したり、組み替えたりを繰り返していき、最終的には『太陽の円盤』と『月の円盤』と呼ばれる二つの円盤を同時に正位置とされる角度へ持っていくことが目的となっている。
神官の幻影が口にした「太陽と月を同時に天へ捧げよ」という言葉は、『太陽と月の遊戯』のクリア条件を意味しているのであろうと、ルーペルにはすぐ察しがついた。
ただ、それがわかったからといってどうにかなるものでは決してない。
各円盤ごとに角度は三十度ずつ傾けることができ、総数二十五枚の円盤の状態と角度の組数はそれだけで十の五十乗を優に超える。
全部のパターンを総当たりにしていれば、神話時代の始まりから現代まで続けていても全く時間が足りない数字である。
力業で突破することは不可能だが、各円盤の名と、円盤に刻まれた模様が細かいヒントとなっているとされていた。
因みに地の神ガルージャは『太陽と月の遊戯』に大変満足していたそうだが、後に興味を抱いた空の神シルフェイムに脅し取られ、更にはシルフェイムよりクゥドルが強奪し、すぐに飽きて神官へと下げ渡したとされている。
現代においては実在しないお伽噺の存在とされており、『太陽と月の遊戯』といえば、答えのない難題を揶揄する言葉として用いられているほどである。
だが、神官が作ったらしいこの神殿に『太陽と月の遊戯』があることは、確かに神話にも矛盾していない。
永き時を生きる神々を夢中にさせた、とんでもない価値を誇る神宝である。
「それを、そんなものを、あの化け物の像が来るまでに突破しろ、だと……?」
神官の口にした「荒ぶる神の像」という文言は、第一の試練でも使われていた。
試練開始と同時に動き出したクゥドルの像を示していることは明白である。
第一の試練の番人であるディンイーターが撤退した後も、クゥドルの像は着実とルーペル達へと迫ってきていることを意味していた。
一応、入口は石柱で封じている。
だが、それがクゥドルの像に通用するとは、ルーペルには思えなかった。
第二の試練は、クゥドル像の迫るタイムリミットの前に、『太陽と月の遊戯』を突破することである。
「ふ、ふざけるな……神話通りならば、土の神ガルージャが百日掛けて解いたパズルじゃないのか……」
どう考えても、クゥドル像のタイムリミットは一時間とない。
おまけに未だにクゥドル像が追いかけてきているのならば、一度この神殿から抜け出す、といった手を取ることもできない。
「だが我とて、太陽と月を天へと捧げるのに十の日を要した。完全なる解法を得たのはそれよりも更に後……汝らに、今それを求めはせん。故に、壁に我の得た手法を刻む」
神官が杖を掲げる。
辺りに眩い光が広がり、それが晴れたときには神官の姿は消えており、周囲の壁に大量の古代精霊語が、乱雑に刻まれている。
「こ、これから答えを探れというのか……?」
ルーペルは壁へと寄って、刻まれた文字を手でなぞり、へたりと膝を突く。
どうやら直接答えが書かれているわけではないらしい、と悟ったのだ。
どうやら、あくまでもヒントのようであった。
おまけに順序はバラバラ、肝心な部分も飛ばし飛ばしで、精霊語の使い方自体の癖も強いため、解読さえ困難である。
クゥドル像が来るまでの一時間で突破することは、はっきりと不可能であった。
後はもう、奇跡に縋るしかない。
ルーペルは杖を、『太陽と月の遊戯』へと向ける。
ガタガタと、五重五組の円盤が回り出す。
『太陽と月の遊戯』は、外部から魔力を受ければそれに応じて円盤が回ったり外れたり、移動するように術式が組まれている……というのは、神話でも有名な話であった。
「絶対に、絶対に諦めはしない……クゥドルの力を手にするのは、我々だ。我々『刻の天秤』こそが、世界の中心となるのだ……」
ルーペルは壁中に刻まれたヒントと『太陽と月の遊戯』を睨み、自分に言い聞かせるようにそう呟く。
ぶつぶつと独り言を漏らしながら我武者羅に円盤を回し続けるルーペルの背を、ダーラスがやや不安そうに見つめていた。




