十七話 第一の試練⑤
ディンイーターの効率的な運び方を模索している間にも、クゥドル像は触手を模した石を蠢かせ、軋ませながら、どんどんと接近してきていた。
まずい、やっぱりアシュラにディンイーターを六体だけ引っ掴ませるしかないか。
ミュンヒさんもディンイーターの骸の山に伸し掛かられたせいで意識が朦朧としているようで、真っ直ぐ走れるかどうかも怪しい状態である。
俺は体力的に無理なので、メアかペテロに背負ってもらう必要がある。
「……六体、六体かぁ」
俺は目を細め、自身の額を人差し指で小突く。
ディンイーターの用途をあれこれと考えていたのだが、やっぱり多いに越したことはないという結論に代わりはない。
「ア、アベル、そろそろまずいですよ! もう、いいじゃないですか! ほら、もっとすごいのがこの先にあるかもしれませんよ? ね?」
俺はクゥドル像へちらりと目をやる。
心なしか、移動速度が上がってきている……?
六体で我慢しようと決心して肩を竦めたとき、ふと脳裏に一つのアイディアが浮かんだ。
「床ごと吹っ飛ばせば、時間を稼げるかもしれない……」
俺は杖を構えて、クゥドル像へと向ける。
恐らく、あれに障害物は意味がない。
あの触手……アシュラ5000でも容易には破壊できなかったディンイーターの身体を、一撃で引き裂いたのだ。
ただ地形自体が変われば、移動時間が掛かるはずだ。
ペテロが俺に駆け寄ってくる。
「ま、待ちなさい! あの像、移動は遅いけど、反撃はしっかり行うのよ!? 見ていたでしょう? ディンイータに放った触手の速度! 下手に触ったら……」
「で、でも、大丈夫かもしれないし……」
俺は自分を納得させるように言い、覚悟を決め直す。
きっとここで下がったら、あのとき行動していればもっとディンイーターが手に入っていたに違いないと、一生思い悩むことになるだろう。
大丈夫だ。
足場を崩し、ヒディム・マギメタルで埋め立てて動きを封じる。
頭の中で五回ほど高速でシミュレーションし、想定できる範囲の失敗に対する対応策となる魔法陣を構成し、脳内で試運転する。
「よしっ……!」
「よしじゃないわよ! ちょ、ちょっと、ワタシの話聞いてる!?」
俺はペテロの忠告を聞かなかったことにして、クゥドル像へと杖を向ける。
「শিখা এই হাত」
無論、使う魔術はアベル球である。
狙いは、クゥドル像の足元だ。
多重展開した結界で均一に炎の球を押さえ込み、増幅と圧縮を繰り返す。
急激に熱量を引き上げた炎の球が、白い輝きを帯びた球へと変化する。
問題なのは、この古代聖堂自体が、特殊な物質でできていることだ。
鉱石でさえない。この聖堂の素材は、高密度の精霊……精霊体だ。建物自体が、一つの悪魔の様になっている。
生半可な威力では、床を削ることさえできはしないだろう。
アベル球の威力が極限まで高まったとき、辺り一帯を白い輝きが走り、視界を塗り潰していく。
光の中で、クゥドル像へとアベル球を放つ。
眩さに薄れる景色の中、クゥドル像の姿が見えた。
クゥドル像はアベル球を前に淡々と進んでいたが、急にびくりと身体を震わせたかと思うと、移動を止めた。
クゥドル像の顔が、怒りに歪む。
ぞっとするほど、冷たく強大な魔力を感じた。
背に、悪寒が走る。
クゥドル像は身体中の触手を伸ばして絡めさせ、己の前方に壁を作っていく。
触手の壁と、アベル球が激突する。
轟音がこだまし、建物の崩れ落ちる音がする。
目を開いた時……クゥドル像の姿はなかった。
古代聖堂の、俺達が歩いてきた道が、瓦礫の残骸に押し潰されている。
アベル球の衝撃で、後方の通路が崩れたのだ。
賭けに勝った。
クゥドル像は崩れた古代聖堂に巻き込まれたのだ。
「よ、よし……どうにかアレを、埋め立てられたみたいです。これで、ディンイーターを回収できる……」
だが、安心は決してできない。
クゥドル像が瓦礫を掻き分けて向かってくるはずだ。
瓦礫をヒディム・マギメタルで覆い、結界を張って封印する。
どこまで通用するかわからないが、足止めにはなるはずだ。
「アベル……あの、アレ……」
メアが言い辛そうに、瓦礫を指で示す。
まさか、もう這い出て来たのか!?
俺は慌てて杖を向ける。
そこには、クゥドル像の人間体の上半身が、無造作に仰向けに転がっていた。
弾け飛んだらしく、切断面が粗い。
クゥドル像は苦し気に腕を動かしてもがいていたが、やがて動きを止める。
目から、ドブドブと赤の液体が流れ出て来た。
「オォ……オォオオオオオッ……」
俺はしばらく、呆然とクゥドル像と見つめ合っていた。
だがクゥドル像は落ちて来た瓦礫に埋もれて、その姿も見えなくなった。
俺は額の汗を拭い、杖を降ろした。
「よかった……思ったより脆かったみたいですね」
俺が振り返ると、ペテロとミュンヒが口許を引き攣らせたまま固まっていた。
メアがなぜか申し訳なさそうに二人を見ている。
「あ……ここ、壊しちゃまずかったですかね? いや、自分もあんまり余裕がなかったと言いますか……」
「ペテロ様……こいつ、生かしておいていいのですか……?」
ぽつり、ミュンヒが小声で何かを漏らした。
「えっ、今何か言いました?」
俺の一声に、びくりとミュンヒが肩を上下させた。
即座にペテロが、ミュンヒの頬を張り手で張った。
鮮烈な音が響く。
「なな、アナタは、なんてことを……! ごめんなさいねアベルちゃん。この子もちょっと疲れているのよ!」
ペテロは息を切らしながら、ミュンヒへと怒鳴り立てる。
「ちょ、ちょっとペテロさん、落ち着いてください! 女の人の顔を、そんな叩かなくても!」
ミュンヒの片側の頬は真っ赤に晴れている。
相当力を入れて叩いたものと見て取れる。
「そういうわけにもいかないわ。ミュンヒがそんな、急に変なことを口走って……」
「変なこと?」
「……本当に聞こえてなかったのね」
ペテロが安堵したように言う。
その様子が引っかかり、何を言っていたのか尋ねようとしたとき、素早くペテロが口を開いた。
「それより! ほら、すごい魔術ね、今の! 威力もそうだけど……とんでもなく緻密で複雑な魔法陣だったわ。どこで、教わったのかしら? マーレン族で伝わっていたの?」
「い、いえ、そんな大層なものじゃないですよ! とにかく威力出すことだけ考えて、自分で作ったんです。ペテロさんみたいな凄そうな人に褒めてもらえて、嬉しいです。結構自分でも自信がありまして……。あ、あの、別にペテロさんさえよかったら、教えましょうか?」
なんとなく気恥ずかしく、頭を掻いて誤魔化しながら言った。
多分、頬はちょっと赤くなっていたかもしれない。
「ま、まぁ、言いたくなければいいのよ。魔術の入手経路なんて、後ろ暗いときもあるでしょう。ワタシだって、人に言えないことはいくらでもあるわ」
……なんだか、納得のいかないあしらわれ方をした。
作ったのが俺だと信じてもらえなかったようである。




