十四話 第一の試練②
神官ヨハナンの幻影が口を開く。
「永き時代を経て、再び神へ救済を乞う者共よ」
ヨハナンの用いる言語は、やや癖のある精霊語だった。
精霊語を言語として用いるのは、悪魔か、人語を介さない高位の魔獣くらいであるが、ヨハナンは後の時代の人物にも伝わる言語として、精霊語を選んだようであった。
当然、魔術師でなければ聞き取れない。
メアにはさっぱりわかっていないようで、不安そうに俺の顔を見た。
「我、三つの試練を以て、汝らを選定せん」
神官がそう続ける。
メアが不安げに俺を見上げた。
「あの……なんて言ってるんですか、あの人? なんか怒ってません?」
「長らく放置してた神殿に来てくれてありがとう。自分が今から三つの試練で試すから、神の力が欲しかったら挑戦してねって感じだな。多分、ペテロさんの言ってた破壊の杖のことだろう。言葉に敵意はなさそうだ」
俺は大分意訳してメアへと伝えた。
メアが納得した様に頷く。
ふとペテロへ目をやると、前傾になって唇を噛みながらヨハナンの方を睨んでいた。
ペテロの目から上は仮面で隠されているが、鼻付近に皺が寄っていることから、かなり力を込めて睨んでいるであろうことが予想できた。
「ペ、ペテロ様、何と言っていましたか?」
ペテロの部下であるミュンヒの質問に、ペテロがやや間を開けて答える。
「……古代の精霊語よ。大まかにしかわからないけれど……クゥドル神から、二度何かを求めていたみたいね。それから、私達に三つの内から一つを選べと言っているわ」
「さすがはペテロ様。先へ進むための、何らかのヒントのようですね」
ペテロは精度の甘い翻訳サイトと化していた。
あ……あの人、クゥドル教会の要人じゃなかったのか。
いくら古代精霊語だからタイプがちょっと違うとはいえ、神代の石板やら何やら読み解く機会だってあったはずだ。
俺もスムーズに聞き取れたのは大神宝典を読み解いていたから、という面が大きいが……それがなくても、あそこまでとんちんかんな結果は出てこないだろう。
部下の女も、杖を握っている以上は魔術師のはずだ。
なのに、全く理解できなかったのか。
確かに魔術で使うには、頻出する言葉の組み合わせだけ覚えておけばそれで事足りる。
しかし真に魔術への認識を深めるのであれば、精霊語のすべてと文法、法則と例外を覚え込む必要がある。
それなくしては、ゼロから魔法陣を組むことも不可能である。
ペテロの背後に浮かんでいたゾロモニアは、口許を手で覆って笑いを押し殺していた。
ペテロはゾロモニアへとちらりと目を向けたが、彼女が解説してくれる様子がないのを見て、溜め息を吐いて首を振り、今度は俺を見た。
俺は慌てて顔を引き締めて首を振り、呆れの表情を元に戻す。
「……一旦、彼の言葉を書き留めるわ。アベルちゃん、聞き取れた部分を照らし合わせましょう」
「あの……えっと……あ、はい。そうですね……」
教えた方がいいのではないかと思ったが、自信満々な様子のペテロを見ていると、言い出しづらくなってきた。
そのとき、ヨハナンが杖を振り上げた。
「第一の試験を始める。荒ぶる神の像より逃れながら先へと進み、道を遮る月屠りの獣共を打ち倒せ」
神官の掲げた杖の先端を中心とし、辺りに魔力の光が広がっていき、視界が白に覆い尽された。
俺は念のために意識を研ぎ澄ませ、周囲に妙な魔力の動きがないかを探る。
特に変わったものは見つからない。視界を奪って不意を突く……というわけではなかったようだ。
光が薄れ、視界が戻る。
すでにヨハナンの姿はない。
「……月……喰らう……まさか、ディンイーター?」
呟いたのはペテロである。
唇に手を添え、恐る恐ると口にする。
仮面の下から覗く白い頬を青褪めさせていた。
俺も高位精霊図譜や大神宝典で見たことがある。
そちらではあまり詳細は書かれておらず、クゥドル神の使い魔の精霊獣、とだけ記されていた。
「……ディンイーターって、そんなにヤバいんですか?」
俺はペテロへと尋ねてみた。
「……人とさして変わらぬ身体に、竜の膂力に、悪魔の残虐さを詰め込んだ存在だとされているわ。小柄なのがまだ救いね。もし敵対するなら、とんでもない相手よ。アベルちゃん、ウチのミュンヒと手を組んで、どうにか気を引いてちょうだい。ワタシが封印するわ」
ペテロがゾロモニアの杖を構え、周囲へ目を走らせる。
「今……複数形じゃありませんでした?」
「え? に、二体!? い、いくらなんでも、勘違いじゃないかしら」
ペテロが困惑した様に言う。
だが、間違いなくヨハナンは「月屠りの獣共」と口にしていた。
それに……周囲の術式は、五十二体の悪魔を通路へずらりと召喚する形態のものだ。
恐らく、二体では済むまい。
そもそも、ディンイーターはただのおまけだ。
俺が背後へと目を向けたと同時に、通路脇の台座に飾ってある巨大なクゥドルの像が、ガタガタと震え始めた。
石の触手が軋みを上げながら大きく持ち上がり、カクカクとした動きでクゥドル神が台座より降りる。
「な、なに!?」
ペテロが遅れて振り返る。
クゥドル神の人間の上半身が、石とは思えぬ艶めかしい動きで身体をくねらせ、苦し気に細い両手で自身の頭へと手を添えた。
目を見開いて天井へと顔を向け、顔に罅が入るほどに大口を開ける。
そして咆哮を上げた。
「アァァァァァァァァアアアァァァァッッ!」
球根の様な歪な本体の中央にある、大きな一つ目が見開かれた。
その瞳だけは石ではなく、生身である。この石像の核だろう。
とんでもない魔力の塊だ。
俺はヨハナンの言葉を思い返す。
『第一の試験を始める。荒ぶる神の像より逃れながら先へと進み、道を遮る月屠りの獣共を打ち倒せ』
なるほど……あれから逃げながら、妨害する五十二体のディンイーターを退けて先へ進めということか。
俺の予想を裏付けるように、クゥドル神の像が、大きな音を立てて俺達へと近づいて来る。
速度自体はかなり遅い。
そして同時に、壁に刻まれていた魔術式が手前から順に次々と光を放ち、連動する様に通路の両端に、魔法陣が並んで浮かび上がった。
ざっと見たところ五十はある魔法陣の上に、同じ数だけ精霊獣が現れる。
その身体は、錆色をした肥えたフォーグ、というのが近い。
だが、首から上は大きく異なっている。
唇は腫瘍の様にぶくぶくと膨らんでおり、横ではなく縦に大きく裂けている。
目玉は、左右上下、合わせて四つある。顔には幾つもの深い皺が刻まれていた。
「う……嘘でしょ……?」
ペテロとミュンヒが、ディンイーターの群れを見て凍り付いた。
ディンイーターは不気味な大口を左右にバカバカさせながら、ゆっくり、ゆっくりと接近してくる。
こっちを弄んでいる様だった。
四つの目玉がぐるぐる回り、順番に俺、メア、ペテロ、ミュンヒを見回していた。
「こ、これ、ちょっとまずいんじゃ……」
ペテロの話が本当ならば、ドラゴン五十体に囲まれたに等しい。
ちょっと今までとは桁が違う。
俺は不安の中、杖を振るい、五つ魔法陣を浮かべた。
「হন」
転移の魔術である。
五つの魔法陣の上にそれぞれオーテムが現れる。
世界樹のオーテム、元イーベルバウンのアシュラ5000、そして途中気が向いた時に彫っていた普通のオーテムが三つである。
「পুতুল দখল」
更に五つの魔法陣を浮かべ、各オーテムに命令を下す。
五つのオーテムがそれぞれに散る。
世界樹のオーテムは俺の元に待機させ、残る四体のオーテムを、アシュラ5000を先頭にディンイーターの群れへと突撃させる。
「গাগা গাগাগাগা গাগাগাগা গাগা」
不気味なディンイーターの声が通路にこだまする。
ディンイーターはある者は前屈みの二つ脚で、ある者は天井に張り付き、ある者は壁を伝って、それぞれにこちらへと突撃してくる。




