六話 とあるフィクサーの野望②(side:ペテロ)
ペテロがディンラート王国最東の地でクゥドル神の調査を進めてから、二週間が経った。
ペテロは海沿いの崖に自らの部下三十名を集め、クゥドル神復活の儀式を執り行わせていた。
崖淵にはペテロがクゥドル大聖堂奥から見つけ出した古の儀式用の魔法具を並べ、部下達がそれを用いてクゥドル神への祈りを捧げる。
地に刻まれた巨大魔法陣には、ペガサス、ユニコーン、グリフォン等、強い魔力を持つ魔獣の血を用いて作られた塗料が流し込まれている。
「フフフ……ついに、ついにワタシの願いが叶うわ……」
その様子を眺めながら、ペテロは満足げに笑う。
その背後へと、罵声を浴びせる少女がいた。
「悪魔め! 己の妄想に縛られ、法神様の力を利用しようなどと! 早く考えを改め、貴方の部下諸共海に身を投げて、それを法神様へのせめてもの償いとしなさい!」
少女はクゥドル教会の修道服に似た、青色のローブを身に纏っている。
両腕は背に回されて縄で縛られ、その左右にはペテロの部下が一人ずつ付けられて監視されている。
彼女は、ディンラート王国最東の地の海岸沿いの、廃れた教会堂の主、女司祭シンシアである。
最初にペテロの部下が訪れたときは、クゥドル神に繋がるものが見当たらず、信仰する神も聞いたことのない名であり、神に祈りを捧げると称して精霊語の歌を歌っていたため放置された。
クゥドル神や四大創造神は精霊語を言語として用いることはない、という建前があるためである。
これはそれらの神々が精霊とは全く異なる高次元の存在であるという主張の元に生まれた考えであり、実際どうであったかは定かではないのだが、もっとも広く知られている考えである。
そのため、ただの悪魔の神騙りによって生まれたマイナー宗教だろうとペテロの部下は考えたのだ。
だが、ペテロはその廃教会に関心を持ち、直接そこへと訪れることにした。
その際、シンシアがクゥドル神の精霊語名を歌の中で口にしているところへ遭遇したため、部下を使ってシンシアを捕らえ、廃教会を荒らして徹底した捜索を行い、シンシアが遥か昔にクゥドル神の封印を見守り続ける役割を担った一族の末裔であることを暴いたのだ。
隠し扉から太古のクゥドル神の儀式について記された書物も暴き出して強奪し、クゥドル神復活の儀を行う準備を進めていた。
「こんなことをして、世界を壊すおつもりですか! 法神様の怒りを買えば、国ひとつが滅ぶだけでは済みませんよ!」
「法神? ただの、人工精霊の間違いでしょう。フフフ……」
ペテロが口端を吊り上げ、笑いながら返す。
シンシアの表情が驚愕に固まるも、それも刹那のことだった。
すぐに再び怒りを露わにし、激しい剣幕でペテロへと怒鳴る。
「貴方方は、何もわかってはいない!」
「何もわかっていないのは、アナタじゃなくって? ワタシが、クゥドル教にどれほど貢献してきたことか……。クゥドルのことなら、何でも知っているわよ。可哀想にねぇ……アレが何かも知らずに、代々見ているだけの番を任されていたなんて」
「法神様が復活したとして、貴方の様な独り善がりなオカマに力をお貸しになるはずがないでしょう! 身の程を知りなさい!」
「貴様! ペテロ様になんということを!」
シンシアの左右に立つペテロの部下が、シンシアへと剣を向ける。
ペテロはそれを手で制した後、甲高い笑い声を漏らし、口を押える。
それから腰を曲げて、ずいっとシンシアへ顔を近づける。
シンシアは嫌悪を表情に浮かべながらも顔を逸らさず、至近距離からペテロを睨み返す。
「本当に何も知らないのね。あのね、シンシアちゃん。ワタシは、クゥドルを召喚……いえ、創り出した神官の残した、法神縛りの術式の再現に成功したのよ」
「なっ!」
さすがのシンシアも、ペテロのこの言葉に驚いた、
その表情を見て、ペテロが満足げに笑い、シンシアから背を向けて離れながら、大きく両腕を天へと掲げる。
「いいじゃないの! シンシアちゃんは、頭が硬いわねぇ。ワタシは何も、クゥドル神の力を利己的に使おうなんて思ってるわけじゃないのよ。ワタシが世界の中心となり、あらゆる悪とその元となる思想を断ち切り、永遠の理想郷を創りたいというだけなの。いけないことかしら? ねぇ?」
「それはただの、貴方の勝手な基準による弾圧でしょうが! 神になるなど、思い上がりもいい加減になさい! 法神様が己を封じたのは、かの雄大なる叡智を以てしても、支配による理想郷が成り立たないことを知っておられたからです!」
「てんでお話にならないわね。アナタが何を言いたいのか、さっぱりわからないわ。ま、アナタには今更、何をすることもできないわ。せいぜいそこで吠えて、待っていらっしゃい。これから未来永劫続く、新たなる時代の始まりをね!」
ペテロとシンシアの言い争いへ、一人の部下が駆け付ける。
「魔法陣の中心部へ、供物の四面獣を捧げ終えました! これですべての準備が完了いたしました!」
四面獣とは、クゥドルの封印を解くためにペテロが造り出したキメラである。
名の通り四つの顔を持っており、そのすべては堅い面に守られている。
大量の魔力を要する儀式のために用意した、ただ保有魔力を高めることだけに重点を置いて造り出された魔獣である。
供物用であり、暴れられない様に最初から手足は根本より先が存在しない。
「ご苦労様……フフフ。それじゃあね、シンシアちゃん。協力に感謝するわ。アナタの廃教会なくしては、クゥドル神の復活は数年ほど遅れていたかもしれないもの」
ペテロは部下に連れられ、崖淵へと向かう。
シンシアがペテロへ襲い掛かろうとし、左右にいた部下に身体を押さえつけられる。
肩を完全に押さえられても、ペテロへと噛みつこうとしているかのように首を伸ばし、歯を打ち鳴らす。
「背信者めっ! 悪魔め! 呪われろ! 永遠に魂を呪われろ!」
「背信者はアナタよ。今日からは、ワタシが神になるのだから」
崖淵に辿り着いたペテロはゾロモニアの杖を天に掲げ、精霊語にて詠唱を行う。
それに続き、部下達も詠唱を行って補佐に入る。
魔獣の血によって描かれた巨大な魔法陣に強烈な光が灯り、四面獣が四つの顔から咆哮を上げた。
「আমিপ্রধানকুর্দি」
ペテロがそう詠唱を締め括ったとき、轟音が鳴り響いた。
海面を掻き分け、大きな何かがせり上がってくる。
捻じれた様な奇妙な形状の、青一色の巨大な塔である。同色の大きな外壁に囲われており、外壁は正面部のみ開かれている。
建物を支えるのは、同じく青色の、巨大な円柱状の台座である。
「アッハッハッハ! やったわ! あれが、あれがクゥドル神の眠っている、クゥドル大神殿なのね? そうなのね! ついに、ついに、ワタシはやったわ!」
ペテロは狂笑しながらクゥドル神殿の浮上を喜んでいたが、不意に表情を戻して振り返りながら、ゾロモニアの杖をある一点へと向けた。
「শিখা পাখি হাত」
ペテロの周囲に五つの魔法陣が浮かび上がり、その中心から次々に、赤黒い炎の鳥が飛び出し、各々の経路を辿ってただ一点へと飛び掛かっていく。
「ペテロ様……何を……?」
部下達が、急に何もない方へと魔術を行使したペテロを訝しむ。
ペテロが火の鳥を放った点に大きな魔法陣が浮かび上がり、その光の中から三人の人間が姿が浮かんだ。
転移の魔術である。
ペテロは転移の魔術の兆候を読み、先手を打ったのだ。
火の鳥は各々の方向から突如現れた人間達へと襲い掛かったが、三人の内の男の手許にあった分厚い書物のページが不意に破れて宙を彷徨い、紙の塵が人型を模した。
人型は、腕を伸ばして火の鳥を握りつぶす。
人型に触れた火の鳥は、まるで最初から存在していなかったかのようにその姿を消した。
ペテロの魔術を消失させた後はまた残骸に戻って宙を舞い、男の手許にある魔導書へと戻っていき、元通りになってから男は書物を閉じる。
男は書物を脇に挟むと、ふうと溜め息を吐きながら眼鏡を上げる。
「凄いですね……あれほど複雑な魔術を、五重詠唱ですか。さすが、ペルテール元教皇です」
現れた三人は、先程魔導書から化け物を出した眼鏡を掛けた長身の男に、鉄仮面を付けた身長二メートル半はあるであろうという大男、そして背丈以上の大杖を手にした金髪の少女だった。
全員、白をベースに、赤で縁取りや模様が描かれたローブを纏っている。
ローブの背には、天秤の影絵が描かれている。
(あの奇妙なゴーレムも危険そうだけど……今の感じ、距離の自乗の魔力を要すると言われている転移の魔術を、かなりの遠方から使ってきてるわ。精度はさすがにあまりよくないみたいだったけど、規模がおかしい)
ペテロはそこまで考え、先程転移と同時に浮かんだ魔法陣の形を脳内に描き、解析に入る。
(さっきの魔法陣……単純で扱いやすい形ではあるけど、その反面、かなり魔力効率の悪い形になってる。膨大な魔力に物を言わせて、強引に発動しているのね。あの三人……一番マズいのは、転移の魔術を使ったあの金髪ちゃんね。純粋な魔力量なら、このワタシを圧倒してるわ。あんな魔術の使い方、このワタシにもできない……)
ペテロの頬に、冷や汗が垂れる。
男達の顔ぶれにペテロは覚えがなかったが、この状況で転移の魔術で姿を見せたのだ。
友好的な立場だとは到底思えない。
「ア、アナタ、ワタシを知っているの? いったい、何者……」
「いつか貴方とは顔合わせをしたいと、常々考えておりましたよ。いい機会ですので、自己紹介を。我々は、魔術教団『刻の天秤』です」
眼鏡の男は眉一つ動かない慇懃な作り笑いのまま、ペテロへと丁寧に頭を下げる。
ペテロも、魔術教団『刻の天秤』には聞き覚えがあった。
国境を跨いで存在する組織であり、時代の調停者たることを活動指標としているとされていた。
ほとんど表に出ることはないとされていたが、歴史の様々な不自然な点が、長きに渡って『刻の天秤』が世界に大きな影響力を及ぼし続けて来た結果だとされていた。
 




