一話 とあるフィクサーの野望①(side:ペテロ)
ディンラート王国の事実上のトップであるペテロがファージ領を訪れていた最大の理由は、その延長線上に用があったため、通り掛かったついでにリーヴァラス国の引き起こした事件について詳しく聞いておこうと考えたからである。
では、辺境地であるファージ領の果て、ディンラート王国の最東に何の用があったのか。
それはペテロの悲願、クゥドル神の復活である。
クゥドル神は四大創造神を滅ぼした後は『深き眠りにつく』と言い残して海へと姿を晦まし、二度と人前に姿を現さなかったという。
それが神話時代の終わりの日である。
ペテロはゾロモニアの知恵を借りることによってディンラート王国の最東にクゥドル神が眠っていることを突き止め、クゥドル神の封印を解くために最東を目指していた。
その道中にラルクの屋敷近くを横切ったため、ついでとしてリーヴァラス国の不穏な動きについて尋ねたに過ぎない。
……しかし、結果としてそのファージ領で思わぬダメージを身体に負い、しばらく部下に介抱してもらう羽目に陥ったため、立ち寄っただけのつもりが大きなタイムロスに繋がってしまったが、そんなことは今更悔やんでも仕方がない。
ペテロは既に別の経路から向かわせていた部下とも合流しており、集まった部下の数は三十人まで増えていた。
クゥドル神の封印を解こうとしているなど、決して外部に漏らすわけにはいかない。
そのため固まって動かせる人数を最小に絞っている。それが三十人であった。
辺り一帯の魔力場を観測させているが、今のところ妙な偏りは発見できていなかった。
ペテロは部下からの定期報告を聞き終えた後、馬車に戻って休んでいた。
「フフ……フフフフ……」
ペテロは機嫌よさそうに笑う。
クゥドル神について特に進展はなかった。
しかし、長年の悲願が達成へと近づいてきていることははっきりとしていた。
その隣に、青い肌の童女が浮かび上がる。
くるりと回り、足を曲げて宙に三角座りをする。
知恵と破滅の悪魔、ゾロモニアである。
ゾロモニアは、ペテロにクゥドル神の眠っている位置を教えた張本人である。
『随分とはしゃいでおるではないか。そこまで主神に会えるのが嬉しいか、ペテロよ?』
「会えるのが嬉しい? フフ……どれだけ飾ったところで、クゥドル神なんて、ただのとんでもない魔力の塊よ。それ以上でも、以下でもないわ」
『意外であるな。元は教皇にまでなった男が、そんなことを口にするとはの』
王家にも教会にも顔が利き、過激派宗教組織の頭でもあるペテロ。
その正体は、クゥドル教の元教皇である。
禁魔術の行使によって延命したペテロは表舞台に立つことができなくなってしまったため、裏方として行動することになったのだ。
「神話の中のクゥドル神は信仰していたわよ。でも、クゥドル神が人間を創ったのではなくて、人間がクゥドル神を造ったのでしょう?」
『おや……妾は教えてはいなかったはずであるが、よく気が付いておったの。神話時代の資料なんぞ、ロクに残っておらんであろうに』
「この私を誰だと思っているのよ」
ペテロはクゥドル教会の宝である、大神宝典の写本の一部を目にしたことがあった。
ペテロは教皇権限で秘密裏に箱を開き、それを読み解き、クゥドル教の隠されていた多くのことを知った。
それがペテロに、禁魔術による延命を決意させた要因にもなった。
大神宝典の写本は、クゥドル聖堂の奥にある、開封厳禁とされていた箱の中に入っていたのだ。
大神宝典の原典は神話時代に書かれたものであり、クゥドル神に関わる歴史や信仰は勿論、この世のあらゆる真理にも繋がることが記された、伝説の書物である。
原典は数千年も前に焼き払われてしまったとされているが、定かではない。
ペテロが手にしたのは、書き写され一部わかりやすく意訳されたものに過ぎなかったが、その解読にもペテロは長い年月を要した。
『して……ペルテール元教皇サマは、そのとんでもない魔力の塊に何を願うのかの?』
「決まっているじゃない。願うんじゃなくて、使うのよ。ワタシはクゥドル神を制御下におき、五大国を統一し、世に蔓延るあらゆる悪魔信仰を根絶する。そうして、新たな国を……いや、世界を創るの。完全なる、永遠の平和……永遠の理想郷……そこにワタシが、永遠に絶対君主として君臨し続ける。そう、このワタシこそが、新世界の神になるの! フフフフ……誰にも邪魔させないわ」
ペテロは熱を込めて言う、
言いながら興奮したらしく、僅かに声が大きくなっていた。
ペテロは自然と浮かせかけていた腰を下ろし、自身の頬を撫でながら表情を戻す。
「ワタシともあろうものが、少し浮かれていたようね」
ゾロモニアは歯を見せて、無邪気な笑みを浮かべる。
『カカカ、思ったより、ペテロは妾を楽しませてくれるの。じゃが、クゥドルを甘く見ぬ方がいい。失敗して意味もなく怒りを買う結果に終われば、永遠の理想郷どころか、この国そのものがなくなったっておかしくはないぞ?』
「甘く見ているわけじゃないわよ。そのものを、正しく評価しているに過ぎないわ。人に制御されるために造られた兵器よ。乗りこなせるものと考えるが自然でしょう?」
『どうであろうな。妾には、ペテロが随分と急いているようにも見えるが。脅えておるのか、ペテロ? お主は、ジュレムの奴と会ったことがあるそうだが、そこで何を言われたのじゃ?』
ペテロは目を見張り、ゾロモニアの顔を見る。
ペテロはゾロモニアの、口にした名前の相手への親し気な調子に少し驚いていたが、またすぐに表情を戻して笑った。
「関係ないわね。クゥドル神の力さえ手に入れば、あんな奴、真っ先に消してやるわ。それより、随分親しげなのね? ゾロモニアちゃんのお友達なのかしら?」
『顔見知りじゃな。しかし、妾とてそこまで詳しく知っておるわけではないからあまり助言はできぬし、する気もない。奴を殺すというのならば敢えて邪魔立てはせんが、どちらかに肩入れしようという気も起きぬの』
「ふぅん」
ジュレム伯爵というのは、世界にとって重要な事件が起こったとき、ほぼ例外なくその場に居合わせていたとされる怪人である。
単なる噂話や伝承の側面が強く、その存在を本気で信じている者の数は少ない。
噂に乗っかって面白おかしく騒ぎ立てたり虚実を主張する者も多く、何が本当で何が嘘なのか、今では何もわからない。
謎に包まれた人物である。
六百年前は普通の伯爵であって、その後何らかの力を得て怪人化したというのが通説であるが、それよりもずっと前からこの世界に存在し続けていたという話もある。
ペテロが馬車のカーテンを手で退け、東側に広がる海へと目を向ける。
それからフンと、鼻を鳴らした。
「海も空も大地も、こんなに綺麗なのに……この世界には、身勝手な馬鹿が多すぎるわ。誰もが正しく動いていれば、それだけで皆が幸せに生きられるはずなのに……誰かが誰かの足を引っ張っている。だからワタシが、クゥドル神の力で、全人類を導いてあげるのよ。どう、素晴らしいことでしょうゾロモニアちゃん?」
ゾロモニアはそれには何も答えず、カラカラと笑っていた。
ラスボスはペテロ……!




