二十五話 魔女アルタミア①
魔女の塔の頂上である、第八階層へとついに俺は足を踏み入れた。
内部は長い通路であった。
先の果ては見えず、ただ真っ直ぐに道が続いている。
仄かに緑や青の輝きを帯びている鉱石が、床や壁に用いられていた。
魔法陣や奇妙な模様があちらこちらに描かれていた。
鉱石の発する怪しい光が、異様な雰囲気を形作っている。
この階層は俺がアポカリプス越しに床を破壊し、大穴を空けてしまったのだが、結界魔術が解ける様子がない。
他の階層に展開されている結界とは、比にならないほど強い魔力を感じる。
アルタミア本体を確実に逃がさないために、周到に保険を掛けた作りになっているようだった。
「……不気味なところですね」
メアが通路内を見回し、そう零した。
「……少し、まずいかもしれない」
「な、何かに気が付いたんですか? アベルが弱気になるなんて……」
「正直……登ったすぐから、嫌な予感はしてたんだ。これ以上先に行くのは、危険かもしれないってな。予感が的中だ。ここは、駄目だ。メア、先を見てみろ……」
俺の声に従い、メアが目を凝らして通路の先を見る。
「まだ、何も見えませんけど……」
「それが問題なんだ」
「えっ? ど、どういうことですか?」
「……足、吊りそう」
「えっ」
ここに来るまで、かなり俺は自分の足に無理をさせてきた。
もう限界を何度超えたことか、わからない。
脹脛がパンパンである。いつ裂けたっておかしくない。
「ちょ、ちょっと休憩しよう。これ以上は駄目だ」
「ええええ……」
メアががっかりとしたように肩を落とし、ジト目で俺の顔を見る。
「アベル、ちょっとだけでいいんで、緊張感持ってくださいよ……」
「い、いや、俺は真面目なんだよ。真面目に足が……だってこれ、アルタミアの前で、足を押さえて呻くことになりかねないぞ」
「ええええええええ……」
「悪い、足、ちょっと揉んでくれ」
「はい! メアに任せてください!」
メアが顔色をぱぁっと輝かせ、荷物を置いて俺の傍まで駆け寄ってくる。
……緊張感に関しては、人の事、あんまり言えないんじゃないのか。
一度通路の端で座り込み、メアに足をマッサージしてもらうことにした。
俺の足を揉みながら、メアが尋ねてくる。
「……アルタミアって、禁魔術の研究で国から目を付けられて、宮廷魔術師団相手にゴーレムの軍団嗾けた危ない人だって言ってたじゃないですか。そのアルタミアが、封印解けて出て行っちゃうかもしれないんですよね?」
「そうそう、禁魔術の研究で国から目を付けられて、宮廷魔術師団相手にゴーレムの軍団を嗾けた危ない……」
あれ……俺もちょっと国から目を付けられたら、似たような羽目に陥りそうだぞ。
「……気が合いそう」
「メアもちょっと思っちゃいましたけど……」
休憩を挟みつつ、先へ、先へと向かう。
通路の奥には、俺の背丈の倍ほどの大きさを持つ姿見が置かれていた。
「かがみ……?」
メアが不思議そうに呟く。
姿見に映る世界が歪み、ぐにゃりと渦が現れる。
鏡の中から、橙の巻き髪の、目つきの悪い女が現れた。
頭には毒々しい紫のとんがり帽子を被り、同色のマントを羽織っている。
低い身長で巨大な杖をやや煩わしそうに抱えながら、ふわりと宙を浮遊している。
「まさか、こいつがアルタミア……?」
思っていたよりも、かなり若い。
精霊化しているようなので、歳など関係ないといえばないのだが……恐らく、この姿は、精霊化した際のもののはずだ。
背丈は低いが、年齢は二十歳かそこらといったところのようだ。
てっきり特殊な結界に閉じ込められたせいで精霊化したのかと思っていたが、あまりにも精霊体が整い過ぎている。
恐らく、魔女の塔に封印される以前から、不老になるために自身を精霊化していたのだろう。
つまりそれは、ニ十歳かそこらで、自身を精霊化できるだけの技量と知識があったことを意味している。
俺もある程度知識はあるつもりだが、さすがに禁忌も禁忌のいいところなので、色々としがらみが多く、実用化できるだけの実績はない。
「お、俺だって後、数年あれば……」
「……アベル、変なこと考えてません?」
アルタミアへと対抗意識を燃やす俺へと、メアが恐々と尋ねてくる。
俺だって確かに長生きはしたいが、人間をやめるかどうかと問われれば、さすがにちょっと迷う。
「ペルテール卿もとうに死んだでしょうし……その内に王家から刺客が来ることはわかっていたけれど、いきなり魔導兵器をぶっ飛ばしてくるとは思わなかったわ。ただ、私もただで消滅してあげるつもりはないのよ」
アルタミアが杖を回すと、彼女の姿と周囲の壁が消えて、一気に空間が広がった。
部屋内の遥か上の方、遠くへと、アルタミアの姿が現れる。
無詠唱の転移……魔法具によるものではなく、恐らくアルタミアが精霊化しているが故に、精霊を介さず直接簡易の魔術を操ることができるためだろう。
精霊は簡易な魔法現象を直接引き起こすことができる。
元来魔術は、無数の精霊へと指示を出して対価の魔力を与えることで、発言するものだ。
「本当なら、久々の人間で嬉しいところだけど……遊んであげる余裕はないみたいだから、本気で行くわ。一瞬で決めさせてもらうわよ。恨むんなら、アンタをここに送り込んだ、アンタの上司を恨むことね」
俺が誰かの差し金で来たと、そういうふうに思い込んでいるようだった。
もっと危ない奴かと思っていたが、案外話が通じるタイプなのかもしれない。
ただ今は相当切羽詰まっているのか、額に青筋を浮かべて眉間に皺を寄せ、鋭い目つきで俺を睨んでいる。
「こっちもこういう事態は想定して、備えは用意してあるのよ。たった二人相手に使うものじゃないけど、アポカリプスがああもあっさり抜かれたんじゃあ、仕方ないわね」
アルタミアが宙で、杖を掲げる。
壁が消えて広くなったことで生じていた空間に、突如として巨大な碧い金属塊が現れた。
見上げる限り、碧、碧、碧。
全長で百メートル近くあるのではなかろうか。
巨大すぎて一瞬わからなかったが、それは跪いた姿勢の、戦士の像のようであった。
腰の周りには、皺の細部まで表現された、金属製の布が巻かれている。
上半身は全裸であり、顔には巨大な仮面が付けられていた。
手には、無骨な巨大剣が握られている。
碧の巨人は、均一な金属で全身を造られている。
どうやら幻の銅を用いた合金製のようだ。
巨人を造るのに、純粋な幻の銅を使っていてはキリがなかったのだろう。
だが、それでも、使用されている幻の銅の量はとんでもないはずだ。
「マ、マジかよ……」
さすがにこれは、ちょっとビビった。
塔の中でこんなものをこしらえるのに、どれだけの時間と手間を費やしたことだろうか。
「絶望してるところ悪いけど、これで終わりじゃないのよ」
更にアルタミアが杖を振るう。
逆側に、もう一体の幻の銅の巨人が現れた。
「コロッサスか……それも、特大クラスの……」
コロッサスとは要するに、五十メートルを超える巨大ゴーレムのことを示す。
ただゴーレムは、一定の大きさを越えたところで、作る難度もそうなのだが、仕上げとして疑似意思を与える際に、大量の魔力を消耗する。
かつてガルジャナンド王国が戦争に用いた全長百メートルのコロッサスは、百人の魔術師が一週間掛けて魔力を付与して動かすことに成功したという。
戦力として絶大な効果を齎したにも拘わらず、歴史上ほとんど使われた形跡がないのは、作る手間と動かす手間が問題だったとされている。
途中で造るのを諦めたらしいコロッサスの残骸と思わしきものが、度々遺跡の中から発見されるという。
それを個人で二体造り上げたどころか、あっさりと動かしているのだから、恐ろしい。
それも、明らかに史上最大レベルの大きさである。
この人一人で世界が変わりかねない。ハイエルフがわざわざ地上に降りてきて手を借りたがるわけである。
「さぁ、お行きなさいコロッサス! 遠慮はいらないわ!」
アルタミアの声に合わせる様に、二体のコロッサスが立ち上がる。
ただでさえ巨大であった金属塊が、倍以上の背丈になった。
俺はメアの荷物の、世界樹オーテムを指で示した。
メアは呆然と巨大ゴーレム……コロッサスを見上げていたが、俺の指に気が付くと、世界樹オーテムを取り出して俺の前に置いた。
「পুতুল দখল」
俺は杖を振るい、詠唱した。
世界樹オーテムが、杖から出た光を受ける。
「শিখা এই হাত」
続けてコロッサスの片割れ目掛けて杖を振るう。
宙に魔法陣が浮かび上がり、巨大な火の玉が現れる。
世界樹オーテムが光り、全く同じ魔法陣が浮かび上がる。
続けて、巨大な火の玉が世界樹オーテムの前方へと現れる。
俺は続けて連続的に魔法陣を浮かばせて、魔術で現れた火の玉を結界で包み込んで圧縮し、また火力を上げて範囲を広げては圧縮し、を繰り返す。
同様に、世界樹オーテムの前方に浮かんでいた火の玉の周囲にも魔法陣が浮かび上がり、俺の浮かべている火の玉の変化を追うように、圧縮されては膨張し、また圧縮されては膨張する。
あっというまに、白い輝きを纏ったエネルギーの塊が二つ出来上がった。
オーテムの二重詠唱による、ダブルアベル球である。
「な、なに、アレ……」
アルタミアが、ドン引きしたように零していた。
「よし、行けっ!」
俺が片方のコロッサスへと杖を向けると、両側のコロッサスに、一つずつアベル球が飛んでいく。
二体のコロッサスはアベル球に対して巨大剣を引き、刃で受けようとする。
巨大剣が砕け散り、次の瞬間にコロッサスの腹部から上が弾け飛んだ。
勢い余ってそのまま天井へと吸い込まれるように飛んでいき、上部の結界に巨大な穴を二つ作った。
耳を劈くような音が響き、結界内が罅だらけになる。
コロッサスの巨体が揺らめき、その場にどさりと膝を突いた。
コロッサスの頭の部分が、俺の目の前へと落ちた。片割れの頭部は、この階層内の遠くに転がっていた。
「……なんだ、デカいだけだったな。二体もこんな手間の掛かるもの造ってる暇があるなら、一つ一つにもう少し力を入れた方がいいんじゃないのか?」
俺は倒れた二体のコロッサスの残骸を眺めながら、呟いた。
「で、今のが切り札ってことでいいのか?」
宙に浮いているアルタミアは、真っ青な顔で下唇を噛んでいた。




