十六話 ハイエルフの魔術師、デヴィン⑨
オォォォォォォオオオオン、オォォォォォォオオオオン。
第六階層の最奥地に辿り着くと、階層内に響いていた謎の音の正体が明らかになった。
次の階層へと上がる階段の前は広間となっており、その階段を遮る様に、赤い斑点模様のある、毒々しい紫色の、ぶっとい蛇が寝そべっていた。
蛇に瞼がないので目はガン開きだが、恐らく眠っているようだ。
オォォォォォォオオオオン、オォォォォォォオオオオン。
大蛇の鼾が、階層全体へと響く。
大蛇の体表からは何かが焦げるような音が常に発しており、紫の煙を蒸発させていた。
大蛇の寝そべっている下の床が、大蛇と同じ紫に変色している。
起きているときに大蛇が這いずり回った後なのか、床の一部にも大蛇と同じ太さの窪みがあり、それらは紫色に汚れていた。
「……あいつを倒さないと、上には行けないってわけか」
大蛇の正体には心当たりがある。
ヨルムンガンド、危険度A級の魔獣である。
たった一体で森一つを草も生えない不浄の地へと変えるとまで称されている、迷惑な猛毒の大蛇である。
「寝ているのがまだ幸いですね……。近づいただけで、気分が悪くなりそうです」
「いや……眠ってるのは、余裕からの行動だろう。こういう奴は、厄介だぞ」
「こういう魔獣と戦ったことがあるんですか?」
「ああ、かなり昔だが、薄っすらと覚えている。こういう眠っている敵は、距離を取って、安全な位置から軽い一撃を与えて、さっさと起こした方がいいんだ」
「そうなんですか? 向こうが体勢を持ち直す前に、仕留めちゃった方がいいんじゃないかって、メアは思うんですけど……」
俺は無言で首を振った。
「アベルの考えてることは、難しくてよくわかりません」
メアが不服そうに頬をぷくっと膨らませてから、目を見開いてヨルムンガンドを観察する。
「ま、俺も経験則だからな。そこまでしっかりと説明できるわけじゃない」
俺は前世のゲームで、この手の敵を見たことがある。
最初は止まっていて、攻撃を加えた瞬間起き上がり、滅茶苦茶な攻撃を繰り出してくるパターンである。
大抵最初の一撃は下手にダメージを与えようとせず、ちょっと殴って起こした後は一旦逃げた方がいい。
最初のダメージはそもそも加算されていないか、最初に一方的に攻撃をもらおうとも物ともしないくらい体力が高いかのどちらかだからだ。
初撃で少しでもダメージを稼ごうなどと考えない方がいい。
無理をして隙を晒し、強力な一撃をもらうのがお決まりなのだ。
前世の知識が役に立ったな。
俺はラピデスソードの柄を手に握りしめ、ヨルムンガンドを睨む。
醜悪な猛毒の大蛇は、鼻提灯を膨らましながら、気持ちよさそうに眠っている。
体表と同じく、鼻からも気化した毒が漏れ出している。
さて、様子見とは言え、相手はAランクの魔獣だ。
多少の威力がないと、起こすのも難しそうだ。
俺はラピデスソードを天井へ向け、強めに魔力を込める。
俺の身長以上の刀身が生成され、重くて持っていられなくなったので、手をさっと引いた。
「যাওয়া」
ヨルムンガンドへと指を向ける。
ラピデスソードは、横に高速回転しながらヨルムンガンドへと突撃する。
ヨルムンガンドの瞳が赤くなり、僅かに大きさを増した。
ヨルムンガンドが目を覚ましたのだ。
まだ攻撃は当たっていないが、何かが飛んでくるのを察知したらしい。
開いた口から気化した毒が漏れ出し、真っ赤な眼孔が俺を睨む。
牙のある口を大きく開き、禍々しい先の二つに分かれた長い舌を垂らし、首を擡げる。
これが蛇の王、ヨルムンガンド。
これだけ距離があってなお、恐ろしい迫力だ。
真っ赤な眼孔が俺に向けられ、口許から紫の涎を垂らす。
そして次の瞬間、ラピデスソードがヨルムンガンドの頭部へと直撃した。
ヨルムンガンドを覆っていた鱗が砕け散り、巨大な頭部が階段まで倒れて衝突し、大きな音を立てる。
ヨルムンガンドの頭部が階段の段差を抉った。
階層全体が揺れ、階段の通路が崩れ出し、ヨルムンガンドの頭が綺麗に下敷きになった。
少しの間ヨルムンガンドの尾が苦し気に左右に揺れていたが、すぐに止まった。
「……まずは軽く一撃当てて目を覚まさせた方がいいとか、アベル言ってませんでしたっけ?」
「……必要なかったみたいだな」
同じくA級の魔獣であるナルガルンもさして苦戦しなかったので、今後魔獣相手に警戒する意味はないかもしれない。
ただヨルムンガンドのせいで、階段が崩されてしまったのは痛い。
「……帰ります?」
「ああ、いや、あの残骸退ける……のは、猛毒蛇がいるから面倒だな。他のところに適当に穴を開けて、階段を作ろう。せっかくだし、幻の銅以外の真っ当な戦利品が何か欲しいところだが、ヨルムンガンドは毒性が強すぎて持ち帰るのも、何かに利用するのも難しいし……」
「結界弄ってたら、そろそろアルタミアの封印解けますよ? ここ、六階ですよ?」
「大丈夫だ。俺も、コツがわかってきた。今度は上手く結界を崩さずに、小さく穴を開けて、階段だけ作ってみせる」
階段手前まで来て帰るという手はない。
七階層は、アルタミアのいる八階層を除いた実質の最上階となる。七階層は見ておきたい。
本音を言うと八階層も見ておきたいし、アルタミアにも会っておきたいが、薄幸領主ラルクさんを虐めることになりかねない。
ラルクにはあまり迷惑を掛けたくない。若干手遅れな気がしないこともないが、きっとまだ許容範囲だろう。
カツン、カツンと、足音が響き渡る。
振り返ると、オッドアイの赤い眼を見開き俺を睨む、エルフの姿があった。
エルフは俺の姿を黙視すると、ニヤリと笑う。
足を引き摺るように歩いている辺り、何らかの攻撃を受けたようだが、纏っている法衣には特に傷や汚れはない。
法衣越しに何らかの魔獣の打撃を受けることになったようだった。
「フフ……やっと追いついた。どうやら、袋小路みたいだねぇ。もう、逃げられないよ」
エルフが笑う。
だが、心から笑っているわけではないだろう。
その証拠に目が笑っていない。
赤い左眼に、怨恨の炎が籠っているようだった。
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