十九話 リヴ・フォーグ⑨
「五十くらいか、結構逃げられたな……」
俺はリヴ・フォーグの詰まった革袋を幾つも膝の上に置きながら、そう呟いた。
俺は指を小瓶の中の液体に浸し、革袋に魔法陣を描く。
死んだリヴ・フォーグの劣化を妨げるためである。
「なんだかこんなにいっぱいあると、ありがたみが薄れますね……」
メアは革袋の口を紐で縛る作業を続けながら、複雑そうな表情を浮かべていた。
「そうか?」
俺が返すと、ふとメアが手の動きを止めてリーヴァイ教三人組の方へと目をやる。
それから口で筒を作って俺の方へ身体を伸ばし、声を顰めた。
「……あの人たち、なんだか様子、おかしくないですか?」
カムラは顔色を土色にし、ぐったりと地面に座り込んでいた。
手伝うように声を掛けても、まるで応じてくれない。
生気が感じられないのだ。さっきまでとは別人のようである。
ソフィアも心ここにあらずといったふうで、反応が悪い。
魔術の心得があるようなので保存の魔法陣の記入を手伝ってもらおうと思ったのだが、指先が震えてまるで駄目だったので休ませておくことにした。
たまにぶつぶつと何かを呟いており、なんだか怖い。
「…………」
そしてオーゲンもオーゲンである。
先ほどまでの愛想の良さから一転し、露骨に不愛想を顔に貼りつけて時折こめかみをひくひくと痙攣させている。
気軽に声を掛けられそうな雰囲気ではない。
「やっぱりまずかったんじゃないんですか、リヴ・フォーグ……」
「で、でも、誰も止めなかったし……さっきはあんなに喜んでくれてたのに……。なんか、他のことじゃあないのか? 知らず知らずの内に、リーヴァイ教の禁忌に触っちゃったとか」
「でもやっぱり、タイミング的にこれしかないんじゃないかとメアは思ったり思わなかったり……」
このままギスギスしていたら、旅の間にストレスでやられてしまいそうだ。
せっかく村人全員余裕で治療できそうなくらいのリヴ・フォーグを集めたのに、なぜこうなってしまったのか。
本人達に訊いてみるしかなさそうだ。
誤解があるならとっとと解いておきたい。
「あの……カムラさん?」
「ひっ! あ、いや……な、なんだ?」
カムラはびくりと肩を震わせてから、目を泳がせながら俺へと尋ねてくる。
「いえ、なんだかその、正直、様子が妙だなと……。ひょっとしてリヴ・フォーグいっぱい捕まえたの、まずかったですか?」
「な! そ、そんなことはない! これのお蔭でパルガス村の病魔は片付いたようなものなんだからなぁ……なぁ! そうだよなぁ!」
「そ、そうです! ご、ごめんなさい、少し驚いてしまって……。い、いえ、アベルさんは、本当に凄い人ですね!」
カムラが言えば、ソフィアも同調した。
少し驚いていただけだったらしい。
一体捕まえるのに数十名で大騒ぎしていたらしいし、色々と思うところもあるのかもしれない。
「目的は達成しましたし……早く帰って、パルガス村の人達に見せてあげましょう。もう大丈夫だと、早く教えてあげないと……」
カムラの顔が一層と青くなった。
「そ、それは困……」「そうですね! 早く、パルガス村の皆さんに教えてあげないと!」
ソフィアの調子もそれなりに戻ってきたようだ。
そろそろリヴ・フォーグの袋詰めを手伝ってもらってもいいかもしれない。
「あの、この袋を……つつつ」
ソフィアに説明しようと立ち上がると、腰の辺りに違和感があった。
長らく同じ体勢を取っていたせいだろう。
俺はやや背伸びをした。
「アベルさん、お身体の調子があまりよくないようですね。実はリーヴァイ教には、体内の水の流れをコントロールすることで身体の調子や気を整える魔術がありまして……。私、これ凄く得意なんです! すっごく気持ちいいので、ぜひアベルさんにも体験してもらいたいなって」
ソフィアがぱんっと手を叩き、笑みを漏らす。
「書物に近い魔術のことが記されていたのは読んだことはありますけど、あまり詳しくは知りませんね……。あんまり身体も丈夫な方ではないので、一度試してもらってもいいですか?」
リーヴァイ教の魔術は、あまり詳しくはディンラート王国まで流れてこない。
これはリーヴァラス国が閉鎖的な国であることに起因する。
国間で禁忌とされていた魔術を研究しているため、流出を過度に恐れている……という説もあるほどだ。
リーヴァイ教徒の魔術ならば、ぜひ体験しておきたい。
どんな魔法陣なのか、ついでに観察しておこう。
「少し変な感じがするかもしれませんが……心配しないでくださいね。すぐ、楽になりますから」
ソフィアが杖を構え、俺の背へと回り込もうとする。
その動きを、カムラが遮った。ソフィアの杖を掴み、引っ張ったのである。
「なっ、何をするんですかカムラさん! 状況がわかっているのですか!」
「し、失敗する! 絶対に失敗するぞ! 無駄死にするつもりか!」
何の騒動だ……?
俺とメアが怪訝げに様子を眺めていると、カムラは引き攣った笑みを浮かべた。
「いや、水の流れを調整する魔術は、扱いが難しくて……。ソフィアも、たまに失敗するんでな。もしかしたら、余計な副作用が出かねねぇから止めといた方がいいぞ!」
「そ、そうですか……」
残念だ。せっかくだから体験してみたかったのだが……。
後でまた村に戻って落ち着いてから、ソフィアに概要だけ簡単に教えてもらうことにしよう。
「…………」
カムラとソフィアの調子が戻っても、オーゲンだけは依然黙ったままであった。
オーテムにリヴ・フォーグを突っ込んだ革袋の山を載せて順調に帰路を進み、やがて日が暮れて真夜中となった。
夜の見張りを役割分担で決めた後、いつも通りオーゲンの所有物である魔獣の毛皮で作られた防寒性に優れたテントで夜を凌ぐことにした。
夜中……ぐっすりと眠っていた俺を起こしたのは、大きな打撃音であった。
目を向ければ、木槌を手にしたオーゲンが、警備用オーテムに弾かれて木に背を叩きつけられている音だった。
リーヴァイ教三人組の中に、クロエの手の者が紛れ込んでいる可能性は十分に気を付けていた。
万が一に備え、オーテムに魔力を与えて警備モードを俺が寝ている間に保たせておいていたのだ。
「こ、こんな人形の、どこにこんな力が……」
オーゲンは膝を地に突きながらも木槌を手から離さず、血走った目を俺へと向けていた。
ついに尻尾を出した。
リヴ・フォーグで村人の治療をされては困ると焦り、この場の人間を消そうと考えていたようだ。
オーゲンさんは違うのではないかと考えていたが……残念だ。
音に気が付き、メアやソフィア、カムラも目を覚ます。
ソフィアとカムラに動揺した様子はなく、素早く近くに置いていた武器を各々手に取って構える。
「……どうやら、ここまでみてぇだな。焦ったな、最悪の状態だ」
「命に代えても、リヴ・フォーグだけは破壊させてもら……」
俺はカムラとソフィアが口にするのを遮り、人差し指をオーゲンへと突き立てた。
「オーゲンさん、あなただったみたいですね。実は俺……一人はスパイが紛れ込んでいるんじゃないかって、ずっと疑ってたんです。ネログリフさんの派閥とは別の思惑があることは、とっくに気が付いていましたからね!」
俺としては決め台詞のつもりだったのだが、瞬間その場が凍り付いたのを感じた。
俺はこっそり振り返り、声量を落とす。
「なぁ、メア……なんか俺間違えた?」
カムラとソフィアが一瞬目線を合わせた後、武器の先をオーゲンへと向けた。
「どうやら、ここまでみてぇだな! 焦ったなオーゲン!」
「命に代えても、リヴ・フォーグだけは破壊させませんよ!」
言うなりオーゲンの後頭部へと、カムラの手にしていた小刀の峰と、ソフィアの杖が振りかぶられた。
オーテムからダメージを受けて血だらけになっていたオーゲンにその二打を避ける余力はなく、あっさりとその場に倒れ伏せた。




