とある集落の話6(sideジゼル)
アベルの捜索に出掛けた十七人のマーレン族は、ジゼルの推測を元にロマーヌの街へと出発した。
最初の一日はアベルをとっ捕まえて香煙葉を作らせるぞと意気込んでいたマーレン族の大人達ではあったが、たったの二日目で皆、慣れない旅路に疲れ果てていた。
就眠時間中の魔獣への警戒、寝心地の悪い寝床、好きな物が好きなときに食べられない食事、長時間の歩行、故郷に残してきた者達との別れ。
今まで閉じたコミュニティーの集落において家族間でぬくぬくと暮らしてきたマーレン族達にとって、これらは予想外の打撃であった。
疲れ果てながら進路を進み、心休まらない就眠時間を過ごす。
朝起きてからも、当然前日までの疲労感が消え去ることはない。
心身共に弱りつつあるマーレン族達は、日を重ねるまでもなく、一時間ごとにどんどんとペースが落ちていた。
「み、皆さん、しっかり歩いてください! こうしている間にも、兄様は……兄様は、きっと寂しがっているはずです! どこか知らない地で一人、苦しんでいるのかもしれないんです! お願いします!」
ジゼルが目に涙を湛えて頭を下げる。
最初の日はその健気な姿に元気を絞り出していたマーレン族達であったが、大半の者はもうすっかり限界が来ていた。
「俺はもうきっと……集落へは帰れないんだ……野垂れ死ぬんだ……」
「見てくれ……ふふっ。妻と娘と息子を模して、オーテムを彫ってみたんだ。馬鹿なことをしたなぁ……あいつらほったらかして、香煙葉のためにアベルを捜すなんて……バチが当たっちまったなぁ……」
初日の覇気は既にない。
十七人中、成人の儀を迎えていない者はジゼルを含めて四人だけなのだが、集落で長く生きてきた大人達の方がダメージが大きいようであった。
ある者は嘆き、ある者はへばって動かなくなり、ある者はオーテムを抱いて涙を流していた。
マーレン族達は、今まで自分達がいかに恵まれた環境にいたのかを理解した。
外がここまで過酷なものだとは思いもよらなかった。
離れた故郷を想い、ただただ自らの愚かさを悔いていた。
マーレン族には、マーレン族の集落を離れてはならないという掟があった。
また、マーレン族の集落を離れた者は、必ずや後悔するという伝承が残っていた。
「あれは……あれは、このことだったのか……外の世界がこんなにも苦しいところだったとは、知らなかったのだ……」
また一人の男の目から、一筋の涙が伝う。
そのまま目を瞑り、「我らマーレンの先祖の霊よ、許しを……」と言って左手で宙に十字を切った。
マーレン族が先祖の霊に許しを請うときの決まり文句である。
「ま、まだ三日目じゃないですか! 兄様は、一人集落を離れて、どれだけ……本当ならもう森を抜けているはずなのに、こんな……」
ジゼルは自分の意思でついてきて士気を下げまくった挙句進行も遅らせ続ける彼らに、普通に怒りを覚えていた。
魔導書シムを抱えている腕をワナワナと震わせる。
「お、落ち着いてジゼルちゃん! 落ち着こう! みんな疲れてるんだって! 俺も結構疲れてるから、今日は休憩に徹したらどうかなって……」
「シビィさん、何を……! シビィさんまで兄様のことなんてどうでもいいって言うんですか!」
「い、いや、そっちの方が、効率いいと思うんだって! ね? 連日歩いて疲れてるんだよ。疲れてるから、ネガティブに考えちゃって……」
「でも、一刻も早く……そうだ! フィロさんも、早く兄様に会いたいですよね? そうですよね? 私、知ってるんですからね! フィロさんも兄様が……」
そう言ってジゼルは、フィロの方へと目をやった。
フィロは石の上に身を縮めて丸まって座り込んで震えていた。
目が脅えきっており、ぶつぶつと口を動かしている。
「アベル……アベルゥ……」
「…………フィロさん?」
マーレン族は、ストレスと環境の変化に極端に弱かった。
ディンラート王国の元秘密兵器の面影は今やない。
王族に放置されて戦争に駆り出されることがなくなってから世代交代を跨ぎ、何の脅威に晒されることもなく平和を享受する日々を送る中で、彼らは色々と脆くなっていた。
狩りは個人差の大きい魔術ではなく弓矢を用いるようになり、民族の象徴でもある強力な魔術の媒介であるオーテムは、儀式用兼インテリアにまでほとんど成り下がっていた。
マーレン族は、野菜の盗難事件が発生しただけで族内首脳会議が開かれるほど平和な集落なのだ。
因みに、犯人は後にホルビットという種の、角の生えた兎であったことが発覚した。
「休もう……ジゼルちゃん、ね? ジゼルちゃんほど皆、意志が強くないっていうか……いや、アベルさんのことは大事だよ。アベルさん軽視してるわけじゃないだけど本当に……」
ジゼルはシビィに声を掛けられ、がっくりと項垂れた。
「シムさんは……」
ジゼルは抱えている魔導書をぺらりと開き、新しく浮かんでいた精霊語で書かれた文字へと目をやる。
「…………わかりました、シムさんもそう言うのなら」
ジゼルは魔導書の判断に従い、今日は休憩に専念することにした。
――翌日、森に大雨が降った。
地面は泥で滑り、横殴りの雨が視界と体温を奪う。
マーレン族達は魔術で土から雨除けを作り、中央に火をつけて一か所に集まってガタガタと震えていた。
「わ、我らマーレンの先祖の霊よ、許しを……」
「先祖の霊が怒っているのだ!」
「フリオー! シスカー! すまない! 父ちゃんは帰れそうにないすまない!」
大半のマーレン族はひたすらオーテムに頭を下げ、許しを請い続けていた。
ジゼルはシビィに指示を出して手伝ってもらいながら、オーテムへ必死に魔力を注いで雲避けの魔術を行使していた。
しかし、顔は半泣きになっていた。さすがのジゼルもこの大雨には心を抉られていた。
「リ、リルちゃん……雨……いつ止みそうです?」
リルはアベル捜索の旅についてきた数少ない子供の一人である。
アベルに縁はなかったが、占術師の家系であったため連れてこられたのだ。
「ヤダーあたし帰りたい、もうヤダー!」
しかし、リルは占術を行える精神状態ではなかった。
「に、兄様ぁ……」
ジゼルはアベルのことを想いながらどうにか精神を保ち、雨雲を頭上から追い出す作業に専念していた。
ジゼルの魔術の甲斐もあって、午後には雨が止んだ。
しかしアベル捜索部隊は内部で意見が割れて七人が帰ると主張し、逃げるように集落の方向へと走り去ってしまった。
ジゼルはその背を恨みがましげな目で見つめていた。
「し、仕方ないよジゼルちゃん……あの人たちはあれ以上居ても、仕方なかったと思うし……」
シビィの言葉はもっともである。
ジゼルも、これで移動がスムーズになるはずだと気を取り直した。
「あたしも帰る! あたしも帰りたい!」
「リルちゃんは、兄様を捜すときにどうしても必要なんです! お願いします!」
ただ、リルだけは帰宅が認められなかった。
目的がアベルの捜索である以上、占術師であるリルは欠かせなかったのだ。
十七人中、残るは十人。
アベル捜索の旅から四日目にして、アベル捜索部隊は半壊の危機にあった。




