三十八話 水神四大神官①
ベッドで眠っていた俺は、大きな破壊音を聞いて目を覚ました。
先日のように、何かがこの部屋へ入り込んできたのだ。
俺は慌てて杖を手に握り絞めながら、ベッドから飛び降りて床に着地した。
そのまま、音の方向へと杖先を向ける。
『একজন!』
人や通常の魔獣の者とは明らかに違う、恐ろしい鳴き声。
それに加え、断続的に何かを叩き付け続けるような打撲音が聞こえてくる。
俺が設置しておいた護身用オーテムが、青白い光を放つ獣へと体当たりを繰り返していた。
獣は絶叫を上げながら、腹部を上に向けて必死に許しを乞うている。
オーテムが回転しながら飛び上がり、獣の腹部を抉った。
獣はびくんと大きく身体を跳ねさせると、無数の小さな光の球へと姿を変え、空気に混じるように消えて行った。
「精霊獣……」
ぽつり、俺は呟く。
精霊獣の定義は多いが、一般に精霊が集まって一個体の生物となったものの中で、危険度の低いものを示す。
複雑な魔法を有していないか、言語能力を持っていないか、簡単な動物の姿を取っているか……など、地方や時代に依存し、明確な判断基準はやや異なる。
下級悪魔と同類に見なされることもある。
要するに、複雑な力を持たず、言語能力を持っていない、簡単な動物の姿を取る傾向にある下級悪魔の総称であると考えておけば間違いはない。
稀に判断の難しい個体もあるが、スイカやイチゴが野菜か果物か程度の話である。
ぶっちゃけどうでもいい。
この間の俺が風邪を引いたときに襲撃に来たのも、恐らく精霊獣だったのだろう。
道理で仕留めたはずなのに見失ったはずだ。
身体が維持できず、精霊に分散していたのだろう。
敵がハーメルンを使っていた時点で、気が付くべきだったのだ。
そういえば、魔獣被害の際に精霊獣による被害も報告されていたような気がする。
相手は、精霊使いだ。
「精霊獣が二体に、高位悪魔のハーメルン、か……」
精霊獣や悪魔から召喚紋をもらい、使役するのは簡単なことではない。
俺も一回無理に召喚紋を迫り、勢い余って悪魔を消滅させてしまったことがある。
魔力の傾向、質、波長が合っていなければ、そうそう簡単には召喚紋はもらえないものなのだ。
今飼っているハーメルンも、俺が魔力を上げているときは嬉しそうに寄ってくるのに、召喚紋をくれる様子は一切ない。
それくらい奴らは繊細なのだ。
だからこそ、一度召喚紋を与えた相手には懸命に付き従うというが。
「三体も従えていたとは、相当悪魔の扱いを心得てるんだな……羨ましい。コツとか教えてくれないかな」
もっとも、その三体もこれで始末は完了したはずだが。
しかし、なぜこのタイミングで襲撃を掛けてきたのか、その意図がわからない。
一度失敗した、ということは向こうもわかっているはずだ。
これからも退くつもりはない、という徹底抗戦のアピールだろうか。
そう考えていたところ、館の他の場所からも悲鳴が上がった。
いや、それだけではない、領民達の家の方からも悲鳴が聞こえ、遠くに精霊獣が駆けているのが見えた。
さすがに驚いた。
一体、何体の精霊獣を使役しているというか。
それに今村全体を襲撃することで、どういった結果を引き出したいのかも予想がつかない。
諦めて、自棄になって攻撃へ移ったのか?
そんな短絡的な行動を取る相手だとは思えなかったのだが……。
とにかくメアと……屋敷内の人間の無事を確保しなくてはならない。
それから領内の人間も、だ。
「হন」
俺が唱えると、部屋内に十三の魔法陣が浮かび上がり、同数のオーテムが現れる。
世界樹製とは違い、通常の木から作ったオーテムの転移には、膨大な魔力を要する。
しかし、これらのオーテムはすべてファージ領内にあったものなので、俺の魔力ならばまだ許容圏内である。
少々痛手であることには違いないが。
「পুতুল দখল」
再び俺は十三の魔法陣を展開してオーテムを操る。
十体のオーテムを割れた窓から飛び出させ、残りの三体のオーテムを館内に走らせる。
すぐに館の中から精霊獣の絶叫が響いた。
俺は廊下を走り、メアの部屋へと入った。
「おい、大丈夫……」
メアはベッドの上で毛布に包まりながらガタガタ震えており、その両側には二体のオーテムがクルクルと回っていた。
「あ、アベル……良かった……。もうメア、駄目かと思っちゃいました……」
メアは声を震わせてそう言い、毛布をぐるぐると体に巻いた歩き辛そうな恰好のまま立ち上がり、ヨロヨロと俺の傍まで寄ってきた。
外側の壁は大穴が空いている。精霊獣が体当たりで突き破ったようだ。
メアは精霊獣から襲われ、脅えているようだった。
俺はとにかく安心させようと思い、メアの肩に手を置いた。
「妙な魔獣を見たんだな? 」
「い、いや、さっきメアの部屋に……あの、青白く光っている狼が、二体入り込んできていて……」
二体?
俺の部屋にも、一体しか入り込んでいなかったのに……。
「そいつらはもう逃げたのか?」
「……あそこで回ってる二体のオーテムが踏み潰しました」
メアが示した先へと俺が顔を向けると、二体のオーテムは勝利の舞を踊っていた。
「……そうか、それは良かった。いや、あれは俺が操ってる奴だから、心配しなくてもいいぞ」
俺が杖を向けると、オーテムは他の精霊獣を探して壁の穴から外へと出て行った。
……ラルク邸、すっかり風通しがよくなっちゃったな。
その後もドォン、ドォンと下の方から大きな音が響き、続いて精霊獣の断末魔の悲鳴が上がった。
館内の人間と合流した。
ラルクとその親族が三人、住み込みの使用人が三人……そこに俺とメアを含め、計九人の人間が集まった。
怪我を負った者はいるが、命に関わる程ではない。
「アベル殿の木偶人形だったのだな。いや、助かった。まさかこれ程多くの魔獣が、領内に入ってくるとは……」
「アベル様の木偶人形がなければ、本当に、危ないところでした。ありがとうございます……」
「あの人形、王都の職人が作った一級品の楽器をぶん投げて壊してたような……」
「ありがとうございます! アベル様がいなければ、どうなっていたことか!」
ラルクの親族や使用人から、口々に礼を言われた。
ただラルク自身は、顔を青くしてオロオロしていた。
「マ、マリアスがいない……」
その言葉を聞き、館内の人達が皆表情を暗くし、目線を落とす。
残った使用人の顔ぶれの中に、マリアスはいなかった。
ようやく敵側の思惑が見えて来て、納得がいった。
「安心してください、殺されてはいないはずです。恐らく……えっと、人質に取ったのでしょう」
「人質?」
「ええ、メアの部屋にも二体の精霊獣が飛び込んできたそうです。俺に対してカードになると考えて、優先的に襲おうとしたかもしれません」
俺に精霊獣を嗾けたのは、ラッキーで不意を突けないかと考えてのことだったのだろう。
何体向かわせても無駄になると考え、一体しか差し向けなかったのかもしれない。
「恐らく……村からも、何かしらの影響力のある人間が連れ出されているはずです。人を咥えて逃げた精霊獣を見た者がいないか、聞いて回ってみましょう」
わざと逃げた先を見せつけているはずだ。
恐らく……この襲撃は、俺に対しての果たし状である。
このままでは領地が完全に持ち直してしまうと判断した相手が、俺との直接対決へと持っていこうとしているのだろう。
精霊獣を嗾けて確実に領民から死者を出すこともできるのだぞ、という脅しの意味合いもあるかもしれない。
何にせよ予想が当たっていれば、行方不明者が出ているはずだ。
その中にリングスが含まれていれば、もう確実と見ていいだろう。
ただそう考えると、一つ引っ掛かることがある。
俺がナルガルン、ハーメルン、イカロスを倒したことを承知の上で、俺との直接対決を望んている、という点だ。
まさか、まだ何か……再生ナルガルン以上の奥の手を隠しているのだろうか。
ここまで色々と問題はあったが案外スムーズだったので、どこか敵を甘く見ていたかもしれない。
俺も気を引き締めなければならない。
誘い出した先で、何か恐ろしい罠でも張っているのかもしれない。
十全に警戒しなければ。
「……アベル、顔、緩んでます」
メアが手で筒を作り、こそこそと俺に耳打ちをした。
慌てて表情を整えて前を見ると、ラルクが恨めしそうな目で俺を見ていた。
ご……ごめんなさい。




