二十五話 錬金術師団⑦
リノアとその部下の魔術師を引き連れ、ラルクの館へと戻った。
リノアが執務室の扉を叩く。
「む、すまぬが少し……十分ほど後にしてくれ」
ラルクからの返事が聞こえる。
「今は忙しいみたいですね」
俺が声を出すと、中から騒々しい物音が聞こえる。
ラルクが椅子が立ち上がり、扉へ近づいてきているようだ。
リノアが扉の前から退くのと同時に扉が開けられ、ラルクが現れた。
「リノアと……おおっ、君か! うむ、やはり合流していたのだな!」
……一応領主なんだから、もうちょっとどっしりと構えていてほしい。
俺の機嫌を損ねないか気を遣ってないだろうか。
だとしたら、居心地が悪いからやめてほしい。
執務室の中を覗くと、扉近くにユーリスが立っているのが見えた。
恐らく机を挟んで二人で話をしていたところ、ラルクが扉の方へと歩き始めたのでユーリスもその後を追いかけたところだったのだろう。
「……あの、先客がいたのでしたら、後にさせてもらいますけど」
「あ、ああ、だったら助かるのだが……えっと……」
ラルクがそうっとユーリスの顔色を窺うように振り返る。
……この人もそういや、元冒険者で今は私兵団のトップを務めていて、ファージ領の危機をどうにか遅らせてきた最大の貢献者だって聞いたな。
ユーリスにも頭が上がらなかったりするのか。
「わ、私はその……別に、そこまで大事な用ではありませんでしたから……」
ユーリスはラルクから目を逸らし、視線を床に落とす。
「え……いや、でも……」
「いえ、いえ、お気遣い、ありがとうございます……」
やや早口に言って礼をし、そそくさと出口へと向かう。
俺達と顔を合わせると礼をし、早歩きで去って行ってしまった。
「……何の話をしていたんですか?」
尋ねていいのか悪いのか判断がつかなかったが、好奇心に負けてそのまま疑問が口に出た。
「ああ、いや……私兵団員の多くが、一度ファージ領を出たいと口にしていて……それはまぁ、予想していたことなのだが。そのことについて私が不安がっていないか、様子を見に来てくれていたのだ。自分は何があっても残るから、安心してくださいと言ってくれてな」
ラルクは赤毛の髪を人差し指で掻きながら、ユーリスが走って行った方へと目をやる。
俺も思わず、同じ方へと目をやった。
すでにユーリスの姿はない。
……や、やっぱりタイミングが悪かったか。
ラルクがユーリスを気遣う素振りを見せていたり、ユーリスの言葉がややぎこちなかった意味も分かった。
話を区切り難い空気であったことが容易に想像できる。
え、ていうか、ひょっとして恋仲だったり……。
「あそこまで恩を感じる必要などないのだがな。ユーリスに助けられたのは、私の方だというのに」
ラルクがしみじみと言う。
その言い方に特に含みは感じなかったので、あっさりと俺の仮説は崩された。
ユーリスの方はともかく、少なくともラルクにはまったくそういう意識はなさそうだ。
「領主さんもそうですけど、ユーリスさんも幸薄そうですね……」
俺と同じことを考えていたらしいメアが、小声で洩らした。
ラルクには気付かれないよう、小さく頷いた。
「……あれ、そういえばマリアスさんは?」
使用人にしては、館を出ている頻度が多いような気がする。
最初に会ったときはラルクの自殺を全力で止めていたりと、大分仲がよさそうに見えたのだが。
「ん? え、ああ……あの娘には、買い出しを中心に、外出の用事を任せるようにしているんだ」
顔を赤らめ、照れを隠すように苦笑いを浮かべる。
ユーリスの話のときとはえらい違いである。
「そ、そうですか……」
「……あの娘はナルガルンのせいで、父親を亡くしていてね。まだ気持ちの整理もついていないようだから、なるべく墓参りの機会を作ってあげたいんだ」
本人のいないところで勝手に広めるような話ではなかったね、とラルクは口許を押さえる。
マリアスが外出用事の合間に、父親の墓場に寄れる時間を作ってあげているのだろう。
……その気遣いを、もうちょっとだけでいいのでユーリスさんにも回してあげてください。
廊下での話し合いもなんだと執務室の中へ移動し、ようやく話したかった本題に入ることができた。
「実は、以前保留になった申請書に判をもらえないかと」
俺が切り出すと、ラルクの顔がわかりやすく引き攣った。
どうにか笑みを象ってはいるが、心中での葛藤が薄っすらと窺える。
俺は以前、三十八枚の申請書をラルクに提出し、その内五枚に保留の判断をもらっている。
三十八枚中のたった五枚とは思うかもしれないが、魔術に関する大事な部分が多く、イカロスとの短期決戦を目指すに当たり、やや足枷になっている。
「…………」
「何も全部、とは言いません。多分、この申請書を見て、警戒してこっちの許可を出すのも怖くなっちゃったんですよね」
一枚の紙を五枚の中から抜き取ってラルクに見せる。
「……あ」
図星だったらしく、紙を見ながらぽつりと言葉を漏らす。
俺は更にもう一枚、やや危なく見られかねない申請書を外す。
「この三枚……今、この場で判をもらえませんか? 実は先ほど領地に帰ってきたとき、つい熱くなってイカロスと揉めてしまい、やや立場を悪くしてしまいまして……。どうしても、早急にこちらの許可が必要になってしまいました」
「でもアベル、わざと受け身になって煽らせたって……」
俺はメアを振り返り、目を見ながら小さく首を振った。
メアは何かを察したように黙った。
「……は、半日ほど考えさせてくれないか?」
「それだと、領地復興の大きな障害であるイカロスを取り除く機会は、多分半年ほど先延ばしになるかもしれません。ナルガルンの首も持っていかれてしまいます」
「う、うう……そう、だよなぁ……」
ラルクは頭を押さえ、肘を机に置く。
俺から三枚の申請書を受け取り、目を細めて中身へと目を通す。
「う、う~ん……」
内容の再確認は時間稼ぎで、今の間に答えを出したいと、そう考えているようだった。
ラルクが悩むのは想定済みである。
そのためにリノアを連れてきた。
「その三枚に関しては、まず問題はない。アベル殿の滞在日数の浅さが気になるなら、あーしの方に主導権限を出してもらえれば」
リノアが手を挙げて言う。
「アベル殿は単純な威力だけじゃなく、複雑な魔術に関してもあーしより遥かに理解がある。信頼してもいい」
「なるほど……リノアがそこまで言うのなら……」
ラルクが俺へと手を伸ばす。
よし、憂いは取り払われた。
俺は心中でガッツポーズをしながら、ラルクへと三枚の申請書を渡す。
「因みに、リノアさん的にはこっちの二枚は……」
また援護射撃がもらえないかと、期待の眼差しを向ける。
無言で首を振られた。
「これは何について書いてあるんですか? やけに勿体ぶった書き方で、よくわかりませんけど……」
リノアの部下の魔術師が、俺の申請書を覗き見て首を傾げる。
「一歩間違えたら、戒律違反で王国騎士団が領地ごと焼き払いに来る」
リノアが言った瞬間、執務室内中の視線が俺に突き刺さった。
ラルクもそこまで酷いものだとは理解していなかったらしく、判を持っていた手を止めて顔を青褪めさせる。
も、もうちょっと信頼してくれても……。




