二十四話 錬金術師団⑥
「アベル、アベル! 大丈夫ですか!?」
「な……なんとか……」
メアが俺に呼びかける声を聞き、俺は必死に意識を保つ。
周囲で停滞している雲が予想外に多く、雲寄せの効果があり過ぎたせいで、集中豪雨となってしまった。
魔術でどうにか散らして調整はしたのだが、それでも大雨の勢いが止まるまではもう少し時間が掛かりそうだ。
リノア達は傘を用意しており予備の分を貸してくれたが、雨が凄まじすぎて完全には防ぎきれない。
大粒の雨を受け、身体から熱が損なわれていく。
冷気が確実に俺の体力を蝕んでいた。
メアが肩を貸してくれなければ、雨粒に打ち倒されていたことだろう。
「さ、寒い……マジで寒い……」
俺とは違って、魔術師達はなんとも元気なことだった。
「雨だぞ! うはは、本当に雨だ!」
「イカロスの奴、さぞ悔しがるだろうなあ! 戻ったら真っ先に顔を見てやらなくちゃ!」
……なんであの人達、あんなに元気なんだ?
魔術師ってもっと身体弱い人ばっかりだと思ってたんだけど、俺だけなのか?
俺は空いているスペースに向けて杖を振るう。
「হন」
魔法陣が浮かび、大きな黒いオーテムが現れる。
毎度お馴染みのアシュラ5000である。
俺はメアから腕を外し、アシュラ5000の口へと入り込む。
アシュラ5000の内部にはちょっとした空きスペースがあるのだ。
ここならば、雨風は当たりはしない。
「アベル……?」
「বাধাসজ্জা」
アシュラ5000が、暖かな光を纏う。
それに伴い、内部の温度も上昇していく。
俺だけ完全防備で悪いが、この状態で帰らさせてもらう。
アシュラ5000をそのまま自動モードにし、錬金術師団と共にファージ領の村へと向かった。
濡れた身体で生ぬるいオーテムの中にいるのはなんとも気分が悪かったが、この大雨の中を出歩くよりはずっとマシなはずだ。
ガタゴト揺れるのも合わさって、あまりいい心地ではなかったが。
次は地面を擦って等速運動をするオーテムを彫っておこう。
「……ああ、リノアさん」
帰路の途中、俺はアシュラ5000の内部からリノアを呼んだ。
リノアが近づいてきて、やや警戒気味にアシュラ5000の口から俺を覗く。
「なに?」
リノアはやや顔を顰め、「生温か……」と小声で続ける。
「いや、外部からファージ領に何か仕掛けてる人間がいるかもしれないってこと、できればあんまり広めないでほしくて」
俺は他の人に聞こえないよう、声を潜めて言う。
リノアは、雲寄せの魔術に対する妨害があることに、薄っすらと気が付いていたようだった。
あの露骨な雲の動きを見て、完全に裏付けられただろう。
「あの空見たら、勘のいい領民なら気付き始めててもおかしくないけど?」
「なるべく誤魔化す方で動いておいてほしい。個人的に俺が疑ってる奴がいるんだけど、もしも当たってたら、ちょっと厄介なんだ。下手に追い詰めたら、何をするかわからない位置にいる。泳がせて自発的に逃げてもらうか、仕留めるなら一気に仕留めたい」
「……誰?」
「俺が個人的に疑ってるだけだし、外してて下手に広まったら大変なことになるから、まだ話したくはない。あと……領主さんにも、黙っておいてほしい」
どういう過程かは特定できないが、領主と私兵団の間で決めた作戦が、事前に漏れていたことに間違いはない。
だからこそ、集合地点をハーメルンに狙われたのだ。
たまたま漏らしてしまっただけかもしれないが、領主側の人間の中に敵が潜り込んでいないとも限らない。
「…………」
リノアは少し黙ったが、「わかった。あーしから、団員にもそれとなく伝えておく」と返してくれた。
さっきの実績で、多少は信頼を得たのかもしれない。
村に戻ると、領民達が傘を差して集まっていた。
雨は調整の効果が現れ始めてマシにはなってきているとはいえ、よくもこの天候の中これだけの人数が揃ったものだ。
皆、表情は一様に明るい。
「リノアの一派が戻ってきたぞ!」
「やっぱりあいつらが降らせたんだな! ついにやったんだな!」
外の様子はよく見えないが、歓声があげられており、その中にはたびたびリノアを讃える声が混じっている。
イカロスが散々リノア達に雨乞いを押し付け、責任逃れのために広めたせいで、逆に成果を上げたのか誰なのかわかりやすくなったのだろう。
「この人の協力で……この人……」
リノアが、言い掛けた言葉を途切れさせる。
困惑というか、何か迷っているようだった。
外の様子が見えないので、何を悩んでいるのかいまいちわからない。
何が起こったのだろうと思い、俺は身を屈めてアシュラ5000から首を出そうとする。
「人……?」「人っていうか……え、人?」
「なんだあの不気味な人形」
「あれは俺の命を救ってくれた戦神様だぞ!」
……だいたい察した。
俺はそうっとアシュラ5000から身体を出した。
「あ……誰か、傘持ってきてもらえます?」
俺の呼びかけに応じるかのように、大きな人影が他の領民達を押し退けて前に出てくる。
その乱暴な手つきに倒された領民が文句を言おうとするが、その人物を見て口を手で押さえて黙る。
俺にとっても見覚えのある男だった。
錬金術師団の団長、イカロスである。
大分機嫌を損ねているのではないかと思っていたが、顔に皺を浮かせ、満面の笑みを作っている。
気色悪いほどに。
取り巻きの魔術師達を後に連れながら、ズンズンとこちらへ近づいてきた。
「おお、おお! 素晴らしい! あれほど難航していた雲寄せの魔術を成功させてしまうとは! 流れ者が一人加わっただけで成功させてしまうとは、いやいや……私の教育不足が浮き彫りになってしまったようで、不甲斐ない……そう思わないか、リノア副団長?」
イカロスが大きな声で言う。
先ほどまで明るい雰囲気であった領民達も、水を差されて空気が悪くなっていく。
「もっとも、あれほど干ばつ続きだったのだから……雲の流れからしても、そろそろ何もせんでも降る頃だとは思っていたが……や、そんなことは関係ない! めでたいことに違いはない!」
この場を支配していた熱は、ほとんど冷めきっていた。
イカロスの魔術の腕は見たことがないのでなんともいえないが、とりあえず嫌がらせは一流だということはよく再認識した。
こいつを短期間で引き摺り下ろすのは、思ったより苦労しそうだ。
強引に動けば、死なば諸共と盛大に禍根を残していってくれそうだし……。
成果を出そうにも、毎回こうやって潰されていては堪ったものではない。
領民の大半は魔術に関する知識が浅いから、結局権威のあるイカロスに後付けで誤魔化されてしまう。
せっかく人が集まっているこの場だ。
何か、付け入る隙を作っておきたい。
「……よく言いますね、今まで責任を被るのが嫌で、リノアさんに押し付けていたっていうのに」
俺はアシュラ5000から這い出ながら言う。
雨が身体に当たる。
メアがそそくさと俺の横に移動して傘を差してくれた。
「んん? 俺がリノアに、押し付けた? はははは! そんなふうに聞いていたのか! いいか、俺は魔術での領民への水の供給と、新たな作物の開発で忙しいのだ。こっちの方が、急を要するからな。だというのに、散々ヘマをやらかした挙句……俺が押し付けたなど、そんなことを言っていたのかリノア殿は! いや、感心せんなぁ……」
イカロスは言いながら、取り巻きの魔術師達を振り返る。
彼らもイカロスに相槌を打ったり、嫌な類の笑いをリノアに向けていた。
リノアの部下の魔術師達は俺を見て、必死に手振りで下がるように指示を出してくる。
「アベル殿! 気持ちはわかりますけど、ここは退いた方が……」
確かに、イカロスの屁理屈オヤジに口で勝つのは難しそうだ。
しかしここで布石を置いておかなければ、短期決着は臨めない。
俺は口惜しさを堪えきれないと言わんがばかりの表情を作って唇を噛み、再び突っかかる。
「そ、そんなに時間が掛かるものなんですか! その……作物の、開発は。自分は、そっちの方面には明るくはないので、よくはわかりませんけど……」
最初は意気込み、途中からやや語調を弱める。
一瞬イカロスの口許が緩んだかと思うと、次の瞬間には怒りの形相へ変化していた。
「よくわからないのなら黙っておくがいい! 俺を侮辱しているのか? 作物の開発に、時間が掛かるのがおかしい? はぁ?」
イカロスは俺の言葉を恣意的に曲げて繰り返した。
俺は、おかしいなどとまでは言ってはいない。
「そんな簡単に効率よく育つ作物が開発できれば、とっくに世界中を埋め尽くしておるわ! 魔術によって、新たな種を生み出す……神の領分をも侵す、錬金術の極致だぞ? 貴様は、神か何かにでもなったつもりか! 魔法術式に関してだけではなく、自然界についての深い知識も必要とされる! 賢者と称される俺の知識を以てして、ようやくスタートラインに立てはする! だが、膨大な知識の中から更に膨大な仮説を立て、そこからあらゆる結果を考えての試行錯誤の繰り返し! 植物は育つのも遅いため、結果を知るのにもまた時間が掛かる。こういった錬金術の困難さは、歴史書から魔術書、様々な書物で言及されているというのに……」
イカロスが大声を立てて怒鳴る。
俺は驚いて言葉を返すのも忘れ、唖然と聞き入る。
「それを……それを、時間が掛かるのかおかしいだと? おかしいのは貴様の頭だ。貴様、本当に魔術師か? というか、これまで何をして生きてきた? ああ……こんな、こんな……はぁ……。ナルガルンの首を拾って来たし、魔獣の間引きでも貢献したというから多少は腕の立つ者かと思っていたが……浅い、浅い、魔術への認識も、そもそも根本的な地頭も悪すぎる……はぁ……」
首を拾って来た、という言い方が、暗に『倒したのではないだろう?』とでも言いたげなふうだった。
自分が疑っているというよりは、領民達の考え方をそういった疑惑へと誘導することが目的のようだった。
「い、いえあの……」
「ああ、もういい、もう、もういい、喋るな。はぁ……」
イカロスは領民達に見せつけるように落胆を示し、身体を翻して去って行く。
その後に続き、取り巻きの魔術師達もついていく。
「いや、同じ魔術師として恥ずかしいですねイカロス様」
「魔術といっても、魔法陣を好きに調整できる賢者と、そうでない魔術師では大きな開きがあるが……いや、いっそここまで無知とは……」
最後の最後まで、嫌味を残していってくれた。
領民達の視線が突き刺さる。
……この場の最悪の空気、どうしてくれようか。
リノアの部下の魔術師の一人、ジャガーが俺の肩へと軽く触れた。
「アベル殿よぉ……腹の立つ気持ちはわかるけど、あれを言い負かすのは絶対に無理ですぜ。反論したって、こうなるのがオチだ」
ジャガーも経験があるのか、苦々しそうに口を歪めた。
「ああやって、嫌味の応酬で隙を作ってから怒鳴ってペースを奪うのが常套手段なんだよ」
やっぱり、あのわざとらしい怒鳴り声は演技か。
弱気を装ったら口許が笑ったから、怪しいとは思っていた。
「……本当に、嫌な奴でしたね。でもアベルにしては、早めに引きましたね。メア的には、アベルは魔術のことだったら、もうちょっと怒りそうな気がして……いえ、粘ってほしかったわけじゃないんですけど」
俺も抑えた。
さっきの場は、イカロスから言質を取るため、敢えて隙を作った。
あそこまでここぞとばかりに叩き込んでくるとは思わなかったが、言われれば言われるほど都合がよかったので、さして腹は立たなかった。
「無駄ではありませんでしたよ。言質はしっかり取りましたから」
「ああ? 言質……どういうことだ?」
口で勝てなければ、負けることを前提に動けばいい。
勝ち筋が見えれば、それが地雷だと思わなければ、突っかかってくるはずだと考えていた。
俺は先ほどの言い争いで、わざと魔術での新たな植物の開発にまったく知識がないように振る舞った。
それに対してイカロスは、ここぞとばかりに如何に魔術で新たな種を作ることが難しいかを熱弁してくれた。
「明日中に、イカロスのグループより先に新しい作物を開発しましょう」
作物開発はイカロスの権威を保つ最後の砦である。
ラルクも確か、そういうふうに言っていた。
領民の希望である作物開発という課題を抱えているからこそ、これまでの振る舞いがすべて容認されてきたのだ。
この点を崩せば、イカロスの派閥や支持は崩壊する。
ナルガルンを引き渡す約束の日付は明後日である。
それまでにイカロスの権威を奪うには、明日中に作物開発を熟すしかない。
言い逃れの目も潰すため、イカロス自身の口から散々作物開発の困難さについて述べてもらい、ついでに対立関係もはっきりと示してもらっておいた。
俺もまるっきり腹が立っていないと言ったら大嘘になるし、せいぜい自分の言葉で苦しんでもらおう。
「な、なぁっ!? 明日中に!?」
俺の言葉を聞き、リノアの一派の魔術師達が、皆声を揃えて驚く。
とりあえず領民達の視線と雨が気になる俺は、そっとアシュラ5000の口へと入って隠れることにした。
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