十一歳①
また二年の月日が流れた。
俺はもう十一歳であり、ジゼルも九歳である。
風邪の熱に浮かされて魔術はもうやめると心に誓ったこともあったが、喉元を過ぎれば熱さなど忘れてしまうものだ。
思えば懲りたのはせいぜい翌日くらいだったか。
今日も俺は魔術の鍛錬に励んでいた。
俺は既に、一部の分野によっては族長を超えている。
俺がここでできることにはもう限界が見え始めてきていた。
俺はやはり、もっと外の世界を知るべきなのだ。
この集落に留まっていてはいけない。
最近、たまにそんなことを感じる。
「アベル! 狩りに行くぞ、アベル! 出てこい引き籠り!」
父が部屋のドアを叩いてくる。
だが、無駄だ。
部屋には強固な結界が張ってある。
族長クラスでなければ、外部からの解除は不可能だ。
父には悪いが、魔術の研究のため、数日ほど引き籠ると決めている。
この世界に魔術があることを知ってから、いつかは使ってみたいと思い続けていた魔術があるのだ。
それが八割方まで完成している。
もう一気に完成させてしまいたい。
俺の決意は固い。
「申し訳ございません、今は忙しいのです。狩りならオーテムを貸しますが?」
そう、俺はついにオーテムに狩りをさせる魔法陣の開発に成功していた。
魔法陣に複雑な対応反応を幾つも組み込んでいるため、『付いてこい』や『待て』などの簡単な命令にも反応する。
声に反応して動作を取るだけなので、魔法陣次第ではいくらでも命令を付け足せる。
事前に腕を大きめに作っておいて関節部が動くようにしておけば、弓を撃つことだってできる。
少ない魔力で効率的に動けるようにしているため、魔力を与えてから五時間は動かすことができるだろう。
弓術の精度もそこそこ高く、使用者に歯向かうこともない。
子供ひとりより遥かに役に立つはずだ。
族長にこの魔法陣を見せたとき、「神童じゃ! やはりアベルは神童じゃ!」と喜んでくれた。
最近ではよく、族長もこの魔法陣を使っているらしい。
ただ魔法陣が複雑で魔力の調整も難しいため、族長以外の人は使い熟せていないようだが。
「アベルよ、そういう問題ではないのだ! 何度言えばわかる!」
「大事な魔術の研究の途中ですから、集中力を乱さないでください! 残念ながら、これ以上扉を叩くならばこちらとしては防音魔術を使用させてもらいます!」
「ジゼルも寂しがっているぞ!」
「嘘です! ジゼルには事前に三日ほど引き籠ると言ってあります! ジゼルは我慢の利く子です!」
俺は言いながら、木の小杖を取り出す。
魔術は、ワンドを用いて使うことで精度や威力を上げることができる。
この木の小杖は俺が作ったものだ。
魔力を込めて術式を刻んであり、詠唱なしで魔法陣を宙へ転写することができる。
これを使うとひと手間省ける。
最初これを作ったときは我ながらよくやったと思ったのだが、族長は『転写の術式が組み込まれている杖は一般的なタイプじゃ。自力で作ったのは、さすがじゃがな』と言っていた。
ちょっと悔しかったが、ほとんどの魔術の基礎となる転写の術式を組み込むのは妥当なことだ。
俺以外がやっていてもおかしくはない。
そう納得すると同時に、やはり集落の外の世界も行ってみたいと、そう強く思ったのだった。
さてと、さっさと部屋を覆っている結界に防音を付加し、外部と完全に遮断してしまおう。
俺はさっと小杖を一振りし、魔法陣を生み出す。
「নীরবতা দি……」」
「本当だぞ! ジゼルが泣いておったぞ! 三日もアベルに会えんのは辛いとな!」
……そこまで言われると、こっちとしても辛い。
一応俺の代わりとして俺の顔に似せたオーテムを渡しておいたのだが、あれではやはり駄目だったようだ。
ちょっと様子を見に行ってみようか。
「でも、自分が部屋の外に出たら、そのまま狩りに引き摺って行く気なのでしょう?」
「当然だ」
「それだと本末転倒というか……ほら、ジゼルが可哀想だと思いませんか?」
「狩りから帰ってきてから相手をしてやればいいだろう」
「狩りって半日近く掛かりますよね? ジゼルのために出てきた方がいいって言ってるのに、それってちょっとおかしくありませんか?」
「三日も部屋に籠ろうとするアベルがおかしいのだ」
「ごもっともです」
納得はするが、賛同をするつもりはない。
「だいたいお前、トイレはどうしているんだ!」
「喋ると対策されるので嫌です。心配はご無用です」
転移の魔術を使えば、予め用意しておいた魔法陣のある場所へと瞬間移動することができる。
トイレとこの自室には、転移の魔法陣を刻んだオーテムを置いている。
転移は高等魔術であるため、俺が使えることを父は知らない。
トイレの転移魔法陣も、元からトイレにあったオーテムに刻んだので、そう簡単には気付かれないだろう。
そうそう仕掛けを暴かれることはないはずだ。
ただし、魔力がなければ転移先として機能しないため、五時間おきに補給しに行く必要がある。
転移には多くの魔力が必要であるが、トイレと自室程度の距離ならば、その程度の間隔で補給すれば充分にこと足りる。
これで完璧なはずだったのだが、ジゼルのブラコンぶりを舐めていた。
あの可愛い妹を泣かせたまま放置しておくというわけにもいかない。
「父が狩りに行ったら、その間に出ます」
「今日はお前が出て来るまで狩りには行かんことにした」
「自分はいいですが、母様が怒りますよ」
「怒らせたくなければ出て来ることであるな」
押し問答をしていても仕方がない。
俺は小杖を振るい、魔法陣を宙に浮かべる。
「仕方ありません。ひと段落ついたら出ますよ。少し待ってください」
「পুতুল দখল」
机に置いてあったオーテムに魔術をかける。
俺はそのオーテムを手にし、自室の扉へと置いた。
「今、何か呪文を唱えたか?」
「少シ待っデくだサい」
がくがくとオーテムの口が動き、俺の声を真似る。
口に特殊な仕掛けを施してあるトークオーテムだ。
族長の書庫に書いてあった理論を自分なりにアレンジして作ったものである。
ちょっと声調が粗いが、急ごしらえの魔法陣なので仕方がないか。
もっと声の精度やバリエーションを向上させるには、細かい調整が必要だ。
だが、これでしばらくは父を扉の前に引きつけておけるだろう。
「父様、ジゼルはいまどこにいますか?」
「ジゼル? ジゼルは今、庭に出ておるが……」
母は広場へ買い出しに行っていたようだし、だったら今はトイレも空いているな。
俺は部屋の隅へと移動してから小杖を振るい、魔法陣を宙に浮かべる。
声のボリュームを落とし、呪文を唱える。
「আম বহন」
杖先から出た光が、俺の身体を覆う。
光の眩しさに瞼を閉じる。
すっと浮遊感を覚えてから目を開けると、トイレの中に移動していた。
よし、これで大丈夫だ。
ジゼルの様子を見に行こう。
なんならジゼルを自室に置いておいてもいいかもしれない。
父が余計に騒ぐと思ってジゼルは引き籠り計画の道連れにはしなかったが、泣かせてしまうことを思えば、最初からこうするべきだった。
「アベル! まだなのか!」
二階から、父の声が聞こえてきた。
「少シ待っデくだサい」
「さっきからそればかりではないか!」
「少シ待っデくだサい」
……急いだ方がいいかもしれないな。
結構すぐにボロが出そうだ。