二十三話 錬金術師団⑤
思ったより時間が掛かかりはしたが、ついに六人の魔術師全員が自作のオーテムを持つことができた。
辺りには失敗作の残骸が転がっている。
失敗作の中には、恨みがましく顔に縦に線を引かれているものもある。
途中で一度、多少歪んでいても妥協しようかとも悩んだ。
しかしやっぱり後のことを考えると最初にきっちりと指導しておいた方がいいなと思い、作り直して最低限のラインには持っていってもらうことにした。
二人どうしても不器用な人がいたので、その人達の分は結局俺とメアが彫ることになったが。
他の五人がオーテムを抱えて達成感と焦燥の交えた表情で座り込んでいる中、一人平然とした様子のリノアが近づいてくる。
「……これで本当に、雲を寄せられるので?」
リノアが手にしたオーテムを小突きながら、尋ねてくる。
彼女は、六人の中で唯一オーテムのチェックを一発合格している。
そのため疲弊も少ないのだろう。
リノアのやや長い耳が、かすかに風に揺れる。
彼女の種族であるノワールは、手先が器用で意外と力が強いと聞く。
オーテム彫りも初めてにしてはなかなかのものだった。
こういう人材がほしかったのだ。
俺はオーテム彫りこそ自信があるが、それも世界樹の木彫ナイフがあってのことである。
力が必要となる金属や鉱石の加工となると、手も足も出ない。
今回の騒動で領地に恩を着せた後、ゼシュム遺跡の残骸を彼女に加工してもらうのも悪くないかもしれない。
何を作るか、どのように設計してもらうか。
拾ったその日から幾つか案は頭の中にあったが、具体的に詰めておこう。
「アベル、顔、緩んでます……」
メアがぼそりと俺の耳に囁く。
我に返って意識を戻すと、リノアが不審そうに俺を見ていた。
「えっと……今から何を作るかという話でしたっけ?」
言ってから、思考と口に出した言葉がこんがらかったことに気が付く。
へばっていた魔術師達が俺の言葉を聞き、また何か作るのかと絶望を露わにしている様が視界の端に映った。
「このオーテムの実用性」
リノアは首を振り、短く答える。
俺は咳払いをして気を取り直す。
「間違いなく……と言いたいところですが、不安要素はありますね」
俺は雲が、ファージ領近くに差し掛かる辺りから微妙に回避するような動きをしているのを目で追う。
流れはゆっくりであるし、ごくわずかな違和感でしかない。
しかし何かをされていることは、ほぼ間違いないと見ていいだろう。
リノアは俺の言いたいことがわかっているらしく、空の雲を睨んだ。
魔術師達は自作のオーテムを淀んだ目で眺めながら、溜め息を吐いて肩を落とした。
俺の言葉を予防線だと解釈し、あまり自信がないと判断したのだろう。
雲寄せ自体には絶対の自信がある。
しかしこういった魔術は、基本的に先手が優位である。
後手に回った身としては、向こうさんが雲散らしの魔術を維持するのに使っている媒体を破壊するか、じっくりと敵の魔術を見極め解析するのが正しい。
今回はこんな場面に時間を掛けてはいられないので、不利承知で挑ませてもらうが。
オーテムの素晴らしさを知ってもらうため、俺は最初は参加しない。
上手くいかなかったときにのみ参戦させてもらう。
それでも失敗した場合、そのときの手は考えてある。
最悪の場合はその辺に魔術で穴を掘って水を雪崩れ込ませ、大きめの貯水槽でも作ればいい。
「まぁ、ここまでやって試さないという手もないでしょう」
六人とも俺の従い、円形に並んで座ってくれた。
前にはオーテムが置かれている。
「では、俺の指示した通りの魔法陣と呪文でお願いします!」
俺が言いながら手を叩くと、六人が杖を振ってオーテムに向ける。
「পুতুলমেঘআসা」
六人の魔術師が同時に唱える。
杖から放たれた魔力の輝きがオーテムに入り込み、オーテムの目が穴がカッと光を放つ。
「な、なぁ、アベル殿、何も起きないんだが……」
一分ほど経ってから、魔術師の中の痩せた男が不安そうに言い、オーテムから顔を逸らして俺を振り返る。
彼はリノアから、ジャガーと呼ばれていた。
集中力が少々欠けており、オーテム彫りが上手くいかなかった二人の内の片割れである。
魔術師達の会話から察するに、ジャガーは魔術の腕もあまりいい方ではないらしい。
オーテム彫りは、集中力や空間把握能力など、魔術師としての腕が問われる面もある。
俺も幼少期はオーテム彫りで魔術の基礎を鍛えてきたほどだ。
ジャガーは最初は私兵として雇われていたが、錬金術師団の内部にリノア側の人間を増やす意図でこちらに回されたらしい。
「黙って、集中」
ジャガーの言葉に俺が答えるよりも早く、リノアが彼を注意した。
ジャガーは申し訳なさそうに頭を下げ、再び杖をオーテムへと向ける。
俺はジャガーが自分のオーテムを光らせたのを確認してから、空の雲を再び観察する。
ファージ領に向かってくる雲の流れが、だんだんと早くなってきている。
フラフラとファージ領に差し掛かる手前で進路を曲げていた雲が、どんどんファージ領に集まってくる。
魔術で人為的に介入されていたせいで、今までファージ領から離れていた雲が一気に押し寄せているのだろう。
目に見えて、四方から雲の群れが近づいてきていた。
「お、おお、おお……!」
ジャガーが杖を手から落として立ち上がり、向かってくる雲を見て涙を流す。
「来てる……今まで、近づいたら同じだけ離れていたあのクソ雲共が、ファージ領に来てんぞ! ほら、みんな!」
他の魔術師達も同じ気持ちらしい。
顔を輝かせて手を取り合っていた。
その目には、今後の領地回復の様が映っているかのような、希望に満ちた笑顔であった。
「これで、これで一番の問題だった水不足は解消されるはずだ! イカロスのクソ野郎にもひと泡吹かせられるぞ!」
「よかったぁ! 彫ってよかった! 彫り直してるときはなんかムカつくデザインしてると思ったけど、今見返すと天使に見えてきましたよ!」
魔術師達が手を取り合って喜び合う。
リノアは目を細め、彼らを諌めるように見回していたが、ふっと毒気が抜かれたかのように笑みを漏らした。
大方、魔術の再開を急かそうとしたのだろうが、今は喜びに浸らせておこうと考え直したのだろう。
「アベル殿、空! 空! はは、こんな凄いことになるなんて……!」
ジャガーがはしゃぎながら天を指差す。
「……確かに、物凄いことなってますね」
「え?」
俺が言葉を返すと、ジャガーは天を振り返って表情を曇らせる。
白と青。空が、二つに割れている。
そう錯覚するような光景だった。
雲が露骨にファージ領の近辺を避けているのだ。ある境目からまったく寄り付かない。
ぽっかりと、まるで楕円でも描くかのような人工的な形で、雲と空の境目が線を引いていた。
雲が集まれば集まるほど、それは露骨に浮かび上がっていく。
今まではあのライン差し掛かる手前で後退していたので、ここまで露骨になったことはなかっただろう。
反発力を押し退けて進んだ結果、雲を弾いている結界がくっきりと可視化されてしまった。
恐らく雲散らしの魔術を組んだ人間も、こうなることは望んでいなかったし、予測もしていなかったはずだ。
「な……なんだよ、あれ……絶対におかしいだろ……だって、あんな……」
ジャガーが声を震わせ、力なくその場にへたり込む。
雲は、一切境界線を越せていない。
人為的な介入がなされていることは間違いない。
リノアも唇を噛み、幼い顔つきに嫌悪を浮かべて雲の壁を睨んでいた。
「おかしいとは、あーしも思ってた。でも、まさか本当に……」
「かなり大掛かりですね」
俺なら別のアプローチで、もっと上手くカモフラージュしつつ単純な術式で熟してみせる自信がある。
こんなにあからさまに露呈されては、俺が領地に害をなしている人間がいると掴んでいることが、術者にも筒抜けになってしまいかねない。
せめて誤魔化すための自壊術式でも組んでいてくれたらよかったのに。
そういう意味では一本取られたかもしれない。
「……こんなに複雑で大掛かりな魔法陣、あーしも、見たのは二度目。一度目は、ナルガルンの再生の術式」
リノアが悔しそうに零す。
「ん?」
発言を別の意図で拾われた気がする。
「な、なぁ、あれ、どういうことなんだ? 副団長殿達は、何か掴んだんですよね? その様子だと、ね? そうだ、魔法陣に何かミスがあったとか……」
ジャガーが、顔を引き攣らせながら声を掛けてくる。
これはそんな大袈裟なことではなかったのだ、ちよっとした手違いなのだ。
そう自分を必死に誤魔化そうとしているかのような言い方だった。
「……アベル殿、よくやってくれた。今あーし達にできるのは、この件を領主様にきっちりと報告する、それだけ」
リノアはジャガーの言葉に対し、首を振って否定する。
「そ、そんな! 俺達が今まで苦心してやってきた、雲寄せの魔術はなんだったんですか? あの、あの壁はいったい……?」
「わかってるはず。あれは、結界。それも、かなり高位の水魔術。この領地は狙われている。ラルク様に、このことを報告……」
「あんなデッカイ結界で覆って今まで隠し通して来たような奴を相手に、どう抗えって言うんですか!」
ジャガーがヒステリックに叫び、杖を地面に叩き付ける。
「イカロスの奴に散々利用されて! 領民からも白い目で見られて! それでも、それでも、必死に試行錯誤して来たら、どうにかなるって信じてたから! もう無理だ! あんなの、ラルク様にどう報告しろって言うんだよ! 知ったからどうにかできるもんじゃねぇだろうが!」
ジャガーは地面に膝をついて、土を指で掴む。
嬉し涙に濡らしていた頬を、別の要因で流された涙が覆って行く。
その場にたリノアを含める他の魔術師達も、彼に返せる言葉が思いつかないのかただただ俯いた。
「ジャガー……」
リノアがぽつりと彼の名を漏らす。
「……無駄だった、全部。あんな苦労して必死になってたのに、阿保らしい。もう、黙ってここを去るしかねぇだろ、ナルガルンだっていねぇんだから。何もできやしねぇだろうよ、俺がいても、副団長殿がいてもよぉ。どう足掻いたって、ここは滅ぶに決まってる」
ジャガーが恨み言を吐く。
場の空気が重くなっていく。
恐らくジャガーも、冒険者としてファージ領に来ていた流れ者であり、ラルクに助けられた内の一人なのだろう。
本音としては、彼もラルクに恩を返したかったはずだ。
「ア、アベル……あれ、あれって、あれってなんなんですか一体?」
メアも空の異様さに恐怖を覚えたらしく、俺の袖を強く握り締める。
俺は小さく頷き、袖を捕まれているのとは逆の手でメアの肩に触れる。
「大丈夫だ、安心しろ。あれくらいならどうとでもなる」
「あ……はい」
メアは俺の言葉に強い説得力を感じたらしく、こくりと頷き、俺の袖からそっと手を離す。
俺はオーテムを彫ってもらうための見本に用意していた世界樹のオーテムへと近づき、杖を向ける。
「アベル殿、もう、いいじゃありませんか、もう……」
魔術師の一人の女が、疲れ切ったように言った。
俺は適当に苦笑いを返してから、杖を振った。
……ちょっと、力入れとくかな。
敵さんも大分気張ってるみたいだし。
「পুতুলমেঘআসা」
世界樹のオーテムの目から、眩いばかりの光が溢れ出す。
その場にいる全員が目を手で覆った。
ずおぉおおお!
雲が、結界へと押し寄せる。
空間がせめぎ合うかのような低い音が、ファージ領全土に響く。
「ড্রাগনহাত」
世界樹のオーテムを介し、雲へと魔術を掛ける。
雲が渦を巻いて塊り、長い胴を持つ竜を象った。
竜は大きな口を開けながら結界へと飛び込む。
不可視の結界が、甲高い音を立てて崩れ去る。
竜を象っていた雲は分散され、ファージ領の上空へと流れ込んできた。
「お、行った行った」
……ちょっと来すぎか。
しばらくは雲の流れを制御する必要がありそうだ。
「「「え?」」」
魔術師達が、呆然とした顔で空を見る。
ジャガーは地面に這った姿勢をのまま、首だけを大きく曲げて空を注視し、あんぐりと口を開けている。
「アベル殿……あなた、人間ですか?」
さっき俺の行為を止めようとして声を掛けてきた女の魔術師が、感嘆というよりは畏怖の窺える顔色で言った。




