十九話 錬金術師団①
翌日、魔獣の間引きのために歩き回った疲労が癒え切らぬ俺は、ラルクの館をブラブラとしていた。
メアも魔獣の加工を手伝いに出かけたため、すっかり暇になってしまった。
朝にユーリスがラルクへの報告のために館に来ており、立ち話になったのだ。
その時に話題が魔獣の加工作業のことに移り、俺が『自分も魔獣の解体とか加工ができたら、狩りに出るときも楽なんですけどね』と漏らすと、『メアが覚えてきますね!』と言い、そのままユーリスにくっ付いていってしまったのだ。
あの子、どんどん器用貧乏になって行く気がする。
体調が戻りきるまでは今後の計画でも練っておくかと思い、とにかく解消しなければならない問題をリストアップするためにも、ラルクと話し合うことにした。
壁に掛けられている絵を眺めながら廊下を歩いて執務室の前へと移動し、扉をノックする。
「マリアスか? 入っていいぞ」
扉の奥から聞こえていた羽ペンを動かす音が止まり、ラルクの声が聞こえてきた。
使用人だと勘違いしたようだ。
ラルクはマリアスと妙に仲がよさそうだったし、開ける前に確認を取っておいた方がいいな。
使用人には見せられても客人には見せたくないものもあるだろう。
「自分です、アベルです」
ラルクが慌ただしく椅子を倒す音が聞こえ、続いて足音が近づいてくる。
ラルクが裏から扉を開く。
「おお、君だったか! さ、どうぞどうぞ」
「い、いえ、そんなに気を遣ってもらわなくても大丈夫ですよ……」
むしろもうちょっと威厳を持ってほしい。
「今現在ファージ領の抱えている問題を改めて聞いておきたくて。やっぱりこれから自分の住むところですし」
「それもそうだな、ちょっと待ってくれ。えっと、錬金術師団からの申請用紙の控えと定期報告書は……」
ラルクは資料棚を漁り、ファイルを数冊棚の上へと並べて行く。
「いえ、簡単に口頭だけでいいんですけど……」
ラルクは俺の言葉を聞き、ファイルを元の位置へと戻していく。
その間暇だったので部屋内を見回していると、机の足許に、親先ほどの大きさをした小さな白い彫像のようなものが落ちているのに気が付いた。
俺は近づいて拾い上げる。
王冠を被り、玉座に座っている像だ。
「見当たらないと思ったら、そんなところに落ちていたのか。見つけてくれてありがとう。それはリルス盤という遊びに使う駒でね。お互いに一手ずつ動かし、駒による模擬戦争のようなことをやるのさ」
ファイルを片付け終えたラルクが、俺に近づいてくる。
リルス盤……チェスのようなものか?
こっちの世界にもあったとは。
「行商人だったマリアスの父親さんがたまたま手に入れたものらしい。これを広めたら、領民の不満も多少紛らわせるかな……なんて思ってたんだけど、なかなか上手くいかなくてね」
「費用ですか?」
「それもあるが、ルールもかなり複雑なものでね。このファージ領でルールを完全に把握しているのは、私とマリアスくらいのものだ。駒は簡略化できるが、ルールの調節はそうもいかない」
木に役職名を彫っただけの将棋形式なら簡単に作ることができるだろう。
ルールもそんなにリルス盤が複雑なら、いっそのこと簡易チェスにしてしまえば……。
いや、でもそれなら別にリルス盤に拘らなくても、もっと単純で大衆受けしそうなものがある。
「なら神託札なんてどうです?」
「神託札?」
「ええ、自分の故郷で流行ってたんです。複数人で和気藹々と楽しめるので、不満を紛らわせるにはこっちの方が向いているかと思いますよ。それに紙ですから、費用も安く大量生産できます」
故郷っていうか、故世界だけど。
「おお、それはいい! よければ一度見せてくれないか!」
「部屋にあるので持ってきますね」
ラルクから見た問題ごとの一覧を知りたかったんだけど、話が脱線してしまったな……。
まぁ、後で聞けばいいんだけど。
俺が扉に手を触れようとすると、ノックの音が鳴った。
俺は扉から離れ、ラルクの対応を窺うため方へと目をやった。
「戻ったか、マリアス……」
「残念ですがあの小娘ではありませんぞ、領主殿よ」
低い男の声が言葉を遮り、次のラルクの返答を待たずに扉が開けられた。
入ってきたのは、初老の男だった。
黒い整った口髭、顎髭。
深く刻まれた皺に睨みの利く目つき。
「……イカロス殿」
ラルクが苦虫を噛み潰したように言う。
……やっぱり、こいつがイカロスか。
「そこの生白いのが、例の魔術師で?」
イカロスは俺を睨みながら言い、ずいっと顔を近づけてきた。
息が臭い。加齢臭がする。
思わず俺は半歩退いた。
「若いのに、素晴らしい魔術の腕を持っていると聞いている。ナルガルンを倒し、先日の魔獣の間引き作戦においても貢献したのだとか。いや結構、結構」
顔の皺を伸ばして笑い、わざとらしく手を叩く。
「は、ははは……あ、ありがとうございます……」
それから領主の方へと目をやり、呆れ気味に溜め息を一つ。
顔を険しくし、声高に叫ぶ。
「それに引き換え、私兵団のなんたる無様か! 総動員してもナルガルンを討伐することができず、泣き喚きながら逃走する始末! 魔獣の間引きにもロクに役に立たず、どころか領民の血税を啜って悠々と暮らしておいて、封鎖が解けたからと元の街へ帰るため支度を整えているのだとか! 領民の間でも、噂になっております! 領主殿に仕える身として、我らにまで火の粉が飛んでいる! あの役立たず共を、そろそろどうにかしていただきたい!」
な、なんだこのオッサン。
「か、彼らは常に全力を尽くし、戦ってくれている! 侮辱するような物言いは、イカロス殿だとしても看過できんぞ! それにナルガルンの討伐作戦においては、魔術部隊の主力は下がったまま最後まで動かなかったと報告を受けている! よくもイカロス殿の口からそのようなことが言えたものだ!」
さすがのラルクもカチンと来たらしく、少し顔が赤くなっている。
イカロスは大きく息を吐き、首をゆっくりと揺らす。
「違う、違う、違う、違う。なーにもわかっていませんな、領主殿は。私兵団員から構成された近接部隊が、そもそも真っ当にナルガルンの気を引きつけられていなかったから、こちらとしても部下に動けと命令は出せなかったのだ。下手に動かしていれば、負傷者の数は跳ね上がっていただろう。戦闘の素人である領主殿の口を挟むところではない。そうであろう?」
「…………」
「訊いているのですよ、領主殿。黙っておられてもわかりませぬ。不満があるならお聞きしますが?」
「……もう、いい。余計なことを言った」
ラルクが引き下がると、ニマリと口角を上げる。
屁理屈で煙に撒き、都合の悪い話を隠すのがイカロスの手なのだろう。
「ああ、もう少し近接部隊がしっかり動いてくれていれば、我らの魔術で十分仕留められたであろうに! 挙句の果てに、こんな少年に尻拭いをさせる羽目になるとは! 近接部隊が、無能でなければ! 所詮冒険者など、使い潰し前提の烏合の衆だというのに!」
イカロスは芝居掛かった調子で叫ぶ。
聞いているだけで苛立って来た。
悪口を言いに来ただけだとは思えないが、だとしたら何が狙いなんだ、結局。
というか領内でラルクと私兵団の悪口をばら撒いてるの、ほぼ間違いなくこいつじゃなかろうか。
「……私も忙しいのでな、本題に入ってくれないか。今日は何の用で来た、イカロス殿」
「いやいや、ナルガルンの首を、錬金術師団へとすべて流してもらおうと思いましてな」
……ナルガルンの首を、錬金術師団にすべて流す?
あれは元々、俺が領主へと渡したものだぞ。
何勝手なこと言ってんだこいつ。
俺の視線に気づき、イカロスが口許を隠して笑う。
「そちらのアベル殿から領主殿へと譲渡されたことは、すでに聞いている。ナルガルンの鱗を役立たずの私兵団に鎧にするなど、なんと勿体ない! ナルガルンの鱗の価値を知らないからそのようなことが言える! 俺ならばもっと有効活用し、この領地の復興に役立たせることができる!」
こ、こいつ、さっき私兵団を悪く言っていたのは、私兵団の落ち度を理由にナルガルンを回収するための布石か。
性格の悪さと面の皮の分厚さなら、ノーマン(ノズウェルの父親)も超えるんじゃないのか。
「……このままナルガルンをあの元冒険者共の防具にするというのならば、この件を知った領民達から、領主殿は無能だとまた誹りを受けるのでは? 大人しく俺に引き渡してはどうか?」
「い、いやあの、自分が渡したのは領主さんであって、貴方じゃないんですけど。防具の資源不足だと聞いていたからこそ渡したものでもあるので、使用用途が変わるのならば、考え直させてください」
俺は手を挙げて、会話に割り入る。
ラルクはあまり気の強そうなタイプには見えないし、このままだと押し切られかねない。
「……アベル殿は、無償でこの領地のために、価値のあるナルガルンの鱗を譲渡されたと、領でも美談となって噂になっている。いや、立派なこと! しかし、それを欲に目が眩んで取り消したとなれば、評価は真逆に一変するだろうが……」
……適当に色を付けて悪評を撒くつもりか。
この先ここの領地で暮らしていくことを思えば、できることなら避けたいが……しかし、その対価にあれをすべて持っていかれるとなると、さすがに惜しい。
何よりこいつの手に流れると思うと腹が立つ。
ラルクは髪を掻きながら呻き声をあげていたが、絞り出すように言った。
「い、一週間……いや、三日、時間をくれ……」
イカロスはハッと馬鹿にするように笑う。
「領主殿よ、いい返事を期待しています。それでは」
そう言い残し、踵を返して執務室を出て行った。
イカロスが去ってからしばし無言が続いた。
「すまない、本当にすまない……」
沈黙を破ったのはラルクの謝罪だった。
「……どうしたいかは、君が決めてくれ。今更私が領民から顰蹙をくらう要因が増えようと大した変わりはないし、ナルガルンを倒した英雄である君を、つまらない理由で詰るほど愚かな領民もそうはいない……はずだ。それに、私も全力で庇わせてもらう」
愚かな領民もそういない……なぁ。
でも塀登って泥水掛けたり有精卵投げつけてくる領民はいるんだよな。
「そんなに好き勝手できるほど人望あるんですか、アレ」
「悔しいが、ある。様々な問題を抱えるこのファージ領において、錬金術師は希望の光だ。そのトップであるイカロスは、私なんかよりもよっぽど領民からも圧倒的な支持を得ている」
そういえば水神の宣教師であるリングスも言っていたな。
『希望なくば、虚構を掴むしかなし。それが水のように手中をすり抜けてしまうとしても』
ある意味、錬金術師団は領民達にとっての宗教のようなものなのかもしれない。
いつか領地を救ってくれると信じていれば、今を嘆かなくて済む。
「しかし口だけで結果が出せていなければ、不満も向けられるはず……あ」
言ってから気が付いた。
「……そうだ。イカロスは不満の矛先を逸らして、私や私兵団にすべて向けている」
……い、いつもご愁傷さまです。
「まぁでも、目標は見えましたよ。余計な噂を撒かれず、かつナルガルンを渡さなくて済む方法を思いつきました」
「な! ほ、本当か!?」
「約束の日が来るより先、三日以内にイカロスを落としましょう」
イカロスの支持を奪ってしまえば、こちら相手に強迫的な交渉を取ることもできなくなる。
「み、三日でイカロスを……そんなことが、できるのか?」
イカロスが支持されている土台はわかった。
領地の問題にかこつけ、領民の不安に付け込んでいるだけだ。
ならば領地の問題がすべて解決されれば、後には終わってみれば何もしていない、無能の錬金術師という結果だけが残る。
三日以内に、ファージ領の抱えている大量の問題ごとにケリをつける。
そうすれば最大の厄介者であるイカロスも自動的にお払い箱となり、この領地での俺の平穏は保障されたようなものだ。




