八話 魔獣被害①
「……魔術組織に入ってほしくはないということでしたら、自分は治安維持組織の方に加入させていただいてよろしいですか?」
確か、ユーリスがそのような地位を自称していた。
こっちはさすがにラルクが管理できていると思いたい。
「う、うむ……そうしていただけるとありがたい、とても助かる。本当に、本当に助かる……」
ラルクは弱々しく言い、その場に膝をついて床へと頭を……。
「ちょ、ちょっと待ってください! 止めてください!」
俺は慌てて領主の肩に手を触れて頭を上げさせる。
この人今、流れるように床に頭を付けようとしていたぞ。
仮にも貴族じゃないのか。
どれだけこれまで追い詰められていたんだ。
上げたラルクの目は、薄っすら涙が滲んでいた。
俺は見なかったことにした。
「えっと……この領地周辺の、魔獣の状態はどうなっているんですか?」
なんとなく嫌な予感がするが、訊かないわけにはいかない。
なんだかもう、聞きたくないような気もするけれど。
「あ……そ、それは」
ラルクがしどろもどろに答え、目を逸らす。
使用人のマリアスがラルクの横にそっと近づき、耳打ちする。
「隠しても、すぐに気付かれることかと……」
「う、うう……」
ラルクが呻き声を上げながら、姿勢を正して口をもごもごさせながら俺を見る。
「その……ナルガルンが暴れていたせいで、私兵隊達を魔獣の間引きに向かわせることができなくてな。森や平原の方は、今頃魔獣で溢れ返っていることだろう。これまでは領の近くにナルガルンがいたから、住居の方に踏み込んでくる魔獣は少数だったが……アレがいなくなったことで、逆に雪崩れ込んでくることも考えられる。ナルガルンは、人里手前でウロウロしていたからな。ある意味、丁度いい魔獣への牽制になっていたのだ」
「……うわぁ」
「一応魔除けの結界も錬金術師団の方に張ってもらってはいるが、魔獣の数があまりに多いとなると、越えてくるものも出てくるだろう」
凄い、息をするように問題ごとが湧いてくる。
神様はこの領主のことをどれだけ嫌いなんだ。
「おまけにナルガルンが現れる少し前から、不自然な魔獣災害が続いていてな。信憑性は薄いが、精霊獣の目撃情報まである。正直……これからどうなるか、あまり考えたくない……」
言い切ると、ラルクは両の手で頭をがしがしと掻いた。
マリアスが宥めるように背を撫でている。
精霊獣というのは、精霊が集合して魔獣のような性質を持ったもののことである。
同じく精霊の集合体である悪魔との明確な線引きはなく、強いていうならば知力や魔力が悪魔に比べて数段劣り、獣の姿を取る傾向にあるというくらいである。
故に、地方によっては単に下位悪魔と呼ばれることもある。
下位悪魔とはいえ、そこらのゴブリンやスーフィーよりはかなり手強いだろう。
しかし、問題はそれだけには留まりそうもない。
不自然な魔獣災害の連続となると、厄介な高位悪魔がどこかに隠れている可能性が高い。
魔獣の生態を狂わせるのは悪魔の得意分野だ。
……どれだけ問題ごと抱えたら気が済むんだよ、ここの領地。
ただ悪魔にしても、妙な気がする。
なんとなく引っ掛かりを覚えるというか……。
「魔獣の不自然な動きに、何か心当たりはありませんか?」
「月のせいだろう。そろそろ月祭の日が来るという話だ。月の魔力を帯びて、魔獣や精霊が活性化しているのかもしれない」
月祭というのは、月が最も地上に近づく日のことだ。
月は五百年に一度だけ人間の住まうこの大地に急接近し、それからまた一定の距離を開くとされている。
月祭は確かにこの年内に起こる。
起こるはずだと様々な書物で目にしてきたが……別に、他所だとそこまで魔獣の活発化なんて問題視されていなかったと思うんだけどな。
ロマーヌの街の周辺でも魔獣災害や悪魔(現アシュラ5000)の発生はあったが、あれくらいなら稀にあるものだ。
実際どちらもさして尾を引く事件ではなかった。
前に起こったのが五百年前のことだから現存している記録が少ないだけなのかもしれないが、月祭による魔獣の活性化を嘆くような話も特に聞いたことがない。
ただ月が大きくて綺麗だったとか、遠視の魔法具が飛ぶように売れて成金が増えたとか、世界が終わると嘯いて信者を増やしていた教祖が何事もなく月が去って行った後にインチキ野郎と袋叩きにされたとか、その手のしょうもない話ばかり耳にする。
「あんまり関係ないんじゃないですかね。えっと……例えば、誰かが裏で手を引いていて、この領地を滅ぼそうとしているとか……」
「それはない。もしもそうだとしたら、とっくに滅んでいるからな」
ラルクがいっそすがすがしいほどにきっぱりと宣言した。
「……ああ、そうでした」
今の領地は、崖っぷちを片足で跳ね回っているようなものだ。
潰す気なら崖を削ったり風を吹いたりするより、もう直接背中を押してしまった方が手っ取り早い。
「そういえば、冒険者支援所はどの程度機能していますか?」
ナルガルンの換金も、できることならそこでさっさと済ませてしまいたいところだ。
とはいえ、あれだけあったら一か所で捌けば値は下がるし、他領地との流通が回復しきっていない今では特にその傾向は顕著に出てくることが予想できるので、その辺りの加減を考えながらにはなるが。
ナルガルンだけではなく、まともな買い取りが行えないのであれば冒険者支援所の運営側である領主の負担、冒険者の不満も上がるばかりだろう。
とはいえ、今後大規模な魔獣被害が見込まれるこの状態では、冒険者支援所の存在が不可欠だ。
問題なのは、冒険者支援所がどの程度その権威を保っているのか……。
「……閉鎖した」
ラルクが小声で洩らした。
「えっ」
「……閉鎖した」
ラルクの声が更に小さくなった。
「思い切ったことをしましたね……」
「し、仕方がなかったのだ。元よりナルガルンのせいで手頃な魔獣を狩るということがほとんどできなくなってしまい、ばかりか無理をしてナルガルンに殺されるものまで出る始末だった。冒険者という形態では、情報の共有と規律ある行動が取りにくい。今のこの領地の現状では、散らばった戦力よりも、まとまった戦力が必要だったのだ」
「それはわかりますけど……でも……」
「魔獣災害を目当てにこの領地に来ていた冒険者も多くてな。しかしその後のナルガルンの出現のせいで気軽に狩りに行けなくなり、帰ることさえままならなくなった。おまけに日が経つごとに領全体が貧しくなっていくのは目に見えていたから、領民が余所者に仕事をやるようなこともなかった」
ラルクは言いながら、ちらりと横目でユーリスを見る。
彼女も元は魔獣災害目当ての冒険者だったのだろうか。
「この領のために来てくれたのにそれはあんまりだとは思ったが、かといって私としても、無償で面倒を見てやるわけにも行かない。面倒を見てやるには、それだけ領民から税を取らねばならん。皆貧困で苦しんでいるのに、何もしていない者を支援するとなると、反発を買うだろう。そのため流れ者の冒険者への給金を出す名目を作るためにも、冒険者支援所から私兵団と錬金術師団へと、全面的に形態を変えることにしたのだ」
私兵団が治安維持組織、錬金術師団が例の問題アリの魔術組織か。
完全に領主の下の組織として扱えば、魔獣討伐が効率よく進まなくても治安の維持、領の守護のための訓令という名目で養うことに反発が持たれ難くなるということか。
冒険者達も、何もしていないのに生活を保障されていたら、怠けたり付け上がったりするものが出てくるだろう。
真面目な者も真面目な者で、負い目を感じて腐ってしまうことも考えられる。
「その際に流れ者の中で戦えない者も館で雇い、他に仕事が見つかった元々領在住の使用人には館を出てもらったこともある。こっちの移動はほんの少数だがな」
この人、評判がボロボロだった割には、結構普通に考えて動いてるじゃん……あれ?
でも、さっき、領主の犬呼ばわりされていた人がいたような……。
俺は半ば無意識にユーリスへと視線を投げかけた。
ユーリスはラルクの背後で、『黙っておいてほしい』とでも言いたげに、腕をぱたぱたと動かした。
……これ以上余計な悩み事背負わせたくないもんな。
反発がないということはないが、これでもまだ抑えられている方だろう。
ちょっと悪戯を超える嫌がらせは多々あるが、内乱だけは起こっていないようだ。
私兵団への大規模な引き抜きにより、領主と領民の戦力差があるということもあるのだろうが。
ユーリスがナルガルン討伐の功績を気にしていたのも、私兵団の成果を示すことができれば、領民からの反感がいくらかマシになると考えてのことだったのだろう。
……あのナルガルンの首の山、どうしよう。
「ま、まぁ、そういった事情でしたら、冒険者支援所は閉鎖してもよかったのでは」
「……問題なのは、私の人望が思ったよりもなかったことだ」
「んん?」
「……私の直属に組み込まれることを嫌がった領民から猛反発をくらってな。生活のためだと渋々来てくれた者もいるのだが、当然そうでない者もいる。私兵団のために財を割いてしまっていたし、ほとんど仕事のない冒険者支援所を維持する余力など、当然残っていなかった。結果として、多くの戦力を腐らせることになってしまった」
ナルガルンが消えたことによる魔獣被害、精霊獣の目撃情報、存在が予想される高位悪魔、領民と私兵団の軋轢、冒険者支援所の閉鎖に伴う戦力の低下。
……問題ごと、どれだけ増えたら気が済むんだ。
「おまけに本格的に魔獣の間引きを行うとすると、圧倒的に防具の素材が足りない。元々、この地では、金属やら武器は、そこまで必要とはしていなかったからな。ナルガルンとの戦いで消耗してしまった分が補いきれぬ……」
ラルクが顔を手で覆った。
更に厄介ごとが増えた!?
これに加えて作物の不作だとか、錬金術師団の不穏な動きとかもあるんだよな?
問題ごと全部リストアップしたらどえらい量になるんじゃなかろうか。
「ア、アベル……やっぱりこの領地、まずいんじゃ……」
メアが半泣きで俺の袖を引っ張り、小声で言った。
「売る恩は、少しでも多い方がいいだろう」
俺は自分の手のひらを拳で叩きながら意気込む。
問題ごとがはっきりしているのはありがたい。
だいたい片付けるべき順番は見えてきた。
まずは信用を得て、領内でできることを増やして行こう。
「魔獣の間引き、手伝わさせてもらいます。とりあえずは、自分の気紛れで私兵団に一時協力という形で大丈夫ですか?」
ただ旅人が気紛れで魔獣の間引きを手伝ったという名目ならば、錬金術師団に無理矢理組み込まれることもないだろう。
しばらくは誤魔化せるはずだ。
「そ、それはもう、願ったり叶ったりだ! 今すぐというのは難しいが、ファージ家の名に懸けて、いずれ必ずこの恩は……」
よし、言質は取った。
ここから領地回復に貢献することに成功すれば、魔術研究への支援や投資にかなりの期待ができる。
「ええ、わかっています。領地が持ち直して余裕ができてからで、大丈夫ですから!」
とりあえずは魔獣の間引きから入って信用を得て、それから領の重要な問題にも手出ししていこう。




