三十八話 伝説の後に
受付でそそくさと賭博で得た金を回収した後、俺はメアと共に馬車に乗り込み、ロマーヌの街へと向かっていた。
もう、あれ以上は俺にはどうすることもできない。
後はガストンがなんやかんやで幸せになれるよう祈るばかりである。
「……闘技場を見に来たんじゃなかったの?」
馬を操縦しているエリアから、気怠けというか、低血圧気味な声が聞こえてくる。
興味なさそうな声色ではあるが、これが彼女の素なのだということは、ゼシュム遺跡へ送ってもらったときに知っている。
「事情が変わったんで、とっとと王都を出ることにしました」
「……そう。じゃあ仕方ないわね」
あまり俺が話したくないと察してくれたのか、エリアは問答を短く切り上げてくれた。
「いつもお世話になります……」
「もらうものは、もらってるから」
エリアの受け答えはちょっと味気ない気もするけど、なんとなく心地良い距離感な気もする。
客と商売人なのだから、これくらいの関係がベストなのかもしれない。
この人本当クール。
エリアは世界が終わる日も、『そっか……』と言いながら星を見上げていそうな、なんだかそんなイメージがある。
「……それより、さっきから何かが追いかけてきてるみたい。魔獣だと思うけど、一応確認しておいて」
「あ、わかりました。メアが確認しときますね」
エリアに言われ、メアが馬車を覆う布を捲って外を見る。
メアの動きが固まった。
「……化け物が、化け物を背負ってます」
「え?」
俺は慌ててメアに近寄り、彼女が掴んでいる布を勢いよく捲って背後を確認する。
野太い筋肉の塊の様な黒馬に、首が太すぎて頭と一体化している化け物のような男が跨っていた。
そう、ガストンの対戦相手、ブライアン・ボンドである。
目を血走らせながら、一直線にこっちへ向かってくる。
ブライアンの手には大斧が握られていた。
「な、なんで!? 本当になんで!? 何しに来たの!?」
「……どうしたの、お客さん」
「アルフォンス王子の親衛隊隊長がこっちへ追いかけてきてる。なんか斧持ってるし、目がいっちゃってる」
「……え? う、嘘? なんで!? どうして!?」
エリアが目に涙を溜め、大慌てで馬車の速度を上げる。
明らかに取り乱していた。
さっきこの人は世界が終わる日もクールなんだろうという勝手な想像をしていたが、完全にただのイメージの押し付けだったことに気がついた。
俺だって意味が分からない。
ガストンをのし上げてきたのが俺だったことが発覚したのか?
しかしそれにしても、シャーロット王女と敵対しているアルフォンス王子の手駒がこっちに向かってくる意味が分からない。
王家の恥の根源ということで差し向けられたのだろうか。
もう一度背後を見る。
ブライアンの鎧が、開会式の決闘で身に着けていたものではないことに気が付いた。
塗色はほとんど見られず、地味なものになっている。
「騎士として来たわけじゃないのか……」
俺が呟いたとき、ブライアンと目が合った。
ブライアンが破顔した。筋肉の塊のような顔が歪み、不気味な笑みを象る。
「貴様、マーレン族だなぁ! 儂と戦えぇえっ! 国ではなく、民族の誇りを懸けてこの儂と戦うのだ! このブライアン・ボンド! ダルドワーフの末裔として貴様に決闘を挑む!」
駄目だあの人、ちょっと危ない人だ。
何しに来たんだあの化け物。
闘技場で目が合ったと思ったら、そんなことを考えていたのか。
狂戦士の異名を持っていただけのことはある。
完全に戦闘狂だ。
ガストンで肩透かしをもらったため、持て余した興奮が抑えきれなくなったのかもしれない。
「お、落ち着け! 騎士がこんな、民間人を襲っていいと……」
「アルフォンス王子など知ったことかぁぁああ!」
興奮したブライアンが大斧を振るう。
木が通り過ぎ様に真っ二つになり、後方へと転がって行った。
あの人なら本気で木を引っこ抜いて振り回すくらいやりかねない。
こちらは馬車、あちらは単騎だ。
こうしている間にもどんどんと距離は縮まっていく。
「くそっ! 適当に撒くか」
俺はキャリッジの上部を掴み、馬車の上へと這い上がった。
俺は筋力には自信がないが、その分、身軽なのだ。
「んぐぐぐ……つぁっ!」
どうにかよじ登り、乱れた呼吸を整える。
それから腕を伸ばし、グーパーと動かして筋肉に不具合がないことを確かめた。
馬車の上でしゃがみながらブライアンを睨み、杖を取り出す。
「そう来なくてはつまらん! マーレン族の力、儂に見せてみよ!」
……死なない程度に、だったら馬を転落させれば大丈夫か。
足がなければ追うこともできないだろう。
「বায়ু」
俺が唱えると、ブライアンに向けて突風が巻き起こる。
「む、むむ、これしきの風……!」
ブライアンは耐えていたが、馬が風に耐えかねて派手に転倒し、土煙が巻き起こった。
「あ、エリアさん。終わりました」
「ほ、本当? よかっ……」
エリアが言い切るより先に、土煙の中からブライアンが飛び出してきた。
大斧を振り乱しながら、馬よりも速くこっちへと駆けてくる。
「儂と戦えぇっ! このような、このような子供騙しで儂をあやしたつもりか! いい気になるなマーレンよ」
「すいません、まだでした」
「ええぇっ!?」
また馬車からエリアの悲鳴が上がる。
あのブライアンとかいう人、人間だと思っちゃ駄目だな。
多分多少の怪我なら死なないだろうし、ちょっとは痛い目を見てもらうか。
「শিখা」
俺の杖先に、大きな炎が荒れ狂う。
「儂にそんな、直線的な魔術が当たると思うてか? 甘く見られたものよ!」
「এই হাত」
続けて唱えると、その炎は球状に収まってブライアン目掛けて飛んでいく。
「な、はやっ!」
ブライアンは瞬間取り乱したものの、すぐに腕に力を入れて大斧を振るう。
「うおぉおおらっ!」
地面に大きな窪みが出き、炎が掻き消された。
「はぁー! はぁー! 見たか、ダルドワーフの一撃を! 万策尽きたか、マーレンよ!」
「マ、マジでか」
あんなあっさりと対処されるとは思っていなかった。
どの程度本気で行ったらいいのか、ちょっと見当がつかなくなってきた。
あれ、なんだかちょっとワクワクして来たぞ。
「いい面構えだマーレンよ! 奥の手があるのなら、出し惜しみせず使っておくことだな!」
「じゃ、じゃあ……これくらいなら大丈夫かな」
俺は頭の中で術式をあれこれ検索し、撃つべき魔術を探る。
せっかくだし、使う機会のなかった奴をぶっ放してみるか。
俺は馬車の天井に手をつき、ゆっくりとバランスを取りながら立ち上がる。
「মাটি ড্রা হাত」
馬車とブライアンの間の地面が光り、土が隆起して蛇の様なものが現れる。
蛇を次々に土が覆っていき、巨大な竜を象った。
全長で数十メートルはある。
よし、規模が大きすぎて今まで練習する機会もなかったけど、結構上手く入ったな。
改善点は多々あるが、初回としては及第点だろう。
「ギシャァァァァァァァァァァアアァッ!」
土の竜が咆哮を上げる。
その風圧で地面が捲り上がれ、木々が倒れる。
素早く、蜷局を巻き、ブライアンの行く手を遮る。
「お、お、おお……」
鎌首をもたげる土の竜の頭を、ブライアンは呆然と見上げていた。
「さぁ、どう対処するか見せてもらうぞダルドワーフ!」
俺がノリノリで叫ぶが、対するブライアンの反応があまりよろしくない。
浅黒い顔を真っ青に染め上げ、土の竜から顔を逸らしてなぜか俺の方を見る。
「お、おい。ちょ、待……」
土の竜が、ブライアンに圧し掛かかる。
彼は土塊の中へと呑み込まれ、消えて行った。




