三十七話 そして伝説へ⑥
俺とメアは準備と移動に十日ほど掛け、王都エルクシアへと向かった。
王都の都会っぷりにちょっと慣れずに到着初日に人酔いで倒れてメアに介抱され、闘技大会の席のチケットだけ購入し、後は当日まで宿で休むことにした。
前世なら満員電車だって普通に乗れていたのに、優雅なマーレン族の田舎暮らしが長すぎたのかもしれない。
闘技大会当日、俺は若干不調の身体を引き摺り、メアと共に闘技場へと向かった。
闘技場の受付では、賭博の券を売っていた。
第一子王子アルフォンスの騎士ブライアンと、第四子王女シャーロットの騎士ガストンの戦いの券が一番売れ行きがいいようだった。
倍率はなんと、
『ガストン:1.02倍』
『ブライアン:32.35倍』である。
まさかのガストン大人気である。
ブライアンさんもそこそこ名の知れた騎士だという話だったのに、プライドずたぼろじゃなかろうか。
思わず32倍に釣られ、目的も忘れてついブライアンの券を五万ゴールド分ほど購入してしまった。
もしも当たれば160万ゴールドである。
ガストンを助けに来たことを思い出し、冷静になってから頭を掻きながら券を眺めていると、ガストンの券を大量買いしているロマーヌの冒険者に睨まれたので、速足でその場を去ることにした。
ここまではよかったのだが、観客席の最前列に着く頃、俺は例の人酔いが発症してふらふらだった。
左右には、ロマーヌの街の汗臭い冒険者が目をキラキラさせて開会式に見入っていた。
ガストンはロマーヌの街の英雄である。
大金をはたき、王都まで見に来たロマーヌの住人達は、俺達の他にもたくさんいた。
開会式の最後に第一子アルフォンス王子の親衛隊隊長とガストンの斬り合いが行われる予定ではあるが、正直もう、帰りたい。
「だ、大丈夫ですかアベル?」
「なんとか耐えてみせる……」
「か、顔青くなってる! も、もうメアと宿に戻りましょう? ガストンなんかのために頑張る必要ないですって! だってあれ、もう完全に自業自得でしたもん! す、すいませーん! 退いてくださーい! アベルが、アベルがぁっ!」
メアが俺の肩を抱いて身体を支え、周囲に声を掛ける。
俺は手すりを掴み、メアが俺を連れて出ようとするのをどうにか抵抗する。
「大丈夫……ほんと、大丈夫だから。人混み通りたくないし……あと、あんまり揺さぶらないでくれ。ちょっと吐きそう」
「それ、大丈夫じゃないじゃないですか! そうだ、転移の魔術でちょっとここから出るくらいできましたよね? あれで一回ここから出ましょう! アベル、アベル、聞こえていますか? 顔色、本当に悪いですよ!?」
正直意識がちょっと危ういが、なんとか持ち堪えてみせる。
「ガストン! ガストン!」
ガストンコールが始まったのを聞き、ようやく開会式が終わったことに気が付いた。
闘技場の中心部を見れば、おどおどとしているガストンと、首の太い猛獣の様な大男が向かい合っている。
なんというか、完全にそういう処刑方法みたいになっていた。
「ガストン! ガストン!」
ロマーヌの街出身の冒険者が俺の周囲には多いため、一気にガストンコールに包まれ始めた。
最初はその大音量を聞いている内に声に合わせて頭が頭痛が走り、メアに支えられて立っているのがやっとの状態まで追い込まれた。
人酔いが最高潮に達したせいか、視界が眩む。
「アベル! し、しっかりしてください!」
しかし興奮の中にいる内に、なんとなく周囲に影響されてか、ゆっくりと胸が熱くなってきた。
不思議と不快な感じではない。むしろ心地良く、頭がぽかぽかしてくる。
「ガストン! ガストン!」
判断能力が鈍ったまま、吐き気や頭痛がすうっと引いていく。
「ガストン! ガストン!」
すぐ近くから声援がするなと思ってから、直後、その声が自分のものであったことに気が付いた。
俺は朦朧とする意識の中、周囲に合わせ、腕を振り上げてガストンを応援していたのだ。
気持ちいい。
ガストンの名を叫ぶ度にスカッとする。
頭痛や不快感が吹き飛び、代わりに脳内麻薬がどんどん生成されていく感覚。
なんで今まで皆ああもガストンを持ち上げているのか不気味で仕方なかったが、自分で叫んでみてようやくわかった。
強大な何かに思考や価値観、判断を任せることが、これほど気持ちの良いことだとは知らなかった。
今回に限っては、俺が周囲にちょっと流されやすい、ということもあるのかもしれないが。
「ガストン! ガストン!」
「ア、アベル?」
「どうした? ほら、メアも早く応援しろよ。ガストンさんがこれから戦うんだぞ」
「ガ、ガストンさん!? い、いや、でも……」
メアは不安そうにオロオロとし始める。
「そうだそうだ嬢ちゃん! お前もロマーヌの冒険者だろうが! 早くガストンさんを応援しろぉっ!」
横に立っていた冒険者が口を挟んできた。
「……が、ガーストン」
「声が小さいぞ!」
俺が言うと、メアは覚悟を決めたのか、ヤケになったのか、口許を引き締める。
「ガストン!」
「そう、そうだ! その調子だ! ガストン!」
「ガストン! ガストン!」
勝負が始まり、ガストンはヘタヘタとよろめきながら大男ブライアンへと走っていく。
その様子を見て、俺はなんとなく違和感を覚えながらもガストンコールを続けていた。
「カァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!」
そのとき、ブライアンが人間とは思えぬほどけたたましい咆哮を上げた。
殺気を感じ、思わず俺は立ち上がって杖を構えた。
俺の周囲の冒険者も俺と同様に剣の鞘に手を当てる者や、ひっくり返っている者がいた。
彼らの様子を見まわしてから、俺はようやく冷静になった。
「あ、ガストン……」
ブライアンの咆哮を正面から受け止めたガストンは、仁王立ちのまま気を失っていた。
股の部分の鎧の隙間からは、ぽたぽたと小水が滴っていた。
恐怖のあまり失禁したのだろう。
俺は完全に手遅れであることを察した。
構えていた杖を、そっと懐に仕舞う。
「ガストン! ガストン! ガスト……あれ、なんか変じゃないか?」
周囲のガストンコールが、統一感のないどよめきへと変わっていく。
「……アベル、帰りましょう」
メアが、そっと俺の手を握った。
「…………ああ、そうだな」
俺は気を失ったまま仁王立ちするガストンに向かい、そっと宙へと十字を切った。
「我らマーレンの先祖の霊よ、許しを」
「どうしましたか?」
「……俺の故郷ではな、これをやると大抵のことは許されるんだ」
どよめきに包まれる観客席を、俺とメアはそっと去ることにした。
これ以上ここにいても、何もいいことはない。帰ろう。
受付でブライアンの勝利を見事当てた160万ゴールド券を換金する気にもなれない。いや、一応するけど。
相手の騎士の主……アルフォンス王子が、興奮と喜びのあまりか両腕を上げて席を立っているのが見えた。
俺はそれを見て、改めて勝負が終わったことを悟った。
最後にもう一度ガストンの方を見ると、ガストンの対戦相手、ブライアンが俺の方を睨んでいることに気が付いた。
背後を確認したが、特に何も見つからなかった。
俺はそれ以上は気に留めず、人混みを掻き分け、闘技場の受付へとそっと歩き始めた。
ガストンの失禁を見て歓喜するアルフォンス王子




