八歳
族長に魔術の弟子入りをしてから、一年が経った。
俺は八歳に、ジゼルは六歳になった。
最初は話し辛かった族長ではあるが、今ではもうすっかり打ち解けていた。
なんというかツンデレ爺さんの扱いが分かってきた。
フィロの母親もニコニコと笑いながら、「最近あの方、あなたのことばかり話すんですよ」と嬉しそうに言っていた。
「ではやってみせろ、アベル。前回から間が空いたからのう。どの程度上達したか、見てやろう」
「はい!」
ここのところ族長は儀式の準備で忙しく、俺の魔術のレベルが上がってきたこともあり、修行を見てもらう頻度は減りつつあった。
今日は、一週間ぶりに魔術修行に付き合ってもらっていた。
修行には毎度毎度、当然のようにジゼルも同行している。
ジゼルも多少は俺を真似て魔術修行をしているが、ほとんどただの付き添いである。
……因みに、フィロは族長が追い出した。
自分の孫だからもっと大事に扱ってくださいとも思うが、実際あれこれ妙な口出しをしてきて修行の邪魔になるのでありがたい。
「প্রেত আঁকা」
俺は宙に手を浮かべ、精霊の力を借りて魔法陣を描く。
ひとつ描き終えてから、ふたつ目を描き始める。
「ふん、ふたつも描いて扱いきれるのか? あまり無様な真似を見せてくれるでないぞ」
表情は仏頂面で口調も淡々としたものだったが、手元がそわそわしていた。
期待してくれているらしい。
これは失敗できないな。
今回は、オーテムを魔術で操る練習である。
どういった動作をさせるかは、魔法陣に組み込む必要がある。
そのため魔術で複雑な動きをさせるには、魔法陣への理解が不可欠である。
魔法陣なんて覚え込んでしまえばいいと言っていた父にはできない芸当である。
とはいえ動きの軌道を決定するのは魔法陣の中のごく一部なので、そこまで深い理解でなくても可能なのだが。
要するにオーテムを自在に操る練習は、自分で魔法陣を設計する修行の初歩である。
もっともオーテムを操れる程度では、賢者を名乗ることなどできないが。
「পুতুল দখল」
俺は唱えながら、オーテムへと右手を翳す。
手から光が二つに飛び、それぞれオーテムの中へと入って行く。
光が入った瞬間、オーテムが動き出す。
片方はぐぐっと前方へと移動し、もう片方は後方へと移動する。
それからそれぞれクルクルと回る。
「ほう、簡単な移動だけではなく、回転まで組み込めるようになったのか。よく調べたものだな」
族長が嬉し気に声を漏らす。
まだまだ、ここからだ。
俺は更に、宙に三つ目の魔法陣を描く。
「বায়ু এই হাত」
唱えながら、片方のオーテムへと手を翳す。
手のひらから放出された魔力が風へと変化し、魔法陣に従って球体を象ってオーテムへと飛んでいく。
クルクルと回っていたオーテムは、風の球が近づいてくると動きを止め、さっと回避した。
風の魔術は威力をかなり抑えていたため、壁に当たると簡単に四散する。
ガタリと、族長が立ち上がった。
「まさか、対応型動作を魔法陣に組み込んであるのか!!」
普段滅多なことでは驚かない族長が、大声を上げた。
ジゼルは事前に知っていたため、得意気な顔で族長を見ている。
ドヤ顔も可愛い。
妹に誇らしく思えてもらえて、兄ちゃんは光栄だぞ。
「な、なぜ……対応動作は、教えておらんかったのに」
「色々試していると、偶然ちょっと気にかかる部分を見つけたんですよ。それで、そこを中心に調べてみました」
偶然、といっても一週間ほとんど寝ずにあれこれ試し続けた成果であるのだが。
様々な形の魔法陣を試し、魔術が作動してくれるときとそうでないときの条件を辛抱強く試し続けたのだ。
俺の執念の賜物である。
「……よく、よくぞ、ここまでやった。もう、一流の魔術師の域である。ワシから教えずとも、アベルなら独学で精進できるであろう。まさか、ただの一年でここまで成長するとは思いもせんかった」
族長の声が掠れていた。
ふと見てみれば、わずかに涙を流している。
「族長様?」
俺が声を掛けると、族長は袖で涙を拭いた。
「か、感極まって泣いたわけではない! 目に埃が入っただけじゃ!」
……やっぱりフィロの爺ちゃんだよなぁ、こういうところを見るに。
「しかし、やはり教えてくれる人がいないと……」
「今後は、書物の持ち出しを許可しよう。書庫にある好きなものを持って帰るがいい。下手にワシが教えてしまえば、アベルの成長を止めてしまうことになるやもしれん。それくらいアベルには才能と根性がある」
今まで書庫にある本は高価なものが多いからあまり入るでないとまで言われていたのだが、ついに持ち出しが解禁された。
そのことは素直に嬉しいのだが……族長の言い方は、少し寂し気であった。
最近の族長は、孫娘のフィロを差し置いて色々と俺の面倒を見てくれていた。
俺も、これで修行を見てもらうのが最後だと思うと寂しいものがある。
「……アドバイスくらいだったら、たまにもらいに来てもいいですか?」
「……たまに、ならば考えてやらんこともないかもしれんな」
相変わらず、素直じゃない爺さんだ。
俺がにっと笑うと、族長はそっと顔を逸らしながらも笑っていた。
「あの、部屋にあるオーテム、四つほど借りていいですか?」
「む? 構わんが、何に使いたいのじゃ?」
「いえ、本を運びたくて」
俺は部屋に置かれているオーテムの中から、大きいものを四つ選ぶ。
「প্রেত আঁকা」
俺は唱えてから、宙に四つの魔法陣を描く。
えっと、書庫までの道筋はどうだったかな。
対応動作を応用すれば壁は避けられるし、簡単な命令ならば言い聞かせることもできる。
万が一動きが止まったらまた魔法陣を描き直してから呪文を唱えればいいか。
「পুতুল দখল」
俺が唱えると、四つのオーテムが動き出す。
うん、一つのオーテムの上に十冊は本を積めそうだ。
オーテム便利。しばらくはオーテムを動かす魔法陣の研究になりそうだ。
「それでは、本をお借りしてきますね」
「ア、アベルよ。確かに持っていっていいとは言ったが、いったい何冊本を持っていくつもりなのじゃ」
「とりあえず、今日は三往復ほど」
「ひゃ、百冊以上持っていくつもりなのか!?」
さすがにまずかっただろうか。
しかし、俺は早く自分の力だけでゼロから魔法陣を組めるようになりたいのだ。
そのためには、圧倒的に知識が足りない。