伝説の前夜(sideシャルロット)
――ディンラート王国中心部、王都エルクシア。
賑やかな城下町から東へと進んだ先に、水路に囲まれた王城がそびえたつ。
その城の一室には、シャルロット王女の親衛隊隊員である騎士が集まっていた。
その中には勿論、騎士の鎧で身を包んだガストンの姿があった。
ガストンは時折、おどおどと鎧の表面を撫でては、びくびくと肩を震わせていた。
彼はひどく場違いなところへ来てしまったことを、王都についた初日からもう後悔し始めていた。
しかし、シャルロット王女はそんな彼の内心を知る由もない。
あまり人に気を遣わなくてもいい暮らしを送っていたし、元来生まれついて元々あまり人に気を遣わない性質であったからだ。
彼女は、根っからの王族気質であった。
シャルロット王女は兄妹の中でも末っ子で、彼女の親であるディンラート王も『この子は別に王にならないだろうな』と早々に斬り捨てていたので、教育に周囲が気を遣うこともなく、良く言えば自由に、悪く言えば割と適当に育てられていた。
そのため我が強く、視野も若干狭かった。
ただそんなシャルロット王女から見ても、背筋を伸ばして顔を引き締めている騎士達に紛れ、落ち着きなく周囲を見回すガストンは、なんとなく場違いであった。
ガストンも醜男ではないのだが、親衛隊には貴族出の者が多く、ガストンの育ちの悪そうな顔つき、仕草を浮き彫りにさせていた。それも彼女の抱く異物感を助長させていた。
ただ『なんか浮いてるわねこの人』くらいの感想は持っていたが、それ以上は特に何も感じていなかった。
仕舞には平民ってこんなものかしら、と自分を納得させていた。
「さて、ちょっとゴタゴタもあって遅くなっちゃったけど……これで今日から貴方は、私の正式な親衛隊隊長となるわけ」
「は、はい……」
ゴタゴタ、と軽く済ませてはいるが、なかなかギリギリの揉め事であった。
王都の冒険者支援所に手回しをし、無理矢理ガストンの昇級を図ったのだ。
第一子アルフォンス王子の抱えている親衛隊隊長は、A級冒険者、狂戦士ブライアン・ボンドである。
それに対し、ガストンは準A級であった。
他の兄妹よりもランクの低い冒険者を隊長に据えるのは、シャルロット王女のプライドが許さなかった。
もう少し時間を掛ければスムーズにランクを上げられそうだったのだが、なんとしても闘技場で行われる親衛隊のお披露目に間に合わせたかったのだ。
シャルロット王女は自分の名を出して騒ぎ立て、ガストンを準A級冒険者から伝説級冒険者へと押し上げることに成功した。
伝説級冒険者は過去に三人しか存在せず、その名はあらゆる冒険者支援所の石碑に刻まれることになっている。
近々、あらゆる冒険者支援所の石碑にガストンの名が刻まれることであろう。
ロマーヌの街はこの報告を聞けば、出身の名誉冒険者としてガストンの像を建てるはずだ。
『嬉しいでしょう?』
そうドヤ顔でシャルロット王女から言われたとき、ガストンは気を失いかけた。
ランスロットが支えてくれなければ、その場でひっくり返っていただろう。
街でちやほやされていたこれまでとはいくらなんでも規模が違い過ぎる。
ガストン・ガーナンドという架空の人物が独り歩きしていた。
「それで忙しくて言うのが遅くなっちゃったんだけど、貴方には明日、闘技大会前の王家の騎士のお披露目に、私の親衛隊代表として出てもらうわ」
「あん?」
思わずガストンも素で返事が出た。
シャルロット王女が機嫌を損ねてガストンを睨む。
ランスロットがガストンを窘めようと咳払いをするが、それに気付く様子もない。もとい、余裕がなかった。
「お、お披露目って……俺様に何をさせようというんだ?」
ガストンは、元親衛隊隊長ランスロットへと、脅えた子犬の様な顔を向ける。
「隊長殿には第四子王女シャルロット様の騎士として、第一子王子アルフォンス様の騎士と一騎打ちで戦っていただきます」
ランスロットは、機械のように淡々と答えた。
「は? な、なな、な……」
「隊長殿のお力さえあれば、アルフォンス様の騎士を倒す程度、赤子の手を捻るようなものでしょう」
ランスロットは、あっさりとそんなことを口にした。
ガストンは逆ギレしてランスロットに掴み掛かろうかと思ったが、そんなことをしても勝てる道理はないとわかっていたので、どうにか思いとどまった。
王都近くでシャルロット王女の馬車に不審な連中が襲いかかってきたのだが、ランスロットが一人で三人を斬り殺し、一人を捕虜にしたことがあった。
結局彼らはただの盗賊で依頼人は別におり、それ以上は何も掴めなかった。
しかしこのとき、ランスロットに逆らうか、自分の功績の偽証がバレれば、あの連中のように即座に斬り殺されてしまうだろうという恐怖がガストンに芽生えた。
「私も、自分のことはわかっているつもりよ。パパから期待されてないことはわかってるし、王になんてなる気もないわ。ただ、アルフォンス兄だけは王にしちゃ駄目よ。あいつ、パパの前で猫被るのが上手いだけで、本当に酷い奴なんだから。あんなの王にしたら、この国は終わるわよ」
「…………」
「だから貴方が明日、パパの前で馬鹿兄の騎士を圧倒しなさい。最善は、相手の騎士を再起不能にすることね。多少非難されてもいいから、執拗にぶっ壊してやりなさい。コーグリア侯爵がアルフォンス兄に譲った狂戦士ブライアンさえ動けなくなれば、あいつの王への道は一気に遠ざかるわ」
どんどんと話が大きくなっていく。
ガストンはその重みに耐えかね、体勢を崩し掛ける。
いつも通り、ランスロットが横から支えてくれた。
「いいこと、ガストン。アルフォンス兄の目が硝子玉だって、パパに突き付けてやるのよ。――貴方が、この国を救うの」
シャルロット王女は、彼女特有のドヤ顔でそう言った。
ガストンはこの日、死を覚悟した。
――――――――
城の別の一室では、第一子アルフォンス王子とその騎士が集まっていた。
アルフォンス王子はシャルロット王女と同じ白に近い金の髪を持つ、整った顔の美男子である。
普段は性格も穏やかで優しく、国内での人気も高い。
だが今日に限っては、その端正な顔を歪ませていた。
「――なるほど。貴様らは、『収集家』のスカウトと、ガストン及びシャルロットの暗殺、どちらも失敗したのだな」
数日前に起こった、ゾロマニアの杖の持ち出し事件。
そしてそれを颯爽と解決した英雄ガストンのことを、アルフォンス王子は諜報部隊を用いて早急に仕入れていた。
早速隊に加えようと親衛隊員を向かわせたのだが、たまたまロマーヌの街周辺を巡回していたシャルロットに綺麗に先を越されてしまったのだ。
話を聞く限り、ガストンは一万年に一人、いや世界に一人と評するべき超人であった。
ただのノークスであるということが、重ね重ね信じられない。
彼の親衛隊隊長、狂戦士ブライアンをぶつけても、間違いなく負ける。
現在アルフォンスは次期王の最有力候補であるが、第二候補の第二子サンドラス王子に追いつかれつつある。
こんなところで、愚妹のラッキーパンチによって王である父の前で無様を晒すわけにはいかなかった。
そこで彼は、二つの策を講じた。
その内の一つが、巡回帰りのシャルロット王女の暗殺である。
アルフォンス王子は親衛隊の他に、陰で動かせる、汚れ仕事専門の隊を用意していた。しかし、彼らの死体が上がり、身元が割れれば、すぐアルフォンス王子のことは発覚してしまうだろう。
そこでアルフォンス王子は汚れ仕事専門の隊に盗賊を雇わせ、シャルロット王女の乗る馬車を強襲させた。
上手く不意を突ければと願っていたのだが、こちらは呆気なく失敗した。
リスクを考えれば、使い捨てのできるものしか雇うことができない。
元より勝ちの目が薄かった。
もう一つの策は、世界最強と恐れられる冒険者、『収集家』を自軍に加えることであった。
記録では、『収集家』は百年前に伝説級の冒険者となったとされている。
まったく歳を取らずに世界を旅し、各地の宝を集めて回っている。
性格には難があり、酷く傲慢で強欲、気性が荒く、その上に残虐だと噂されていた。
しかし、実力は間違いない。
ガストン程度、簡単に捻じ伏せてしまうだろう。
その彼を国内で見かけたという噂があったため、そちらもアルフォンス王子は自らの騎士に捜させていた。
しかしほとんど手掛かりは掴めず、ついには闘技大会前日へと迫っていた。
「この戦いは捨てるしかないのか! 所詮は大局で見れば小さな一戦だが……クソッ! あの愚妹が相手ならもらったようなものだと思っていたのに、ガストン・ガーナンド! まさかこんな男が田舎街から出てこようとは! どうする……戦って負けるよりは、理由をでっち上げて戦い自体を潰してしまう方がまだ傷は浅いか?」
アルフォンス王子は頭をガシガシと掻き、ぶつぶつと呟く。
「アルフォンス様、儂に任せてくだされ」
アルフォンス王子の前の大男が、低い声で言った。
アルフォンス王子の親衛隊隊長、狂戦士ブライアンである。
「駄目だ! 『収集家』も拾えなかった今、貴様に怪我をされては困るのだ! 悪魔を素手で引き千切るような化け物の前に出せるものか! 万が一貴様が使いものにならなくされては、私の王への道は潰えてしまうであろうが! 出場するにしても、隊から臨時の者を立て……」
そのときアルフォンス王子は殺気を感じ、言い切ろうとした言葉を呑み込んだ。
他の親衛隊が剣の鞘へ手を当て、アルフォンス王子とブライアンの間に分け入る。
「た、隊長殿、何を考えておられる!」
「アルフォンス様に殺気を向けるなど!」
親衛隊員は、震える声で言った。
ブライアンは一歩引き、戦う意思がないことを示す。
だがそれでも、彼らの震えは止まらなかった。
「アルフォンス様、儂に、任せてくだされ。強者と相見える。それだけが、この儂の喜び……そのためだけに、儂は貴方様に仕えておる。儂に流れる血の誇りに誓い、必ずやそのガストン・ガーナンドを屠ってご覧にいれましょうぞ。その男、二度と戦地に立てぬ身体にしてやればよろしいのですな」
ブライアンはゆっくりと、重く言葉を紡ぐ。
その節々から漏れ出す、暴力的なまでの戦いへの渇望。
そしてそれが近いことを予期して興奮したためか、彼の目は今までアルフォンス王子が見たこともないような禍々しい光を放っていた。
ブライアンの冷気が室内を覆い尽くし、アルフォンス王子と親衛隊を震え上がらせた。
アルフォンス王子は悟った。
ブライアンを恐ろしく強い騎士として重宝していたつもりではあったが、今まで王子が見てきたブライアンは、彼の本気ではなかったのだ、ということを。
ブライアンは子供のままごとの相手をするように親衛隊隊長としての役割を熟しながら、その中でいつか真の強敵と戦える日をずっと待ち望んでいた。
A級冒険者、狂戦士ブライアン・ボンド。
彼はノークスではない。
ダルドワーフという、『血塗れの巨人』と恐れられた戦闘種族の末裔である。