英雄の宿命(sideガストン)
ロマーヌの街、北大通り。
商人の住宅と、少し値の張る洒落た店が並ぶ、街の中でももっとも綺麗な景観を誇る街路だ。
そこを、二人の若い娘と、一人の大男……ガストンが歩いていた。
「ガストン様! 自分は、自分はどうすれば、ガストン様の強さに近づけるでしょうか?」
娘の内、剣を背負った方か必死にガストンに声を掛ける。
彼女の名はナタリ。
駆け出しの冒険者である。
「俺様に……か。俺様は、名声がほしいとか、一流の冒険者になりたいとかでこの道を選んだわけじゃあない、ただ人の役に立ちたくて必死になっている内にここまで来ただけだ」
ガストンの言葉を聞き、ナタリははっと口を開く。
ただ強くなりたいと考える、自分の人としての浅さに気付かされたのだ。彼女は顔を赤く染め、俯いた。
「そう焦ることはない、人それぞれであろう。……ただ、俺様は、小さい頃に苦労している奴を見すぎたからな」
ガストンはそう言って空を仰ぎ、眩しそうに目を細める。
彼のその横顔を見上げ、ナタリは小さく頷いた。
「ちょっとアンタ、何辛気臭いことガストン様に聞いてるのよ。お話が済んだのなら、さっさと帰ってもらえるかしら?」
ガストンの腕に抱き付いていた女、メリッサが口を挟む。
その声に、むっとしたようにナタリは顔を顰める。
「なな、なんで貴女がそんなこと言う権限があるんですか! 貴女ずぅっとベタベタくっ付いてるけど、ガストン様の何なんですか!」
メリッサとナタリが足を止め、二人で睨み合う。
ガストンはふぅーと深く息を吐き、首を振った。
「こらこら女共、俺様のために争うのはやめろ」
ガストンはにやけ面でそう言った。
ガストンにとって、自分よりも一回り以上年下の女の子に、それも二人から同時にちやほやされることなど初めてだった。
いつも自分と同種の柄の悪い女を相手にしていたこともあり、彼女達の気品、育ちの良さ、価値観、そのすべてが新鮮であり、それがまた魅力的に感じた。
あの小僧の案に乗ってよかったと、ガストンは改めてそう思う。
そのせいで愛剣バイラブロウを売り飛ばされるという目にも遭ったが、それを差し引いてもガストンは幸せであった。
厄介者扱いになれていたガストンではあったが、久々に浴びた純粋な尊敬の眼差しは、彼にとっても心地の良いものであった。
それに今、ガストンの腰には新・バイラブロウがあった。
新・バイラブロウはすらりと長く格好良い、前代のバイラブロウとは対照的な剣である。
見栄えはよく、重量も軽いため持ち歩きやすい。
ただ、新・バイラブロウは模擬剣である。
その刃に斬れ味といった概念はない。
木に剣を振れば刃は砕け散り、塵と化すだろう。
なんとか恰好を付けたいと思い、安値で急ごしらえで用意したものだ。
「ふうー……。おい女共、俺様は……」
ガストンが話し始めると、今にも掴み合いを始めそうだったメリッサとナタリが口を閉ざす。
ガストンが次の言葉を発しようとしたとき、遠くから悲鳴が上がった。
「うわぁぁあああっ! 逃げろ、逃げろぉおっ!」
「石にされるぞぉおおっ!」
ガストンの向かっていた方向の先から、多くの人達が逃げるように走ってくる。
一目見て、ただ事ではないと判断した。
ガストンは逃げる人の群れの中に、準C級冒険者、スイ・スードニアの姿を見つけた。
スイは灰色の髪を持つ、美形の剣士である。その上クールで実力もあり、正義感も強い。彼のミステリアスさも合わさり、人気は高い。冒険者に珍しく礼儀もよく、近々どこかの貴族から声が掛かるのではないか、などと噂されていた。
このロマーヌの街で唯一、ガストンの横暴に口出しをできる冒険者であった。
『小悪党が、二度と私の前に姿を見せるな。次は、本当に斬り捨てるぞ』
一度刃向かい、私刑に遭ったときに言われた言葉である。
その言葉通り、以来、ガストンはこそこそとスイを避けていた。
そのスイが、クールな顔を崩して先頭を走っていた。
唇をとんがらせ、頬を窄め、腕を大きく振って全力疾走していた。
「どけぇぇぇええ! おい貴様ら、私の前を遮るな、斬り捨てるぞぉおおお!」
一般人を差し置き、スイはガストンの横を駆け抜け走っていった。
ガストンは振り返り、スイの背を見つめる。スイの背は、どんどんと遠ざかって行く。
街でとんでもないことが起こったのだと、ガストンはそう実感した。
「よ、よくわからんが、逃げねば……」
ガストンが二人を振り返る。
「あ、あの人……冒険者なのに、準C級なのに……逃げるんだ……」
「うわ、サイテー……今、前にいる人をこかして走ってったわよ。アタシ、ちょっとかっこいいと思ってたけど、幻滅したわ」
ナタリとメリッサが、落胆の声を漏らす。
スイは、現在ロマーヌの街を拠点にしている冒険者の中で、最もランクの高い冒険者であった。ガストンが近々C級まで飛び級することに決まっていたが、まだその発表は行われていない。
そのためスイは冒険者新聞でも度々取り上げられており、知名度は高い。
だからこそ、彼女達にとっても失望は大きかった。
「おい、逃げ……」
「あのスイが逃げ出すなんて、ガストン様がいて本当によかったわね」
「ええ、そうですね。何か非常事態のようでしたが、ガストン様がいるのならば何も問題はありません」
「…………」
ガストンは言葉を失った。
周囲の人達の口振りからして、街にとんでもない魔獣でも入り込んできたのだろう。
今のガストンは武器も持っていない。素手で魔獣の前になど、飛び出せるはずがない。
「アタシがいても、足を引っ張るだけね。ガストン様、頑張ってくださいね」
その言葉を聞き、ガストンは安堵した。
狩りに行ったことにして適当に逃げてしまえばいいと、閃いたのだ。
後は街に隠れ住む、表に出られない謎の魔術師が、きっといい感じに片づけてくれるはずだ。そしてあのアベルという小僧が、討伐部位を渡してくれるに違いない。
そうしてまた、自分の功績を積み上げることができる。
ナタリとメリッサには、また別の日に後日談を聞かせてやれば万事解決である。
「ああ、後は俺様に任せておくがいい!」
ガストンがそう力強く言い、人々が逃げるのとは逆の方向、騒ぎが起きている方へと向かって走り出す。
途中で適当に曲がり、逃げればどうにかなるだろうと考えていた。
その後ろを、ナタリが追いかけてくる。
「ガストン様、私がお供いたします!」
ガストンは無言で走る速度を上げた。
もうばれてもいいから逃げてしまうか、命には代えられないガストンは考え、曲り角に飛び込もうと身体の方向を変えた。
そのとき、すれ違った人達が皆、ガストンを見て歓声を上げていることに気が付いた。
「ガストン様だ!」
「やった、助かった! ガストンが来てくださったぞ!」
「ガストン様! おかあさ、お母さんを助けてください! ガストン様!」
ガストンは振り返り、彼らの目線を受け、曲げた足を元の向きに戻して駆け出した。
「ようやく思い出した……」
ガストンは走りながら、独り言を漏らした。
誰が好き好んで嫌われ者になりたがるものか、
誰が好き好んで鼻摘み者になるものか、
諦め、燻り、腐り、それでもしがみついていた。
その根元が何であったのか、今ようやく思い出したのだ。
「俺様は、英雄になりたかったのだ!」
雑踏と悲鳴の中、ガストンは吠えた。
「俺様が、俺様がこの街を守る!」
虚飾の英雄が叫ぶ。
大きな腕で、お飾りの剣を掲げて。
しかし飾りの英雄だからこそ、その姿は他の誰よりも勇敢に見え、恐怖し逃げ惑う者達へ安堵を与えた。
……きっとこのときのガストンは、自分を頼る声を聞いて高揚し、冷静な判断力を失っていたのだろう。
周囲から絶賛され続けたことで、自分が強くなったと、そういう勘違いもあったのかもしれない。
ナタリが追いかけてきたことで思惑が崩れ、混乱していた、という線も捨てがたい。或いは、そのすべてか。
とにかく、ガストンはこの後、数分の内に冷静に戻り、この上なく後悔することになった。




