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3 はじめの功績


初めの転機が訪れたのは、或斗が二十歳になったころだった。


仕事の関係で近隣国のセリナまで出ていた或斗は、二人の同僚たちとともに、セレイア行きの列車に乗り込んだ。列車の中は旅行者や地元の人々で少しばかり混み合っていたが、それでも無事に三人分の席を確保することができ、ようやく休憩できると安堵の息をもらしながら、三人は席に着いた。


この世界での主な移動手段である列車には、車両ごとに分かれた三つの座席タイプがあり、ひとつは車両の両側に長椅子を配置し、吊り革を天井から垂らすことで、座れなかった乗客が立ちやすい設計となっている。ふたつめは、二人掛けの座席を向かい合わせにしたボックス席が敷き詰められたタイプで、現在或斗たちがいる車両がそれだ。最後は、少し詰めれば三人座れるほどの座席を向い合せにし、さらにそれを個室として分けたもので、小さい子どものいる家族連れや、周囲を気にせずに仲間と話したい若者たちなどが、よく利用している。


席に向かうまでの通路を歩いていると、前から走ってきた少女とぶつかった。青紫の髪を両側の側頭部で結わえた、活発そうな少女と、そのうしろからストレートヘアのおとなしそうな少女が歩いてくる。顔立ちが似ているので姉妹、もしかすると双子なのかもしれない。


「走ると危ないよ」


子どもにとって知らない大人というものは、それだけで怖がられて警戒されてしまう。できるだけ威圧的に思われないように優しく言い、頭を軽く撫でてやると少女はごめんなさい、と素直に謝った。うしろのおとなしそうな少女もぺこりと頭を下げる。まだ幼いが、しっかりしている。


少女たちが去っていったあと、席に着き、最近に身近で起こった笑い話や、仕事や上司の愚痴など、退屈な移動時間を取るに足らない雑談で繋ぎ、話しが一段落したところで、仲間の一人が煙草を吸うと言って席を立った。少しして、或斗は飲み物を買ってくると言って立ち上がる。


そして通路に出たとき、車内全体が、がたん、と大きく揺れた。


直後、異様なまでの浮遊感。


バランスを崩し、うしろに向かって倒れたところで、或斗はほんのわずかな間、意識を手放した。


暗転。


人々の悲鳴で我に返る。


体のあちこちが痛むのに耐えながら、横たえていた体を起こす。誰の物かわからない荷物がクッションになったのか、大きな怪我はなかった。周囲を見渡して愕然とする。


座席が壁に、窓が床と天井に――いや、これは。


あたりに散乱する荷物。倒れたまま起き上がれずにいる人々のうめき声。子どもの泣き声。甲高い誰かの叫び声。


事故だ――或斗は悟った。


軽傷で済んだ人々が出入口の扉や窓をこじ開けて外に出ようとしているが、パニックになっている者がほとんどで、皆が皆あわてているため、我先にと逃げ出したがり、結果それによってなかなか外に出られないでいる。


自分たちが座っていた座席のほうを見ると、同僚の一人が割れたガラスの上にぐったりと倒れていた。額を切ったらしく出血しているが、傷は浅い。声をかけると小さくうめいて軽く手を挙げた。意識はあるらしい。ひとまず彼が動けるようになるのを待つ間、座席を使って壁をよじ登り、一番近くの扉をこじ開けた。それに気付いた乗客の何人かがこちらに来る。


「一人ずつ、順番に外へ」


「よ、よかった。出られる!」


「どけ、俺が先だ!」


「痛っ、ちょっと、押さないで!」


誰が先に出るかでまたしても争いが起きようとしていた。或斗が壁を殴る。鈍く大きな音が鳴り、乗客たちがびくりとする。車両内の全員に聞こえるよう、大きな声で或斗が言う。


「争うな! 全員が速やかに脱出するためには、争いなど時間の無駄だ! 一人ずつ、あせらず、急かさず、確実に外に出る! それができなければ全員ここで死ぬだけだ!」


一番近くにいた青年を引っ張り上げ、扉から外に出す。ここまで派手な事故が起きたのだ。燃料が漏れている可能性がある。もしそこになにかの拍子で火が点けば――いや、もしかすると、既にどこかの車両に引火している恐れもある。或斗の言葉に従い、一人ずつ、しかしスムーズに脱出していく乗客たち。


まだ開いていなかったもう片方の扉も開放し、ようやく起き上がってきた同僚に声をかけ、重傷者の避難も開始する。何人かの乗客がそれを手伝いに来る。しかし、ひとつの車両につき、出口がふたつだけではどうしても脱出に時間がかかる。


陽の光が差し込む窓を見上げた。窓は上下のスライド式で、二枚の窓のうち、下側を押し上げることで開放できる。しかし、両開きや嵌め殺しの窓ならまだしも、この窓からの脱出は一人が時間をかけてようやく出られる、というほどに狭い。固定された上側の窓を割ったとしても、窓枠が邪魔なのだ。


今まさに扉をよじ登っていた中年の男に声をかける。


「外にいる人々に、列車から少し離れるように言ってくれ!」


「わ、わかった!」


戸惑いながらも承諾し、男が外に出たあと、かすかに列車から離れるよう誘導する声が聞こえた。或斗は傍に倒れていた女性を担ぎ、窓を睨みつける。光がまぶしい。


集中して、鮮明に、確実に、鉛筆で一本一本の線を紡ぐように、繊細な時間が流れた。


「壊れろ!」


或斗が叫び、パチン、と指を鳴らす。


瞬間、車両内の天井となっていた窓が割れ、窓枠ごと外に向かって吹き飛んだ。想像を再現する、或斗の体脳系の能力だ。合図として便利だというだけで、指を鳴らすこと(フィンガースナップ)に意味はない。


車両内に残っていた乗客たちが唖然とするなか、或斗は怪我人を担いだまま外に出る。誘導のおかげか、列車の周囲、割れたガラスや壊れた窓枠が降ってきた近くに人はいない。


駆け寄ってきた手伝いの人々に怪我人を引き渡し、再び車両に戻る。既に七割ほどが脱出済みのこの車両は同僚に任せ、或斗は隣の車両に移った。個室の中に閉じ込められた乗客たちが助けを求めて叫んでいる。力ずくで扉を開け、中の人々を引き揚げながら、隣へ移動して落ち着いて脱出するように伝える。他の個室の者たちも同様に救出していると、まだ比較的冷静な思考を保っている乗客たちも、それにならって近くの個室の者を助け出した。


さらに隣の車両に移ろうとしたとき、喫煙のために席を立ったもう一人の同僚が倒れていることに気付いた。彼を外に運び出したときには、事故を察した近隣住民たちが遠巻きに列車の様子を見守っていた。脱出を済ませた者たちのほとんどは、腰を抜かしていたり、脱力していて動けなくなっている。それでも、脱出の手伝いを積極的におこなう者もいるため、或斗には助かった。


そのとき、軽傷者の集団の中から一人の少年が列車に向かって駆け寄った。中に入っていこうとする少年を追いかけ、肩を掴んで引き留める。童顔で幼く見えるが、背丈などからおそらく十五歳前後だろう。独特な色合いの青髪に、大きな紫の瞳。たいそう整った顔立ちをしている。


「なにしてるんだ、危ないから離れていなさい!」


「中に知り合いの女の子がいる。大怪我してるんだ!」


「俺が行くから、君はお父さんやお母さんと一緒に……」


青髪の少年は或斗の手を振り払い、彼をキッと睨んだ。


「もういない」


少年の言葉に、或斗はぎくりとする。その隙をついて少年は列車の中に潜り込む。あわてて或斗も追いかけようとするが、ちょうどそのとき、事故の通報を受けて駆け付けた、この地域を管轄する警備隊員たちが或斗に声をかけた。手っ取り早く状況を説明し、乗客の救出と、怪我人の救護を要請する。


そうして列車の中に戻ったときには、例の少年はどこにもいなかった。

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