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16 陽気の陰影

テロ集団二十六人中、身柄を確保できたのはセレイアがなぎ倒した六人だけだった。都市部で一角狼に噛み殺されたのが十六人と、四人が他の警備隊員との戦闘で命を落としてしまったためだ。勝ち目がないとわかって自害した者もいるらしい。テロ集団は全員ネームタグを着けており、連判状との名前を照らし合わせることで、全員分の身許が特定された。


街はあちこち破壊され、人と魔獣との戦争の爪痕が色濃く残っているものの、復興に向けて警備隊を中心にボランティアなどを集い、瓦礫の撤去や建物の修補が急がれていた。死者も怪我人も大勢出たが、八割以上の住民が無事で、被害は最小限に抑えられたと言える。


「なんで呼ばれたかわかってるか?」


数日後、体調も傷もすっかり回復した或斗は隊長室に呼ばれていた。部屋に着いたとき、そこには部隊隊長と、セレイア国の化身、セレイア・キルギス。そしてスーリガ国の化身、スーリガがいた。或斗が部屋に入るなり隊長が先の言葉を或斗に向け、或斗は数秒黙った。


「ええと……心当たりは、あります」


姿勢を正し、説教を受ける体勢で答える。セレイアが頭を掻いた。


「なんつー顔してんだ、てめえ。別に説教のために呼んだわけじゃねえぞ」


「え、ではなぜ」


隊長が真剣な面持ちで語る。


「今回のカルセット襲撃事件……もとい、テロ事件を解決に導けたのは、或斗。お前の働きがあったからだ。お前の調査がなければ、テロ集団の生き残りを逃がしてしまっていただろう。そうなっていたら、いずれはまた同じことが起きていたかもしれん。それに、都市部への侵入をまんまと許したうえに犯人を取り逃がしたとあれば、我々警備隊の民衆からの信用も落ちていたはずだ」


「そいつは紛れもなく、お前の手柄だ。だから、ま、なにかしら褒美をやろうと思って呼んだっつうわけだ」


「……しかし、先日の都市部への攻撃は、あれは未然に防げたはずでした。私の軽率な判断と未熟さが彼らを刺激したばかりに、都市部への攻撃に踏み切らせてしまったわけで……」


「たしかに最善ではなかったろうよ。だが、最悪には至らなかった。最善の解決じゃなかったにしても、上から二番目くらいの結果だと思うぜ、俺は」


「或斗よ、お前があそこでやつらの根城を突き止めなければ、もっと多くの村が襲われて、この結末よりも多くの死体が出ていたはずだ。都市への侵攻により早く気が付き、死傷者を人口の一割にも満たない数に抑えられたのは、お前の登場に焦った彼らが、準備の整いきらないままに、大手を打ってかかったからだ」


「万全の準備で都市部を落とそうとするなら、連中は夜中や早朝を狙っただろう。そうなれば、民にも警備隊にも、もっと多くの犠牲者が出ていた。ここでお前を怒鳴り散らさなきゃなんねえほど、俺はお前の判断が間違っていたとは思わねえ」


「それは……」


「ま、褒美っつっても、なんでもってわけじゃねえ。ここの隊長の権力と、欲張っても俺のちょっとした助力。それで叶えられる程度の望みを叶えてやる。なにかあんだろ? 給料上げろとか、まとまった休みくれとか」


「そんな恐れ多い。私はただ……」


「或斗、もう遠慮しなくていい。お前にはあるだろう。前々から志願していたことが」


隊長があきらめたように言う。人員不足や、タイミング、その他あらゆる事情と言いわけでかわされ続けてきた、或斗の望み。


この機を逃せば、次にチャンスがめぐってくるのはいつになるかわからない。


「ほう? なんだ、なんかあんのか。言ってみろ」


これはチャンスなのだ。


「ロ――」


或斗は顔を上げた。


「ロワリア部隊に――異動させてください」


その言葉を聞き、セレイアは目を丸くしたが、すぐに険しい顔になった。


「……ロワリアだと?」


隊長が補足する。


「彼は元々ロワリア国の出身でして。以前――と申しますか、入隊当初からの彼の希望で、何度も申請されていたのですが、許可できず……理由は話してくれませんが、なにか個人的な事情があるらしく」


「ふはっ、俺様の前で、よりにもよってロワリア国と? そう言ったか、若造」


セレイアは笑っている。が、目には殺意にも似た冷たい光が灯っていた。当然だ。セレイア国はロワリア国と犬猿の仲にある。国民同士はともかくとして、国同士――国の化身として、個人同士の話でもある。ロワリアが国家として誕生したころからの因縁らしく、二国ふたりは千年にわたり、戦争と称して決着のつかない殺し合いを繰り返してきた。セレイアはロワリアをいたく嫌っている。逆もまた、然り。


だからこそ、ロワリア国――厳密にはリワン亡国――の民である男の、ロワリア国に関する願いは、なんであれ却下されるだろう――その焦りを感じた或斗は、咄嗟にその場で膝と手をつき、頭を下げた。


「お願いします。ロワリア部隊に行かせてください!」


「あ、或斗……」


隊長の動揺する声が聞こえる。セレイアからの承諾を得るまで、頭を上げることはできない。五秒ほどの沈黙が流れたかと思うと、セレイアが大きな高笑いを上げた。一人の足音が或斗に近付き、頭の前で立ち止まる。布の擦れる音がしたと思うと、髪を掴まれ、無理矢理に顔を上げさせられた。黒い瞳が目の前にあった。


「気に入った! ……或斗、と言ったか。風を司る地の民よ。てめえのその血は気に入らねえが、その潔さが気に入った。いいだろう。なにがそこまでてめえを駆り立てるのかは知らねえが、その願いを叶えてやる」


セレイアは笑っていた。邪悪な笑顔だ。いつもどおりの笑顔とも言える。セレイアは或斗を離し、部屋の隅に立っていたスーリガを見た。


「スーリガァ、聞いたろ。ロワリア部隊に空きがねえか調べろ。空きがねえなら、こっちに来たがってるやつが何人いるか洗い出せ。今すぐだ」


「人使いの荒い……少し待っていろ」


スーリガは嫌そうな顔でこちらに歩を進め、そのまま或斗とすれ違って部屋を出て行った。入れ替わりに、一人の隊員が閉じかけた勢いよく開け放つ。


「その話、ちいとばかし待ってもらおうか」


「赤兵!」


左腕にまだ包帯を巻いた状態の赤兵が、ずかずかと部屋に侵入し、或斗の隣に立った。


「或斗をロワリア部隊に移すってんなら、あたしも行く」


「な、なに言ってるんだ赤兵、お前は別にロワリアになんの用も」


戸惑う或斗がそう言うと、赤兵はまだ痛むはずの左腕で或斗の胸ぐらを掴む。


「あたしはあんた以外に従うつもりはない。あたしの相棒はあんただ。あんたの相棒はあたしだ!」


「だからってお前までここから抜けていいわけないだろう。もう少し協調性というものを……」


「いいんじゃねえの?」


セレイアがなんでもないように言う。或斗の言葉に頷いていた隊長がぎょっとした顔でセレイアを二度見した。或斗もまた、豆鉄砲を食らったような顔で固まる。元気なのは赤兵だけだった。


「ロワリアなんて大した事件なんざ起きねえ平和ボケした国だ。そう人数もいらねえだろ。この二人が抜ける分、向こうから何人か引っこ抜きゃ、穴は埋まるし不備はねえはずだ」


「い、いいんですか……?」


「なんだ或斗、今さら置いて行く気か? そんなにあたしと離れたいかよ?」


正直、或斗が入隊当初からロワリア部隊への異動を志願し続けていたのは事実であるし、その気持ちは今でも変わっていない。セレイア部隊が嫌なわけではない。ここに所属する隊員たちや、自らが指揮を執る班の面々だってかけがえのない仲間だ。しかし或斗にとってセレイア部隊は最初から、ロワリアへ行くための通過点だった。未練があるとすれば――それは、赤兵をここに残していくこと。赤兵と相棒でなくなってしまうこと、その寂寥感だけが或斗の心に突っかかっていた。離れたいわけがない。今さら赤兵以外が自分の隣にいる環境など想像もできない。高望みしすぎだと半ばあきらめていたことだが、もし彼女も一緒にロワリアへ来てくれるのなら、或斗にとってこれ以上うれしいことはないのだ。最高の相棒を手放したくないと思っているのは、赤兵だけではない。


或斗は赤兵の言葉になにも言い返せなかったが、赤兵はそんな或斗の顔を見ると、満足げに口角を上げた。部隊長が額の汗を拭きながら手を挙げて割り込んでくる。


「し、しかし、お待ちください。手柄を上げたという大義名分のある或斗隊員はともかく、赤兵隊員にはなにも……」


「手柄ならあんだろ。ほれ、六番で迷子になったちっこいガキだ」


「あ、の、ユミルという少女がなにか?」


「ありゃあ、あと十何年もすりゃ相当の美人になる。未来あるガキ、それも将来の美女の命を救ったとなっちゃ、褒めねえわけにもいかねえな」


「話のわかる男で助かるよ、セレイア。うっかり惚れちまいそうだ」


「赤兵隊員、不敬だぞ!」


「隊長、納得してねえのはあんただけだぜ。というか、あんたより上の立場のお国さんがいいって言ってんだ。行かせてくれるだろ?」


ここで部屋の扉が開き、スーリガが戻って来る。


「セレイア。ロワリア部隊に確認を取ったが、セレイア部隊への異動を希望するロワリア部隊の人間は、今のところ六人。それと都合のいい話ではあるが、ロワリア部隊の隊長はもう定年で、すぐにでも退職を望んでいると。次を継げる隊員を探しているらしい」


「お、それなら決まりだな。その六人をこっちに引き抜いて、この二人を向こうに移せ。この或斗は部隊長としてな。すぐにだ」


「急かすな。そうすぐに決まる話ではない。こっちの大陸長と、向こうの大陸長にも話を通さねばならん。無論、ロワリアにもだ」


「だったらロワリアへの連絡はお前がやれ。警備隊の上のほうには俺が話をつける」


「……部隊長殿?」


不躾にも赤兵は挑発的な視線を隊長へ向ける。隊長は開き直るように机を叩いた。


「ええい、わかった、わかった! お前のような躾のなっていない狂犬は、どこへなりとも行ってしまえ! 厄介者を追い払えて、清々するわ!」


隊長が渋っていた理由もわかる。なんだかんだ言っても、赤兵はセレイア部隊にとって強力な戦力なのだ。失うのは惜しい。しかし赤兵が残って或斗だけが去ってしまえば、彼女を従えられる者がいなくなって今以上に扱いづらくなると感じたのだろう。それに、もう既に異を唱えられる空気でもなくなってしまった。この場において最高の権力を持つセレイアが許可してしまったからだ。


ともあれ、こうして或斗と赤兵のロワリア行きが決定したのだった。



*



「土下座の話って本当だったんだ」


礼が手に持ったジョッキを揺らしながら笑っている。或斗がセレイア部隊からロワリア部隊へ移るために土下座をしたという話は彼も知っている。それが嘘か本当かなど、改めて確認せずとも礼ならばわかるだろうに。


「赤兵班長が狂犬って呼ばれてたなんて、知りませんでした。気の強い人だとか、豪快な人だということならともかく、今の話で聞いていたほど、狂暴なイメージがないですし」


「そうだな。こっちに来てからは、セレイアにいたときよりおとなしくなったのは確かだ。班長になって指示を出される側から出す側になったことも大きいだろう。それに、梨乃香はまだあまり現場には出れてないからな」


「あっちと違って、こっちの隊員はなんつーか、あたしに対してごちゃごちゃ口うるさいやつがいないんだよ。それもビビッてなにも言えないんじゃなくて……こう、ゆるいんだわ」


「やっぱその土地ごとに部隊の空気も全然違うものなんだな」


「まあな。こっちに来たばかりのころは、俺も赤兵もまずそのカルチャーショックに戸惑ったよ」


「鍵開けだって言って、扉を蹴り破るような(ひと)がいるくらいですからね」


「それについては、どうかな。ロアや探偵も自分の足をマスターキーだと思ってるし、俺はそんなに珍しいこととは思わないけど」


「ロアさんや探偵が? 想像できん……」


「いやあ、あの二人は結構な脳筋だよ」


「あたしも寮の扉や木の扉くらいなら蹴って壊したことあるけど……非常用の斧やショットガンのこともマスターキーって呼ぶタイプだな、そいつらは」


「あっはっは、二人なら言いそうだ」


冗談なのかそうでないのかわからない話に笑っていると、店の扉が開いて、一人の若い茶髪の男が入ってきた。コートを着込んだその青年は、右の目元から口元にかけて一筋の傷跡があり、背の高さと無表情のせいでやや威圧的にも見える。


傷の男は店内を見回し、或斗たちに気付くとこちらに向かって歩いてきた。


「礼、ここにいたのか」


「よう、郁。お前も飲むか?」


郁、と呼ばれた男はため息をつく。彼は雷坂郁夜らいさかいくよ、礼の幼馴染の親友であり、同じ組織に勤める副支部長、つまり立場上の部下である、彼の相棒だ。そして、或斗にとってのキーパーソンでもある。


「夜も遅いのに帰ってこないから迎えに来たんだ。そろそろ撤退するぞ」


「え? もうそんな時間?」


時計を見ると、時刻はもうじき午後九時になろうとしているころだった。ずいぶん長く話し込んでいたようだ。まだ遅いというほどでもない時間だが、少なくとも彼にとっては遅い時間なのだろう。礼は名残惜しそうに立ち上がる。


「じゃあ或斗、またな。代金ここに置いとくから」


「奢るよ。次に一緒に飲むときは、もっとゆっくり時間を取ろう」


二人が去ったことをキッカケに、或斗たちもそろそろ解散する流れとなった。梨乃香を自宅まで送り届け、赤兵と二人で冬の夜道を歩く。あたりは暗く、しかし降り積もった雪と吐く息の白ははっきりと見える。


「ずいぶん遠くまで来ちまったもんだ」


或斗の隣で赤兵が呟く。


「俺としては、やっと帰ってきた心持ちだが……たしか、赤兵はエレスビノの出身だったか」


エレスビノとはセレイアのある西大陸の最南端に位置する、海に面した国のことだ。セレイアに比べると、のどかなところだと聞く。そのエレスビノで生まれ、セレイアへ、そして今度は海を渡ってロワリアへ。彼女の人生はずいぶんと忙しい。


「故郷が恋しいか?」


「まさか。あたしがそんなの気にすると思うかい?」


「……いいや」


ここに来るまで長かった。だが、過ぎ去ってしまえば、長かったようで短かったようにも思える。ただ一人の、血も繋がらない一人の男の死の真相を知りたい。それだけだった。目指すものがそれしかなかった。ずいぶんと遠回りをしてしまったが、真実を知りたい――或斗のその願いを叶えるには、これが正解の道だったのだろうと今では思う。或斗は満足だった。


もはや目標らしい目標もない人生と相成ってしまったが、なんのために警備隊を続け、なんのために生きるのか。これからしばらくは、それを探すために生きることになるだろう。見通しのない生き方ではあるが、それも悪くないはずだ。


「あまり長いこと外にいると門限をすぎるな。寮まで送るよ」


「警備隊の寮の門限なんて、あってないようなもんだ。あたしなんて守ったためしがないし、あたしらが事件の調査でうっかり一晩無断外泊したときだって、ちょっと注意されたくらいで叱られるようなこともなかったろ」


「まあ……とりあえずで言ってるだけっていう感じなのは否定できないな。赤兵はずっと寮生活でいいのか?」


「いいよ。たしかに入寮は強制じゃないけど、寮のほうが行き帰りも近くて楽だし。寝坊しそうになっても近くの部屋の誰かが起こしに来るし。セレイア部隊の寮よりすごしやすいからな」


「俺はこっちの寮のことはわからないが、日頃の部隊の空気から想像すると、たしかに向こうよりは落ち着けそうだ」


「ロワリア部隊の寮って、めっちゃ綺麗なんだぜ? ま、外での暮らしにあこがれる気持ちが微塵もないって言ったら嘘になるけど、今から住むトコ探すのも面倒だし。現実的に考えると、一人暮らしはいろいろ不便だろ」


「たしかに。寮は掃除が当番制で、食事も食堂があるし、仕事をしながら生活する意味ではそっちのほうが楽だろうな」


「あんたちょっと神経質なところあるからね。隣の部屋の音とか、廊下を人が行き来する音が気になるんだろ。休むって意味じゃ寮は向いてない」


「まあ、な。俺の場合はとくに、脳を休めることに重点を置く必要があるから」


濃紺の空からちらちらと雪が舞う。


とりとめのない会話をしながら歩く二人を、物陰からじっと見据える一対の目があった。


その眼差しには明らかな敵意が込められ、今か今かとその牙を剥く瞬間を待ち続けている。そのことに二人が気付くのは、それからほんのわずかあとのことだった。


これは、とある冬の日に起きたひとつの事件、その前日譚である。

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