14 その娘、狂犬につき
先ほどの女性の言っていたとおり、東へ走り、まずは六番通路を目指す。他の隊員たちは避難誘導をしつつ、人間の気配に寄ってきたカルセットと交戦している。A班が南側で群れを押し留めていると言っても、街にはカルセットの姿が増えてきている。均衡が崩れるのも時間の問題だ。先ほどの通信で聞いた、何者かによって統率された群れ以外にも、この近くに生息していたテロと関係のない野生のカルセットが、大群での侵攻の騒ぎに興奮して、一緒になって人々を襲っているのだろう。走りながら無線を手に取った。
「こちらB班、班長代理赤兵。六番通路付近で親とはぐれた子どもを見たやつはいねえか! 白いリボンに黒のワンピース、髪の長い五歳の女の子、名前はユミル!」
『こちらD班、六番は近いが、それらしき少女は見ていない』
『同じくD班。確認したが、こちらの避難所に迷子の報告はないようだ』
「じゃあこのまま捜しに行く。避難所、避難列ともに、ユミルを見つけたら教えてくれ!」
『待て赤兵、単独で動くのは危険だ!』
「うるせえ! あたしより強くなってからモノ言いな!」
無線を切って走る速度を上げる。六番通路に向かい、先ほどの女性が娘とはぐれたと言った地点からは、物陰や建物の中に注意を向けながら通りを歩いた。近くにいたカルセットが少女の名前を呼ぶ赤兵の声を聞きつけて飛びかかってくるが、赤兵の戦闘能力も負けていない。
額に生えた大きな一本角。耳元まで裂けた大きな口。鋭い爪と牙。獣の突進を避けながら剣を抜き、背中を向けた獣に、横薙ぎに刃を振りかぶる。後ろ足を斬られた獣は情けない声を上げると、後ろ足を引き摺りながら撤退していく。
「なるほどね。たしかに角つきの口裂け狼だ。アレが或斗の言ってたイッカクローってやつか。ったく、これのどこが夜行性だってんだ。ざけんじゃねーよ、今バリバリ昼だぞ」
引き続き、赤兵が周囲を警戒しながら進んでいると、すぐ隣の民家から悲鳴があがった。子どもの声だ。駆けつけると、一人の少女が建物の中に逃げ込もうと走るうしろから、四匹の一角狼が追い立てているところだった。白いリボンのついた黒いワンピース。年端のいかない面持ちに長い髪。
軒先に飾られてあった小さな鉢植えを、今まさに少女に飛びかかろうとしていた一角狼の頭に投げつけた。魔獣は一瞬だけ怯んでこちらを睨む。一匹が動きを止めたので、他の三匹も異変に気付いたのか、注意が少女から赤兵に向いた。
うち一匹の魔獣が後ろ足で砂を蹴り、助走もなしに赤兵に向けて飛びかかった。それが喉元を狙った跳躍であることを、赤兵は既に見抜いている。その場に素早く屈んで剣を縦に持ち、頭上を飛び越えていく一角狼の腹を裂くように斬りつけた。初手で大きなダメージを受けた獣は、着地に失敗して地面に叩きつけられるも絶命には至っておらず、手間取りながらも立ち上がろうとしている。
次に二匹が同時に駆け出した。一匹は同じように飛びかかり、もう一匹はそのまま大きな口を開けて突進した。鋭い牙がぎらりと光る。赤兵はもう一度剣を縦に構え、今度は斬りつけるのではなくそのまま受け止めて防御した。同時に高く跳んで噛みつきを回避。そのまま足の下に来た頭を思い切り踏みつけ、剣で防いだ牙を押し返す。ここに来る前に追い払ったときと同じように、一角狼が着地したところを斬りつけ、足に傷をつけた。
ここで、赤兵の戦いを呆然と見ていた黒いワンピースの少女が、思い出したようにはっとして家の中に逃げ込もうとする。それに気付いたうしろの一匹が、獲物を逃がすまいと振り返った。その眼光にあわててしまったのか、少女は扉の前で転倒した。追い打ちをかけるように一角狼が牙を剥く。
少女の恐怖に満ちた悲鳴。
ごり、と骨を噛み砕く不愉快な音。
ほとんど同時に、獣の首から血飛沫があがった。
「く、そッ、おい、嬢ちゃん! 大丈夫か?」
「あ、あ……」
獣の体が力なく地面に倒れ伏す。真っ青な顔で震えている少女を右腕に抱え、目の前の民家に駆け込んだ。手傷は負わせたものの、あとの三匹はまだ死んでいない。だが、窓を破って飛び込んでくるような元気はないだろう。
じわり、と紺色の制服に血がにじんだ。
「お、お姉さ……う、腕が……」
間一髪、間に合ったのは赤兵の左腕。吐きそうなほどの痛みに思わずうめいた。前腕に大きな咬み傷がくっきりと残っている。激痛に耐えれば、かろうじて指を動かせるが、力はまるで入らない。肉をもぎ取られなかっただけ御の字、と言ったところか。
「なんの、これくらい……平気だ。それより嬢ちゃん。名前はユミル、で合ってるかい?」
「ど、どうして、ユミルを知ってるの?」
「あんたの母さんに頼まれて、あんたを捜しに来たのさ」
「ママが? ねえ、ママはどこ?」
「すぐ会えるよ。ちゃんと連れてってやる、安心しな。……その前に、腕をどうにかしねえとな。この家のどこかに、医療キットでもあれば」
歯を食いしばって立ち上がり、手当てに使えるものがないか周囲を見ながら、無線を取った。呼吸を整える。
「こちらB班、班長代理赤兵。さっき言ってた迷子を発見、保護した。避難所にこの子の母さんはいるかい? ちょっと服を汚しちまったが、あんたの娘は無事だって、伝えてやれ」
『こちらD班。母親は既に避難所に到着している。近辺の部隊からも着々とセレイア部隊に合流してきているが……南区を担当していたA班とE班の防衛が一部、破られたと報告が入っている。大群に巻き込まれる前にここまで来られそうか?』
「どう、かねえ。急いではみるが……」
『……おい、赤兵。少女が無事なのはもっともだが、お前もきちんと無事なんだろうな?』
「はあ? てめえ、誰に向かって言ってるかわかってんのか? ……とはいえ、合同班がトチッたなら急がねえとまずいな。あーあと参考までに聞きたいんだけどさ、一角狼の牙って、毒とかないよな?」
『いや、そんなはずはないが……おい、赤兵、お前まさか』
「そうかいそうかい。んじゃひと安心だ。すぐに嬢ちゃんを避難させる。じゃあな」
無線を切る。
「あー。しッかし、この傷は……或斗にだけはバレたくねえな」
南から北上してくる一角狼の大群を押し留めていたA班とE班。その防衛が突破されれば、街での戦いはさらに激化する。既に増援が向かっているとは思うが、もたもたしていては巻き添えは必至。手当ての時間が惜しい。洗った傷口に酒をかけ、ネクタイをほどいて腕を強く縛り、止血した。
「お姉さん、これ……」
部屋の奥へ行き、引き出しを開けたユミルが、そこから取り出したらしいハンカチを赤兵に渡した。
「お姉さんにあげる。怪我に使えない?」
「ここ、嬢ちゃんのうちだったのか?」
「うん……ママがいなくなっちゃったから、もどってきたの」
「ありがとう、助かるよ。んじゃあ、早いとこママに会いに行こうか」
「でもお外は……」
「大丈夫、なにがきてもあたしが守ってやる」
窓からそっと様子をうかがうと、家の前にはまだ先ほどの一角狼がうろついている。いなくなるのを待っている時間はない。正面突破か、気付かれないように裏から抜け出すかだ。そのどちらかを選べというのなら、当然、答えは決まっている。
「……お嬢ちゃん、ここにいな。あたしがいいって言ったら出ておいで」
「う、うん」
心細そうな少女を置いて、赤兵は単騎で外に出た。たった一枚の扉の向こう。一人になったと言うにはあまりに近い。声を出せば返事が来る距離で、時間にして一分にも満たない。それでも、無知で無力な少女にはどれほど恐ろしく、どれほど長い時間に感じられただろうか。
どすん、と外の壁に重い物がぶつかる鈍い音のあと、赤兵は外から声をかけた。
「もういいよ。おいで」
頬の返り血を袖でぬぐいながら言うと、家の扉が開いてユミルが飛び出してきた。そのままぴったりと赤兵の服に掴まり、あたりをキョロキョロと警戒しながらうしろに隠れる。南の方角を確認すると、あちこちから黒煙があがっているのが見えた。先ほどまでより空気が騒がしい。
「おっと……既にあっちは地獄か、マジで急いだほうがいいな。ちょっと走るぞ、お嬢ちゃん。ついてきな」
右手に抜き身の剣を握って避難を急ぐ。赤兵が少女を抱えて走るのが一番手っ取り早いのだが、単独であり片腕しか使えない今の状況ではリスクが高い。道中でカルセットに出くわした際に対応が遅れる。それに、走った振動で腕の傷がひどく痛むため、赤兵自身もそれほど速くは走れなかった。
ユミルが近道だと言って教えてくれた路地や通りを駆使して北東へ向かう。途中、他のB班の隊員たちからの連絡があったが、三番通路で交戦していた彼らは無事らしく、動ける何人かは他の班の応援に向かったらしい。
「そこに誰かいるのか! おーい、助けてくれ!」
教会の前を通り過ぎようとしたとき、敷地内から男の声がした。ユミルが赤兵の服の裾を軽く引っ張り、不安そうに見上げてきた。赤兵は無言で視線を返してから教会に向けて声を上げながら、開いたままの正門をくぐる。
「こちら警備隊。セレイア部隊B班、副班長の赤兵だ! 逃げ遅れたのか。どこにいる? 大丈夫か!」
「こっちだ、早く来てくれ!」
建物の中ではなく、そのすぐ横側にある庭のほうから聞こえた声をたどる。しかし角を曲がる直前に、赤兵の鼻が働いた。教会の壁に背をつけ、中庭のほうに靴先だけ見せると、顔より先に抜き身の剣を強く前に突き出した。
瞬間、勢いよく飛び出してきた一角狼の首を、赤兵渾身の刃が貫く。剣を引き抜き、軽く振って血を飛ばす。
「嬢ちゃん、さがってな」
あっけにとられているユミルを残し、今度こそ中庭に出る。そこにいたのはマスクを着けた一人の男と、男を囲む十数匹の一角狼。しかし、魔獣たちが男に危害を加える様子はない。むしろ。
「噂のテロリストの一人だな」
赤兵の言葉に男はマスクを下にずらし、にんまりと下品な笑みを見せた。
「なんだ、もうバレてんのか。まあ、しょうがねえか。あの男が俺たちの居場所を突き止めたってことは、本隊にも連絡がいってんじゃねえかと思ってたところだ」
「あの男? 居場所? なに言ってやがる」
「……へえ、俺たちゃ運がよかったな。今さっき知ったばかりだったのか? まあ、そうだよな。じゃなきゃ、都市部の警備はもっと強固だっただろうし」
「おい、一人で納得してんじゃねえぞ、気色悪いヤツだな。それと運が悪いぜ、あんた。よりにもよって、あたしを呼び止めるなんてな」
「見栄を張るなよ、お嬢さん。既に腕を一本やられてるみたいじゃないか」
「だがまだ一本残ってる。ハンデとしちゃ、ちょうどいいってもんだ」
「いいね、気の強い女はキライじゃないぞ。この手で服従させた姿を想像するだけで燃えてくる。ただ殺すだけじゃもったいねえな」
「ふーん、いい趣味してんじゃねえか。いいぜ、やってみろよ。てめえごときが、あたしを飼い慣らせると本気で思ってんならな。狂犬赤兵の名は伊達じゃねえぞ。首輪をつけたきゃ決死の覚悟でかかってきな」
「美人と心中ってのもそれはそれで悪くないかもな。それじゃあ遠慮なく」
男が腕を振ると脇に控えていた一角狼が二匹、駆け出した。胸元に向かって突進してきた一匹の腹を蹴り上げ、頭部めがけて跳躍してきたもう一匹にぶつける。二匹がもつれながら地に落ち、もがいているところに剣を振る。首から血が噴き出し、続けてもう一匹の後ろ足を斬りつけた。これでもうまともには戦えない。
すぐうしろで土の擦れる音がした。振り向きざまに剣を強く握り、横に一閃。背後に迫っていたのはテロリストの男。しかし、空を切るでも肉を切るでもなく、刃は硬い物に当たって弾かれた。わずかに体勢を崩したところに、銀色に光るなにかが目の前に迫る。体を捻ってかわし、後退。
「チッ、体脳系の能力者か……!」
男の両腕。肘より先の前腕が、アーマーで武装したかのような銀色に変化していた。剣を防がれたときの感覚から、かなりの強度であることがうかがえる。さすがに非能力者である赤兵の剣一本では、あれに傷をつけることはできないだろう。せっかくの稀有な能力を悪事に使うとは許しがたい。
陽の光を浴びて鋭く光る拳が再び赤兵に突き出される。横に動いてそれを避けると、銀の拳は教会の壁を派手に突き破った。瓦礫とともに埃が舞う。とんでもない破壊力だ。まともに食らえば命はない。それに、この男にばかり気を取られては一角狼に喉を食い破られるだろう。かといって防戦一方ではジリ貧だ。時間をかけすぎては南の防衛を突破したカルセットの大群に貪られるはめになる。
次々に繰り出される男の拳をいなしながら、周囲のカルセットにも警戒する。だが獣たちは赤兵と男の戦いを遠巻きに見ているだけで、なにかをしてくる様子はない。男の指示を待っているのか。しかし待機中、というよりは様子を見ているような印象だ。どうあれ、男が明確な指示を飛ばすまで動かないのであれば、赤兵はただ目の前の能力者に集中すればいい。
もとより、リスクのない戦いなどはないのだ。
「やけに必死だな、お嬢さん。その立ち回り、戦闘態勢……さては能力者じゃないな? 警備隊はみんな能力者だって噂はデマだったのか」
「よく喋るやつだな。男は少しばかり寡黙なくらいがちょうどいいってもんだ。舌を噛むぜ」
「お喋りな男は好みじゃなかったか。悪いなあ、能力者なら俺の本気の拳をくらっても生きていられるだろうが、そうじゃないなら一撃で片付いちまうもんなあ。さっきも殴ってやった警備隊の男はどっちだったんだろうな。生きてはいて……いや、どうだったか」
「……そいつはさっき言ってた、居場所を突き止めた男のことか?」
「よくわかったな、もしかして知り合いか? それは悪いことをした。俺ほどじゃないにしてもそこそこ男前だったぜ。今朝にベアムの……っと、あぶねえ。喋りすぎるところだった」
「ベアム?」
「まあ、いいか。どうせこれから殺す相手だ」
男が繰り出す左ストレートを背中で避け、その脇の下から剣の鞘を握った左腕を突き上げ、顎に一発くらわせた。左腕を通じて脳天まで突き抜けるような激痛が走る。止血したばかりの傷口から血が噴き出るのがわかった。手負いのカウンターでは能力者の意識を沈めるまでは持って行けず、男はわずか怯んで距離をとったものの、それほどのダメージにはなっていないように見える。
「怪我してんじゃなかっ」
「――テメェ、或斗になにしやがった!!」
赤兵は咆哮し、まだ体勢の整いきらない男へ一気に距離を詰めた。男は防御に入ろうとするが、遅い。背後にまわりこみ、剣の柄で男の後頭部を殴りつける。男は振り返りざまに腕を横に振るうが赤兵は体を後ろに反らしてそれを避けた。そのまま地面に手をつき、バク転するように男の顔を蹴り上げる。
立て続けに頭部へのダメージを負い、男はうしろによろめいた。男の腕の武装がふいに解かれる。体脳系の能力者の弱点は脳。いや、これは能力の有無や種類に限った話ではなく、大抵の生き物にとってはそうなのだが、体脳系の能力者は肉体や脳に直接能力が宿っていることから、特別それが顕著なのだ。以前に、或斗がそう教えてくれたのを覚えている。
自分の体さえ無事ならば力を使えるという利点。裏を返せば、自分の体に損傷があればそれだけで性能が落ちる。たとえば今のように。男は能力での武装が解かれたことに動揺した。
「しまっ……!」
間髪入れず刃を突き出し、右腕を刺し貫く。男は低くうめいて身を退くと再び力を発動させた。しかしその銀色の腕にも今受けた傷がくっきりと残っており、能力の発動で出血は抑えられているようだが、おそらく痛覚は正常に作用している。拳を握ろうにも指が曲げられないことに男が顔をしかめた。
「無駄だ、腱を切った。これでお互いイーブンってところか?」
「イーブン? これで同じ土俵に持ち込んだつもりかよ。バカめ、こっちにはまだ一角狼たちがいるんだぞ」
男はここまで従えてきたカルセットたちのもとまで、後ずさっていく。あとは自分はさがって獣たちに一斉に襲わせるなどして、赤兵を打倒する腹積もりだろう。赤兵はゆっくりと深呼吸をし、心身の冴えを意識した。一人の能力者を相手取るより、複数の獣を相手取るほうが厄介である。ここからが正念場だ。
「対人戦ならそっちも慣れてるだろうが、一角狼の大群に襲われれば、さすがに――」
ぐち、と肉を食む瑞々しい音がした。
男の額に、じわりと脂汗がにじむ。
一角狼のうなり声。牙を突き立てられたのは赤兵ではない。男のうしろにいた狼の一匹が、男の足に噛みついたのだ。
そしてそれを皮切りに、周囲の獣たちが一斉に男に飛びかかる。肩を、腹を、あちこちの肉にかぶりつき、重みと痛みでバランスを崩した男が仰向けに転倒した。
「あ、ぐっ、やめっ、やめろ! でめえら、なにし、あガ、は、離せっ!」
男はもがくが、複数の魔獣を振りほどけるほどの力はない。男が暴れるほど、獣は興奮し、さらに深く牙が突き刺さる。一匹が男の脇腹に噛みついたまま頭を激しく振り、そのまま肉を食いちぎった。男の絶叫がこだまする。
「ぎゃあああああッ、やめろ! やめろ! 獲物は俺じゃなっ、なん、で、おい! やめ、ア、ぐあっ」
群がる獣はそのうち、男の喉を食い破った。口から血がごぼごぼとあふれ出る。そこから先の男の声は血につぶれて聞こえない。だんだんと抵抗する力も弱まっていき、やがて男は動かなくなった。男が連れていた一角狼は、その死体を食いあさるのに夢中だ。
主従を築いていたはずの男を殺した肉食獣たちは今まで以上に興奮している。早くここを離れて……いや、一歩でも動いた時点で、彼らは赤兵の存在を思い出し、即座に襲い掛かってくるだろう。獣の数は十を超える。しかし、じっとしていても同じことだ。さすがにこれだけの数を相手取るのは、今の赤兵では不足だろう。
教会は先の戦いで横穴が空いている。逃げ込んでやりすごすこともできない。死体を食らっていた一匹が赤兵を見た。汗が頬を伝う。やれるか? この腕で。能力を持たないこの身ひとつで、うしろに隠れたままのユミルを守りながら、十数匹の魔獣を相手に。せめてユミルが逃げるだけの時間を稼ぐことができれば。赤兵はかわいた唇を舌先で舐めた。
……なぜ。
なぜ赤兵は、この局面でさえ笑っていられるのか。
当然だろう。理由などひとつしかない。既に知ってのとおりである。
「このまま餌になるのは御免だが、ガキ背負って逃げ切れる相手でもねえ。……だったら道はひとつしかねえよな。全部殺して、守り抜いて、生き延びればいいだけの話だ」
この娘は狂犬なのだ。
「かかってこい。一匹残らず喰い殺してやる」
ならば命を燃やして、戦うのみ。




