8 ひどく曖昧な決着
夜が明けるとともに、或斗の意識は戻った。まだ朝も早いうちに町を出て、大急ぎで駅へ向かい、始発の列車に乗り込んだ。二人が落ち着いて話せるようになったのは、そのあとだ。
すんなりと起床したわりに、或斗の体調は思わしくなかった。頭痛とだるさに加え、めまいもあるのだという。熱もあった。後遺症と言ってはなんだが、昨夜に廃村を訪れたあたりからの記憶がごっそりと抜け落ち、時間が経つにつれて少しずつ回復しつつはあるようなのだが、それでも昨日の記憶は非常に曖昧なものとなっていた。
なので、或斗が倒れる前の忘れてしまった記憶の補正と、倒れたあとの出来事の報告をしてやると、セレイア国の化身が偶然に現われたというくだりでは、冗談だろうと笑っていた。赤兵が予想した通りの反応だった。
赤兵たちが本部へ帰り着いたころには朝礼も終わっており、二人は仲良く遅刻と相成った。若い男女が一晩中、いったいどこでなにをしていたのかと茶化されたが、或斗は軽くあしらうばかりで、事件のことについては黙っていた。説明ができないからだろう。
そのまま通常勤務に移ろうとする或斗を医務室へ押し込み、その日は赤兵が或斗の代理として班を取り仕切ることになるのだが、部隊隊長がその日のB班の仕事を三割ほど、他の班に振り分けたため、班長代理としての仕事はそれほど大変ではなかった。人手を考慮したのではなく、或斗の仕切りでないと捌ききれないと判断してのことだろう。
昼頃に、赤兵が或斗の様子を見に医務室へ向かうと、彼はおとなしくベッドで横になっていた。はじめは眠っているのかと思ったが、ベッドのカーテンを動かす音にすぐ目を開けたので、眠ったふりをしていただけらしいと悟った。彼はそこまで眠りの浅い男ではない。
「調子はどうだ、或斗」
「熱は引いたし、体がだるいのと、めまいもだいぶ良くなった。まだ少し頭が痛いだけだ」
或斗は上半身を起こしながら答える。医務室に誰もいないことを確認したあと、赤兵は折り畳みのパイプ椅子に腰かけた。
「昨日のあれ、あんたはどう思う? 少しは思い出せたんだろ?」
「どう思う――って、また漠然とした質問だな」
「火柱は本当になにもないところから現れた。あたしらが見逃しただけかもしれないけど、近くにカルセットの姿もなかったし、やっぱり能力者の仕業か?」
「……誰かが離れたところから能力を使った可能性も考えらる。廃村はともかく、人が住む町にまでやってくるカルセットはあまりいないからな。今ごろはあのあたりを管轄する部隊が調べているところだろう」
「あたしらが昨日、あの町にいたこと、隊長に言わなくていいのか?」
「そりゃあ、なにか重要な情報を掴んだなら、今からでも報告に行くが。俺はなにも得られなかったどころか、むしろ失ったくらいだ。お前は?」
「あたしも同じさ。なにもわかんねえ」
「だろ」
「せっかく現場を見に行って、実際にこの目に見たってのに。なんの成果もないなんてな」
「ぼやくな赤兵。町の被害をすぐに抑えることができたんだ。出向いた意味はあっただろう」
「そりゃ、そうかもしれないけど」
「なんの解決にもならなかったのはたしかだ。お前の気持ちもわかる。だからと言って、俺たちにできることはないんだ。もう一度調べに行くにしても、しばらくは付近の部隊が町に張り付いているだろうし、俺たちが行ったところで門前払いだろう」
「あきらめろって言うのか?」
「そういうことになる」
「……ちぇっ。わかったよ」
「なんだ。今回はやけにあっさり引き下がるんだな」
或斗がからかうように言うと、赤兵は数秒、黙り込んだ。
「……制服、煤だらけだったろ。洗濯に持って行くから貸しなよ」
「そういえばそうだった。じゃあ、頼んでいいか」
或斗はベッド脇の棚に畳んで置いていた制服を取り、赤兵に渡す前にポケットを確認した。
「……ん?」
「どうした?」
ポケットから出した手に彼が握っていたのは、焦げ付いて黒くなったなにかの鍵だった。
「なんだそりゃ? そんなの、どこで拾ったんだ?」
「いや、うーん……覚えがない。昨日の廃村かどこかで拾ったのを、そのまま持ってきたのかもしれないな」
「どうすんのさ、それ?」
「元あった場所もわからないし……落とし物ってことで、ひとまず保管しといてくれ」
「わかった」
制服と鍵を受け取り、医務室をあとにしようと立ち上がる赤兵だが、ドアノブに手をかけようとしたところで、ふと振り返った。
「なあ、或斗」
「なんだ」
「……、……いや、やっぱりいい。なんでもない」
「言いたいことがあるなら言え。お前らしくもない」
或斗が顔を上げて赤兵を見る。反対に、赤兵は下を向いてうつむいた。
「昨日の一件で、……ちょっとばかし思うところがあってさ。あたしは……正直、いてもいなくても同じだったろ。あのでっかい火柱を前にして、なにもできなかった。あんたが無茶やったおかげで町の全焼は免れたけど、もしあんたがいなかったら、どうなってたか」
「赤兵」
「別に、能力がないことに劣等感があったわけじゃないよ。でも、自分がいかに無力かってのを思い知らされて。ああいう場面にこれから何度遭遇することになるのかって、そんなときあたしになにができるのか……あたしは、なんの役にも立たないんじゃないか。あたしは――」
がたん、とパイプ椅子の倒れる音に、俯いた顔をあげる。
瞬間、鼻先に迫る風と視界いっぱいに広がる大きな拳。不意打ちだったにも関わらず体は咄嗟に動き、身をよじってそれを避ける。
「或――」
目の前に立っていた或斗の姿が消え、赤兵は足払いをかけられた。バランスを崩すが床に手をつき、腕をバネにして跳ね起きる。体勢を整えたところにナイフが突き出されたが、それを右に避けて手首をしかと掴むと、振り払われる前に腕をひねり上げた。
「お――い、いきなりなにすんだ!」
「口を慎め、赤兵」
思いがけない冷たい声に、赤兵は言葉を詰まらせた。その一瞬の隙に赤兵の手を振り払った或斗は、正面から赤兵の目を見据える。その目線の鋭さに、無意識に背筋を正した。全身に嫌な汗がにじむ。
ああ、嫌だ。
その目は――なんだか、とても嫌だ。
赤兵はこの或斗が勤務中にだけ不意に見せる、この突き刺すような目つきが苦手だった。普段からよく見て知っていたはずの或斗が、まるで知らない誰かになってしまったような奇妙な違和感と、畏怖。逆らうべきでないと本能的に感じてしまうのだ。世の中に反発し孤立していた赤兵を認め、理解し、優しく寄り添ってくれた唯一の存在である或斗に突き放されたような、とても嫌な気分だ。
或斗自身には自覚がないのだろう。それはわかっている。しかし、その目を向けられると、いくら赤兵といえども委縮して身を竦ませてしまう。戦うべき相手と対峙したときも、命の危機に瀕したときさえ、……あの火柱を目にしたときでさえも、ここまでの緊張を味わったことはなかった。
恐ろしいのだ。
なぜなら、そこにいるのは或斗ではないから。
途端に孤独を感じてしまう。
「能力の有無などは些細な問題だ。お前は、俺がお前を選んだことを、俺の相棒たる赤兵を否定するつもりか? お前はお前を相棒として選んだ俺の目が節穴だったと、そう言いたいのか」
「そ、ういう、わけじゃ」
「人は万能ではない。俺にできてお前にできないことがあり、お前にできて俺にはできないこともある。それは当然のことだ。なにもかもを自分の手でなんとかしたい、それは傲慢な望みであると心得ろ。俺たちは誰一人として、完璧ではない。だからバディを組む」
赤兵はじっと或斗の言葉を聞く。
「俺は能力があるものの武術を得意としていない。お前は能力がないものの武術に秀でている。俺に対処できないことで、お前なら対処できること。お前に対処できないことで、俺なら対処できること。そういった事象は世の中にいくらでもある。適材適所。だからこそ各々が自分にできることをするのだ。自分の力量を見誤るな。それができないうちは、お前は孤独なままだ」
「でも」
「返事はどうした」
「は、い」
「声が小さいッ!」
「は、はいッ!」
「……それにな、能力の有無なんてのは、今さら考えたってしょうがないことだ。俺が保障する。お前は能力なんてなくても十分すぎるほど優れている、立派な戦士だ。でなければ俺が相棒に選んだと思うか?」
顔を上げる。ああ――。
いた。
そこにいるのは赤兵の知る、いつもの或斗だ。
「……わかってるよ。ちょっとナイーブになってただけだ」
「ならいい。すぐに調子を取り戻せよ」
「なあ。あたしは、ちゃんとあんたの役に立ってるか?」
「当然だ。俺はお前を信じてる。だからこそ、お前を選んだ」
その言葉だけで、つい先ほどまでの胸中の曇りが嘘のように晴れていく。いったいなにを迷うことがあったのかと、直前の挫折感を恥じ入る思いだ。
この男が赤兵を信じると言うのなら、もはや迷う理由などない。
「だったら……だったらあたしも、あんたを信じよう」
「ああ、俺を信じろ」
或斗は真剣な眼差しで言うと、医務室を出て行った。赤兵があわててあとを追う。これ以上この話を続けるつもりはないが、まだ彼の言葉を聞いていたい気分だった。どう声をかけるか悩んだ末、出ていいのか、とだけ問うと、或斗はいいんだ、と短く答えた。
そのまま二人で資料室へ行き、先ほどの鍵を紛失物として届ける。拾った場所と日時をおおまかに記したメモを残してカウンターに置いておくだけでいい。医務室にいるうちには気付かなかったが、廊下に出るとなんだか少し騒がしいような気がした。
「今日は誰か客人でも来ているのか?」
或斗が何気なく問う。それまで黙り込んでいた赤兵は、一瞬だけ返しに詰まった。
「あ――ああ、そういえば、隊長がなんかそんなこと言ってた気がするよ」
廊下の角からセレイア部隊の隊長がやってきて、敬礼する或斗たちの前を通り過ぎて行く。隣に足の長い長身の男を連れていた。紅茶のような赤茶色の髪に帽子をかぶり、薄茶色のスーツに肩掛けをしている。二人が資料室に入っていくのを見届けると、赤兵が或斗に耳打ちした。
「今のやつだよ。なんか、有名な探偵なんだってさ。よく報道紙に載ってる」
「探偵?」
「あたしも詳しいわけじゃないけど、スゴイやつらしいよ。今までも、ときどき本部に来てた」
「そうなのか?」
「そうだよ。なにしに来てんのかは知らねえけどさ」
「ふうん……まあ、それより飯でも食いに行こう」
「そうだな。約束通り、或斗の奢りなんだろ?」
「……しまった。その約束も忘れておけばよかった」




