三 意志
レイテ沖海戦です。
戦いの中で宿す、大和と武蔵の意志。
彼女たちは如何にして、どんな意志を抱いて戦いに赴くのか。そんな二人のそれぞれの意志を書いてみたいと思います。
朝日が昇ってからも静かだった湾内に、けたましい音が響き渡る。まず、静寂に身を置きながら紺碧の海に漂っていた各艦艇の揚錨機が音を立てて錨を揚げる。水しぶきをあげながら、錨鎖が巻き上げられていく。
艦の頭脳とも言える艦橋と、その手足となる各部との間に配置等の命令が交叉する。彼ら兵員たちの走り回る靴音の内に、毅然とした統率と秩序正しい動きが見て取れた。
時は昭和十九(一九四四)年十月二十二日、午前八時。曇り空の下で港を出港する日本帝国海軍大艦隊の雄姿がそこにあった。
艦隊司令長官、栗田健男中将の座乗する第二艦隊の旗艦『愛宕』のマストに出撃を告げる旗流信号が掲げられる。それを見た将兵たちは自分たちに待ち受ける至難に対し、決意にも悲壮感にも似た意志を固くした。各艦艇の錨が完全に揚げられ、各系統のバルブが開き、艦を動かす様々な原動力が蒸気タービンに送られ、スクリューが息巻くように海中を掻き回す。出撃ラッパが勇ましく流れる中、まるで並び立つ山脈のような巨艦群がゆっくりと動き出した。
先導を往くのは第二水雷戦隊旗艦の軽巡『能代』をはじめとして、駆逐艦八隻が軽やかに白波を立てながら海面を滑り往く。司令長官を乗せた『愛宕』を基幹とした重巡第四戦隊、その後を『妙高』『羽黒』の重巡第五戦隊。そしてその更に後ろを山脈の中の高山が続く。艦隊の主力と言っても差し違えない戦艦『大和』『武蔵』、日本国民に最も慕われている戦艦『長門』の三隻の巨艦が往く第一戦隊が進む。
ブルネイ湾を出港した栗田艦隊第一部隊は単縦陣を以て航海を始めた。その先頭を行く『能代』の艦首が右舷側へと回頭する。その先には―――レイテ湾がある。
帝国海軍史上最大の作戦とも呼べる今回の作戦に先んじて出撃していった第一、第二部隊を、戦艦『扶桑』『山城』を基幹とする第三部隊が登舷礼を以て見送った。
本作戦の計画は、まず先に出撃した栗田艦隊がレイテ湾を目指して一二〇〇海里という航程を進む。速力の劣る第三部隊、西村艦隊はその後を続く形となり、北方航路を取る栗田艦隊とは相反して南方航路八〇〇海里を突破する。そしてこの二つの艦隊によって敵輸送船団が存在するレイテ湾に突撃する。
それまでのしばしの別れ、将兵たち―――そして、彼女たちはお互いの武運を、どこまでも広がる、戦場になるだろう海に強く祈るのだった。
湾に留まる第三部隊の面々に見送られた武蔵は、寂しそうな瞳を逸らした。無事では済まないだろうい大作戦を前に、扶桑や山城たちと別れるのも惜しいが、いつまでもそんな甘い感情を持つことは許されないのは充分に武蔵は理解していた。
その証拠に、武蔵はそんな理解を自分に言い聞かせるように、額に白鉢巻を巻いていた。初めて書き、巻いた鉢巻だ。その鉢巻の白い布地には、日の丸を中心にして『必勝』と、武蔵自身が書いたとは思えないような強い意志で殴るように書かれていた。
武蔵は今後の戦いが如何に激しくなるのかは充分に予想できていた。司令部から聞いた情報では、ボルネオ全島に出撃できる飛行機は一桁に等しい。つまり空の護衛は皆無に等しい。洋上戦力のみの大行進を実施しなければならないのである。間違いなく、想像以上の死闘が展開されるに違いない。その思いは作戦に参加する全将兵の共通の思いであったし、その現実から帯びた将兵たちの悲壮感に似た興奮を、武蔵は文字通りに近い意味合いで肌にひしひしと感じ取っていた。
「武蔵、身体の調子はどうだ」
降りかかった声に、武蔵は鉢巻の尾を翻しながら振り返った。武蔵の川のように流れる黒い長髪と共に、鉢巻の白い尾が靡く。それを見た大和の瞳が、一瞬だけ揺れたように見えた。
「見ての通り、万全だよ。 こんな大事な時だから、しっかりしないといけないしね」
いつもの雰囲気に努めるように、武蔵ははにかむように言った。そんな妹に対し、大和は何も言わないように、静かに微笑を浮かべた。
「そうだな。 我々が作戦の要とも言えるのだから、満身を以て事に励まねば、皆に申し訳ない」
空の護衛がない中で、大艦隊の主力と言える大和型戦艦の二艦は、自身、二人が思う以上に作戦の成否を握る鍵であり、日本と言う国家の運命をも左右するのである。
比島を奪われれば、日本は南方資源地帯との連絡路を寸断されることになる。それは日本の生命線を断たれるのに等しい最悪の結果だ。
何としてでも、敵を撃破して作戦を成功せねばならなかった。日本と言う国家の命と引き換えに、連合艦隊の死を招く結果になろうとも。
「……みんなの、ためにも」
“皆”と言う大和の発言に対し、武蔵は噛み締めるように呟いた。
皆が皆、身を削り、戦いに励んでいる。それがこの戦争だった。米英を中心とした連合国に追い詰められた日本が国家の生死を賭けて始めた戦争は、ミッドウェーの敗北を機に悪化する戦況にただ太刀打ちできずにいた。
国民総動員によるこの戦争は、残念ながら日本にとってかなり最悪なものに成り果てている。このままでは国民や軍人の努力空しく、日本は米英に蹂躙されることになるだろう。それだけは、あってはならない。
そしてこの作戦もまた、連合艦隊の総力が投入されていた。正に連合艦隊の命運をも賭けた作戦である。
『大和』『武蔵』の栗田艦隊が進みつつある方向からほぼ北東方面の海域には、いずれ小沢治三郎中将の指揮する機動部隊(第三艦隊)が、栗田艦隊と反航し、フィリピン諸島に向かって南下する計画である。その目的は、フィリピン近海にある米機動部隊に発見された後、これを遥か北方に引き寄せる。つまり、“囮”であった。
その機動部隊に加わる四隻の空母には計一〇八機の艦載機が搭載されている。米機動部隊の目を引くために用意した機体だったが、実を言うとこれ自体が、日本に残された母艦航空部隊の総力なのである。開戦以来、太平洋の空を駆け巡ったベテランの搭乗員たちは既にこれまでの戦いで消耗し、補充のままならないままに、やっと発着艦のできる搭乗員までも、今度の作戦に投入せねばならない。
艦載機も旧式が含まれ、徹底的な戦いになったしても、期待を寄せられるようなものでは決してなかった。正に、それもまた大きな賭けだった。
「私たちのために囮になってくれる第三艦隊のみんな、そして後続する扶桑さんや山城さんたちの第三部隊……私たちは、作戦に参加するみんなの期待を背負っている。 そうだよね、お姉ちゃん」
そう言って、向けられた武蔵の瞳には、大きなプレッシャーを受け、それに応えようという決意の表れにも、重圧に今にも押しつぶされそうにも見えた。
大和は武蔵の瞳を見詰め、息を吐いた。
揺さぶられるような感情を抱いているのは、何も武蔵だけではない。大和もまた同じだった。武蔵の目には、大和は毅然とする戦士の姉に見えていたが、大和もまた大きな自信を持っているわけではない。むしろ動揺や不安さえあった。
正確に言えば、私は戦士ではない―――まだ、この主砲を敵に一矢も報いたことさえないのだ。
大和は心中で自嘲するように笑った。その表れかどうか知らないが、大和の表情にも若干の笑みがこぼれた。
「あまり思いつめるのは良くないぞ。 その事に重圧を感じるのは自然の摂理だが、それで調子を崩しては元も子もないからな」
「お姉ちゃんも緊張とか、するの?」
武蔵はきょとんとした表情と声色で言ったものだから、大和はくっと吹き出した。
「それはどういう意味かな、武蔵」
はっはっはっ、と豪快に笑った大和を前にして、武蔵はまた驚いたように目を見開いた。そして今度は恥ずかしそうに顔を赤くする。
「私だって緊張するし、不安も感じる」
大和の発言に武蔵は驚きを隠せないようだった。武蔵は大和のことを、どこにいても自慢の姉として武蔵自身の中で確立していたのだから、その衝撃は大きかった。
「何せ私はまともに刃を交えたことさえないのだ。 そんな私が、実戦においても完璧超人だと思ったか?」
武蔵は何も言えなかった。その顔がしゅんとなる。
「こんな私で、幻滅したか? だが、これが私なんだよ」
大和は息を一つ吐きながら、そう言った。
だが、武蔵は即座に首を横に振った。
「幻滅なんか、してない。 お姉ちゃんが自慢のお姉ちゃんであることは、変わりないから」
武蔵の中の姉は、依然として変わりないようだ。むしろ大和の本当の気持ちを知ることができて、武蔵は新たな決意を抱くきっかけを手に入れられた。
そんな妹を前にして、大和は安心したように微笑んだ。
「だから、私や武蔵だけではないんだよ。 皆が皆、様々な思いを抱いてここにいる。 それを、覚えておいてくれ、武蔵」
「うん」
頷く武蔵の表情には、既に何かが取り払われたような感があった。
生還は期さない、とまで言われた出撃に、赴く者たちの様々な思いが随伴していた。それは艦に乗る将兵だけでなく、彼女たち自身もそれは同じだった。どんなに大きく見えても、その実は年端もいかない無垢な少女のように、如何に雄大でもその内に秘められる意志は決して一筋ではないのだ。
二十三日午前零時十六分、栗田艦隊が出撃して日付が変わった頃である。パトロール中だった米潜水艦『ダーター』がレーダーで多数の艦船を捉えた。四十分後、目標が大型艦十一隻を中心とする日本艦隊であることが判明すると、『ダーター』は僚艦と共に日本艦隊発見の緊急報告を打電。夜明けまでに二通の接敵報告が行われた。それは、猛将ハルゼー大将が日本艦隊について知った最初の情報になった。こうして日本艦隊の存在が米軍に明るみとなり、戦端の火蓋は切って落とされることになった。
この敵潜水艦の存在を、栗田艦隊も把握していた。『愛宕』がその潜水艦の電波を捉えていたのである。だが、自分たちが現在航行しているのは狭い水道であり、高速で敵潜を振り切るには不利な条件化である。艦影が見えるようになる夜明けの攻撃を懸念し、栗田中将は全艦隊に警戒を厳にするように下令した。
戦艦『武蔵』もまた、他の艦艇同様に不気味なほどに静かにうねる海面を睨んだ。既に夜は明け、自分たちの姿は丸見えのはずである。巨艦である『武蔵』が魚雷を何本受けたところで簡単に沈みやしないが、他の駆逐艦などの艦艇となれば、一発でも魚雷をまともに受けたらお終いである。全艦隊に初めて、実戦に生じる緊張が走った。
鉢巻を巻いた武蔵も、その丸い瞳を鋭くして、酔ってしまいそうになる程に目を海面の隅々まで見渡した。ぴんと張り詰めた緊張の糸がいつまでも続く。海中に潜み、水上からは見えない敵潜水艦の恐怖に、武蔵は首筋に冷や汗を感じていた。
そして武蔵はその内に芽吹き始めていたある感覚に、更に不安を感じていた。嫌な予感がする、それが静かに波立つ海が自分たちを呑み込もうとしているのではないかと言う錯覚まで陥らせた。
武蔵の嫌な予感は、当たってしまった。水しぶきを通じて伝わる衝撃音。そして鳴り響く警報。武蔵が咄嗟に振り返った先には、最初の地獄が始まっていた。
『愛宕』は自身に迫る雷跡を発見していた。それは『愛宕』だけでなく、右前列にいた駆逐艦『岸波』も同じだった。彼女は狂ったように白い蒸気を噴き出し、汽笛を鳴らして『愛宕』のみならず全艦隊に敵の雷撃を警告した。之字運動を始めて二度目の転舵が取られた瞬間にもなったが、六時三十二分、『愛宕』に魚雷が命中。艦橋を覆うような水柱が立ち上り、更に二本、三本と立て続けに魚雷の刃が容赦なく『愛宕』に襲い掛かった。マスト以上の高さに到達した数本の水柱が、一万トンの艦を簡単に覆い隠してしまった。
『愛宕』が次々と魚雷を受け、煙を噴出しながら傾斜する姿を武蔵は見た。その光景は余りに衝撃的で、一瞬、武蔵は呆然としてしまった。煙を出す『愛宕』から、彼女の絶叫が聞こえた気がした。
艦隊は一瞬にして騒然となった。敵潜水艦の雷撃に、駆逐隊は爆雷戦を用意しつつ奔走する。『愛宕』と『高雄』を除いた第一部隊の巨艦群は『大和』から出された“青々”の信号を受け、右四十五度に一斉回頭。そのため、整然としていた隊列に乱れが生じることになったが、艦隊はそのまま前進を続けた。
舵を故障し、傾斜する『愛宕』、その周辺の海に漂流する『愛宕』の乗組員たち。これを助けようと駆逐艦がぐるぐると回るが、隊列は乱れ、回頭する艦が多く、支離滅裂な状況に陥った。
海に漂流する乗員たち。彼らは材木にしがみついたり、漂流する者同士でしがみついたりと、必死に荒れる海面の中を生きるためにもがいていた。その周囲を、味方の駆逐艦が近付く。彼らは救助の手を待ったが、近付いてきた駆逐艦の艦橋から拡声器が彼らの頭上に降りかかった。
「来るなッ! 機械を投棄するから、艦体から遠ざかれッ!!」
その命令に理解できた者は誰一人いなかっただろう。更に続いた「本艦はこれより前進する!」の号令に、漂流する彼らは驚愕しないわけにはいかなかった。
だが、彼らは助けを乞うことはなく、黙々と命令通りに艦から遠ざかった。無言で艦を見詰める漂流者たちの上を、駆逐艦『岸波』が猛然とした勢いで駆け出していった。
「………」
駆逐艦『岸波』の艦魂は、自身を見詰める漂流者たちの無言の視線に押しつぶされそうな思いを抱いた。今にも震える膝が崩れてしまいそうだったが、その自分の足が、漂流する彼らをひき殺していく。
「……ッ、う、うぅ……ッ」
声を押し殺し、血が滲む程に下唇を噛んだ彼女は、味方の艦にひき殺されていく彼らの視線を受け止めながら、ひたすら前進を続けた。
六時五十三分、傾斜五〇度を超えた『愛宕』は遂に沈没した。海面には重油と中将旗が浮き出していた。
沈没する『愛宕』から遠ざかる各艦では、死に往く仲間がいる後方に後ろ髪を引かれる思いでずるずると前に進みながらも、急角度にジグザグ前進を続けていた。一刻も早く敵潜の潜む海域を抜け出さなくてはならない。あ号作戦で旗艦『大鳳』がやられたように、日本艦隊は再び旗艦を真っ先に失ったのだった。
武蔵はぼんやりと、血の気のない顔で後ろを振り返っていた。誰にも手を差し伸べられることもなく、味方が一隻、死に落ちていく。武蔵が初めて見た光景だった。
あの場所で、救助に向かったと思われた駆逐艦『岸波』が、『愛宕』に座乗していた栗田中将以下幕僚の収容が終わると同時に、前進の命令をかけて漂流者をひき殺していった事実など、武蔵には知る由もなかった。味方の艦が味方をひき殺す。それは戦場で起こった一つの悲劇だった。
だが、艦隊の悲劇は続く。『武蔵』に一斉回頭の旗流信号が揚がり、それに合わせて後続の『羽黒』が左に回頭した直後だった。二本の魚雷が突然、『羽黒』に命中。
更に武蔵の前方にいた『摩耶』が四本の魚雷を受け、轟沈。
『摩耶』の轟沈は、すぐ後方を追尾する形で航行していた『武蔵』には目の前の光景として映された。勿体ぶるような鈍い音の後に、鉄の塊がまるで紙のように千切れた。その間を、乗員たちを巻き上げるように天高く大木のような水柱が昇る。水柱が海面に落下し、大量の水しぶきが晴れた後には、かつて『摩耶』がいた海域に生存者が浮いているだけの光景が広がっていた。
「そんな……」
連続するように目の前に見せ付けられた、壮絶なる仲間の死。その信じられない現実が、出撃直後に抱いた武蔵の固い意志に、早くも亀裂を走らせていた。
レイテ湾に砲弾の雨を降らすことを目指していた栗田艦隊は、次々と重巡洋艦を失っていった。米潜水艦の雷撃により、『愛宕』と『摩耶』の沈没に続き、『高雄』が大破した。
一発の砲弾も撃つことを叶わなかった彼女たちの無念を引きずりながら、艦隊はレイテ湾を目指し続けた。その中、栗田長官以下幕僚が移乗した『大和』をはじめ、『武蔵』を含めた巨艦群の雄大さは尚、健在ではあった。
『大和』座乗の第一部隊司令官の宇垣纏中将の指揮により、乱れていた隊列はようやく整い出し、艦隊の速力も順調に上がっていった。大破し、漂流する『高雄』に駆逐艦三隻を残し、沈没した『愛宕』『摩耶』の乗員救助の命令が飛び、それでも艦隊はレイテ湾という目標を諦めるつもりは微塵もなかった。
敵の攻撃により艦隊に早くも犠牲が出たとしても、他の艦からは、出撃当初と変わらず海面を轟然と進む大和型姉妹の姿は依然として頼もしく映った。彼女たちこそが、この艦隊の象徴・中心であると言うように。
聳え立つ城と言う表現が合いすぎる『大和』は、艦隊の中で一番に目立ちながらもまだ敵の攻撃を受けることはなかった。
そんな皮肉を自虐するように思った大和は、苦笑を表すように、愛刀の刃を整えていた。
「……………」
まだ敵の戦艦を一度も斬ったことがない己の刀を見詰める大和。
世界最大を誇る巨砲を持った、神秘の大戦艦。日本が今まで鍛えてきた造船技術の全てを注いで生み出された自らの存在を、大和はまだ満足に発揮していなかった。愛する母なる国に、まだ恩返しもできない親不孝な子供。
「(それが……私たち姉妹か)」
自らが生まれるほぼ同時期に始まった争乱の時代。だが、不幸にもその時代は、自分たちに時代遅れと言った。既に戦争の主役は航空機と航空母艦に変わっており、戦艦は戦術的価値を失いつつある。どんなに願いを請おうとも、時代がそれを許さない。
だが―――日本を救うには、時代遅れの自分たちしかいない。
戦況の悪化に伴い、大半の航空戦力を失った日本に残されたのは、戦艦を中心とした大艦巨砲の塊。
今回の決戦も、正にその総力を以ての戦いとなる。全滅覚悟の決戦。だが、最後に残された自分たちの全滅は、日本と言う国自体の死にも繋がる。それでも―――愛する国は、それを望んだ。
国のために生まれ、国のために与えられた命。それを国の望むままに使うことに、何の戸惑いがあろうか。
「それこそ、本望なのだ」
斬ったことがない刀は新品同様に美しい。穢れていない故の美しさもまた芸術品のように映える。だが、その美しさを国は望んでいない。
眼前に刃を鞘に納め、大和は強い意志を瞳に宿す。それはまた武蔵とは違った強い意志だった。
大和は愛する妹の方に視線を向ける。自身と同じく艦隊の雄姿を映す鏡となっている妹を、大和は姉としての心配を拭い去ることはできなかった。
先ほどまでの強い意志を見せていた彼女はどこへ行ってしまったのかと憂うほど、今の武蔵の姿は誰が見ても気の毒以外のものではなかった。所詮は年端もいかない幼い少女と、容赦なく突き放せるような、今にも折れそうな姿を晒している。
「……………」
目の前で立て続けに見せ付けられた、壮絶なる仲間の死は武蔵にとって衝撃が大き過ぎた。覚悟していたとは言え、連続的にあそこまで仲間の悲惨な死を目の辺りにすれば、精神が布のようにずたずたに切り裂かれる思いを味わう。しかも、それが今度は自分の身に降りかかるのではないかと言う恐怖も芽生えて仕方なかった。
「逃げちゃだめ……逃げちゃったら、戻れなくなる……」
両肩を掴み、武蔵は自身に言い聞かせるように呟き続ける。
出撃した時の記憶が武蔵の頭の中をぐるぐると駆け回る。まるでしゃがみこんでしまった武蔵を取り囲むように。
ああ、自分は何て弱いのだろう。
私がしっかりしていないといけないのに。私やお姉ちゃんが頑張らなくちゃいけないのに。
何で私は駄目な、臆病な子なのだろう。
私もお姉ちゃんみたいに強かったら―――
そこまで考えて、武蔵ははっとなる。
姉も言っていたではないか。自分は決して、完璧ではないと。
武蔵や他の皆とはどこも変わらないのだと。
皆、同じ立場、同じ空気の下にある。そして各々の様々な思いがそこにある。
それは様々なれど、ある所は皆同じ。
自分だけが、特別ではない。
みんなが、みんなのために、戦わなくてはいけない。
自分だけが―――と言う甘えは、もう許されないのだ。
「……………」
武蔵は額に巻いた鉢巻を解き、眼前に見詰める。そこには自分の決意の表れが刻まれていた。
「……戦うんだ、私は」
そう言った武蔵の瞳には、強固な意志が帰っていた。水晶のような瞳に、青い炎が燃えている。その炎は澄んでいながらも、とても強く燃えていた。
鉢巻を再び縛った武蔵は、満天に輝くフィリピンの夜空を見上げた。今まで下を見てばかりで気付かなかった星の美しさがそこにあった。それは艦隊の雄姿を称えるように、美しくはっきりと輝いていた。顔を上げなければ見えないものもあるのだと、武蔵は気付かされた。艦隊は星空が見守る中、悠然とパラワン水道を通過しようとしていた。