「三階から突き落としましたが、何か?」〜正気を疑われた令嬢の、正しすぎる理由〜
「レヴィーチェ、お前との婚約をここで破棄する!俺は新たに、このサターリアを妃に迎えることに決めた!」
学園の卒業パーティー。きらびやかな大広間に、王太子ギャラントスの怒声が突き刺さった。
「殿下、本気で仰っているのですか?」
レヴィーチェ・トゥルーランド侯爵令嬢は、絞り出すような声で問い返した。
その瞳には絶望ではなく、ある種の覚悟が宿っている。
「当然だ。お前がサターリアに働いた数々の非道、もはや見過ごせぬ。お前は正気なのか!?」
「……私があの者を『排除』しようとしたことを、仰っているのですね」
「開き直るか、この悪女め!釈明があるなら聞いてやる。言ってみろ」
レヴィーチェは小さく首を振った。
「釈明などございません。私は正しいことをしたまで。殿下、どうか目を覚ましてください。あれは——」
「黙れ!自分の悪行をここで数え上げ、己の醜さを知るがいい!」
王太子の言葉に呼応するように、広間が二つに割れた。サターリアを崇めるように壇上へ群がる者たちと、得体の知れない恐怖から逃れるようにレヴィーチェの背後に集まる者たち。
「……よろしいですわ。では、始めから申し上げましょう」
レヴィーチェは淡々と語り始めた。
「まず、校舎の三階から、その者の背を突き落としました」
「ああ、あれは恐ろしかった。だがサターリアは傷一つ負わなかった。神のご加護があったからだ!」
レヴィーチェの唇が皮肉に歪む。
「次に、その者の茶に致死量の毒を混ぜました」
「それも無駄だったな。彼女の清らかな身体には毒など効かぬ。それも神の——」
「いいえ、殿下。神ではありません」
レヴィーチェは深い溜息をつき、最後の一段を告げた。
「最後に、私はこの手で、ナイフをその者の心臓深くまで突き刺しました」
「狂気の沙汰だ!だがそれでも、サターリアは微笑んでいた。それこそ神のご加護というものだ」
「本当にそうお思いですか?」
レヴィーチェの鋭い声が、王太子の言葉を遮った。
「刺した時、飛び散った血の色を、その目で見なかったのですか?……真っ黒でしたでしょう? 人間の血ではあり得ない、おぞましい黒色だったはずです!」
「何を……戯言を!おい、この狂女を捕らえろ!」
衛兵たちが一斉に動き出す。
絶体絶命の瞬間、レヴィーチェは祖母から託された家宝の指輪を強く握りしめた。
(お願い、誰か助けて……!)
その瞬間、指輪から溢れ出した白い煙が人の形を成した。
「やれやれ、呼ぶのが遅すぎるよ」
現れたのは、中性的な容姿をした少年——トゥルーランド家の守護精霊、トゥルーラだった。
彼が指先で空を切ると、迫りくる騎士たちは石像のように凍りついた。
トゥルーラの出現に驚いたレヴィーチェは、かろうじて言葉を絞り出した。
「殿下はなぜ、あんなものを側に置くのです……?」
震えるレヴィーチェに、トゥルーラは残酷な真実を告げる。
「気づかないかい? 向こう側にいる連中は、心に邪な欲を持っているんだ。だから簡単に『あれ』に取り込まれて、正体が見えなくなっているのさ。王太子は特に、心が腐りきっているね」
トゥルーラは可笑しそうに笑うと、手のひらに溜めた光を会場全体へ吹き飛ばした。
「——さあ、覚醒めの時間だ」
次の瞬間、会場は阿鼻叫喚の地獄へと化した。
王太子が愛おしそうに肩を抱いていたもの。それは、透き通るような肌の美女などではなかった。
そこにいたのは、どす黒い皮膚に覆われ、黒い血を滴らせた、禍々しき大悪魔。
「サ、サタン……っ!?」
ギャラントスは腰を抜かし、無様に這いずり逃げ出した。
「チッ、もう少しでこの国を内側から食い荒らせたものを……!」
正体を晒したサタンは不気味な声を残し、黒い霧となって夜の闇へ消えていった。
その後。サタンと婚約し、あまつさえ国を危機に晒したギャラントスは即座に王籍を剥奪。
たった一人、孤独な戦いを続けていたレヴィーチェは、「悪魔を追い払った気高き令嬢」として幸せに暮らし、王国の歴史にその名を刻むことになったのである。




