乙女ゲームのプリンスに転生したので、不本意ながらシナリオ崩壊狙います
気付いたら、昼と夜がいたので、もう1人は朝にしてみました
最初はタイトルは「王子」でしたが、差し障りがあるので「プリンス」としました
乙女ゲームが特に好きだった覚えはない。
3つ年上の姉貴がやっているのを見ていたし、面倒なパートを代わってやらされた覚えはある。
面倒ならやらなければいいのに、スチルは集めたいから、と身勝手な理由で強制的にプレイさせられた。
世の弟とは姉の理不尽な要求に耐えねばならないものだ。
その姉貴のせいでいくつかのタイトルに関して言えば姉貴より詳しくなった。
中でも『ホシオト』(正式名称は忘れた。えらく長ったらしいものだったと思う)に関しては何度もプレイしたから良く覚えている。
だからと言って、そのゲーム世界、しかも攻略対象の王子に転生なんてしたくなかったが。
このゲームを繰り返しプレイした理由は1つ。
絵が好みで、女性キャラが好きだったからだ。
俺の初恋だったと言ってもいい。
燃えるように赤い髪、感情が高ぶると竜眼となる深紅の瞳、メリハリはっきりしたモデル顔負けのスタイル、やや傲慢とも言えるきつい性格。
このゲームの悪役令嬢こと公爵令嬢ヒルデガルドに子供時代の俺はすっかり魅了された。
しかし、悪役令嬢という役回りだから彼女に関して言えばバッドエンドしか用意されていない。
王太子、つまり俺のルートでは処刑、宰相の息子や若手騎士ルートでは娼館送り後に隣国との戦争に巻き込まれて死亡などなど、とにかく死亡か悲惨な立場に追い込まれるものしかない。
悪役令嬢なのだから仕方無いと言えばそれまでだが、俺のようなヒルダのファンにとってはたまったものじゃない。
なんとか幸せに、せめて不幸にならないルートはないかと模索したが無駄だった。
どうやっても、ヒルダは幸せになれない。
運営は彼女に恨みでもあるんじゃないかというほどの不遇っぷり。
というより、出番が終わった後の扱いがぞんざいで、とにかく不幸にしておけばいいだろ、という意図が見えて来る。
実際、運営にしてみれば悪役令嬢はストーリー上で必要な仕事さえしてくれればいいのであって、その後のことなどうでもいいのだろう。
ヒルデガルドという1人のキャラクターを創造しておきながら、用が済んだらぽいっと捨てたわけだ。
当時は憤ったものだ。
どうして俺がそんなゲームの世界に生まれ落ちたのかは知らない。考えてもなってしまったものは戻らないんだから仕方ない。
王子として生を受けたのなら王子として生きるしかない。
ただし、シナリオ通りに動く気はない。
そんなことをしたらヒルダが不幸になる。
なにより、聖女アリシアと結婚しなきゃいけなくなる。
いや、悪い子じゃないよ、アリシアは。
とても可愛らしく、『聖女』の名に恥じぬ清楚な雰囲気を持つ純な子だ。
孤児だった彼女は教会の運営する施設で育てられ、勉学で優秀さを見せた上に治癒魔法も使えたから特別枠で貴族が多い学院に入学することになった。
努力家で慈愛に満ちた彼女は、しかし貴族社会の常識が怪しい。
これは平民出なんだから仕方ないが、貴族に囲まれて過ごすには問題有りだ。
攻略対象たちに次々に接触するのも、決して下心あってのことではなく平民の常識で行動しているからだ。
見た目の愛らしさと純真さにころっと行くのは、まあ、チョロい連中だ。
日頃貴族同士のギスギスした社会にいるから癒やされるんだろう。
俺だってヒルダがおらず、事情を知らなかったら案外アリシアに惹かれていたかもしれない。
俺は彼女を選ぶ気はなかったが彼女にだって幸せになる権利はあるし、良い子なんだから是非そうなって欲しいと思っていた。
俺以外の相手と。
制度的には次期国王である俺ならヒルダを正室に、アリシアを側室に、ということも可能だ。
アリシアは平民出だけれど後々聖女の力に目覚めたら上位貴族待遇になる。そうなれば王妃になってもおかしくはない。
けど俺は一般小市民感覚が抜けないから側室なんて扱える気がしない。
ヒルダは面白く思わずとも文句は言わないだろう。
ヒルダは悪役令嬢という役回りから勘違いされているが、実はそれほど間違ったことはしていない。
アリシアが既に婚約者のいる貴族令息たちに不用意に近づくのは貴族社会ではマナー違反なことだし、身分について不問にするという学院内であっても一定の距離感は必要だ。
特別枠での入学が認められるほどに成績優秀者であってもアリシアはそういう貴族特有の礼儀作法については知らないのだから間違えるのも仕方ないことだし、それを貴族令嬢のトップにいるヒルダが眼にすれば注意するのもまた当然のこと。
ただヒルダは物言いがキツいから、貴族社会の言い回しに慣れないアリシアには必要以上に精神的負担を強いることになる。
またヒルダが注意した、良く思っていない相手となれば、他の令嬢たちにしてみれば格好の餌食。ヒルダと揉めると自然と貴族令嬢全体の敵になる。
単なる文化の違いによる擦れ違いへの忠告や、周囲の令嬢たちの暴走をイジメだなんだと言ってヒルダを責めるのはなんの解決にもならない話だ。
それにアリシアが学院で受けることになるせこい嫌がらせの数々。
俺が知る限り、ヒルダの性格上そんなせこい真似はしない。ヒルダだって馬鹿じゃない。もしやるならなんら証拠の残らない方法で、もっとエグく精神を削る方法を採るだろう。
その辺はゲーム上の都合で、急にヒルダの知能が低下して馬鹿な行いを連発する、というならともかく、普段のヒルダからは考えられないことだ。実際実行班は別人だしな。
詳しく調べればヒルダの仕業じゃないと分かることも、ゲームだと都合上ヒルダのやったこととして流される。いい加減だな、こういうところ。
まあ、俺がアリシアに靡いたりしなければ、嫉妬の余り愚かな行為をした、という説明も成り立たなくなるんだけどな。
実際、俺はヒルダとの婚約が調ってから彼女を可能な限り優遇してる。
側近や周りの大人からだけじゃなくヒルダ当人からやり過ぎだ、と言われるほどに。
甘々でなにが悪い。
初恋の君と恋を成就させられるチャンスなんだ。しかも権力も財力もあるんだ。甘やかすだろ、そりゃ。
それに俺がいくら甘くても、ヒルダはそれに溺れて道を見失うような娘でもない。俺がやり過ぎれば窘めることができる、自律できる女性だ。
だから俺は安心して溺愛できる。
ヒルダに尽くす以外にも俺にはやらねばならないことがあった。
かなり切実な問題で放っておくと多くの人が死ぬことになる。
このゲーム、どのルートであっても終盤で隣国との戦が起きる。
アスロウム帝国とは長年小競り合いを続けていて、いつ本格的な戦争が勃発してもおかしくはない状態にあり、ヒロインであるアリシアが誰かとくっついたタイミングでそれは起こる。そして、それが聖女覚醒イベントとなる。
聖女の強力な癒しの力とバフで最終的には我が軍が勝利するんだが、それでも戦争だ。多くの人が死ぬことになる。乙女ゲームなんだから、もっとこうふわっとした話とか、魔族とか出て来るファンタジーでいいだろうに、何故か人間同士の戦争が引き金なんだよ、これ。
王子という立場上、どうせ勝てるならいいや、と放置することはできない。
まして俺は聖女を選ばないんだ。
聖女の助力無しでもなんとかなるようにしておかないといけない。
いや、戦争そのものが起きないようにしておく必要がある。
王太子として積極的に外交を行い、両国の関係を修復するよう努力中だが、卒業が見えて来ても思うように成果をあげられていなかった。
最後にはアリシアに頼るしかないないかもしれない。
軍部の連中というか、鷹派の連中は武力行使以外の政策を軟弱と一蹴する。
隣国相手に交渉することすら敵に媚びる臆病者と言う。
なんというか、脳筋以上の原始的な闘争本能のみで構成されてるような連中が結構いるから困る。
国のメンツは大事だが、どっちかというと連中が拘っているのは個人のメンツだ。
とにかく喧嘩を吹っ掛けることが勇猛で正義だと。
個人の主義主張やメンツで国民の安寧を損なうのは、為政者として一番やっちゃいけないことだ。
幸いなのはヒルダが戦争回避に賛成してくれていること。
残念なのは所詮俺もヒルダもまだ一人前じゃないから発言の影響力が弱いこと。
そりゃ、なんの実績も上げてない若僧の言葉じゃな。
それでも少しずつ賛同者を増やして来た。アスロウムからの留学生を通じて向こうの穏健派との交流もしている。
今のところ戦争が起きる予兆はない。
無いが、油断はできない。
帝国が秘密裏に準備をしている可能性もあるからだ。
卒業式が迫る中、そろそろアリシアも相手を決める頃だと思うんだが、それとなく観察していてもそういう気配がない。
若き騎士も宰相の息子も、親しい友人にはなっていてもそれ以上になっているようには見えない。
当然、俺はヒルダ一筋だからアリシアとは友人以上にはなっていない。アリシアとのイベントの時も場所知ってるから、徹底して避けて来た。学生会の活動で一緒になることはあっても2人きりで行動したことはない。
なら誰とも結ばれない?
そんなルートあったか?
いや、まあ、俺自身がシナリオと違う行動してるし、ヒルダは悪役令嬢やってないんだから色々変わってるんだろうが、誰ともくっつかないと聖女にならないんじゃないか?
聖女覚醒イベントが戦争なら、聖女覚醒がないと戦争もない、というなら助かる。
けど、戦争はあっても聖女覚醒しない、だと困るんだが、こればっかりは分からないからな。
そもそも聖女になるのも、シナリオの都合上、貴族と結婚するには優秀な女性というだけじゃ駄目だからなんだよな。
癒やしの魔法使いは多くはないが存在する。それを超絶アップグレードしたのが聖女。
治癒魔法も桁違いだし、国を防御魔法で覆えるし、全軍の兵士にバフを掛けられる。
ただし、ゲーム中には『聖女』が必要になる部分は終盤の戦争時だけ。
大体、最初から聖女になってれば戦争起きなかったろう。
相手方に聖女という桁外れの存在がいるのになんの対策も取らずに戦争仕掛ける馬鹿はいない。
ゲームではアスロウム帝国は通常なら十分にこちらに勝てるだけの戦力を用意して仕掛けて来た。
聖女がいなかったらうちの国は負けて帝国の領土になってたろう。
そんな戦争は御免だから、俺は戦争自体が起きないように動いてるわけだ。
戦争さえ起きなければ、アリシアが聖女になろうとなるまいと関係ないからな。
「アリシア嬢がどうかしたんですか?」
なんとなくアリシアを見ていたから人が近づいて来ていたのに気付かなかった。
「ヨールか」
ヨールは隣国からの留学生で、伯爵家の息子。
緊張状態にあるうちの国に良く留学して来たものだ。
一歩間違えればスパイ容疑をかけられてもおかしくないんだから、度胸があるというか無謀というか。
まあ、帝国の穏健派である伯爵が息子を使ってうちと連絡を取ってるんだけどな。
「そんなにアリシア嬢を見ていたら、ヒルデガルド嬢に嫉妬されますよ」
「そんなじゃないさ。それより、もうじき卒業だが、ヨールが卒業した後はどうする?」
どうする、とはヨールの進路のことじゃなく、向こうとの連絡係のことだ。
「連絡係というか、大使館の話が本格化する予定ですから、私のように非合法な連絡係というのは不要になるかと思います」
ヨールを通じて向こうのお偉いさんと折衝を重ねた結果、互いに大使館を作ろう、という所まで話が進んでいる。
国王から内々に了承も取っているから、俺が卒業して公務に本格的に参加するようになれば話を実現できるはずだ。
両国間の揉め事を武力に頼らず解決できるようになればいいんだがな。
「そうか、帰っても頑張ってくれ」
「ええ、もちろん。ただ、殿下とヒルデガルド嬢の結婚式には出られなくなるでしょうから、それが残念です」
ヨールとは公私ともに親しくなった。
俺とヒルダのアシストもしてくれたし、アリシアとも仲が良い。
それでも、ヨールは他国、それも緊張状態にある国の人間なんだ。
学生でいる間はこの国に滞在する理由があっても、それが終われば速やかに帰国することが求められる。
両国の親交が深まった後でなら友人枠で式に呼べるが、今の状況だとただ友人というだけで呼ぶのは難しいだろう。結婚式までに関係改善が成されるとも思えない。
大使館が本格始動して大使にでもなってくれたら楽なんだが。
当分、気楽に会えなくなる。
「必ずまた訪ねてくれ。そのときはヒルダとともに持てなそう」
そのときは公務も忙しくなっているだろうし、場合によっては俺は王位を継いでいるかもしれない。
それでも古い友人のために少しばかり時間を作るぐらいのことは許されるだろう。
「ええ、お祝いを持ってきますよ。できれば、出産祝いにならないうちに」
気が早いな、おい。
しかし立場的に俺は世継ぎを求められる。
結婚すりゃすぐにでも。
結婚から何年も空いたら、まあ、順調にいけば子供ぐらいいるだろうな。
俺もヒルダも健康体だから、大丈夫だろう、たぶん。
地位ある立場だと後継問題って重要なんだよな。もし何年もできないと側室を、って話が出るぐらいに。
「そう言えば、おまえは結婚は?」
貴族なら許嫁がいることも珍しくない。
これまでヨールとその手の話をしたことがなかったから知らないが、案外帰国するとすぐに式、ということだってあり得る。
「予定はしております。殿下をお呼びできないのが残念です」
仮想敵国の王太子を結婚式に呼ぶってのは、俺がヨールを呼ぶ以上に難しいよな。
「国交が正常化したら祝いの品を山ほど贈るさ」
国交があっても立場的に気軽に友人宅を訪ねるってのは無理だからな。贈るだけ。
友人を祝うのも気を遣う。
卒業後、結婚式に向けての準備で忙しい中、ヨールの帰国を教えてくれたのはヒルダだった。
元々予定は聞いていた。
互いに忙しくなるし、俺には立場もあるから見送りは難しいのは分かっていた。予め話してあったことだから、そうか、と思っただけだったんだが……。
「アリシアも一緒だから、寂しくなりますわね」
「ふぁ?」
思わず変な声で聞き返した。
「なんでアリシア嬢が?」
「ヨールと結婚するからですよ。聞いていませんでしたか?」
まったく聞いていない。
「え、なんでヨールと?」
ヒルダが珍しく呆れ顔をした。
レアなヒルダもいいが、今はそれどころじゃない。
「気付かなかったんですか? 2人はずっと前から付き合ってたんですよ」
「え、いや、だって……」
ヨールなんて攻略対象はいなかった。
「バックスやフレドとも仲が良かったろ」
「ええ、友人としては。そういう意味では殿下とも、わたしとも仲が良かったですよ」
そう、ヒルダはきつい物言いをしてアリシアにも容赦がなかったが2人は結構仲が良かった。
アリシアは窘められると素直に反省し、ヒルダから上流階級の女性の在り方を学んでいた。
ヒルダも真面目で向上心のあるアリシアを妹分のように可愛がっていた。
完全にゲームとは関係性が違っていた。
「あの子は優秀でも平民ですし、ヨールは外国人ですから人目を気にしてはいましたが、それなりの人が知っていたと思いますよ」
「いや、でも……」
「殿下はそういうところ、少し鈍いですから」
王族に向かってそんな口を利くのはヒルダぐらいだ。
「卒業後のことを聞いたときも、そんなことは言ってなかった」
「本当ですか?」
「いや、ああ、そうか、結婚するようなことは言っていたな」
そう、確かに結婚の予定はある、と言っていた。
相手がアリシアだとは言わなかったが。
「聞いていたんじゃありませんか」
「相手がアリシアだとは聞いてない。
……
アリシアはうちの国の人間だろう。他国に嫁ぐなら、それなりの手続きがいるだろ?」
勝手に外国に嫁ぐのは法的に許可されていない。
確か、国際結婚は結構面倒臭い手続きがあったはずだ。
「アリシアに頼まれてわたしが手続きをしました。と言っても、書類は全部自分で用意していましたから、手続きがスムーズに進むように担当者に口利きをした程度ですが」
平民が他国へ嫁ぐための書類処理なんて通常なら後回しにされ、いつ処理されるか分かったものじゃない。
その点、ヒルダの口利きなら最速で処理される。
書類を早く処理してくれ、と頼むぐらいは職権濫用と言うほどのことでもないだろう。
「しかし、アリシアは……」
まだ聖女の力に目覚めていないのだから、聖女だから他国に出すな、とは言えない。
「あの子がどうかしましたか? まさか、側室に召し上げるおつもりだったとか?」
いや、そんな恐い顔で睨まれても。
「違う、俺は君だけでいい。ただ彼女は優秀だし、気心も知れてるから君の側近にでもなって貰えたらと思っていただけだ」
これはまったく嘘というわけじゃない。
アリシアがいつ聖女に覚醒するか分からない。だからこそ手元には置いておきたい。
それにヒルダとも仲がいいのだから侍女や女官として勤めて貰えたら、と思っていた
学生時代を一緒に過ごして良く知っているし、俺はそれ以上のことも知っている。万一のことも考えたら、やはり国に所属させておくべきだった。
「そうですね、わたしもそういうことを考えなかったわけではありません。
ですが王太子妃、将来の王妃となれば側仕えには貴族出身者が多くなります。彼女では肩身の狭い思いをするでしょう。
彼女自身の意向も確かめましたが一般の女官ならともかく、王太子妃付きは望むところではなかったようです。なにより、ヨールとの将来を考えるなら彼に付いて行くしかなかったのではないでしょうか」
ヨールは隣国の人間。
地理的、距離的には近くとも政治的には遠い。
俺やヨールたちが関係改善に努力しているとは言っても、それが実を結ぶまでにはまだ掛かる。
ここでヨールに付いて行かなかったら次に会えるのはいつになるか、残念ながら約束してやれない。
だから、アリシアの選択は間違いじゃない。
これが他の人間ならなにも言わない。
将来を誓い合おうと、国際結婚をしようと、どうぞお幸せに、で済む話だ。
けど、アリシアは別だ。
この世界のヒロインが、どうして攻略対象外の人間と???
いやいや、悪役令嬢と王太子が仲良くやってんだからヒロインがシナリオ無視して攻略対象以外とくっついたっておかしくはない。
しかし、余りいい話じゃない。
現時点では戦争も起きていないし聖女覚醒の兆候もないとは言え、アリシアは聖女の卵であり、国にとっては切り札だった。そのことを知っているのは俺だけだから彼女を囲い込むことに失敗してしまった。
今後もし戦争や、なにか大きな災害などがあった際、聖女の力は計り知れない恩恵を与えてくれただろうに。
ノックの音がした。
ヒルダが応対に出てくれる。
ヒルダは俺の補佐であり秘書であり、とにかく公私ともに俺を支えてくれる無くてはならない人だ。
シナリオ通りアリシアを娶れば聖女の力を手に入れられたろうが、俺としてはヒルダで良かったと思う。
そう、俺個人としては。
冷静に考えれば、国益を最重視しなければいけない立場なんだ。
他の誰も知らないことであっても俺はアリシアが聖女になれることを知っていたなら、なんとしても、彼女を繋ぎ止めるべきだったんじゃないだろうか?
それこそヒルダに身を引いて貰って王妃にするか、或いは側室にするか。
ヒルダを選んだことに悔いはない。けれど、アリシアを手元に残さなかったことには悔いがある。
攻略対象の誰かとくっつくと思い込んで放置してたのがいけなかったな。
誰と進んでいるか確認すべきだった。
俺自身が攻略対象だから不用意に近づき過ぎないように注意してたんだよ。万一ヒルダの悪役令嬢フラグが立つと行けないから。
それが徒になった。
そのせいで、ヨールなんていうまったくのダークホースに掻っ攫われた。
こうなったら、アリシアの幸せを願ってやるしかないかな。
アスロウム帝国との間に友好関係が築ければ今後も戦争は防げるだろうし。
「殿下、話題の人からお手紙です」
ヒルダが封書を持って戻って来た。
差出人は「ヨール」とだけあった。
一国の王太子に対しての手紙としては、いささか礼を失した書き方だ。
ヨールは伯爵家の令息なんだから、家名を書いてないと。
封蝋はちゃんと紋章になってるな。
見覚えあるような気もするが家紋って似たようなのも多くて覚え切れない。だから紋章官なんて専門職があるんだが。
俺が封を破るのをヒルダが神妙な面持ちで見てる。
「ヒルダ、どうかしたのか?」
「殿下、もう少し紋章について勉強してください」
「してるけど、覚え切れないだろ」
さすがに自国の伯爵家以上は覚えてる。他国のものまでは無理だ。
俺は手紙を取り出して目を走らせる。
拝啓
この手紙を差し上げるべきかどうか悩みましたが、友好の証としてもお知らせしておくべきと考え認めます。
この度、私はアリシアを娶ることとなりました。
この件に関しましてヒルデガルド嬢にはご助力いただきましたこと御礼申し上げます。
殿下に直接お知らせせずにいたことはお詫び致します。けれど、殿下にお話すればきっと止められると思いましたので、事がここに至るまではお話することができませんでした。
もし私が殿下にアリシアを自国に連れ帰り妻にすると言えば、殿下はきっと止められたでしょう。それが普通のことです。
自国に計り知れない利益をもたらす力を秘めた聖女の卵であるアリシアを国外へ出すわけがありません。私としても彼女を手に入れないという選択はなかったのです。
だから、殿下がヒルデガルド嬢を選んでいることは好都合でした。
殿下が敢えて起こさなかったイベントの数々、校庭での遭遇、図書室での語らい、街歩きなどに関しまして誠に勝手ながら代役を務めさせていただきました。
私と殿下は別個人ですので上手く行くか不安でしたが無事に好感度を上げられたようです。イベントを1つこなす度に、アリシアは私に心を寄せてくれるようになりました。
私としてもかつて愛したゲームのシナリオをここまで崩壊させることは非常に不本意なことではありますが、立場上仕方のないこととご理解いただけると思います。
誤解なきように申し上げておきますが、私はアリシアを戦争や政争の道具として扱う気はありません。結果として、彼女の力が私にとってメリットに働くこともありましょうが、それはすべて余録に過ぎません。
私はアリシアを1人の人間として尊敬し、1人の女性として愛しています。妻としてこれから共に歩んで行くつもりです。彼女が聖女として覚醒しようがしまいが変わることはありません。
アリシアの覚醒トリガーが戦争や、それに類する惨事であるというなら、彼女が生涯覚醒せぬように努めるつもりです。
友好条約締結に関しても本心です。
お互い平和な世界を知る者同士、無用な血は流さぬようにして行こうではありませんか。
敬具
アスロウム帝国 第2皇子ヨーン・ル・アスロウム
アーサー王太子殿下
追伸 最後になりますが偽名の使用をお詫び致します。なにかと問題になるので、本名の使用は控えていました。
手紙を読み終えた瞬間、目眩がした。
あいつは、ヨールは、全部知っていたんだ。
知っていたからこそ、切り札となる聖女を手に入れたんだ。
転生者としての知識を皇子としてフル活用したんだ。
俺がヒルダに夢中でアリシアに手を出すつもりがないのも全部見抜かれていた。俺が攻略対象者としての役回りを降りたから、そこに付け込んだんだ。
アリシア個人への愛情云々は嘘じゃないと思う。でなければ、こんな手紙を出す意味がない。
俺が転生者であると気付いていたなら、様を見ろ、とでも思っていればいいだけの話だ。
直接確認はしていなくとも、俺が転生者だと気付いていた、そう考えていたのは間違いない。なにしろ、この手紙は署名以外は日本語、俺にしか読めない文字で書いてあるのだから。
他人から見たら見知らぬ言語、暗号にでも見えるに違いない。
「ヒルダ、君はヨールの正体を?」
「いえ、存じ上げません。ですが、その封蝋はアスロウム皇族のものです。それを使える者で、年齢と性別が合うのは第2皇子でしょう」
手紙を見たそうな素振りだったから渡した。
色々バラされてはいるが、どうせ署名以外読めやしない。
「まさか皇族自ら乗り込んで来るとは予想外でした。
それで、これにはなんと?」
「偽名を使っていた詫びと、友好条約締結に向けてこれからもよろしく、という話だよ」
聖女関係は話せない。
そんな情報が漏れたら要らん緊張を生むことになる。
聖女を見す見す仮想敵国に奪われたなんて知られたら大問題だ。
「何年もの間、俺たちを欺いて、最後までやり切った相手だ。戦争を望まず、友好的に付き合って行くとしても気を抜けば足下を掬われかねない。
お互い、気を引き締めて行こう」
「はい」
次期国王と王妃が揃って出し抜かれた。
ヨールは、いや、ヨーン皇子は一筋縄では行かない相手だろう。
乙女ゲームの時間は終わっても、ここからはリアルなゲームの時間だ。
次は、こうは行かない。
乙女ゲームは戦略ゲームへと移行しました
そら、隣国にチート聖女いると分かれば、覚醒前にGet狙いますわな
配偶者としても申し分ないでしょうし
聖女を妻としたことで、第2皇子が第1皇子を蹴落とすのは、また別の話




