爆モテ令嬢は、恋愛に飽きている。
「またあんたか、地味な顔して目立たないように歩きなさいよ」
朝の通学路。そんな言葉を浴びせられたのは、一度や二度じゃなかった。
22歳、名城 美琴。小さな頃から「ブサイク」と言われ続け、人の輪の外側を歩くのが当たり前になっていた。
鏡に映る自分の顔は、確かに整ってはいなかった。太めの鼻、つり気味の目、小さな口元。整形したいと思ったこともあるが、その資金もなければ勇気もなかった。
バイトと大学の往復。友達も恋人もいない、誰にも気づかれない毎日。
「こんな人生、何の意味があるのかな……」
ポツリと漏らしたその言葉すら、誰にも届かない。まるで空気のような存在。それが美琴だった。
その日は、いつもと同じく、静かで退屈な一日になるはずだった。
駅前の横断歩道。信号が点滅し始め、人々が小走りになったとき――小さな影が、車道へと飛び出した。
「危ないっ!」
反射的に体が動いた。子どもをかばい、代わりに美琴の身体が車に跳ねられた。
衝撃。浮遊感。そして、真っ白な光。
目を開けると、そこは暗く、静かな空間だった。
「……死んだんだ、私」
諦めにも似た納得とともに、足元に柔らかな光が差した。
「ようこそ、美琴」
声のする方を見ると、そこには人とは思えぬ美しさを湛えた存在が立っていた。透き通る髪と瞳、性別を超越したような神秘の存在。
「私は“記録者”と呼ばれる存在。君の人生を、最初から最後まで見ていたよ」
「……全部? 黒歴史とかも……?」
「うん。中学二年のときに書いてた“闇の契約ノート”も、全部ね」
「やめてぇぇぇぇぇっ‼」
私は地面(っぽい場所)に転がって叫んだ。
「あと、風呂場で自作の歌を歌ってた件も記録済みだよ。“孤独に咲く、影の華”とか……いい歌詞だったね」
「やめてえええええええええええ‼‼‼」
記録者(という名の女神)は真顔でうなずいた。
「君の人生、確かに報われなかった。でも私は見ていた。日々を諦めず、泣きながら生きる君を」
「ちょっと感動してきた……ありがとう」
「だから報酬として、君には“絶世の美貌”と“魅了スキル”を与える」
「えっ、そんなすごいの?」
「うん、君の顔を見るだけで、村人が正気を失うレベル」
「バグじゃんそれ」
「ただし一つだけ注意して」
「え、何?」
「動物にも効くから、犬とか馬がめちゃくちゃ寄ってくる。あと、魔物にもたまに効く」
「モテるってそういう……!?」
「魔物が腹見せてスリスリしてくるけど、それは友情。たぶん友情。知らんけど」
「神ぃぃぃぃぃぃ‼」
記録者は笑った。
「じゃあ、次の世界でがんばってね。爆モテ人生、いってらっしゃーい!」
「軽っ‼」
目を開けると、そこはまるで中世ヨーロッパを思わせる異世界の街並み。自分の姿を水面に映すと、思わず息を呑んだ。
――誰だ、これ。
大きな瞳に、すっと通った鼻筋、ふっくらした唇。黄金のような髪が風に揺れ、まるで物語の中のヒロインのような容姿の貴族令嬢になっていた。
「これが……私?」
頬をつねってみても、夢ではなかった。
そのとき、近くを通った男性が、こちらを見た瞬間、鼻血を出して倒れた。
「……これ、ヤバくない!?」
美琴の新たな人生が、ド派手に幕を開けた。
転生した街は、王国でも有数の商業都市――グランセリオ。人々がにぎやかに行き交い、香ばしいパンの匂いと馬車の音が混じる活気ある街だった。
「とりあえず、宿探さなきゃ……」
そう呟いて歩き出した瞬間、周囲の視線がビシビシと刺さった。
「美しい……! まさか天女……?」
「あの方にパンを贈りたい!」
「俺の人生、今この瞬間に意味を得た!!」
美琴が一歩歩くたびに、悲鳴のような賞賛が飛び交い、人々が次々と花束や贈り物を押し付けてくる。
「えっ、ちょ、重っ、バラは痛い! 」
宿屋に着くまでにパン、野菜、手編みのマフラー、木彫りの天使像まで手に抱えさせられ、完全に不審者状態だった。
「こんにちは……泊まりたいんですけど」
受付の青年がこちらを見た瞬間、全身がフリーズ。
「こ……こちらは最上階スイートでございます‼」
「いや、普通の部屋でいいんだけど⁉」
「いえ、絶対にダメです‼」
強制的に連れて行かれたのは、ふかふかのベッドと果物山盛りの部屋だった。
「ちょっと買い物だけ行こう……普通の顔して歩けばいいよね」
だが、普通に歩いても事態は収まらなかった。
八百屋の親父は「このカブ、魂ごと持ってってくれ」と泣き崩れ、肉屋では「これは私の命の肉です‼」と叫ばれる始末。
パン屋の少年が「結婚してください‼」とパンを差し出してきたときには、さすがに美琴も困惑した。
「え、婚約パンって何!?」
さらに、丘の上から飛んできた小型のドラゴンが、美琴に頬をスリスリしてきた。
「うん、これ絶対友情じゃない」
とりあえず、ドラゴンは宿屋の倉庫に預けた。宿屋の人間は涙を流して「こんな尊いお方にドラゴン……」とひれ伏した。
(これ……生きてくの大変かも)
そんな予感が、美琴の中で現実味を帯びていった。
◆
転生から数日。美琴の美貌と“魅了スキル”は、瞬く間に街中へと広がった。
――噂の令嬢がパン屋に現れたらしいぞ。
――見た瞬間、十字架を握って気絶した者がいたとか。
――魅入られた男たちが“姫親衛隊”を結成したって本当か!?
「そんなの私、知らないんだけど!?」
街角で聞こえてくる自分の噂に、美琴は頭を抱える日々だった。
とはいえ、困っているばかりではなかった。人々は常に優しく、美琴が「少しお腹がすいたな」と呟いただけで、すぐに10人が手作りのサンドイッチを差し出してくる。
「……これ、全部は食べきれないよ……!」
ちなみに、その日は“パンの日”として後に記録される。
―――そんな中、彼は現れた。
アレク・ヴェルハルト。王国騎士団の若きエースにして、貴族出身の容姿端麗なイケメン。
「あなたの瞳に射抜かれました。名を教えていただけますか?」
甘く、誠実な声。真っ直ぐな目。
そして始まった恋。
花咲く庭園で語り合い、高級レストランで微笑み合う。手を重ねれば、ドキドキする。唇を近づければ、頬が熱くなる。
「これが……恋?」
だが、一週間が過ぎた頃、美琴はある違和感に気づく。
彼は、美琴の話を聞いているようでいて、内面に興味を持っていない。
褒めるのは容姿だけ、スキルについては過剰に崇拝する。
そしてある日、アレクがふとこう言った。
「美琴様がどれほど素晴らしいか、スキルで分かるんです」
……やっぱり、そうなんだ。
「ありがとう。でも、私……ちょっと旅に出てみようかな」
その恋は、静かに終わった。
アレクは少し寂しそうだったが、深くは追ってこなかった。
(たぶん、私じゃなくて“スキル”が恋されてただけ)
それでも、美琴は涙を流さなかった。
自分の感情を、きちんと自分で処理できるようになった。
それだけで、ちょっと誇らしかった。
旅の途中、美琴はまた“事件”に巻き込まれる。
一人で川辺に座っていたら、数十人の男性が突然現れ、次々と贈り物を渡してきた。
「この短剣は祖父の形見です、ぜひ!」
「この宝石は、代々伝わる我が家の呪物……じゃなかった、大事な指輪を!」
「いらない、いらない、いらな……呪物って言った⁉」
逃げても逃げても追ってくる“好意”の奔流。
村を一つ出るだけで、30件以上の求婚を受け、3つの騎士団に勧誘され、1匹のスライムにプロポーズされた。
「もう誰でもいいの!?」
ちなみにそのスライムは後に“大公爵スラリン”と判明する。謎の貴族枠。
何をしても好かれてしまう。少しでも微笑めば、崇められる。そんな日々に、少し戸惑いながらも……
「ふふっ……今日は誰が来るかな」
そんな風に、どこかで楽しみを覚えてしまっている自分にも気づいていた。
誰かに愛されるって、こんなにあたたかいんだ。
これまで得られなかった愛情を、今、美琴は全身で浴びていた。
ある日の午後、街外れの花畑で、一輪の青い花を見つけた。
――この花……昔、どこかで……?
記憶がふとよみがえる。
――あの子。車道に飛び出して、私がかばった……
小さな手、泣きじゃくる声、かすかな笑顔。
(あの子、元気にしてるかな……)
(きっと、私のことなんて覚えてないよね)
そんな風に考えて、自分でもおかしくなって、笑った。
(……なんて、バカみたい)
それでも――その記憶が、ほんの少しだけ胸をあたためてくれた。
◆
どこに行っても、愛される。
誰に会っても、求められる。
毎日が、祝福のような日々だった。
……けれど、美琴は時折、ふと立ち止まるようになった。
「ねぇ、私のどこが好き?」
そう尋ねると、誰もが決まってこう答えた。
「すべてです!」「見た瞬間から!」「オーラが違う!」
(……それ、全部“魅了スキル”があるからでしょ)
美琴が好きなもの、考えていること、日々のつぶやき。それらを聞いてくれる人はいても、それに共感したり驚いたりしてくれる人はいなかった。
「“美琴様が仰ることですから”って、それじゃ話が終わっちゃうじゃん……」
まるで、自分の言葉も、心も、誰の胸にも届いていないような気がしてきていた。
笑えば、誰もが微笑み返してくれる。褒めれば、みんなが喜ぶ。
(私、誰かとちゃんと話したいだけなのに)
特別扱いされ続ける日々。その中で、美琴は次第に「話が合う人」「素でいられる人」を探すようになった。
―――だが、それは難しかった。
ちょっとした冗談も“女神の言葉”として解釈され、スープがしょっぱいと言えば料理人が泣き崩れ、
「空がきれいだね」と言えば、詩人たちが一斉にその言葉を作品化した。
(もう、ボケもツッコミも成立しない……!)
チートは、最強すぎた。
だからこそ、人と同じ目線で関われない。
……それが、こんなに寂しいことだとは、思わなかった。
ある夜、美琴は月明かりの中で一人、湖のほとりに座っていた。
周囲には誰もいない。
スキルも、美貌も、誰の目にも届かない。
「……なんで、こんなに満たされてるのに、寂しいんだろ」
胸を締めつけるような、この感情。
「……違う。私、誰かに“好きになられたい”んじゃなくて……」
自分の口から出た言葉に、ハッとする。
「私が……誰かを好きになりたいんだ」
ドキドキして、緊張して、うまく話せなくて、でもその人の声が聞きたくて、また会いたくて。
そんな“普通の恋”が、したい。
スキルも、美貌も、何も関係ない、自分の心で誰かに惹かれていく恋。
「……できるのかな、私にも」
月は静かに、優しく、美琴を照らしていた。
それからしばらくして、美琴は新しい町へ向かう準備を始めた。
“何か”が変わり始めている気がした。
……いいえ、“何か”に会える気がした。
心の中で、ずっと奥にしまっていたある記憶が、小さくノックをしていた。
――あの子、今どうしてるのかな。
思い出すのは、小さな手と、青い花の景色。
(私が守ったあの子。生きて、どこかで……)
風が吹く。その中に、かすかに花の香りが混じった。
「……行ってみよう」
新しい旅路の先に、運命の誰かが待っている。
そんな予感が、美琴の背を押した。
◆
それは、何気ない午後のことだった。旅の途中、立ち寄った大きな町――“フィリナ”の中心街にある複合商業施設―――ルナ・アーケード。その最上階のレストラン街の一角に、美琴はふらりと足を運んだ。
「……この辺り、おしゃれすぎない?」
高級感漂う店が並ぶ中、ひときわ落ち着いた空気を放つカフェがあった。
カフェ〈ベルトメール書房〉――壁一面に本棚が広がり、静かな音楽と共に、香ばしいパンケーキの匂いが漂ってくる。
「ここにしよ……静かそうだし」
空いている窓際の席に腰を下ろしたその時。
「……あ」
少し離れた席で、一冊の本を読んでいる青年の姿が目に留まった。背はすらりと高く、整った横顔。肩まで流れる淡い銀髪に、深い青の瞳。どこか、見覚えのあるような――。
(あれ……? この人……どこかで……)
ページをめくる指先も、無駄がなく静かで美しい。その目は本の世界に深く没頭し、周囲の喧騒などまるで気にしていない。
ふと、美琴の胸が騒いだ。
(……今の私のスキル、ちゃんと働いてるよね?)
いつもなら、目が合えば即・崇拝。ため息をついただけで告白される。なのに、彼は美琴を見ても、何の反応も示さない。
それが、なんだか――新鮮だった。
数日後。
美琴はまた、あのカフェ〈ベルトメール書房〉を訪れていた。そして、偶然を装いながら、彼の近くの席に座る。
彼は、また静かに本を読んでいる。小さなティーカップを片手に、時折、ページの余白にメモを書き込んでいた。
(名前……聞いてみようかな)
でも、話しかける勇気はなかなか出ない。こんなふうに、誰かのことを「もっと知りたい」と思うのは、きっと初めてだった。
三度目の来訪で、ようやく勇気を出して話しかけた。
「あの、本……面白いですか?」
彼は少し驚いたように顔を上げ、美琴を見た。
「……ああ。これは、戦時中に書かれた日記なんです。作者の目線が独特で、ちょっと惹かれてて」
「そ、そうなんですね。あの、私、美琴って言います。ちょっと前から、何度かここで見かけてて……」
「……セイです」
彼の名前を聞いた瞬間、胸の奥が震えた。
その日から、美琴は毎日のように〈ベルトメール書房〉を訪れるようになった。
セイと本について話す時間は、ほんのわずか。けれどその一瞬が、彼女の一日を照らした。
ある日、セイが読んでいた本に、美琴が反応した。
「その本……私も読んだことあります。ラスト、衝撃でしたよね!」
「え? 本当に? この本、読む人少ないのに……」
目を輝かせるセイの姿が、どこか愛らしかった。
もっと話したい、もっと笑顔が見たい。
次の日、美琴は小さな勇気を出して、一冊の本を彼に渡した。
「これ、私のおすすめです。……よかったら、読んでみてください」
「ありがとう。返すとき、また感想言ってもいい?」
「もちろん!」
それは、まるで恋文のやりとりのようで、胸がくすぐったかった。
本を貸してから、数日後。
美琴がカフェを訪れると、セイがこちらを見てほほえんだ。
「例の本、読ませてもらいました」
「えっ、どうでした……!?」
セイは頷いた。
「すごく、よかった。特に主人公の最後の独白……なんというか、読んでて泣きそうになった」
「わかる……! あそこ、私も何度も読み返しました」
「共感できる読書相手って、貴重ですね」
「うん……私も、こんなふうに感想を語り合えるのって、すごく新鮮」
しばらく会話が続いたあと、セイが言った。
「今度、この近くで古本市があるんです。……よかったら、一緒に行きませんか?」
美琴の心臓が跳ねた。
「……行きたい!」
セイがまた、少し照れたように笑う。
「じゃあ、土曜の午後にこのカフェで待ち合わせ、ってことで」
「うん、楽しみにしてます!」
カフェを出た帰り道、美琴は自分の頬が熱くなっているのを感じていた。
(本当に私、追いかけてるんだな……)
けれど、苦しくはない。胸の奥が、優しく、甘く震えている。
セイ。あの日、自分が命をかけて助けた、あの小さな男の子。今では立派に成長し、こんなにも静かで、大人びた青年になっていた。
(まさか、こんな形で再会するなんて)
けれど、彼の様子からして、美琴のことを覚えている様子はなかった。
セイは言う。
「……なんだか、懐かしい気がするんです。あなたの声とか……空気感とか」
それだけで十分だった。美琴の中で、過去と現在が静かに結びついていく。
そして彼女は、初めて知る。
“追う恋”というものの、もどかしさと、愛おしさを。
その夜、美琴は月の下でひとり、アーケードの街灯を眺めながら、ふと呟いた。
「……私、今、恋してるんだ」
胸の奥が温かく、でも少しだけ切ない。
「また、ここで会ってもいいですか?」
「……もちろん」
微笑み合ったその瞬間。
世界が、少しだけ優しくなった気がした。
◆
セイとの関係は、他の誰とも違っていた。
美琴が微笑めば誰もが頬を染め、言葉を交わせば恍惚とした表情で跪く。それが“当たり前”になっていた異世界で、彼だけが普通のままだった。
でもその“普通”が、たまらなく心地よかった。
「このパンケーキ……ふわふわすぎて溶ける……」
グランセリオの人気カフェで、二人分の皿が運ばれてくる。
セイが無表情でフォークを口に運びながらも、ほんの少し目を細めた。
「……甘さ控えめ。おいしいな」
その一言が、なぜか嬉しかった。
(この人、味の好みも落ち着いてるんだな)
一緒にいても、気を遣わなくていい。無理して話題を探す必要もない。ただ、そこにいて、一緒にパンケーキを食べて笑う――それが、どこまでも幸せだった。
デートの帰り道、ふたりはふらっと古書店に入った。
木の香りがする小さな書店。棚の並べ方もどこか雑然としていて、でも、それが妙に落ち着く空間だった。
「……あ」
同時に伸びた二つの手。
「――あ、ごめんなさいっ!」
「いや、俺も……この作家、好きなんだ」
それは、美琴が昔から大好きだった詩集だった。
「私も……高校生のとき、何度も読んだんです」
「そうなんだ。静かだけど、すごく深いよね、この人の詩」
まるで、心の一部を見られたようで、でも嫌じゃない。
むしろ、自分の奥の部分に触れてくれたようで……少し、ドキドキした。
書店を出たあと、二人で公園のベンチに座る。
「あの……」
ふと、美琴は小さく呟いた。
「私……元の世界では、地味ってよく言われてて……誰にも気づかれなくて……」
セイは静かに彼女を見た。
「でも、君ってすごく明るい。あと、楽しそうに本を選ぶのがいいなって思った」
――誰にも、そんなふうに言われたことなかった。
一瞬だけ涙がにじみそうになるのを、ごまかすように笑った。
「ありがと。……うん、すごく嬉しい」
そのあとふたりは、しばらく黙ったまま、風に揺れる木々を眺めていた。
(チートも美貌も、全部なかったら……私は、ただの“地味な子”で終わってたのかな)
ふと、美琴の心に、かすかな不安がよぎった。
でもその思考を打ち消すように、セイの横顔がやわらかく笑った。
(……今は、この時間を大切にしよう)
セイが「ちょっと面白い場所がある」と言い、美琴を連れていったのは、大通りから外れた細い路地の奥。そこには、小さな噴水と石造りのベンチがある、誰もいない広場があった。
「ここ、ほとんど知られてないんだ。静かで、考え事するのにいい場所なんだ」
噴水の水音だけが響く中、ふたりは並んで座った。風がそっと金色の髪を揺らす。
「なんか、秘密基地みたい」
「そうかもね」
笑い合うふたりの間に、ゆっくりと、心地よい沈黙が流れる。
(こんな時間が、ずっと続けばいいのに)
日は暮れかけ、噴水の光が少しだけ青くなった。
「そろそろ……帰らなきゃ」
「そうだな」
歩き出そうとしたそのとき、美琴の胸に小さな思いが浮かぶ。
(もう少しだけ、一緒にいたい)
でも言えない。だから、せめてと微笑んだ。
「今日、楽しかった。ありがとう」
セイも小さく頷く。
「……また、どこか行こう。今度は……古書市とか」
「うん!」
少しだけ頬を染めたまま、ふたりは別れた。
美琴の心は、今までにないやわらかさで満たされていた。
(好きって、こういうことなのかな)
魔法もスキルも使わない、ただの私でいられる相手。
“追いかける恋”に夢中になる日々が、静かに始まっていた。
◆
ある日、街の広場で美琴は何人もの人に囲まれていた。誰もが彼女の笑顔に陶酔し、褒め言葉を並べ、贈り物や花束を差し出してくる。けれどその中心で、美琴はただ笑顔を浮かべながら、ふとセイの顔を思い出していた。
(……セイだったら、こんなとき、どんな顔をするかな)
夜、帰宅した美琴は自室で鏡を見つめながら、心の奥がざわついていることに気づいた。
「……全部、スキルで手に入れてるだけ」
そう呟く自分の声が、いつもより少し弱かった。
次の日、美琴はギルドの受付である魔道士に頼み、自身の“魅了スキル”を一時的に封印する処理を依頼した。
「効果は三日間だけ。それでも、誰かを魅了することは不可能になります」
「それでいいんです」
彼女ははっきりと頷いた。
(スキルなしでも、私を見てくれる人がいるか、試してみたい)
そして迎えた、セイとの次の休日。
待ち合わせの場所に現れたセイは、いつもと変わらない無表情で、美琴の姿を見るなり軽く手を振った。
「よ。……なんか、今日の雰囲気、違うな」
「そ、そう? 服装変えたからかな?」
胸の中で鼓動が速くなるのを感じながら、美琴は小さく笑った。
(ちゃんと、私を“見てくれてる”んだ)
セイと歩く街路、手を伸ばして選ぶ屋台のスイーツ、狭い道で肩が触れるたびに少しだけ照れる。いつもと同じようで、でも心がやけに軽かった。そして、ふたりは古い灯台の裏手にある、高台の公園へ向かった。
風が強く、空が近く感じられる場所だった。
「ここ……お気に入りの場所なんだ」
美琴がそう言うと、セイは少しだけ口角を上げた。
「わかる。俺も高いとこ、落ち着く」
「うん。……それ、ちょっと変だけど、嬉しい」
ベンチに座り、空を見上げるふたり。
「もし、スキルも何もなかったら……私は、どんな人間になってたんだろう」
「え?」
「ううん、ちょっと考えただけ」
美琴は少しだけ目を伏せた。
(スキルがなくても、魅力的な人になれるかな)
「でも、次はどんな自分になればいいか、考えるのも悪くないかも」
そんな小さな決意が、彼女の中に芽生えていた。
(こんな時間、ずっと続けばいい)
そう思ったのは、たぶん生まれて初めてだった。だが、幸せな時間は長くは続かなかった。
三日目の夜、美琴はギルドに再び立ち寄り、封印を解除してもらう予定だった。
だが偶然にも、彼女が魔道士と話しているところを、セイが目撃してしまった。
「“魅了スキル”の封印、これで完了です。解除は次の満月の夜になります」
「……ありがとう」
その瞬間、セイの足音が聞こえた。
美琴が振り返ると、セイが立ち尽くしていた。
「……スキルの封印? どういうことだよ、美琴」
「セイ……違うの、聞いて……!」
美琴は言い訳をする間もなく、セイの表情が苦しげに歪む。
「最初から、全部……そのスキルで……?」
「違う! あなたには、絶対に使ってない!」
「でも、それを俺がどうやって信じればいいんだ」
その言葉が、美琴の心に鋭く突き刺さった。
静かな夜の通りで、ふたりの間に沈黙が流れる。
「あなたにだけは……見破られたくなかった。全部偽物なんじゃないかって、自分でも怖くて……」
美琴の声が震える。
「でも、セイだけには、私自身を見てほしかった。スキルも美貌も関係なくて……本当の私を」
セイはしばらく俯いていたが、やがてゆっくりと顔を上げた。
「ごめん。……ちょっと、時間をくれ」
そう言って、セイはその場を去っていった。
残された美琴は、こらえきれずに涙を流した。風が吹き抜ける静かな街角で、その涙は月明かりに溶けて消えていった。
(どうして……こんなに苦しいの)
それでも、美琴は知っていた。
これは、“本気の恋”を知ったからこその痛みだった。
◆
セイに拒まれたあの日から、美琴は人目を避けるようになっていた。ギルドにも顔を出さず、依頼も断り、自室にこもる日々。 何もかも、輝いていた世界が色あせて見えた。
(……これが、私の本当の姿なんだ)
スキルも、美貌も、セイの心をつかめなかった。じゃあ私は――何者だったんだろう。
ベッドに横になったまま、枕元の懐中時計をぼんやりと見つめる。時がただ、過ぎていく。
だがある日、部屋の扉がノックされた。
「……ミコト、いるか?」
その声に、美琴の心臓が跳ねた。ゆっくりと扉を開けると、そこには、少しやつれた顔をしたセイが立っていた。
「話、できるか」
美琴はただ、こくんと頷いた。広場の隅、誰もいないベンチに並んで座り、しばらくの沈黙の後、セイが口を開いた。
「……俺さ、ずっと怖かったんだ」
「怖い?」
「うん。大切な誰かを信じるってことが。……裏切られるのが、怖くて」
それはきっと、彼が背負ってきた過去の痛みなのだと、美琴は直感で理解した。
「だから、最初から疑って……本当にバカだった」
セイはポケットから、小さな木彫りの飾りを取り出した。
「これ……昔、命を助けてくれた“誰か”にもらったんだ。ずっと忘れてたのに、最近、夢で思い出して……」
美琴の手が、震えた。
「……それ、私があげたの。あのとき……車に轢かれた子を、庇って……」
セイの目が大きく見開かれる。
「……あれが、君だったのか?」
こくり、と頷く。
沈黙。けれど、それは苦しいものではなかった。
やがて、セイはそっと美琴の手を取った。
「命をもらったんだ、あのとき。だから、今度は俺が君を守りたい」
その言葉が、美琴の心に静かに染み込んでいく。
「……私、全部を捨ててもいいと思ってた。チートも、美貌も、スキルも」
美琴は、涙をこらえながら言った。
「私として、あなたに会いたかった」
セイは微笑んだ。その笑みは、初めて見せてくれた優しさだった。
「君として、俺はもう……十分惹かれてるよ」
自然と、ふたりの距離が近づいていく。そっと、指先が触れ合い、唇が重なる。
それは、能力でも運命でもなく、ふたりが“選び取った”恋の証だった。
夜空には星が瞬き、街灯の下、ふたりは手を繋いで歩き出した。
―――もう、美琴は怖くなかった。
たとえスキルがなくても、美貌がなくても、自分はここにいて、セイが隣にいる。
「ねえセイ、これからも、たくさん喧嘩するかもよ?」
「いいさ。そのぶん、たくさん仲直りすれば」
「……へへ、ずるいこと言う」
笑いながら歩くふたりの背中を、月明かりが優しく照らしていた。
一度目の人生が無駄じゃなかったって、今なら胸を張って言える。
この恋は、誰の力でもない。私が選んで、選ばれたものだから。
ここまで読んでいただきありがとうございました
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