二分咲き
「まずは名前を聞こうか。僕は近衛。君は既に知っているようだが、ここで小説を書いている者だ。君の名前は?」
自分と青年、二人分の紅茶を入れ、彼の正面に座る。彼は紅茶の香りを堪能し、口へと運ぶ。
「俺の名前は染井春樹。庭にある桜の精霊みたいなものだよ。」
彼はまた訳の分からないことを言い出した。桜の精霊?そんなものがいるはずもない。
どこかで頭でもぶつけたのか…それとも男性なら年頃になると通るであろう思い込みの激しい黒歴史を、今も抱えているのだろうか。見た感じ僕と歳が近そうだから、後者はないと信じたいものだ。
「…それで?その桜の精霊さんがこんなところにどんなご用件で?さっき力になるとか聞こえた気がするが。」
「それ!最近小説のネタに悩んでるでしょ?その力になりたくて!」
突然目を輝かせ、身を乗り出しながら答える染井春樹と名乗る青年。
嘘を言っていたり冷やかしに来たというわけでもなさそうだが…純粋な気持ちなだけに、先ほどの予想は後者が優勢である。
童心を忘れないというのは良いことだ。だが、自分の歳を考えない事とはまた別の話である。
しかしここで一つ疑問がある。
「君は何故…」
「染井春樹!」
「…染井君は何故僕が小説で行き詰っていることを知っているんだい?見ての通り僕は一人暮らしだし、村とも少し離れたところに住んでいる。担当の者と話すことはあるが、行き詰っていることを話した覚えはないよ。」
「え、だって近衛が自分で言ってたじゃないか。あーでもないこーでもない。これなら…いや、そうするとって。」
これだ。確かに執筆する内容を考える時によく独り言を言う。それは僕しかいないからこそ、誰にも迷惑をかけないから。そう、その場には『僕一人』なのだ。
先ほど出会った時もそうだった。彼は僕しか知り得ないことを知っている。そしてそれを当然のように話してくる。まるで長い間『見ていた』かのように。
もしや彼が言っているように本当に桜の……いや、そんな非現実的な話があるものか。ファンタジー小説の世界でもあるまいし。
そうなると疑問点は二つ。彼は何故この家や僕のことを詳しく知っているのか、何故彼とは初対面な気がしないのか。
二つ目は村に出向いた時にでもすれ違っていたのかもしれないし、それほど重要なことではない。
問題は一つ目だ。もしも盗聴器やカメラが、何らかのタイミングで家に忍び込み設置されていたとしたら? もしそうだとしたら早急に調べつ必要がある。
「何を難しそうな顔をしてるんだ?また小説のことか?」
今考えてもすぐには答えは出なさそうだ。力になりたいという気持ちは嘘ではなさそうだし、少し様子を見るとしよう。
「いや、何でもない。力になると言っても何をするんだい?」
「ネタを一緒に考えるってのは出来ないけど、ずっと一人で考えてたんだから、たまには人と触れ合うのもいいんじゃないかなって!だから良ければここに住まわせてもらって、身の回りの世話をさせてもらいたいなって思ってるんだ。もちろん近衛が嫌だって言うなら時々遊びに来るだけにするけど。」
住み込みで身の回りの世話か。警戒を解くわけではないが、正直有難い話だ。料理なら困らない程度にはできるが、掃除は苦手だ。それを代わりにしてくれる。それに一人でいる時間が多いことも事実。人とのコミュニケーションから生まれる新しいアイディアもあるだろう。
「わかった。執筆部屋には立ち入らない。何か分からないことがあったり問題が発生した時には必ず僕に報告をする。その条件を守れるのなら住み込みを許そう。」
もちろん素性の分からない人を家に住まわせるということは、かなりのリスクのあることなのは承知している。
しかし、これは今の僕にとって利点があることも確かだ。最近不調が続いているし、このままでは新作も危うい。そこは小説家として是非とも回避したい。これが今の最善策であると信じよう……。