シゲさん
その夏、私は都会の喧騒を逃れ、母の実家がある田舎の集落に帰省した。
山に囲まれた小さな村は、田んぼが広がり、夜はカエルの鳴き声が遠くまで響く。
祖母の家は集落の外れ、田んぼの脇に建つ古い農家だった。
昼はのどかだが、夜になると妙に静かで、どこか薄気味悪い雰囲気が漂う。
到着した夜、祖母がおかえりと子どもの頃から変わらない柔和な笑顔で私を出迎えた。
畳の匂いとあたたかいご飯に、疲れた私の身体は癒されていた。
そんな折、ふと祖母が言った。
「カエルが鳴かない夜は出歩いちゃいけないよ」
子どもの頃から聞く話だが、理由はいつも曖昧だ。
理由を訊いても「危ないからね」とだけ。
二日目の夜のこと、蒸し暑さに耐えかねて散歩に出た。
月明かりが田んぼを照らし、水面がキラキラ光っている。
濃い緑の匂いを胸いっぱいに吸い込んだとき、祖母の忠告を思い出した。
「カエルが鳴かない夜は出歩いちゃいけないよ」
大丈夫、カエルは鳴いてる。と、田んぼ沿いの細い道を歩いた。
すると、背後でパシャパシャと水をかく音がした。
振り返っても誰もいない。
風もないのに、稲がザワザワと揺れている。
不気味に思った次の瞬間、それまで騒がしいくらいだったカエルがピタ……と鳴くのをやめた。
不気味に思った私は足を速めた。
家に戻る途中、道の先に人影が見えた。
背の高い男がフラフラと歩いている。
酔っ払いかと思い、大丈夫ですか?と声をかけると、男がピタリと止まった。
ゆっくり振り返った顔は、月光に照らされ、目が異様にギラついていた。
「お前……見ちまったな……」
低い声で呟き、男はニヤリと笑った。
手に握られた鎌が、月明かりで鈍く光った。
恐怖で足がすくんだ。
男が一歩踏み出すと、私は我に返りスニーカーが脱げるのも構わず一目散に家に逃げ帰った。
身体中汗でびっしょりになりながら祖母に事情を話すと、祖母は顔をこわばらせた。
「シゲさんを、見たんだね」
祖母は数珠を持った手を合わせながら話した。
シゲさんというのは、昔借金で首が回らなくなり気が狂い、一家心中を図った男の名前だと。
家族を鎌で殺害し田んぼに埋め、自身もその場で首を……
二十年前の暑い夏の日にあったという事件だった。
毎年夏の夜になると、彼は時折姿を見せるらしい。
その夜、窓の外からパシャパシャという足音が聞こえ続けた。
カーテンの隙間から覗くと、田んぼの真ん中で、鎌を持った男がじっと家を見つめていた。
目が合うと、男はニヤリと笑い、稲の間に消えた。
翌朝、祖母は「シゲさんは見られた人間を追いかける」と呟いた。
私のスニーカーの片方が玄関に置かれていたのは、そういうことなのかもしれない。
スニーカーは泥だらけの手で掴んだように汚れていた。
その日、私はすぐ村を後にした。
車で集落を離れる際、バックミラーに映った田んぼの真ん中で男がこっちを見ているのに気付いてしまった。
私を見ながらニヤリと笑い、口をもごもごと動かす。
「見ちまったもんな……」
初ホラーです。
ホラー書くの難しすきだろ。
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普段は異世界ファンタジーなどを書いておりますので、そちらもよろしければ是非。