『舞姫』考察。エリスとは何者だったのか?太田豊太郎の本当の意味でのしくじり。
森鴎外の『舞姫』をGrokと翻案した穂上龍が舞姫の真相を考察する評論
私、穂上龍がエゴサをしてみると「太田豊太郎クズ」とネットにて検索表示されていたので、果たして『舞姫』という一体この物語の本質や真相とはなんであったのか?と穂上龍が夜も寝ないで昼寝して考察した物語論。
今回、『舞姫』を翻案して気がついた事があるので徒然に記す。
本作品のヒロインであるエリスが「一体何者であったのか?」という議題は森鴎外研究家の間では大きなテーマであると云うが、自分は森鴎外研究者ではないし、明治文学などを専門としている人間でもないので、あくまで翻案作業をやった一市井の人間の戯言として、また外野ならではの一読者としての見解を記す。
さて、どうやら本作の太田豊太郎は森鴎外のメタファーであり、本作を「鴎外の仮面の告白」と捉える向きがあるようであるが、この見解は間違っているのではないか?と考えた。
勿論、主人公の太田豊太郎のキャラクター造形に作者自身である森鴎外の人生の前半生を色濃く投影しているのは事実であるが、これはあくまでネタとして鴎外が適当な人間が居なかったから自分自身をモデルに太田豊太郎を創作しただけだと自分は考えた。
そしてエリスというヒロインもまた、森鴎外という作者が彼の人生で出会ったドイツ人女性をモデルにしている側面があるのは察することが出来るが、
「エリス=実際の鴎外の知人女性」もしくは「本作が鴎外の過去の恋路についての言及である」という前提自体が間違っているのではないか?
というのが自分の見解である。
本作の太田豊太郎が自分の人生について語っている部分すなわち大学までを19歳で優秀な成績で卒業してドイツに留学したという部分はたしかに森鴎外の人生と類似している。
しかし、太田豊太郎と森鴎外の人生をよく比べてみれば本作の重要な部分での違いがあるのである。
それは豊太郎の父親は彼がドイツへ行く前に他界しており、また彼の母親もドイツに居るときに死去していると明言されている部分である。
しかし森鴎外の父親は『舞姫』が発表された明治21年の時点では健在であり、母親もまた健在である。
本作を読んだ人間が大抵は考えてしまうことの一つに「エリスを捨てた太田豊太郎という男は酷いクズである」というような感想であろう。実際に筆者も酷いことをするもんだという感想を持った。
しかしながら本作の翻案作業をするに当たって丹念に『舞姫』を何度も読み返した結果、どうやら我々は「大きな勘違い」をしているのではないのか?という考えを持つに至ったのである。これからそれについて言及しよう。
結論から云うと、太田豊太郎はエリスを連れて帰らなかったのではない。どうしょうもない事情があって連れて帰れなかったのである。
なにを云っているんだ?それは物語のオチそのものではないか?と思われる人が多いと思うが、それはあくまで「表向きのオチ」のことである。
もっと云うならば、友人の相澤健吉もまた「エリスを連れて豊太郎に帰国して欲しかったのである」と云えば理解できるであろうか?
本作の豊太郎は相澤健吉なる得難い友人の助言に従ってエリスとの縁を切る決断を一応しており、結果的に相澤健吉がエリスに豊太郎が別れることに「諾(承諾)」と云ったことを彼が風邪?で昏倒している時にエリス本人に伝えたが為に、豊太郎とエリスの仲は破局することになるというのが物語の終盤の山場である。
これによってエリスの精神は破壊されて(翻案では「破壊」ということにしたが原文では「殺す」とある)彼女は狂人になってしまうのだ。
故に豊太郎は「相澤健吉なる友人は得難い良友であるが、少しばかり恨む気持ちがある」と締めくくっている。
これが一応の物語の結末なのであるが、よく本作を読んでみるとこれはあくまで“事件が起こった後”で再び渡航する船内で“太田豊太郎が「概要だけ」記している物語”なのである。
従って、ミステリー小説の感覚で読み解けば本作を一方的に語っている太田豊太郎が“真実を語っている”という保証は実は無いのである。
むしろ、太田豊太郎という色眼鏡を使用して本作の概略を読んだ読者が「豊太郎は酷い男だ」と憤慨するミスリードをストーリーテラーの森鴎外は仕掛けたと捉えたほうが自分はしっくり来たのである。
つまり太田豊太郎は「信用できない語り手」ということだ。
筆者には森鴎外の作品で印象深いものの一つに『高瀬舟』がある。
本作は物語終了後に作者である森鴎外自身が“安楽死をテーマにした”と云ってしまっているので、よく医療系の大学入試などで安楽死をテーマに入学試験論文やらその模擬試験のテーマとして扱われるのであるが「これは間違いではないのか?」と昔、高校生時代の筆者は強く考えたのである。
何故ならば『高瀬舟』という作品は、借金だらけの世間で生きていた、よく働いても報われない主人公である喜助が、弟が自殺を図った事で自殺に使用したカミソリを更に押し当てて?しまい「自殺幇助」をした罪で八丈島へ送られることになるのであるが、
八丈島では浮世での借金返済の義務がなくなり、お上から二百文の銭の支給まであり「人生がリセットできました」という「運命や人生の皮肉」を第一に書いている作品であるとしか思えないのである。
そういう「作品の結末」の後で鴎外という作者は色々出版バージョンが有るにしても「余計な一言」というべき「本作は安楽死を…」と自作解題を続けてしまったが故に、多くの文学的なセンスがない?医療系の人間たちが喜んで『高瀬舟』は「安楽死をテーマにした作品である」と語る傾向が当時はあったからである。
これについては森鴎外が陸軍の軍医中将であった人間であるからこそ「死にきれない人間を殺してしまう」というモチーフに気がついてネタにしただけであり、それ以上の意図はないように筆者は思ったのである。
これにそっくりな現象が、医師免許を持っていた漫画家である手塚治虫と彼の漫画作品『ブラック・ジャック』の関係性なのであるが、とにかく作家というのは身近にあるモノをネタやモチーフにして無節操に?物語を制作するのだという創作家の“業”(ごう)を理解していないとわからないことである。
そうして『高瀬舟』での自作解題という“余計な一言”での鴎外の“ミスリード”を思い出すと、彼は『舞姫』という作品もまた読者へのミスリードをあえてしているのではないのか?と思い至ったのである。
そもそも自分自身が太田豊太郎と同じ境遇であれば「エリスを日本へ連れて帰る」と選択する男性読者(女性でもいいが)がかなり多いと思われる。
普通はそう思うからこそ「太田豊太郎の酷さ」が際立つのがこの物語の結末なのである。
しかし“違和感”をもった人はいなかったであろうか?
作者の森鴎外と違って太田豊太郎という主人公は両親が既に他界しているのである。
もし森鴎外のように太田豊太郎の両親、もしくは母親がまだ健在であれば外国人女性を妻として日本へ連れて帰るというのは多少の難しさはあったかもしれない。
それでも当時の明治日本は欧米列強に追いつけ追い越せの明治維新の真っ最中なのである。
これが欧米ではない聞いたこともないような国の女性であれば家名に傷がつくのかもしれないが、いくらエリスが貴族や騎士階級の子女ではなかったとしても、教養は豊太郎との師弟関係で人並みの庶民以上にはあるし、地頭が良い女性であろうというのも推測できる。
他のヴィクトリア座の舞姫が売春などをしている者がかなり居るのに対して、エリスは豊太郎と結ばれる時までは処女であり、精神的に卑しい人間ではないことも示唆されている。
エリスと豊太郎が婚前交渉によってエリスの胎内に豊太郎の子供が居るのは少しばかりマズいかも知れないが、江戸時代以前の価値観を見れば相応にそのような事例はあったであろう。
確かに明治時代以後にキリスト教的な欧米文化を倫理基準にするとエリスが身籠っているのはあまり褒められたことではない。
が、それを理由にエリスを捨てるよりはエリスを連れて帰ることの方が良いことである。これは明白だ。
しかし不思議なのは相澤健吉という良識がある得難い親切な友人までもが「エリスと縁を切れ」と豊太郎に云ったことである。
このシーンを拙作翻案にて引き合いに出してみよう
▼
「この一件は君が生来の弱い心から生じたものゆえ、今さら申してもどうしようも無い。
だが、学識と才能ある者がいつまでも一少女の情に縛られ、目的なき生活を送るべきではない。
今は天方伯も君のドイツ語を活用したいだけだ。
私も伯が当時君を免職した理由を知るゆえ、無理にその意を翻そうとは思わぬが、伯に曲者と思われれば友として益なく、君にも損だ。
人を推挙するにはまずその能力を示すのが最善だ。
それで伯の信用を得なさい。
またその少女との関係は、たとえ彼女に真心があろうと、情交が深まろうと、人材を見込んだ縁ではなく、
慣習という惰性から生じたものだ。
決意して断ち切るべきだよ」
▲
>学識と才能ある者がいつまでも一少女の情に縛られ、目的なき生活を送るべきではない。
という部分を観ると相澤健吉が豊太郎の実力を評価しているが故の意見であるとは理解できる。
>私も伯が当時君を免職した理由を知るゆえ、無理にその意を翻そうとは思わぬが、伯に曲者と思われれば友として益なく、君にも損だ。
そしてこの部分、「伯が当時君を免職した理由を知る」とある。
つまり、豊太郎はしれっと一度自分がクビになった仕事場の最高上司の元で再評価されようとしているのである。
故に作中で「某省」とボヤかして豊太郎は告白しているが、天方伯=大臣=かつてのクビになった職場の「最高責任者」というのはここで判明するのである。
物語を丹念に読むと「舞姫と豊太郎が不適切な関係である」という彼を心良く思わない人間のチクリ(告げ口)によって当時の豊太郎はエリスとはプラトニック・ラブであったにも関わらず、「売春婦をやるような卑しい職業の女と遊んでいる」と恐らくは直属の上司である人物の誤解から来る報告を受けて、最高責任者である大臣の天方伯は「太田豊太郎は罷免」と判子をついた訳である。
もしかしたら人事担当者から「事後報告」を受けただけなのかもしれないが、当時の伯と太田豊太郎は直接的な知己がなかったから、豊太郎は「これは誤解です」と直訴できなかったわけである。
詳細は書かれていないが、本当に天方伯が太田豊太郎を嫌って失望し罷免したのであればいくら紹介者である相澤健吉が伯の側近であったとしても、伯は豊太郎を再評価どころか近づけなかったとは筆者は考える。これが自然である。
恐らくは大臣である天方伯は「過去に女性問題らしきことで私が管轄している省を免職になったという身分が下の下である現場に居た男」くらいの印象でしかなく、これを強く気にしている様子がないのである。
そして紹介者である相澤健吉は
>またその少女との関係は、たとえ彼女に真心があろうと、情交が深まろうと、人材を見込んだ縁ではなく、慣習という惰性から生じたものだ。
と不思議な言い方をしている。
真心、情交というのは男女の仲であり、特に「真心がある」というのは地位や名誉、財産目的の打算などではなく「本当に愛し合っている」ということだ。
「人材」というのは恐らくは「縁故」という戦前から現在まで続く家と家の政略的な関係を指しているのだろう。
確かにエリスが一介の仕立て者屋の娘ではなく、ドイツ貴族の子女であれば云うことはない。
そうであれば豊太郎はドイツ政界にエリスの実家をツテになんらかの影響力を持つことになるし、豊太郎の妻の実家の存在を見込んで、豊太郎の実力が同僚と伯仲しているならば優先的に豊太郎を出世させようか?と省の上の人間も考えるわけである。
そして筆者が引っかかったのが「慣習」という部分である。
男女が愛し合うのは「慣習」なのであろうか?と。
確かに男と女は若い未婚の状態であれば基本的に多かれ少なかれお互いを意識する側面はある。恋愛に国境というものがないのは筆者もよく理解している。
筆者の知人で外国人と恋愛をした人間は何人か居るし、恋愛というのはある意味では理屈や理性とは非常に真逆の行為である。
まさか好きになった女性が「外国人であるから恋も結婚もしません」というのは理性的と云うよりは、大抵の恋愛至上主義的な人から云わせれば馬鹿な理屈であろう。
この相澤健吉が述べた「慣習」という言い回しこそが、実は『舞姫』を読み解くひとつの鍵になると筆者は考えたのである。
「慣習」というのはいわば「社会システム」というべき言い回しである。
豊太郎とエリスの仲が「社会システム」であると相澤健吉が断じたのは“何かがある”のである。
男女の仲の社会システムと云えばやはり「夫と妻」以外で云えば「男と妾」である。
確かに作中の太田豊太郎とエリスは婚姻の契約を法律上していないのである。
故に「男女の恋人同士」と平成令和の人間は観るわけであるが、明治人の相澤健吉は「社会システム」であると見た訳である。
つまり「男と妾」という風に見たわけである。
故に「別れろ」と相澤健吉が進言したと解釈はできる。
では相澤健吉にこう云わせたエリスという女性は何者であったのか?
それが“舞姫”である。
ここで事件の回想の概要時系列を整理すると
1.豊太郎は仕事が出来るがドイツでの邦人同僚たちとはイマイチ仲が巧くいっていない。
2.そんな豊太郎がエリスという美しい舞姫をしている女性と街である日出会い縁ができる。
3.困っているエリスにお金を工面したことでエリスは豊太郎と親しくなり豊太郎は地頭が良い女性でもあるエリスに外国人でありながら教育をする役目を負い師弟関係となる。
4.これが豊太郎をよく思っていない同僚から「太田豊太郎が舞姫と遊んでいる」という讒言のネタとなり弁解できずに豊太郎は省をクビになる。
5. 相澤健吉が仕事を豊太郎に紹介してくれ、豊太郎はエリスの家に転がり込んで彼女と肉体関係を持つこととなる。豊太郎はこの時の執筆作業で大学では得られない実学を得て実力が向上する。
6. 相澤健吉がかつての職場の最高責任者である天方伯に豊太郎を引き合わせて「エリスとは別れろ」と意見をする
7.エリスの妊娠が発覚する
8.エリスは休みがちであると「ヴィクトリア座」をクビになり、医者から「異常な体である」と云われる。
9.豊太郎は天方伯のロシア行きについて行くことで、その培った実力を如何なく発揮して伯から認められる。ロシア行きでは、エリスは手紙で豊太郎への依存的な愛を語る。
10.そしてドイツに帰ってから豊太郎は伯に「ドイツで、しがらみがないならば一緒に日本へ来い」と誘われる。
11.豊太郎は伯からの誘いを承諾してしまい、エリスと別れる事に煮えきらずに町中を彷徨い風邪を引きエリスの待つ家に帰る。
12.豊太郎が寝込んでいる間に間に相澤健吉が“ことの次第”をエリスに話してしまい、エリスは驚き発狂する。
13.医者が云うにはエリスは極度の疲労から来る「パラノイア」(※)であるとして治癒の見込みはないと診断が下る。
14.豊太郎と相澤健吉はエリスの母親にお金を多少渡して、豊太郎はエリスとエリスの胎内の子供を置いて日本へ帰る。
※…翻案では「精神分裂症」としたが鴎外は「パラノイア」と表記している。
さて、このパラノイアを筆者が「精神分裂症」と翻案したのは理由がある。
まず現在の精神医療では「パラノイア」という診断名は死語となっておりピンと来ないからである。
また筆者の知人である精神科医に昔聞いた処、古今東西において「発狂した」とされる症状は基本的に現在で云う診断名での「統合失調症」であるというのは現在の精神医療界隈での常識であること。そしてその「統合失調症」という診断名は2002年から日本で使用され始めた新しい医学診断名である。
ではこの以前の病名呼称である「精神分裂症」という用語も考察すれば実は1937年と物語の設定時代の明治21年よりもかなり後の診断名であり、厳密に表現すると当時の医者がエリスを「精神分裂症」という病名で診断すること自体が有りえないのである。
しかしながら「パラノイア」という用語では現代の読者にはピンと来ないのは事実であり、文脈を読むとエリスがなんらかの形で正気を失い発狂したという展開も事実である、故に「統合失調症」ではあからさまに“新しい用語”が時代小説に登場する“違和感”が強いと筆者は判断して「精神分裂症」という実は明治時代には存在しない病名をあえて使用することとしたのである。
この点を加味して実際に医師であった作者の森鴎外がエリスを「パラノイア」と記した部分に着目してみようではないか。
まずはこの時代、つまり太田豊太郎がエリスと悲痛な離別をして実際に森鴎外自身が短期であるがドイツへ赴いた明治21年、つまり西暦1888年において後の精神医療での根幹的な理論を築くこととなるシークムント・フロイトとカール・グスタフ・ユングはどうだったのか?と調べれば、当時フロイトは32歳である。
またフロイトの弟子であり後にフロイトとは違う精神分析学の道を開拓して進むことになるユングはまだ13歳である。
どちらもドイツと関係性が深いドイツ系の名前を持つドイツ文化圏の人物であり、精神科医にして心理分析学の嚆矢となった人物である。
フロイトはオーストリア帝国の出身のユダヤ人であり、ユングはスイス生まれのドイツ系である。
1886年にフロイトは精神科医としてオーストリアのウィーンで開業しており、後に彼の診察手法の代名詞的な自由連想法を実践している。この時にフロイトは精神分析(独: Psychoanalyse)という用語を使用した。
つまり物語でエリスが豊太郎の仕打ちで精神が壊れた時には、まだフロイトは精神分析を実践して2年目であり、いくら作者の森鴎外自身が医者であったとしても明治23年の『舞姫』の執筆時に「精神分析」を積極的に深く知っていたとはあまり思えないのである。
それくらいにフロイトは最先端の精神分析という精神医学界の新ジャンルを開拓したのである。
フロイトが実践した「自由連想法」(独: Freie Assoziation)は特定の単語(刺激語)を患者に提示して、そこから患者が心に浮かぶままの自由な考えを連想していく発想法であり刺激語と連想語の関連を分析し、“潜在意識を顕在化”する事によって心理的抑圧を解明するというものだ。
ただし、フロイト派の精神分析がよく「性欲」と関連付けて語られる傾向が強く、現在の精神医学会では或る意味で既に時代遅れの方法であり、また逆に現代のエンターテインメント性が高い媒体でフロイト派での心理分析的な問いかけ(つまりバラエティテレビ番組などで◯◯を連想すると「こういうエロい事を貴方は考えている」という娯楽としての質問)が良くも悪くも使用されてしまうのは、お国柄と時代背景が密接に関連しているのである。
フロイトがウィーンで開業した当時の欧州では、特に上流階級の婦人や妙齢の子女においてキリスト教的な性に対する過度なタブーが「概念的な抑圧感」として多くの人で精神的な負荷として存在していた、という前提事実があっての「フロイトの精神分析」であり、逆説的にいうならば現代の男女間婚前性交渉が当たり前の多くの「日本の庶民」などにはまったく関係がない価値観なのである。
またフロイトの弟子でありながらも「彼の教義には従えない」として最終的に離別したユングは、1906年にフロイトの「自由連想理論」の証明実験を行い、その結果をフロイトに報告することでフロイトに接近し1907年に会合した。
ユングはヒステリー治療と無意識の解明をしていたフロイトを信奉して当時は“不治の病”とされた分裂症(精神分裂症)の治療を開拓していったが、1914年にユングはフロイトと理論の違いから袂を分かつこととなる。
これらは『舞姫』とは直接関係がない話であるが、当時のドイツ界隈が中心の精神医療というのはまだまだ発展途上の前段階であり、21世紀現在でも精神医療の研究は日進月歩という感覚で続いている。
何故ならば「心」は誰の目にも見えないブラックボックスであり、それと強い関係性がある「脳」という器官も解析途上であるからだ。
さてこういう時代背景を鑑みて、明治23年(1890年)に執筆された森鴎外の『舞姫』という作品でのエリスが罹患した「パラノイア」という症状は一体どういうものなのであろうか?
「パラノイア」とは「偏執病」(へんしゅうびょう)と呼称されるものである。
Wikipediaの日本語版での「偏執病」の項目(2025年3月現在)を見ると
▼
不安や恐怖の影響を強く受けており、他人が常に自分を批判しているという妄想を抱くものを指す。妄想性パーソナリティ障害の一種。妄想症とも。独立疾患とする立場と、統合失調症の一種とする立場、または一定の素因と生活史や状況などを原因とする立場などがあり、統一した見解はない。
▲
とある。
つまり最後の一文の「統一した見解はない」という部分をクローズアップしてしまえば、「良く分からないけど、心がおかしくなった」としか云いようがない“心の状態”であると筆者は捉えたし、作中のエリスの境遇から鑑みると…
「不安や恐怖の影響を強く受けており、他人が常に自分を批判しているという妄想を抱くものを指す。妄想性パーソナリティ障害の一種」
という一文は確かに説得力がある。
つまりエリスは相澤健吉または豊太郎本人が
「太田豊太郎の妻にはエリスは不適格である」
と批判していると判断し、不安と恐怖で心がおかしくなったという状態なのであろう。
作者の森鴎外が精神医学を学んだであろう明治21年当時の「パラノイアの解釈」を厳密に汲み取った訳では無いが、当時のフロイトやユングの精神医療の発展させ具合などを考慮すればこういう見解が相応に妥当であったと観るべきだと筆者は判断したわけである。
エリスは相澤健吉からの豊太郎が自分と縁を切って単身帰国することを承諾したと知り「騙された」と思ったのは作中では明言されている。
また精神疾患の発病の機序で大きな要素が、日頃大きなストレスを抱えていることである。
エリスはパラノイアの発病前に「ヴィクトリア座」をクビになっており、また「異常な体である」と医者に診断されるような妊婦としての状態であったのである。
豊太郎が給与を稼いでいたのであるから貧乏であっても極貧という訳では無い。
が、逆に考えれば豊太郎がいなければエリスとその母親は生活が成り立たないのである。これが「不安」(ストレス)である。
こういうメンタルの状態でついにエリスは豊太郎が風邪で寝込んでいる時に、彼を看病をしつつも相澤健吉の“不意打ちの告白”で精神が壊されて、つまり殺されて(原文ではそう書いてある)しまったのである。
エリスが豊太郎に対して「依存」とも言える“執着心の強い心理状態”を見せ始めたのは、豊太郎がロシアへ出かけた時である。
二通の手紙が引用される形でエリスが如何に豊太郎に対して執着しているのかが『舞姫』では描かれている。
これを受けて豊太郎は「この手紙を見て初めて私の立場を明視できた。恥ずべきは私の鈍い心だ」と云っている。
つまりエリスがここまで思い詰めていると豊太郎は自分の立場も含めて理解したわけである。
またロシア行きの前に豊太郎はこうも告白している。
>心細いことばかりで、出た後に残るのも憂鬱だし、駅で泣かれれば困ると思い、朝早くエリスを母親に預け知人の許へ行かせた。
ロシアに行く前にエリスが泣くことを「困る」と豊太郎は云っているのだ。
故に知人の元にエリスを行かせたと。
つまり極めて客観的にこの豊太郎の告白を信じて分析するならば、エリスは既にこの時には太田豊太郎に強く依存した心理状態であったわけである。
これはかなり異常な状態ではないか?
“物語の結末ありき”で観ると、エリスが最後には心を病んでしまい豊太郎と離別することを我々読者は知っている。故に脊髄反射のように「豊太郎は悪いやつである」と考えてしまう。
実は翻案作業をしているとこの描写は実は非常に重要な伏線…というよりも「真実を推測してほしい」という豊太郎からのメッセージにもまた見えるのである。
たしかに妊婦であるエリスは妊娠状態の女性が陥りがちな「マタニティブルー」のような精神状態であったであろう事は想像に固くない。
だがしかしいくら年上の恋人や夫に甘える女性が多いとしても、エリスのこの豊太郎への精神的な依存度は或る意味で常軌を逸している。
さながら父親の庇護を求める“子供”のようである。
勿論、現代の日本においても年上の男性相手に父親を観る女性は一定数存在するし、そういう無意識を年上である男性の恋人や夫相手に持ってしまう女性は特に不自然ではない。
だが、この“違和感”は何であろうか?
この時のエリスは豊太郎が友人の相澤健吉に「エリスと縁を切れ」と云われた事はまったく知らないし、豊太郎自身も妊婦となったエリスを医者に診せる事をしているし、彼はエリスに「父親としての認知をしない」などとは一言も云っていないのである。
また豊太郎は翻訳などで稼いだ金銭をキチンとエリスの家に入れているから経済的な不安も当面は無い。
このエリスの“子供のような依存心”は何処から起因するのであろうか?
そして何故、得難き良友である常識ある日本人の相澤健吉は「エリスと縁を切れ」と豊太郎に云ったのであろうか?
それを踏まえて、エリスがロシアから帰国した豊太郎を出迎えるシーンを見てみよう。
>窓が開く音がしたが、車からは見えぬ。御者にカバンを持たせ階段を登ろうとすると、エリスが駆け下りてきた。
>叫び声を上げ私の首を抱いたのを見て、御者は驚いた顔で髭の中で何か呟いたが聞こえぬ。
>「ああ、よく帰ってきてくれたわ!帰ってこなかったら、私、どうにかなってた!」とエリスが穏やかに語った。
「御者は驚いた顔で髭の中で何か呟いた」とあるくらいに同じドイツ人が見てもエリスの豊太郎の帰還での歓喜は一種の「何事か?」というべき状態であったのである。
これを留意しながら、主人公の太田豊太郎が初めてエリスと出会った場面を改めて見てみよう。
>今ここを通ろうとした時、閉ざされた寺の門に寄りかかり、声を呑んで泣く少女がいた。
>16か17歳ほどか。
>頭巾からこぼれた髪は薄い金色で、着衣も汚れているようには見えない。
>私の足音に驚いて振り返った顔は、詩人でなければ描けぬ美しさだ。
>この青く澄んだ、問いかけるような悲しみを湛えた目、涙に濡れた長い睫毛に隠された瞳は、なぜ一瞥しただけで用心深い私の心の底まで貫いたのか。
>彼女は深い悲嘆に遭い、前後を顧みる余裕もなくここで泣いているのだろう。
>臆病な私の心が憐憫に打ち勝たれ、思わず近づいて、
>「君、何故泣いているんだね?
>私のような知らぬ外国人の方が、力を貸しやすいこともあるさ」
>と声をかけたが、我ながらその大胆さに驚く。
>彼女は驚いて私の黄色い顔を見据えたが、私の真摯な気持ちが顔に表れていたのか。
>「ああ、貴方って本当にいい人ですね。
>あのような酷い人とも、母さんとも違います」
>とエリスが穏やかに語った。
>涸れていた涙が再び溢れ、愛らしい頬を流れ落ちた。
どうであろうか?
もう気がついた人はいるのではないか?
平坦に読解をすれば「泣いている美しい娘に太田豊太郎が一目惚れをした」シーンであるが、さらっと鴎外は重要な事、つまりミステリー小説における“叙述トリック”を既に発動しているのである。
>今ここを通ろうとした時、閉ざされた寺の門に寄りかかり、声を呑んで泣く少女がいた。
>16か17歳ほどか。
>頭巾からこぼれた髪は薄い金色で、着衣も汚れているようには見えない。
>私の足音に驚いて振り返った顔は、詩人でなければ描けぬ美しさだ。
>この青く澄んだ、問いかけるような悲しみを湛えた目、涙に濡れた長い睫毛に隠された瞳は、なぜ一瞥しただけで用心深い私の心の底まで貫いたのか。
特にここの部分だ。
エリスが非常に美しい容貌であり豊太郎の心の底までを貫いたというのが太田豊太郎の一目惚れの確定なのであるがその前の記述である。
>今ここを通ろうとした時、閉ざされた寺の門に寄りかかり、声を呑んで泣く少女がいた。
>16か17歳ほどか。
ここだ。
そう、エリスは“少女”であり、16か17歳ほどか。
と描かれているのである。
が、よく読めば『舞姫』作中の何処にも“エリスの実年齢”の証明が書かれていないのである。
>エリスは父親が貧しく充分な教育を受けられず、“15歳”で舞踊の師に誘われこの恥ずべき業を学び、クルズス(稽古会)を終えて「ヴィクトリア」座に出演し、今では2番手の地位を占める。
とは確かに書かれているが、それはあくまでも太田豊太郎という独白者からの伝聞形式であり、「確固とした証明の提示」としては“実はかなり怪しい”とも云えるのだ。
またこの時代の戸籍は自己申告が前提のモノが基本でもあり、数歳は年齢を誤魔化す人間が夜の仕事では普遍的に存在するのが事実である。
実際にヨーロッパ人の若い女性、つまりティーンエイジャーを見た人ならば理解できるが、往々にしてフランス人であろうとドイツ人であろうと
「日本人の感覚でいうならば高校生くらいだな」
と思って見ていたら“実年齢が12.3歳であった”という驚くべき現実があるのである。
また実際にフランス人の小学生が日本人の渋谷界隈の女子高生たちを見て「同世代だと思った」という話もあるのである。
つまり太田豊太郎は、恋人や祖国での結婚相手として“明治日本人の感覚では不足がないと思った” 16.7歳くらいの一目惚れの女性は、“実年齢がもっと若かった”という「悲劇」に見舞われたという可能性があるのである。
そう仮定すると恐らくエリスの実年齢は外見よりも最低3歳くらいは若かったのである。
太田豊太郎は二十代前半から半ばであるにも関わらず、中学1年生くらいの少女に惚れてしまったのである。
実際に鴎外は
>今ここを通ろうとした時、閉ざされた寺の門に寄りかかり、声を呑んで泣く少女がいた。
とエリスを“少女”と書いているのである。
またそれから改めて相澤健吉の「エリスと別れろ」という意見の部分を見ても同じことが書いてあるのである。
>またその少女との関係は、たとえ彼女に真心があろうと、情交が深まろうと、人材を見込んだ縁ではなく、慣習という惰性から生じたものだ。
相澤健吉もエリスを“少女”と明言しているのだ。
そう考えると相澤健吉なる常識良識ある知識人の日本人男性が、太田豊太郎にエリスを妻として日本に連れて帰ることを“強く反対した理由”は完全に理解できるのである。
太田豊太郎の両親が後腐れなく既に他界していようと、外国帰りの当時明治日本では“いい大人”であるお役所勤めの男性が、外見は大人びていても実際はまだ少女でしか無い“外国人のローティーンを妊娠させた状態で帰国する”のは「酷い無茶である」と周囲が止めたというのが“この話の真相”なのだ。
相澤健吉は実際にエリスのことを知ると恐らくは戸籍なども調べて「この子は未成年である」と理解したのである。豊太郎のロシア行きでエリスが見せた子供のような豊太郎への依存心は“実際に子供であったからだ”と考えればまったく無理はない。
そして精神疾患というのは若い思春期から二十代までの若者時代に好発するものである。
妊娠状態のローティーンであるエリスが、他界した父親の「愛の代償行為」として豊太郎を求めたのは出会いの時点からは明白である。
鴎外は豊太郎を「黄色い顔」と書いているように、豊太郎は別に欧米人に間違われたという史実での明治時代の軍人である秋山好古のような白色人種のような顔ではなく、つまりエリスから見れば「自分と同世代くらいには見えた童顔男性」であるとエリスは認知しており、また「妾になれ」といったヴィクトリア座のロリコン趣味の座長のように、同じ年上男性でも豊太郎はオッサンじみたドイツ人とは異人種に思えたのであろう。
これが後年の「この話を概略だけでも記しておこう」と勝手に回想をする太田豊太郎を「信頼できない語り手」として、森鴎外が作中で仕組んだ『舞姫』に置ける叙述トリックの構造なのである。
であるから恐らく森鴎外は「この作品『舞姫』の太田豊太郎は酷いやつだ」という感想を聴くたびに「ふふふ…誰も真相に気がついていないではないか」と面白がっていたのであろう。
こう考えればエリスの存在論やモデル論を今でも喧々諤々と調べ、追求して議論している人々はまだ「森鴎外の掌の上」なのである。
“エリス”という名前にしても、特に珍しい女性の名前ではなく、豊太郎の履歴を鴎外が自分とそっくりに書いたのも“ある種の作為ある行為”なのかも知れない。
森鴎外…恐ろしい男である。伊達に文豪ではない。
さて、調べてみると当時ドイツでの成人として法律が定義している年齢は21歳である。
故にドイツ国での豊太郎とエリスは婚姻関係には成れなかった訳である。当然作中でも豊太郎とエリスは内縁関係であり婚姻はしていない。
面白いことに現代の令和の日本よりも当時のドイツの方が成人と法律で認定される年齢が高いのである。
〽十五で、姐やは、嫁にゆき
とは三木露風の『赤とんぼ』(大正10年)の詞で有名な部分であるが、これはあくまで農村部の話であり戦前の日本は農村部と東京や大阪のような都会では「時代が違う」というべきギャップがあったのである。
ここで当時の日本人の結婚年齢を見てみると江戸時代の中期を境に平均初婚年齢は上昇している。
江戸時代中期は14歳から22歳が女性の初婚年齢であり、男性は17歳から28歳だ。これが幕末期になると3歳くらい遅くなり、明治19年(1886年)になると平均で女性は21.3歳で初婚を迎え、男性は25.3歳で初婚を迎えることになっている。
であるから「15歳で嫁に行く」というのはあくまで地域格差が現代よりも大きかった明治時代においては、田舎の貧農などの話であり、東京や、西の都会である大阪といった都会人からすれば「異常な話」であったわけである。
豊太郎の家は東京であるのは『舞姫』に置いては明言されているし、当時の東京では15歳の嫁はかなり珍しい部類であったのは上流階級や知識人の間ではやはり常識であった。
ましてや既に妊娠している13歳前後の外国人の嫁が太田家にやってきたら一体どうなるのか?
これが物語の裏側からの「隠された真実」なのである。
豊太郎は少なくともつい手を出してしまった「青い果実の美少女エリス」にはご執心だったのであるが、この少女を妻に出来ないならば妾として囲うことは「明治日本エリート男性としての常識では許されない」と相澤健吉などの常識人が厳しくジャッジメントを下したのである。
たしかに相澤健吉が云うように「慣習」として古の僧侶の御稚児のように少年性愛や少女性愛という文化は日本でもあったし外国でもある。
しかし国家のエリートとして人生の「表街道を行こう」というべき人間は手を出してはならないという論理なのである。
であるから『舞姫』という作品は太田豊太郎の内面の葛藤劇でありながらも、裏面ではエリスと豊太郎が“何故結ばれなかったのかを推理してみなさい”というミステリー小説なのである。
この一つの作品を見事な二面性で執筆した森鴎外という作家はまさに文豪なのである。
その証明として?最期に森鴎外が太田豊太郎の心中をサラリと表現している部分を指摘しよう。
それが『舞姫』というタイトルそのものである。
Grokで翻案をする時に「舞姫」の部分が「踊り子」となったので筆者は当初困惑した。
川端康成の『伊豆の踊り子』という作品があるように、たしかに「舞姫」よりも「踊り子」という表現の方が自然なのかも知れない。
が、本作のタイトルが『舞姫』である以上は作中の舞姫という表現を「踊り子」と云う形に翻案するわけには行かないので、筆者は考えたのである。
そうしてあるメタファーというかタイトルに隠された“鴎外の意図”も理解したのである。
鴎外は『舞姫』というタイトルにこそ「豊太郎の心情」を仮託したのである。
つまり“舞姫”とは“マイ姫”→“my姫”→“my princess”(私のお姫様)という意味があるのである。
そんな馬鹿な?
オヤジギャグではないか?
という人は実際に鴎外が実子たちに付けた名前を見ればいい。
於菟、茉莉、杏奴、不律、類と全部が漢字表記の外国名なのである。
これこそが外国語が堪能である文豪、森鴎外が『舞姫』というタイトルに秘めたメッセージなのである。
たしかに明治時代などの文豪の小説作品はつい「襟を正して読んで勉強しよう」と今の人は思ってしまう。
しかしながら彼ら古の文豪らも結局は「小説などを執筆することに喜びを感じているストーリーテラー」であり、彼らの内面は「どうだ?この話は面白いだろう?」という現在の作家たちと同じ観点で物語群を執筆したのは全く間違いない事実なのである。
故に森鴎外の作品にしろ、他の明治時代の作家の作品などにしろ、もっと良い意味で娯楽物的な観点で読み込んで物語を愛好するべき部分が厳然とあるのである。
以上が私、穂上龍の『舞姫』の物語考察論である。
おしまい。