06 思いやる二人
三年の間に夫から受け取ったもの。
三年の間に自分が夫に与えたもの。
どちらが多いかなんて考えるべきではないし、天秤に掛けるだけで失礼に値するだろう。だって二人は夫婦だったのだし、結婚とはおそらくいつもそういうもの。
「真実の愛……ねぇ」
独り言のように吐き出した言葉は静かな部屋の中を漂って消えた。まだ冷え切った朝方の空気が心の芯まで凍らせるみたいだ。
嫁入りして初めてシンプソン公爵家に来たときのことを思い返してみる。
優しく微笑む公爵、つまりアントンの父を見て緊張はいくらか和らいだっけ。それから綺麗に手入れされた庭を案内してもらって、使用人たちの紹介を受けた。あの頃はまだ料理長も無愛想で、レミリアの目を見て話すことも少なかったと記憶している。
三年という月日は決して長くない。
だけど、短くもない。
「レミリア!僕だ、アントンだ!」
考え事をしていたらノックの音がして、勢いよく開いた扉の後ろから夫のアントンが顔を覗かせた。髭を剃ったばかりなのか、まだ泡が少し頬に残っている。
「どうしましたか?」
レミリアは踵を返してそちらに向かった。
彼にしては早い時間に部屋を訪れてきたことに、内心驚いている。アントンは夜は遅くまで起きて朝は昼近くまで寝るのが常のことで、よっぽど大切な用事でもないと午前中に出掛けることは少なかったから。
「君の意見を伺っておこうと思ってね。ネクタイの色はこっちの紺のものと、このシルバーに緑のストライプのどっちが良いと思う?」
「………あぁ、そうね……」
正直どっちも微妙だと思った。
こんな真っピンクのシャツをいったいどこで見つけて来たのか問いただしたい。だけど、目を爛々と輝かせる彼にそんなことを聞くのは気が引ける。
「紺が良いんじゃないかしら。シャツが少し派手だから、ネクタイは落ち着いた色の方が良いわ」
「ありがとう。だけど僕の気分はシルバーだな!今日はエロイーズと朝食を食べに行く予定でね、彼女が朝の市場の雰囲気を見たいと言っていて」
「………そうですか」
仕舞い込まれる紺色のネクタイを見ながら、噛み合わない自分たちの関係を考えた。しかし、それも今更の話。だからこうして離縁に向かっている。
気を取り直して、レミリアは顔を上げた。
「旦那様、会話のアドバイスをしても?」
「なんだい?」
ネクタイを絞めながら機嫌良く頷くアントンの方へ半歩近づくと、神妙な表情を作る。
「お相手の女性が何か貴方に相談されたら、先ずは必ず一旦受け入れてください」
「受け入れる?」
「女性は共感されると喜ぶものです。困りごとや最近の悩みなどであれば尚のこと、親身になって差し上げるべきです。貴方が解決できるなら、助けてあげても良いでしょうね」
「そういえば、前回会ったときに両親のことで何か言い淀んでいたな…… 分かった、次にその話が出たらさりげなく聞き出してみよう」
「優しい紳士な態度を目指してください」
それまで真剣な顔で聞いていたアントンは、そこで破顔して笑い出した。
「はははっ!それはもう必要ないだろうね。僕ほど紳士という言葉が似合う男は居ない!」
レミリアは否定も肯定もせず、ただ微笑む。
その後、ひとしきり笑って更に絶好調になった夫が楽しそうな足取りで部屋を出て行くまで、絵付けされた人形のように表情を崩さなかった。