04 まどろむ二人
若い頃、もっと言えば結婚する前までは砂糖を入れて紅茶を飲むのが好きだった。砂糖を入れない紅茶なんて水と同じだと思っていたし、安らぎを感じることも出来ないと考えていた。茶葉そのものの甘味を味わうことを勧めてくれたのは、シンプソン邸の料理長だ。
「味覚って変わるのよねぇ」
「人の仕事場でまどろむな」
「良いじゃない別に。今日はお金を払って仕事の依頼に来てるわけだから、出されたお茶を飲んでリラックスする権利だってあるわ」
レミリアがムッとして言い返すと、ホークス・レコルテはやれやれといった様子で頭を振った。
ホークスと知り合ったのはアントンの父親の葬儀がきっかけで、故人が残した遺産の管理をどうするかという話になったときに白羽の矢が立ったのが弁護士を勤める彼だった。というのも、シンプソン公爵家には二人の息子が居たのだ。兄のアントンと弟のヘイズ、弟の方はまだ未婚だったけれど、残された資産の分配には大きな関心があるようだった。
「あんたから来る依頼って嫌な予感しかしないよ。公爵のときだって大変だったんだぞ。終始あの兄弟が目を光らせて突っ掛かって来て……」
「仕方がないわよ。どんなに穏やかな家だって遺産の話になるとみんな人が変わるから」
「やっぱり平民は最高だな!金なんて生きていけるだけあれば十分だ。平民万歳!」
「この督促状の束を見たら、それってただの強がりに聞こえるんだけど」
レミリアは手先で机の上に積み重なった封筒の山を突く。今にも倒れそうな色取り取りの封筒は、まだ開封されていないものも多い。というか、ほとんどが存在を忘れられているのだろう。
「好きで借金を作っているわけじゃないさ。人が良すぎるのも考えもんだね、金のない奴の弁護をすると痛い目を見る」
「なるほど、何か肩代わりしてるのね」
呆れた人、と溢しつつ明後日の方を向いて煙草をふかすホークスを見る。
あながち嘘ではないのだろう。時間外の労働もいとわないホークスの働き方は、見ているこちらも少し心配になる。アントンの父の一件以降も何度か小さな用事で彼の事務所を訪問することはあったが、いつ来ても忙しそうだった。
「んで、今日は何のご入用でしょう?」
ようやくこちらを見た檸檬色の双眼を見つめる。
レミリアは待ってましたと口を開いた。
「お義父様が亡くなったとき、資産の分配に関する書類が見つかったことを覚えている?」
「覚えているよ。貴族は家のことに関して独自のルールを作りたがる奴が多いが、シンプソン公爵家の取り決めは結構単純だった。それがどうしたんだ?」
「アントンも記憶しているかしら?」
「どうだかなー。話し合いの場には毎回居たが、もう何年も前の話だ。関連書類が残っているかすら微妙なラインだろう」
「書類の管理は私が任されているの」
ホークスは冷めた紅茶に伸ばし掛けた手を止めて、レミリアを見上げた。正直な彼の瞳には疑いの色が浮かんでいる。
「何をするつもりだ?」
「離縁よ。アントンは私に邸を出て行ってほしいみたい」
「は?」
「申し出は承諾したわ。だけど少しだけゴネてみようかと思ってる。やっぱり無一文で追い出されるのは腑に落ちないじゃない」
レミリアは頭の中で亡きシンプソン公爵が残したいくつかの取り決めを思い浮かべる。
公爵家が管理する土地は何ヶ所かに分かれている。その一部は兄であるアントンに、また一部は弟のヘイズに譲渡された。そして「最も面積の広い土地を持つ者がシンプソン公爵家の当主を名乗る権利を持つ」というルールのもと、現在はアントンが当主を務めている。
「二週間もらったの。十分よね?」
「………どんな話か知らないが俺は巻き込むなよ」
「そうね。私は心優しい弁護士さんに仕事を頼むだけだから、友人を巻き込むわけではないわ」
「誰が友達だ」
レミリアはにこりと笑って目の前に座るホークスの方を指差した。