31 大丈夫
友人であるデミルカ・ブラウンは部屋に入るなり思いっきり顔をしかめた。
原因は分かっている。さぞかし酷い顔をしていると言いたいのだろう。アントンの申し立てはどういうわけか通ったようで、裁判は無慈悲にも開かれることとなった。
そうと決まったならば、と今まで以上の気合を入れて隣町まで足を伸ばして弁護士を探したものの、何処まで行っても結果は同じ。多少金額を積むと言っても、深く頭を下げて頼み込んでも、法を知る者たちは誰一人としてレミリアに力を貸そうとしなかった。
「なーにしてんのよ、貴女」
フゥッと息を吐くとデミルカは赤いハンドバッグを開いて小さなノートを取り出す。慣れた様子で紙をめくると、何か文字の書かれた部分を見つけて破り取った。
はい、と差し出されたメモを受け取る。
「これは……?」
「知り合いの弁護士。何人かに頼んどいたから、早めに会ってみてちょうだい。何か間抜けなこと言われたらガツンと言い返してやれば良いのよ」
「デミルカ………ありがとう。だけど、気持ちだけ受け取っておくわ」
「はぁ?」
信じられないといった顔で口を曲げるデミルカに、レミリアは紙切れを押し付ける。
分かっている。
良かれと思って訪ねてきてくれた友人の優しさ。彼女がどれだけ頑張って知り合いを当たってくれたのか。そんなの少し考えただけで十分過ぎるほど分かる。分かるからこそ、頼れない。
「巻き込めないの、大切な人を」
「……っ!なに綺麗事を言ってんの!!」
「これは私が始めたことだし、貴女には家族も居るでしょう?万が一裁判で不当な判決を受けることがあったら、雇われた弁護士は紹介した貴女を恨むかもしれない」
「そんなわけ………ッ!!」
「ねぇ、デミルカ……お願いよ」
心配そうな友人の顔を見続ける勇気がなくて、レミリアは窓の外に目を向けた。白い化粧を施した庭も、寒さに凍えながら春を待っている。季節が巡れば、また花は咲く。
「本当のことを言うわ。これ以上、誰かが私のもとを去って行くのは嫌なの。アントンとの件があって、懇意にしてもらっていた弁護士にも迷惑をかけた」
「それってあの、公爵家のお抱え弁護士だっていう……?」
「ええ。私は貴女との仲を悪いものにしたくない。良い友人で居てほしいの………」
「レミリア、」
赤く彩られた唇を何度か動かしたデミルカは、結局何も言葉を発さずに黙り込んだ。
レミリアは机の引き出しを引いて、足元に仕舞い込んだ小さな金庫を取り出す。ダイヤルを回して蓋を開けると、親指ほどの大きさの印鑑を摘んで見せた。持ち手の部分には、鋭い眼光の鳥が片方の翼を広げた形で彫られている。
「これは……?」
不思議そうなデミルカの声に答えるために、レミリアは彫刻文字が見えるように印を裏返す。
「シンプソン公爵家の当主印よ」
「………!」
「これこそが当主である証。アントンが何を主張しても、当主印を引き継いだのは私なの。代々お屋敷の中で管理しているんだから、盗めるはずもないわ」
「なるほどね……」
デミルカは少しホッとしたように息を吐いた。
レミリアは「だから大丈夫よ」ともう一度安心させるために言い添えて、その日は友人を彼女の住まう屋敷へと送り返した。