15 食卓を囲む二人
「いやぁ、しかしなんだ。こうして二人で向かい合って朝食をとっていると、離縁なんて嘘みたいだな!こんなことを言うのも変だが、君がどうしてもと言うなら今後もたまには遊びに来ると良い」
「あら、お優しいことで」
「僕は優しい男だよ。それはこの三年の間に証明することが出来たと思うけどどうかな?」
そう言って片目を閉じるとウィンクのような仕草をして見せるアントンを見て、レミリアはただ微笑む。
優しい、なんて便利な言葉だろう。
夫であるアントン・シンプソンは確かに優しいか厳しいかで人間を二分すると前者に分類される。しかし、その優しさは他者に対してのみではなく、もちろん彼自身に対しても降り注ぐ。彼がもしも自分に厳しく他人にのみ優しい人間であれば、夫婦はこんな結果になっていないだろうから。
(何も分かっていないのね………)
この三年間の間でアントンがレミリアに示したのは、どこまでも自分に甘い彼の自堕落な生活。そして自分の親の看護を新婚の妻に押し付けて、友達と遊び呆けることが出来る呑気さ。
エロイーズという彼の恋人が屋敷を訪れたときはドキッとしたが、なんてことは無かった。彼女もまた借金で首が回らなくなった可哀想な人間なのだ。どうやら公爵家の資産目当てでアントンに近付いたようだが、計画倒れなのは申し訳ない。
「そうそう、先日ヘイズに偶然街で会ってね。なんだかやけに機嫌が良かったんだが、どうしたんだろう?」
「さぁ。良い出会いでもあったのかしら?」
「アレももうじきに嫁を迎えた方が良い年齢だからな。僕のように女性との良縁に恵まれたら良いんだが、あんまりそういうことを言うと自慢のようになってしまう……」
これから離縁をする男がいったい何故「良縁」などという言葉を使えるのか理解に苦しむけれど、水を差すほどの気力もないので、とりあえずレミリアは曖昧に微笑んで流した。
まだ朝方ではあったけれど、最後の日にふさわしい軽いコース料理を料理長が用意してくれた。デザートには一口大の濃厚なチョコレートケーキ。上に載ったオレンジの皮の酸味が良いアクセントになっている。
興味がないのか会話の最中にポイポイと口に放り込んだアントンが、コーヒーですべてを胃の中に流し込むのを見て、レミリアは終わりが近付いていることを悟った。夫婦の最後の朝食がもうすぐ終わりを迎える。
「さぁさぁ、もう十分だろう!」
手を叩いたアントンがそう言った。
レミリアはナプキンで口元を拭って顔を上げる。
「挨拶は済ませてあるはずだ。荷物ももう既にまとめてあるらしいな?」
「………はい」
「レミリア、君には本当に世話になったと思っているよ。きっと君は幸せにしてもらえるはずだ。相手が僕ではなかったというだけ」
またもや自分のセリフに酔ったような顔を作ってアントンは顎を撫でる。レミリアは意を決して、机の下でぎゅっと両の手のひらを握り込んだ。
恍惚とした表情で目を閉じるアントンを見つめる。
三年間、夫と呼んで生活を共にした男。
真実の愛を選んだ、愚かな男。
「必要な書類と一ヶ月は寝食に困らない程度の金銭を用意しました。ユミル、旦那様に渡してもらって良いかしら?」
部屋の隅からタタタッと走って来たメイドが、アントンの足元に小さなトランクケースを置いた。面食らった様子でケースが開かれる。そして、中に入った茶封筒の封を切り、薄い紙を一枚取り出したアントン・シンプソンは瞬時に顔色を変えた。
レミリアはその反応を見て笑みを深める。
そして、二週間胸の内で温めた言葉を口にした。
「旦那様、シンプソン公爵家の当主はこの私です。出て行くのは貴方の方ですよ」